カイルの過去 -真相-
「グレン様は随分な方なのですね」
話を聞いていたエミリーは珍しく不愉快そうな表情を浮かべている。
「えぇ。王宮内で見かけた事はありませんか?」
「残念ながらございません。煙草を吸われると伺ったので、すれ違えば臭いでわかるかとは思っておりますけれど」
「えぇ、かなりの依存症ですから臭いますよ」
「それでシャーロット様とはその後どうなったのですか?」
「彼女はそれから二ヶ月もしないうちに階段から落ちて亡くなりました」
エミリーは目を見開いた。彼女の中に色々な憶測が駆け巡る。しかしどれも面白い話にならない想定であり、口にする事は憚られた。
「それは事故でしょうか?」
「表向きは事故です。実際の所は不運な事故、でしょうか」
「詳細をお伺いしても宜しいでしょうか」
エミリーの質問にカイルは頷く。
「ここまで話して最期を隠しても仕方がありません。彼女は妊娠していたそうです。私は確かにその後顔を出すようにしていましたが、彼女の心が癒えるまで抱かないでおこうと決めていました。ですからそれは私の子ではありません。彼女はその望まぬ子供を流そうと階段からわざと落ち、打ち所が悪くて亡くなったのです」
エミリーは言葉を失った。シャーロットの人生を考えると悲しくて仕方がない。しかもグレンはきっとこの事を知らずに今ものうのうと生きている。確かにこれはライラに話すのは難しい内容である。下手をしたらグレンを殴りに行くかもしれない。
「グレン様に復讐など考えられた事は?」
「いいえ。長兄の子かもわからないのに、復讐するなどおかしな話でしょう?」
カイルは不敵な笑みを浮かべている。エミリーは自分の想定していた話と違う可能性に気付き、表情を強張らせる。バー侯爵という名前が王宮の相関図を書いた時なかった事に彼女は気付いた。
「その政略結婚自体が仕組まれた罠、という事でしょうか?」
いくらカイルがジョージに仕えていて赤鷲隊副隊長という肩書を持っているとしても、三男では政略結婚の相手としては少々弱い。侯爵家の娘なら貴族の長男に嫁ぐ事も出来たはずである。
「シャーロットは貞操観念というものを持っていなかったらしく、陰で色々遊んでいたそうです。それを調べておきながらこの政略結婚は成立し、私は最初から祖父に釘を刺されていました。絶対に手を出すなと」
「何故でしょうか?」
「色々と遊んでいるという事は誰の子供を身籠るかわからないという事です。ハリスン家は長らく続く名門。例え三男でもハリスンの血が流れない子供は要らないのです。私は本当に飽きていましたから、祖父の指示に従いました」
「宰相の考えとは何でしょうか? シャーロット様のお父上が議会で発言権を持っていて邪魔なので排除したいという事でしょうか?」
エミリーの推測にカイルは笑う。
「いい線をいっていますよ。バー侯爵は帝国寄りの発言をするので祖父は失脚させたくて仕方がなかったのです。私が手を出していないのに妊娠したとなれば、不貞で訴える事が出来ます。ただ何も知らない長兄が邪魔をしてしまいましたけれど」
「まさか階段から落ちたのではなく本当は……」
エミリーはそれ以上言葉に出来なかった。昨日ジョージがハリスン家は毒に強いと言っていた。しかしシャーロットに非があるとはいえ、命を奪っていい程でもない。カイルは冷たい笑みを浮かべた。
「私は知りません。軍団基地にいた時に起こった事です。落ちたのか落とされたのか、そもそも落ちていないのか、とにかく表向きは事故なのです。ただその後バー侯爵が失脚したのもまた事実です。ただそちらの失脚の表向きの理由は横領ですけれど」
ライラがずっと気にかかっていた闇はこれなのかと、エミリーは驚きを隠せなかった。彼女は色々な噂話を聞く事が好きで、それが後ろ暗い話でも全然問題はないのだが、流石にこれは後味がよくない。カイルは淡々としているが、例え侯爵を失脚させる為とはいえ、命まで奪う気はなかったように聞こえた。そもそも横領の事実があったのなら政略結婚など必要ない。もしかしたら政略結婚をする事で相手を油断させたかったのかもしれないが、それでもやりすぎている。最初の前置きで彼が償いきれないと言っていたのは多分本音で、責任を感じているのだろうと彼女は判断した。
「このような経緯で私は妻と死別をしているので、再婚したいとは思っていません。もしライラ様の侍女になりたいという令嬢がいても出来るだけ断って頂けると助かります」
「ライラ様の侍女が少ないのはそういう事だったのですね」
エミリーは頷いた。ずっと腑に落ちていなかった侍女の人数が、まさかカイルに貴族令嬢を勧める為に減らされていたとは思っていなかったのだ。
「えぇ、多分次兄の策略です。あの人は何故か私にやたらと結婚を勧めてくるのです。この話を知っているにもかかわらず」
カイルはため息を吐いた。本当に嫌そうである。
「けれどもずっと御一人というわけにも、いかないのではないのですか」
「私は隊長の側にいるおかげで身の回りの事は一通り出来ますし、赤鷲隊にいる間は衣食住に困りません。継ぐ爵位もありませんし、結婚をする意味などないのですよ」
「女性にも飽きていますし?」
エミリーの問いにカイルは笑う。
「えぇ。それに副隊長職は忙しく、家庭を顧みる時間もなさそうです」
「それでしたら、そのようなカイル様に相応しいご令嬢を探してみますね」
エミリーはにっこりと微笑む。カイルは嫌そうな表情を彼女に向けた。
「私の話を聞いていましたか?」
「えぇ。苦労された方は幸せになるべきだと私は思っています。ライラ様は現状大丈夫そうですからお任せ下さい。性格重視でかつウォーレン様が納得する美女、なかなか難易度は高そうですが、その分やりがいがあるというものです」
「何故そこに次兄の名前が……」
「美人でないと多分壊されてしまうと思うのです。それに私もウォーレン様の願いはわからなくないので、是非それを叶えてみたいのです」
エミリーは微笑む。カイルはそんな彼女に冷たい視線を送った。
「貴女自身、自分を綺麗に見せる事を避けているように見えますが」
「私はあくまでもライラ様の侍女ですから目立つ必要はありません。それに色々な人から話を聞くには綺麗ではない方が都合がいいのですよ」
「貴女は結婚をしなくても宜しいのですか。こう言っては何ですが、適齢期を過ぎていますよね」
エミリーはライラと同い年である。貴族よりは婚期が遅い平民女性でも、二十二歳では行き遅れ扱いになる。
「私は一生ライラ様の侍女をすると決めています。それを許してくれる男性が現れたら考えますが、今の所そういう人はいないのです」
「赤鷲隊の厩舎に一人、その願いを叶えてくれそうな人がいますよ」
カイルの言葉にエミリーは不快感をあらわにした。
「何故それを御存知なのか追及はしませんが、私は残念な男に興味はありません」
「そうですか。でしたら余計な事をしないよう、今回の戦役に連れて行きます」
「役に立ちますか、あれ」
「三年の鈍りはあるでしょうが、剣も槍も隊長並に扱えますよ」
エミリーは思い出していた。ブラッドリーにはそういう雰囲気がない。しかし本当に武術に精通しているのであれば、間者であった場合それを隠して対応するはずだ。残念に思えるが、ただの筋肉馬鹿だとしたら、それもあり得るかと思い至った。
「それでしたら是非連れて行って下さい。私にはブラッドの真意が見えません。戦場でジョージ様の為に戦えば疑いも晴れるのではないでしょうか」
「そうですね。彼は家を捨てたとはいえレスターの肩書は完全に消えていません。証明するにはいい機会かもしれません」
「えぇ。多分ブラッドは赤鷲隊に戻ってきたかったのだと思うのです。ただジョージ様はブラッドが何か企んでいるのではと疑っておられる御様子。私自身彼の命に興味はありませんが、一度機会を与えれば懸命に働くと思います」
ブラッドリーがライラの手紙を持ってきた時、彼はジョージの為に動いていると匂わせる事を言っていた。エミリーはそんな彼の疑いを晴らしたいと思っていた。気持ちに応えられないのだから、仕事環境くらい整えたかったのだ。
「それでは隊長に進言しましょう。本当は隊長も連れて行きたいと思いますから」
「そうなのですか」
「えぇ。隊長はわかり難い人ですが、ブラッドリーの事は気に入っているのですよ。多分残念な部分を」
カイルの言葉にエミリーは微笑む。
「そうですね。常に頭を使っている人は、息抜きになる会話が出来る者が近くに一人いると宜しいでしょう。ライラ様は別の意味になりますし」
「隊長はライラ様を手放さないと思います。隊長の色々な一面が見られて、この一ケ月は忙しかったのですが楽しくもありました」
カイルはジョージの嫉妬心を見透かしていた。今まで女性に興味を示さなかったジョージのライラに対する態度が、カイルには興味深かったのだ。それにジョージの思考に変化が表れている。ライラが側にいる事でジョージの考えに幅が出てきた。そしてカイルはそれに対応する為に忙しくしていたが、それが結構楽しかったのだ。
「そうですか。ライラ様が受け入れられて一安心です。あの方はただの男性では扱えませんからね」
「隊長は王族であり、軍人で商人の血も流れている特殊な方です。その辺の貴族とはわけが違います」
「そうみたいですね。外見からは想像出来ない凄さは感じています。それとカイル様も話してみると意外と話しやすいのですね」
「意外とはどういう事でしょうか。女性には受けがいい方なのですが」
「ライラ様に派閥の話された時、威圧的だったではないですか。しかし今日はそのような感じもありませんでしたし、今も私の我儘に付き合って下さっていますし」
「派閥の話の時は一回で理解出来ないと思っていたのです。実際理解されてなかったみたいですし。まさか貴女が全てを理解しているとは予想外でした」
「ライラ様の苦手な所を補完するのも私の役目ですから」
エミリーは微笑んだ。それは侍女の仕事ではないとカイルは思ったが、ライラとエミリーの関係に今更口を挟んでも仕方のない事だとあえて言わなかった。
「思ったより時間を取らせてしまって申し訳ありません。明朝は早いですよね」
「いえ。準備は終わっていますから気にしないで下さい」
「ありがとうございます。それと私の事は呼び捨てで構いませんよ。貴女のままでも結構ですが、特に気を遣って頂く必要はございません」
仕えている者同士が夫婦なので、カイルとエミリーの立場はほぼ同等である。しかし公爵家出身の彼に彼女は敬意を払って敬語を使用していた。それに合わせているのか、距離を置きたいのか彼も敬語を使用していたのが、彼女は少し気になっていた。
「妙な誤解を招くと困りますので、名前で呼ぶ気はありません」
エミリーはライラの話を思い出した。ジョージが手を出すなと言ったから、その誤解を招かないようにカイルは距離を置きたいのだろう。彼女は微笑んだ。
「そうですか。平民の侍女にまで気を遣うなど大変なお仕事ですね」
「私が若い頃に遊び過ぎたせいですから」
「それではその誤解を招かないようにも、是非素敵な方を探します」
そう言ってエミリーは立ち上がった。カイルも立ち上がる。
「念の為に確認致しますけれどもサマンサ殿下以外、ですよね」
「勿論です。それだけは本当に困ります」
エミリーはカイルの表情から心を読み取ろうとした。身分を弁える為に嫌がっているのならばとも思ったのだが、本当にそれを望んでいなさそうだ。
「わかりました。では違う雰囲気の女性を探してみましょう。それでは遅くまでありがとうございました。御武運をお祈りしております」
「ありがとうございます。おやすみなさい」
「おやすみなさいませ」
二人は部屋を出るとそれぞれの部屋へと戻っていった。




