幼馴染の駆け引き
エミリーはライラが起きた後、サマンサの所へ向かいライラの帰還を報告した。その後茶器を用意してライラの部屋に戻り、荷物整理をしていたライラに紅茶を出していた。
「はい、これはエミリーにお土産」
ライラは袋から小さな包みをエミリーに差し出した。
「私のはいいのでサマンサ殿下のをと書いたはずですが」
「サマンサ様のは別にあるわよ」
ライラは荷物からエミリーに差し出したのより少し大きめの包みを見せて笑った。エミリーはそれに納得したのか、ライラから小さな包みを受け取った。
「ありがとうございます。開けても宜しいですか」
「どうぞ。気に入ってくれると嬉しいのだけど」
エミリーは包み紙を開ける。そこには銀製の髪留めが入っていた。
「高価なものは頂けませんといつも伝えているではありませんか!」
「でもサマンサ様の侍女の髪飾りは素敵だったわ。きっとここでは普通なのよ」
「しかし」
「エミリーは公爵令嬢の侍女から赤鷲隊隊長夫人の侍女に格上げになったの。だからいいのよ」
ライラは紅茶を口に運ぶ。久し振りのエミリーの淹れた紅茶に満足顔である。
「それは格上げなのでしょうか」
「格上げよ。ジョージはこの国で国王陛下の次に偉いのだから」
ライラの言葉にエミリーは不思議そうな顔をした。
「隊長ですよね? 少佐くらいですよね?」
「何で王子が少佐なのよ。総司令官に決まっているでしょう? エミリーはもうとぼけなくていいわよ。どうせヘンリーから詳細を聞いてここまでついてきたのでしょう?」
「父は秘密主義なので私には何も言いませんでした。ですからジョージ様の肩書は本当に知りません。私が知っているのは先代の狙いだけです」
「御爺様の狙い?」
ライラは訝しげにエミリーを見つめた。
「先代は帝国を黙らせたいのです。それとこの結婚が私の中では繋がらなかったのですが、ジョージ様が総司令官ならば腑に落ちました。先代はライラ様がジョージ様を動かして、帝国を黙らせるように働きかける事を狙っていたのだと」
「私が働きかけるまでもなくジョージは元々そのつもりだったわよ。その一環で亡命者にも会いに行ったのだから」
「そうでしたか。ライラ様を連れて亡命者に会いに行ったという事は、ジョージ様はライラ様と共に歩まれるおつもりなのでしょうね」
「そうだと嬉しいのだけど。実際は通訳をしただけよ」
「しかし道中どこかでライラ様がジョージ様に惹かれる何かがあったわけですよね。その亡命者に会った砦から黒鷲軍団基地へ移動する間に」
エミリーの問いに、ライラは不機嫌そうな表情を浮かべる。
「それを掘り返すの? だから恋愛話は苦手だと言っているでしょう?」
「ですがその間一週間ですよ。私は手紙を貰って本当に驚いたのですからね。気持ちの展開が早すぎませんか?」
「エミリーは何となくわかっていたのでしょう? 私がジョージに惹かれている事」
「えぇ。何となくは。そうでなければヴェールのレースは編まないでしょうし、予定を聞かずに二人で出かける事もないはずですし」
「それなら出立前に言ってくれたらよかったのよ」
「私が指摘をすればライラ様を混乱させると思いましたので。ライラ様ご自身で気付いて欲しかったのです」
エミリーは目を伏せた。ライラが自分で気付くのなら、こんなに早いはずがない。道中ジョージがどこかで嗾けたに違いない。しかしそれを責める資格はエミリーにはない。そもそもこの二人、理由は何であれ夫婦なのだから仲がいい事に問題はないのだ。
「私はジョージの事を好きになってもいいのかしら?」
「今更何を仰っておられるのです。もう気持ちを変えられないでしょう?」
「そうだけど、この結婚がよくわからなくて。本当に帝国を黙らせる為だけなのかしら。エミリーは本当に何も知らないの? 本当は私が何か不幸に巻き込まれそうなのを助ける為に、ついてきたのではないの?」
ライラの懇願にエミリーは苦しそうな表情をした。
「ジョージ様は総司令官なのでしょう? それでしたら戦場で命を奪われる事は余程の負け戦でない限りないと思います。きっと周囲の皆様が守って下さるはずですから」
「そのような事はないわ。ジョージは先の戦いで部下を守る為に怪我をしたと言っていたの。天幕で報告を待っているような性格ではない。きっと先頭を切っていくわ」
ライラの言葉にエミリーが困惑の表情を浮かべる。先程ジョージに言われた彼女を支えて欲しいという言葉は、まさか自分が死んだ場合の話だったのだろうか。
「そういう所は素敵でしょう? 赤鷲隊の皆の名前を覚えていてとても仲良さそうで。戦場へは行かせたくないけれど、どうしても行かなくてはいけないみたいで辛いの」
ライラはわざと悲しそうな表情をした。エミリーが持っているであろう情報を引き出しにかかっていた。しかしエミリーもライラと付き合いが長い。芝居かどうかなどすぐわかる。
「ライラ様、私の事を一生侍女として雇って下さいますか? 私が何をしていたと知っても傍に置いて下さいますか?」
エミリーの表情は真剣だ。ライラは柔らかく微笑む。
「私はエミリーの事を信じているわ。私に後ろめたい事でも結局は私の為なのでしょう? だからそれを責めたりしない」
そう言いながらライラは荷物からウォーレンに貰った化粧水と乳液、化粧落としをテーブルの上に置いた。
「これの持ち主を知っているのではないの? こんな物を貰うのはおかしいから、エミリーへの合図ではないかと思っているのだけど」
「ウォーレン様とお会いになられたのですね。しかしどこで気付かれましたか」
「貰った相関図に第二王子の所にウォーレンの名前がなかったから。エミリーなら調べられるはずなのにわざと省いたのだと思ったの」
ライラの言葉にエミリーは困ったような表情を浮かべた。
「たったそれだけの事でですか? ライラ様は恋愛以外の事は鋭いので敵いませんね。ウォーレン様は無類の綺麗なもの好きで、ライラ様に会いたいと仰ってきたのですよ」
「会いたい? いつ?」
「ルイ皇太子殿下の求婚を完全拒否された後です。多分その話をどこからか聞いて会いたくなったのでしょう。しかしその時既に先代は、この休戦協定の為にレヴィに嫁がせる事を決めておられましたので、その後にして欲しいと返信をしました。つまり、この三週間の外出許可が出たのは裏でウォーレン様が手を回していたからかと思われます」
「えぇ? あの人はただの領主代行でしょう?」
「違います。今レヴィで一番力ある公爵家がハリスン家。その中で一番優秀と言われているのがウォーレン様です。癖のある方みたいで今は王宮から追い出されておりますが、いずれ戻ってこられ、宰相の座につかれる方です」
「そう言えばジョージが別れ際に王宮で会おうと言っていたわ。そういう事?」
「ウォーレン様はジョージ様を高く買っておられる御様子。この結婚の話を聞いた時、あっさりと引き時期を待つと仰ったとの事です。ところでライラ様、ウォーレン様に何かされませんでしたか」
「化粧をされただけよ。しかもその化粧をジョージがとても気に入ってくれてね。エミリーにも同じように化粧をして欲しいわ」
「化粧? 会いたいと手紙を出した相手に化粧ですか?」
エミリーは理解出来ないと言った表情を浮かべた。
「えぇ。あとは似顔絵を見せられたわ。ここにルイ皇太子殿下がいないかと。それで、そこに例の男の似顔絵があったの。もう思い出したくなかったのに」
「例のとはライラ様を寝室に誘おうとした愚か者ですか」
「そうよ。それが誘拐騒動の一味にいたのよ。本当に何もなくてよかったわ」
「では誘拐は本当にルイ皇太子殿下の手下だったのですね」
「何故そうとわかるのよ?」
「むしろ何故気付かないのですか。その愚か者はルイ皇太子殿下がライラ様に声を掛ける為に、一芝居させられていたのです。窮地を助けるというありがちな手ではありませんか。普通の女性ならときめく所を、ライラ様には御見通しではなく通じないという何とも不運な話ですが、そのようなつまらない手しか使えない男が皇太子などとは笑ってしまいますよね」
エミリーは無表情でそう言った。ライラは驚いた顔をしている。
「あれは芝居だったの?」
「ライラ様から聞いた話ではルイ皇太子殿下の登場があまりにも出来過ぎです。祝賀会場は広いはずですから、予定になければそのような間のいい助けは出来ません。そうは思いませんか」
ライラは思い出す。確かにあの祝賀会の会場はレヴィの舞踏会と大して変わらない広さだった。どれほどの人がいるかわからない場所で、しかも部屋の端で何と言えばいいのかわからず、声を上げられなかった自分に気付くのは難しいかもしれない。
「むしろ演技に気付いていないのに、かわしてしまうライラ様が凄いですけれどね」
「あれは説明したでしょう? ルイ皇太子殿下の態度が嫌だったと」
「ライラ様の人を見る目は私も信用しています。ライラ様から見てウォーレン様はどのように映りましたか?」
「ウォーレンは掴み所がなかったわ。ジョージに対しても少し横柄な感じもしたし、もう少し距離を詰めないと見えない人ね。だけど何故ウォーレンを気にするの?」
「私は直接ウォーレン様とやり取りはしていません。ウォーレン様が使っている間者を捕まえたに過ぎませんから。その化粧品はそれが先方に露見しているとの主張でしょう」
ライラがエミリーを真っ直ぐ見る。エミリーは視線を外した。
「何か危ない事をしたの? それが先程の傍に置いて欲しいと言う言葉に繋がるのね」
「危険は伴っていません。ただ、ライラ様に軽蔑されたとしても仕方のない事をしました」
「それなら黙っておけばいいわ。私は何をしたのか思いつかないから」
ライラは笑った。エミリーは困惑の表情を浮かべる。
「しかしいくら何でもわかりますよね」
「わからないわよ。言って楽になるのなら言えばいいけれど、そうでないなら黙っていればいいと言っているの。この前カイルも妙な事を言っていたのよ。エミリーがもし口を割らない場合はどう説得するかを相談したら、エミリーの好みを聞くの。意味がわからないわよね」
「わかりますよ。カイル様の噂も聞いておりますし」
エミリーの言葉にライラは驚いた顔を向ける。
「カイルの噂とは何? 結婚していた女性の話?」
「いえ、カイル様は狙った女性を必ず落とせるらしいですよ。ですから私の好みを聞いたのも、私を落としにかかろうとしたのでしょう」
エミリーの言葉にライラは納得して頷いた。
「あぁ、そういう事。だからジョージはその手をエミリーに使うなと言ったのね」
「ジョージ様がそのような事を仰ったのですか」
「えぇ。私の大事な侍女だから駄目だと。確かに気まずいわよね」
「しかしそれはあくまで昔の話で、結婚相手が亡くなった後は、一切女性に声を掛けなくなったそうですよ」
「エミリーは何処からそのような話を聞いてきたのよ」
「三週間暇でしたから、使用人の方々と色々と仲良くなりました」
エミリーはにっこりと微笑んだ。彼女は人見知りもしないし、噂話が大好きだ。ジェシカもいなくなって一人で動き回っていたに違いないとライラは思った。
「その結婚相手の噂は? その話をカイルもジョージも話してくれなくて。聞いてはいけない事なのでしょうけど、隠されると気になるわよね」
「珍しいですね、ライラ様が他人のそういう話を気にされるなんて。誰が結婚しようが浮気しようが、一切興味を持たれなかったではありませんか」
「闇が深い話だとカイルが言うから、ハリスン家の闇なのかと気になってしまって」
ライラの言葉にエミリーが納得したように頷いた。
「カイル様の結婚相手が気になっているわけではなく、その闇が気になるわけですか。それなら納得致しました。ただハリスン家は難しいと思います。先程のウォーレン様の間者の件に関しても、多分こちらが手を出しているのを承知でわざと放置していたと思いますし」
「わざと?」
「手を出したのが私だったので、こちらからも何か引き出せると思っていたのだと思います。生憎私はライラ様の情報に関してだけは口が堅いのですけれどね」
「エミリーが独断で手を出したの? ヘンリーは絡んでいないの?」
「父は絡んでいません。父とはここ数年、仕事のやり取り以外は話していません」
エミリーの言葉にライラは驚いた。エミリーとヘンリーの間に溝があるのは知っていたが、まさか仕事上以外での会話がない程までだとは思っていなかったのだ。
「そのような状況でここまで来てしまったの? エマはそれでよかったの?」
「母はわかってくれています。母が側にいれば父も大丈夫です。この王宮に父の間者がいるかもしれないと探しているのですが、今の所は見つかっていません。ブラッドも怪しいかなと思っているのですが、元来が残念なので掴み所がないのです」
エミリーの言葉にライラが笑う。
「残念とはどういう意味かしら」
「私が苦手と言っていたのは、ブラッドが胸を盗み見している視線です。ライラ様に抱きつかれるのも内心絶対喜んでいましたからね。本当に最低なのですよ、あの男」
「ブラッドにはもう抱きつかないわよ。ジョージに怒られたから」
「まさかジョージ様の前でブラッドに抱きついたのですか?」
エミリーがライラを睨む。
「一回だけよ。ジョージの態度が気に入らなかったから、少し反応を見たかったというか。もう絶対しないわ。ジョージ以外で抱きつくのはエミリーだけだから許してよ、ね?」
ライラは唇の前で両手を揃え謝る仕草をした。それを見てエミリーははっとする。
「それは庭に散歩に行こうと言われ、ライラ様が嫌がったあの日ですか」
「えぇ、そうよ。あの時のジョージの態度、何か嫌だったでしょう?」
「綺麗という言い方が白々しかったからでしょう? 私は逆にあれがとても嬉しくて、つい表情に出してしまいましたよ」
「嬉しい? 何故?」
ライラは眉根を寄せた。
「ジョージ様はライラ様の顔立ちではない何かが気に入っていると思ったからです。しかもその翌日から明らかにライラ様の態度が変わりました。あの夜に何かありましたよね」
「そうね。あの夜にジョージとレヴィで生きていこうと決めたの。政略結婚はもっと分かり合うのに時間がかかるかなと思ったのだけど、あの時上手くいく気がしたの」
「読書を強要されていただけではないのですね」
エミリーの問いにライラは笑う。
「強要されていないわよ。レヴィで生きていく為に必要な資料だったの。エミリーも一冊読んで、それが相関図作成に役立ったでしょう?」
「確かに役に立ちました。もしかして私が読む事も計算のうちですか?」
「それはジョージに聞いてよ。彼はかなり頭がいいわ。相手によって態度も変われば、話している内容も変えられる。私の前のジョージが素なのかわからないくらいよ」
「しかしライラ様はご自分を利用しようとする方には嫌悪感を抱くではありませんか。それがジョージ様にはないから、心を開いたのではないのですか」
エミリーの言葉にライラははっとする。散歩に行こうと言われた時は、そのような雰囲気があって嫌な気がしたのだ。それを味方かどうか聞かれた後は、その雰囲気が一切なくなったのだ。
「そうか、そうよね。今まで通り自分の見たままを信じればいいのよね。私の目には格好良く見えるのだから、それでいいのよね」
ライラはエミリーに微笑んだ。
「私にはライラ様の言う格好良いがわからないのですけれども。ジョージ様の顔立ちは格好良いとは違いますよね。態度の話でしょうか」
「ジョージの笑顔は素敵でしょう?」
エミリーは不可解そうな表情をライラに向けた。温厚そうな笑顔ではあるが、それが素敵かと言われるとそうは思えなかった。
「申し訳ありません。ライラ様とは男性の好みが違うようです」
「そう。でもそれでいいわ。エミリーもジョージが好きだったら私は困ってしまうもの」
「その心配は御無用です。私は線の細い方がいいので」
「そうなの? 私はジョージが細いのは嫌だわ。逞しい方がいいと思う」
ライラの言葉にエミリーが笑う。ライラは今まで逞しい男性に興味を持った事はなかった。そもそも男性に興味を示したのを見た事がない。余程ジョージが好きなのだろうと思うとエミリーは嬉しくなった。結婚話は全てライラの知らぬ所で断られ、わざと未婚にさせられていたけれど、結果これでよかったのだとエミリーは思った。