強行軍二日目 ~ジョージの憶測~
翌日、一中隊とジョージ達は次の野営先へ向けて早朝出発した。舗装されている街道を走るとはいえ、踏破する距離が長いので黙々と走る訓練のような行程に、ライラはつまらなさを感じていたが、文句を言っても仕方がないのでひたすらに馬を駆っていた。
街道を少し反れた湖畔が二日目の野営の場所だった。夕方、そこに着いた隊員達から昨日と同じく天幕を設営していく。ライラは途中遅れる事もなく、三班の皆と予定通りに到着し、フトゥールムに水を与えて厩番に託すと、ジョージの元へと戻っていった。彼は一つ天幕を設営し終えており、もう一つは放置していた。
「本当に設営されないのですか?」
「ウルリヒに頼まれたら設営する。カイルには再確認してあるし」
「本日もまだ到着されていないみたいですね」
「あぁ。朝練をしてたから、カイルよりは体力があると思ったんだがな」
ジョージはそう言いながら天幕の中に入る。ライラも彼の後に続いて入る。簡易ベッドは既に並べて置いてあった。彼女は微笑みながらベッドに腰掛ける。
「だけどライラは何でこんなに走れるの? 別に鍛えてないよね?」
「父の仕事に同道していたから、父と同じ速度で走らされていたの」
「外務大臣なら普通は馬車を使うものじゃないのか?」
「馬車は遅いから駄目なの。父は家を空けるのが大嫌いで、仕事で外泊しなければならない時は最短で日程を組んで、周囲の人間全てを巻き込んでいたわ。大臣であり、公爵家当主に逆らえる人間なんていないしね」
「家のベッドでないと寝られないとか?」
「違うわよ。母と離れるのが嫌なだけ。父はどうしようもない人なの」
ジョージはライラの横に腰掛ける。
「それだと休戦協定も乗馬で?」
「そうね。あの時も慌ただしかったわ。多分今日と速度はあまり変わらないと思う」
ライラの言葉にジョージが笑う。外務大臣が軍人と変わらぬ走りをするのが意外だった。
「それは付き合わされる方も大変だね」
「えぇ。でも今は父の気持ちもわかるから」
ライラは嬉しそうに微笑んだ。ジョージはそんな彼女の腰に腕を回して抱き寄せる。
「ねぇ、ライラ」
「何?」
ライラはジョージの肩に頭を乗せた。示しがつかない云々を忘れたわけではなかったが、彼が突き放すまでは甘えていようと思った。
「今日走りながら考えていたんだけど、この結婚は帝国を挑発しているんじゃないかな?」
ライラは甘い雰囲気にならない事を悟り、頭を上げてジョージの方を見る。
「レヴィは帝国との関係を一度清算したい。その為にライラを俺の所に嫁がせたと思うんだけど、どうかな?」
「どうと言われても話がよく見えてこないのだけど」
「俺がケィティへ定期的に通ってるって、よく考えるとおかしいんだよ」
「仕事と言っていなかった?」
「そう、仕事。でもその仕事は陛下の親書をじいさんに渡す事なんだ。最初にこの仕事を頼まれた時、じいさんに会うための口実だと言われたんだけど、そもそもそっちが口実で親書は本当に内密なものだったのかと。じいさんならガレスに手紙を配達する事も不可能ではない」
「でも私はケィティを知らないの。ガレスとも国交なんてないわ」
「国交なんてなくてもいいんだよ。ウォーグレイヴの土地に寄港出来る場所さえあれば」
ジョージの言葉にライラは考える。確かにウォーグレイヴ家の土地は大河沿いで、海まで広がっている。
「祖父が五年前に突然領地へ引退したのは、その港からの手紙を受け取る為?」
「あぁ、義姉上が嫁いできて情勢が変わった。それを何とかしようと企んだんじゃないかと思って。だけど俺がケィティへ運んだ手紙だけでは数が少ない。二年前にウォーレンがハリスンに入った。港町コッカーは王家直轄地だが、ハリスンからは遠くない」
「えぇ? ウォーレンも絡んでいるの?」
ライラが訝しげな表情をジョージに向ける。彼はそれを笑顔で受け止めた。
「そう先に言い出したのはライラじゃないか。ハリスンとウォーグレイヴが繋がっていると。ハリスンの中で一番賢く、情報を持ってるのはウォーレンだ。そしてあそこからは情報が洩れてこない事でも有名だ。宰相が何かを企む上で頼ったとしてもおかしくない」
「ガレスも帝国を黙らせたいという利害が一致した。五年もかかっているのはナタリー様を泳がせて帝国の動向を調べる為?」
「それもあったかもしれない。でも時機を選んでいたんじゃないかな。レヴィが勝つと言う時機を」
「ジョージが隊長になり、力をつけるまで? だけどそれなら前赤鷲隊隊長の病気がなかったらどうするつもりだったの? 話が合わないわ」
「だから当初は結婚話なんてなかったんだと思う。三年前俺が隊長になり、二年前帝国の皇帝が変わった。そこから急激に話が転がり始めた。二年前、ライラを帝国にやったのも元宰相の作戦かもしれない。皇太子に見初められれば切り札になると」
ジョージの言葉にライラが眉根を寄せる。
「それでもし私がルイ皇太子を気に入って、嫁に行くなんて話になっていたら?」
「それはないと踏んでいたんじゃないか。ライラ自身、帝国が苦手だろう? もしくは嫁に出して帝国内部から崩そうと狙っていたか」
「どちらに転んでもいいように手を打っていた、祖父ならその可能性は十分あるわね。だけど私はガレスに残った。でもすぐ行動に移していないのは何故?」
「半年は義姉上の妊娠のせいだろう。性別がわかるまで動けなかった。王子ならば帝国の動きが変わる。しかし姫だったから計画は動き始めた。そこから休戦協定までに時間がかかったのは、レヴィ内部の事情だ。今でも納得していないのはいるし」
「つまり国王陛下は私が帝国の言葉を話せる事を知っている? 今回外出許可を出したのも青鷲の砦に行くと思っていた?」
「その可能性は十分ある。俺が語学を苦手としている事は知ってるし、公国と帝国の動きを陛下が知らないはずがない。謁見の時に俺はライラの素性を知らなかったけど、それがとぼけているように見えたのかもしれない」
「ジョージはいつ計画を変更したの? 私が帝国の言葉を話せると打ち明けたのは出発前夜でしょ?」
「最初から青鷲隊の砦には行く予定だった。通訳を探す手間が省けた、それだけ」
ジョージはしれっと言った。その言葉に嘘がなさそうなのはライラにもわかった。
「何故? 私をそのような所に連れて行ってどうする気だったの?」
「ライラの視点を知りたかったというか、俺の考えが行き詰った所に、ライラが風穴を開けてくれる気がしたんだよ。そもそもライラは何も考えてなかったんだろう?」
ジョージの言葉にライラは申し訳なさそうな顔をする。
「ごめんなさい。でもまさか亡命者に会うなんて想像もしていなかったわ」
「ライラは何で出立前に予定を聞かなかったの? 普通は聞くよね」
「だって聞いても土地勘がないからわからないもの。だからいいかなと思って」
ライラの言葉にジョージが笑う。
「ライラに聞かれた言葉をそっくり返すよ。俺のどこを信頼して、この旅行についてきたの?」
ジョージに問われライラは考える。その質問をした旅行初日、彼の事はただの休戦協定を守る仲間だと思っていた。平和の為に外出する事に何ら疑問を持っていなかった。
「平和の為に行動する所かしら? それまで話していてジョージが平和を望んでいるのはわかっていたから。それと自覚はなかったけど、その時既にジョージに心を奪われていたのだと思うわ。そうでなければ軽挙過ぎるもの」
ライラははにかんだ。ジョージはそんな彼女に軽い口付けをする。意地悪そうな表情の彼の視線を避けるように、頬を染めた彼女は顔を背けた。
「何で顔を背けるの?」
「今は話の途中でしょう? それに夕食もまだだし、いつウルリヒがくるかもわからないし」
ライラの態度に波があるのがジョージは気になっていたのだが、今の彼女の言葉で理解した。寝室など誰にも邪魔されない場所や時間ならいいが、それ以外は恥ずかしいのだ。
「わかった。話を戻そう。レヴィとガレスは同じ国には戻れない。多分国力の差もあるし、王室の雰囲気も違うだろう。だが言語は同じだから共に歩む事は出来る。休戦協定は帝国挑発の為、多分これが落ち着けばレヴィとガレスは平和条約を結ぶ流れも織り込み済だろう」
「帝国挑発の為? それに私達は利用されているの?」
「あぁ、残念ながらそうだろう。帝国が宣戦布告をしてくるように仕向けたに過ぎない。ライラの誘拐失敗が更に相手を挑発してる。ガレスの切り札がレヴィに守られている。先日まで戦争をしていた二国間の絆が強まる前に手を打つ必要性が出てきた。レヴィ内部から切り崩そうとして嫁に出した義姉上は仕事をしていないしね」
「レスターの動きは?」
「レスターも一筋縄じゃないんだよ。カイルが知らない情報もある」
ジョージの言葉にライラは不審そうな顔をする。
「カイルは真面目で融通がきかない。もう少し柔和になって欲しいんだけどね」
「カイル以外の情報網があるの?」
「わざわざウォーレンに会いに行っただろう? あそこが一番情報があるんだよ」
「カイルに内緒でウォーレンからも情報を貰っているの?」
「ウォーレンは簡単にくれないよ。出向いて口説かないと」
カイルはウォーレンを呼び出せないから会いに行くしかないと言っていた。ウォーレンはどの立ち位置にいるのか、ライラにはわからなかった。
「カイルには内緒だよ。ウォーレンはスミス家長男リアンともレスター家長男スティーヴンとも繋がっている。だから王宮内、兄上周辺の情報は全部持ってる」
「でもお義兄様の側近で信頼出来るのはリアンだけとこの前は言っていたわよね」
「表面上はね。スティーヴンはレスターを裏切ってるというか兄上の忠実な側近なんだ。だが彼もまた腹黒くて、一見誰の為に動いているのかわからない。兄上の周囲はそんな人間しかいないんだけどね」
「お義兄様にも何か考えがあって、周囲に色々とやらせているの?」
「だと思うよ。人の事は言えないが、父上と兄上の仲はそこまでよくない。女の戦いの裏で二人も見えない争いをしてる。そしてそこに首を突っ込みに行くのが明日の約束」
ライラは不思議そうな表情をジョージに向けた。帝国と公国の争いの話に行くと思っていたのに、国王と王太子の問題とはどういう事なのかわかりかねたのだ。
「多分父上と兄上では考え方が違う。どの方針で帝国と対峙するのか、それを三人で話し合おうと持ちかけたんだ。今まで三人で話し合った事がないから、どうなるか見えないんだけど」
「何故急にそのような事を?」
「ライラが前に言っただろう? 俺は父上に一番信頼されている立ち位置にいるはずだと。その立ち位置はずっと兄上のものだと思っていたから、俺にはその発想がなかった。でももしそうならば、俺の仕事は陛下と王太子の方向性を合わせて、その為に動く総司令官かなと。勿論二人の指示に大人しく従わない。俺は戦況が長引くのはごめんだ」
ジョージは優しくライラに微笑んだ。彼女も微笑み返す。
「でも何故カイルには内緒なの? この話をカイルにすると不都合があるの?」
「ウォーレンはカイルに期待しているんだよ。その期待の為に俺も協力してるだけ」
「カイルにも自力で情報を集めて、分析をさせたいと?」
「あぁ。俺が指示して集めるのではなく、自分で動けと。赤鷲隊副隊長ならそれくらい出来て当然だと思っているのだろう。ウォーレンの技能が高すぎるから、求めるものも自然と高くなる。だから少し可哀想なんだが、まぁそうなると俺も楽が出来るし」
現状ではジョージが欲しいと言った情報をカイルが集めている。少しずつカイルも独自で動くようにはなっているが、ジョージの期待する所にまでは至っていない。ジョージは今後ライラとの時間を増やす為にも、カイルを鍛える方向へ舵を切った。それ故に先日ウォーグレイヴとハリスンの繋がりについて、わざとらしく鳩だの山越えだの言ってみたわけだが、結局カイルは船には辿り着かず、ジョージは内心落胆していた。カイルは大量の知識は脳内にあるのだが、それを利用するのが上手くないのだ。
「ちょっと待って、ハリスン家の長男はどうなのよ? 無視をしていいの?」
「詳細は知らないけど、ウォーレンが言うには無視でいいみたいだよ」
あっけらかんと言うジョージにライラは不安を覚えた。
「ジョージ、何故そこまでウォーレンを信頼しているの?」
「ウォーレンはチャールズ兄上の側近だった。その頃からの付き合いだし、俺に利用価値がある間は裏切らない」
「利用価値とは赤鷲隊隊長として? つまりジョージが生きている間という事?」
「そうなる。勿論、隊長としての態度に問題があれば即、俺の首を切りにくるだろうけどね」
ジョージの口調は軽かったが、内容が軽くない。ライラは青ざめた。
「心配しなくていいよ。俺は隊長職を適当にする気はないし、それは向こうもわかってる」
ジョージは微笑みながらライラの髪を撫でる。彼女は頷いた。
「そうね。ごめんなさい。今は目の前の事に集中しないといけないわよね。帝国と公国の問題を片付けて、王宮内の派閥の問題を片付けて……え? ジョージはこれを一気に片付ける気なの?」
帝国と公国の争いを収束に運びレヴィから憂いを払拭する時、国内の帝国派も一掃しなければならない。しかしその代表であるレスター家次期当主は王太子の忠実な側近で、ハリスン家の次男とも仲良くしている。帝国派など消えてしまうのではないだろうか。
「何を今更。俺が一つの事だけをやらないって知ってるだろう? ただ俺にも出来ない事がある。だからライラ、義姉上と王妃は任せたからね」
突然降ってわいた大役に、ライラは身じろぎをした。
「女同士の揉め事のきっかけが何なのか正直わからない。そこをうまくやっといて」
「簡単に言うけど私は舞踏会で顔を合わせただけだし」
「そこは明日から徐々に何とかしてよ。エミリーがウォーレンと繋がってるなら、情報はエミリーが持ってるはずだ。エミリーはライラの為なら何でもしてくれるんだろう?」
ジョージの言葉にライラは困惑の表情を浮かべていたが、覚悟を決めたのか力強い眼差しで彼を見つめた。
「わかったわ。ジョージの妻として、隊長夫人として精一杯仕事する」
ジョージは微笑むとライラを抱きしめた。
「そう言ってくれると思ってた。愛してるよ、ライラ」
「な、ちょっ……」
ライラの抵抗など気にもせずジョージは彼女を抱きしめる力を強めた。
「ライラがいてくれるから俺はここまで動ける。本当に感謝してる」
「私は何もしていないわよ」
「そんな事はない。ライラの考えずに発した言葉で気付いた事もある。ライラがいなければ三人で会おうとも思わなかった。例えこれが思惑通りなのだとしても、俺はもうライラが隣にいない事が考えられない」
ジョージの言葉にライラは頬を紅潮させる。彼に必要とされている事がとても嬉しかった。