結婚二日目【後編】
レヴィ王宮には厩舎がいくつかあり、国王はじめ各王族の厩舎と近衛兵の厩舎にわかれる。カイルは赤鷲隊が兼用しているジョージの厩舎へと向かっていた。
「副隊長、今日はどうされたのですか?」
赤鷲隊の隊員の声が上ずっている。カイルはここにいると確信した。
「ブラッドという者が訪ねてきたと思うが、何故報告をしなかった?」
「え? いや、何のお話でしょうか」
「ガレス王国の姫、ライラ様から話は聞いている。何故報告をしなかった?」
隠していた事が露見していると察した隊員は頭を下げた。
「申し訳ございません」
「何故報告をしなかったか、と聞いている」
カイルの口調は怒りを含んでいる。隊員は頭を下げたまま口を開こうとしない。そこへ厩舎の奥から一人の男性が出てくると、対応していた隊員の横に立ち頭を下げた。
「申し訳ありません。彼は私の為に色々と思案してくれたのです。悪いのは私です」
カイルはその声に覚えがあった。彼の記憶からその主を探すのにさして時間はかからなかった。
「ライラ様の言うブラッドとはお前の事か? ブラッドリー」
「そうです、申し訳ありません」
「ライラ様はどこまで知っている?」
「私がレヴィ王国出身という事までだと思います」
「何故? レヴィ出身とわかれば間者だと気付いているだろう?」
ブラッドリーは三年前、ガレス王国の内情を知る為に赤鷲隊から間者として送り込んだ男だった。しかし彼はガレスに潜入してから便りのひとつも寄越さず、赤鷲隊の中では抹殺されたものだと思われていた。
「確かにウォーグレイヴ家の家宰には見破られましたが、ライラ様は聞いていないと思います」
「その家宰がお前の身元を隠して厩番として雇ったという事か?」
「そうです。あの家には身分を明かしたくない者が沢山働いているのです」
「仮にも王女を迎えた事もある公爵家で、そのような事があるとは信じられないのだが」
「嘘のようですが本当の事です。侍女頭が旦那様を叱りつけるような家なのです」
カイルはブラッドリーの言っている事が全く信じられなかった。貴族を叱る侍女頭など聞いた事もない。
「それで便りを出せなかったのです。あの家宰に逆に何か調べられそうでしたから」
「では何故戻ってきた? その家宰の差し金か?」
「違います。この馬の世話の為にライラ様に強引に連れてこられたのです」
ブラッドリーが厩舎の中にいる馬を指した。そこには確かに今までいなかった上等な馬が一頭いた。
「姫として嫁ぐのだから乗馬は出来ませんよと言っても聞いてもらえなかったのです」
「よくその家宰が許したな。間者を見破るくらいだ。我が国の情勢にも詳しいだろう?」
「その家宰がライラ様の我儘を抑えられず、俺に何とかしろと丸投げされたのですよ」
カイルは先程のライラとのやり取りを思い出していた。確かにこの馬に愛着があるのだろう。馬と一緒でないと嫁がないと騒がれては、家宰も協定の触れられていない部分に賭ける方を選ばざるを得なかったのかもしれない。
「経緯はわかった。それで何故すぐに報告しに来なかった?」
「この馬をどう守るか考えていたのです、申し訳ありません」
「私がこの馬を殺すと思ったと?」
「任務に失敗した男が連れてきた馬ですから、殺されても文句は言えません」
カイルは元々余計な問題を抱える事を嫌っていた。ジョージが受け入れると言っていなければ、この馬は処分していたかもしれない。
「安心しろ。隊長が馬と厩番は面倒をみるとライラ様に仰せだった」
「本当ですか? よかった」
ブラッドリーは安堵の表情を浮かべた。そして言われた言葉を反芻しカイルを見つめる。
「私もここにいていいのですか?」
「流石に隊長はライラ様が連れてきたのが誰かは知らない。しかしブラッドリーなら許してくれるだろう」
「それなら厩番がいいです。すっかりこの三年で馬の魅力に取りつかれてしまったので」
「ただし条件がある」
笑顔になっていたブラッドリーの顔に緊張が走る。
「この三年間に得たライラ様及びガレス王国の情報を報告する事」
こうして戻されたのだから大した情報を持っていない事はカイルもわかっている。しかしライラの育った環境に興味がわいていた。
「了解しました。すぐにまとめて報告書をお持ちします」
ブラッドリーの顔に笑顔が戻った。こんなに笑う男だっただろうかと、カイルは彼を見ながら考えていた。
「隊長、明日午後二時半に謁見の許可を得ました」
夕方、カイルはジョージの部屋を訪れていた。
「流石カイル。仕事が早いな」
「それとブラッドリーが戻ってきたので復隊させようと思いますが宜しかったでしょうか?」
「ブラッドリーって三年音信不通だったあのブラッドリーか?」
ジョージは嬉しそうな顔をした。それにカイルは頷いて応えた。
「今報告書を書かせていますけれども、ライラ様のご実家にいたようです」
「つまり彼女の連れてきた厩番がブラッドリーだったという事か?」
「さようでございます」
ジョージの質問にカイルは頷いた。
「音信不通だった間者が潜入した国の姫の従者として戻ってくるなんて聞いた事がないな」
「ライラ様のご実家が特殊な環境のようです」
「外務大臣の家に潜り込んだが素性が露見した。だが厩番として生かされていた?」
ジョージはブラッドリーの空白の三年間を想像しているようだったが、納得のいく答えが出ず唸っている。
「少し聞いた話では、潜伏する前に素性が露見したようですよ」
「ブラッドリーが不審な行動するとは思えないが、露見したのは何故だろう?」
「それは報告書を待ちましょう。私も少し聞いただけでは理解が出来ませんでした」
ライラは部屋で夕食を取っていた。料理自体は美味しいはずなのだが、実家ではいつも家族と一緒に食べていたせいか、一人で食べる食事がこれほど美味しくないとは思わなかった。
「ねぇ、私は死ぬまで一人で食べないといけないのかしら?」
ライラはカイルがつけてくれた侍女ジェシカに尋ねた。まだ王宮内をエミリーは把握出来ていないので、食事の用意は全てジェシカが担当していた。
「誰かと一緒に食べると派閥争いに巻き込まれます」
「ではジョージ様も御一人で?」
「ジョージ様は赤鷲隊の皆様とご一緒だと思います」
「それなら私も誘って下されば宜しいのに」
「兵舎の中の食堂です。姫様が行く場所ではありません」
「王子はいいのに?」
「ジョージ様は王宮内での扱いは隊長ですから、誰も不自然だとは思いません」
ライラは王子の扱いが隊長ならその嫁も姫扱いでなくてもいいだろうと思ったが、そもそも隊長の嫁が兵舎で食事するというのも不自然だ。兵舎は基本的に女人禁制である。
「食事内容は同じですよ。これは赤鷲隊料理長の料理ですから」
「私はこの国で料理も用意してもらえないの?」
「違います。ジョージ様は基本的に赤鷲隊料理長の料理しか召し上がりません。それをライラ様にもとわざわざ用意されたものです」
「わざわざ? 王宮内の食事には毒が入っていても不思議ではないという事?」
わざわざ用意するという事は、王宮の食事に何か不都合があるとしか考えられない。ここでは毒物混入はよくある話なのかもしれないと思うと、ライラは余計にこの王宮に居るのが嫌になってきた。
「いえ、ジョージ様の気遣いだと思います」
「食事にまで気遣うなんて大変ね。すぐにでも王宮を出たいでしょうねぇ」
「今回は二週間の予定ですけれど、早まるかもしれないとカイル様は仰せでした」
二年ぶりに戻ったのにたった二週間でまた出かけるというのは十分早い。ジョージが王宮に居たくないからなのか、誰かが彼を追い出しているのか、ライラには判断しかねた。
「食事が一人なら、寝るのもここでいいのかしら?」
ライラにあてがわれた部屋には応接用のソファーとテーブル、食事を取れるような机と椅子、身支度を整える為の鏡台、そして衝立の奥に箪笥とベッドが置いてある。
「ジョージ様が王宮内にいる時は寝室をお使い下さい。ジョージ様が外へ出られた後はこちらのベッドでも結構ですけれども」
「それはレヴィ王家の決まり事なの?」
「はい。王家の王及び王子には個室の他に寝室がございます。王及び王子に複数の妻がいる場合は指名した方しか寝室に入れませんけれども、ジョージ様に側室はおりませんので、ライラ様は強制的に指名されている状況となります」
ライラは不満そうな顔をした。何故基本隊長扱いなのに、寝室は王子扱いなのか理解しかねた。
「向こうも別に望んでいないと思うのだけど……」
「望んでいないなどと決めつけてはいけませんよ」
ライラとジェシカの会話に今まで黙っていたエミリーが割って入ってきた。
「私が女性らしくないのはエミリーが一番知っているでしょう?」
「ライラ様がお仕事の度にさらしを胸に巻かれるからでしょうが」
「女性らしくないのは胸の大きさの話をしているわけじゃないわよ?」
ジェシカは二人のやり取りを困惑の表情で見つめていた。侍女が失礼な事を言っているはずなのに、それをこの姫は気にも留めない。
「男性なんて胸が大きい方がいいに決まっています。ねぇジェシカさん」
ジェシカは言葉に詰まった。ライラの胸は標準的で小さいとは思わなかった。ただエミリーの豊満な胸を基準にするならば誰でも胸が小さくなってしまう。それを指摘していいのか彼女はわからず、言葉を濁す事で逃げる事にした。
「すみません、ジョージ様の好みは把握しておりません」
「それではライラ様をジョージ様好みにするには、誰に伺えば宜しいのでしょうか」
「ちょっと! 私が媚売るような真似をするわけがないでしょう?」
「しかしジョージ様に嫌われてしまえば、ここで暮らしていけないではありませんか。少しは譲歩して頂かないと」
「今朝のやり取りを見ていたでしょう? 私は嫌われてはいないと思うわよ」
「ライラ様は頑固ですから絶対にぶつかる時が来ます。それを少しでも緩和する努力を今からでもしておかないと」
ライラは返す言葉を見つけられなかった。確かに今はジョージが物珍しい姫と思って対応しているだけで、いずれそれが面倒となった時の対処はしておかないと、夫婦間の捩れが休戦協定破棄まで繋がってしまったら元も子もない。
「あの、ジョージ様の好みは多分ないと思いますよ」
ジェシカが二人の顔を窺うように呟いた。
「好みがない?」
「ジョージ様は十五歳から軍隊生活です。そのせいか女性の影は今までありませんでした。むしろ女性がお嫌いなのではないかとさえ言われています」
「宜しかったですね。女性がお嫌いならライラ様には有利ですよ」
「何故そうなるのよ? 私はどこからどう見ても女性でしょう?」
ライラは自分が女性らしくないのはわかっているが、それを他人に言われると何故か腹が立つ。今まで散々美人なのに勿体ないと言われ続けたせいかもしれない。
「恋愛話も噂話も星占いも全部お嫌いではないですか」
「それが何よ」
「私はライラ様からジョージ様との恋愛話を聞いてみたいのです」
「無茶を言わないで。これは政略結婚だから」
「政略結婚でもその後幸せになった夫婦はありますよ、ねぇジェシカさん」
一対一での言い合いでは埒があかないとみて、エミリーはジェシカを巻き込もうと彼女に視線を移した。
「そうですね。王太子夫妻は政略結婚ですけれども仲が良さそうに見えます」
「でも女性が嫌いな人との恋愛は、現実的ではないと思うのだけれど」
「そこは女性らしくないライラ様なら何とかなるかもという話です」
ライラとエミリーの付き合いは長い。そしてエミリーは恋愛話が好きという事は重々承知していたのだが、ライラは今まで聞き流していた。それは今まで相手がいなかったからで、ここに政略結婚といえども相手が出来た事により、エミリーの関心はそこに傾いたようだった。
「嫌われないように努力するわよ、それでいい?」
「結構です。とにかく寝室で失礼のないようにお願いしますよ?」
ジョージが先に寝たという話が、エミリーにはライラの態度が悪かったからだという解釈になっているようだ。彼女は今後エミリーの前でジョージの話をする時は気を付けようと思いながら、冷め始めている夕食に手を伸ばした。
「明日の二時過ぎに部屋に迎えに行くから最大限綺麗にしてヴェールを忘れないように」
寝室でジョージが部屋に入ってくるなり言い出した事が、ライラにはよくわからなかった。
「ヴェールという事は外にでも行かれるのですか?」
「いや、陛下に会う前に他の女性に見つからないように顔を隠して欲しい」
「今まで隠していなかったので既に見られていると思うのですが」
「ここは王宮の端だ。王妃などの取り巻きが来る場所じゃない。でも謁見の間へは噂好きの女だらけの場所をどうしても通らないといけない」
ライラはまだ王宮の内部を把握していなかったが、ジョージや彼女の部屋は王宮の端にあるらしい。そう言われると彼女は廊下で人とすれ違った記憶がない気がした。
「しかしヴェールは逆に目立ちませんか?」
「その顔を晒している方がよっぽど目立つよ」
ジョージに悪気はないのだろうが、言い方がライラは気に入らなかった。
「申し訳ありません、目立つ顔立ちで」
「いや、そういう意味じゃない。気に障ったなら謝る。悪い」
ジョージは頭を下げた。どうやら本当に悪いと思っているようだ。
「あと、陛下から話しかけられない限り無言でいてもらえるか?」
「それは構いませんが、どのように説得されるのかは教えて頂けないのでしょうか?」
「陛下の態度次第で対応するつもりだから説明し難い」
「いくつか説得案をご用意されているという事でしょうか?」
「過去に例がない事をするわけだから当然そうなる」
ジョージの表情は特に険しくない。どのような案かはわからないが、説得出来る自信があるのかもしれないとライラは思った。
「わかりました。私は国王陛下とジョージ様の関係性もわかりませんので、これ以上は尋ねません」
ライラの言葉にジョージは苦笑をもらした。
「今朝のやり取り、根に持っているのか」
「いえ、王宮の外に行けばわかるとの言葉、信じていますから」
ライラはわざとらしくにっこりと微笑んだ。