繋がっているのは誰?
翌日、ジョージは相変わらず査定書類に目を通すのに追われていた。その横でライラはカイルに簡単な公国語の発音を教えていた。
「違う、上顎に舌を軽くつけてから発音して」
「ですからこういう感じですよね?」
カイルの発音にライラは首を横に振った。彼の発音はレヴィ訛りが抜けず、果たしてこれで公国人と会話が出来るまでになるのか、彼女には疑問だった。
「多少の訛りの違いで意味が変わってしまうから気を付けて」
「これは難しいですね。王妃殿下が話したがらない理由がわかった気がします」
カイルはライラの言う違いがわからず困惑していた。
「短期間でこの発音を覚えるのは無理があるのよ。文字にしたら?」
「しかし文章にするにしても綴りが似通っていなくてわかりません」
「よく見て。綴りはそんなに遠くないわ。頭の文字が違うから錯覚をしているだけ」
カイルはライラに書いてもらった簡単な挨拶の表を見る。文法はほぼ同じなので言葉さえ覚えれば意思疎通は出来そうな気はするが、錯覚をしているだけと言われても彼には理解が出来ない。
「いっその事ウルリヒに教えて貰ったら? 彼の方が確実だと思うわよ。私が知っているのはあくまでも帝国南西部の言葉だから、多少違うかもしれないもの」
「ウルリヒ殿下にお願いするくらいなら帝国語を話せる公国人を探します」
カイルの顔は無表情ながら、どこか嫌そうだ。
「そんなに嫌?」
「正直ウルリヒ殿下がどこまで公国語を扱うかわからないのですよ。王妃殿下と意思疎通をする為に話せるだろうとは思うのですが、普段レヴィ語しか話しませんから」
「そうか。聞き取れるけど話せない可能性もあるわね。王妃殿下はレヴィ語を聞き取れるのだから、公国語を話す必要はないわけで。それだと通訳は出来ないわね」
「ウルリヒ殿下に通訳など期待していません。そもそも戦場に連れて行く予定もありませんし」
昨夜話していた三国会議に通訳としてウルリヒを連れて行けばいいと思っていたのだが、これは期待出来ないなとライラは思った。自分が行くのが手っ取り早いが、そういうわけにもいかない。
「ねぇカイル。話が変わるのだけど聞いてもいい?」
「何でしょうか」
「レヴィとガレスに別れる前、ウォーグレイヴ家の屋敷が王都にあったかわかる?」
「えぇ。ありましたよ。ガレス側に土地を持っている公爵家をはじめ、貴族の屋敷は国を分けた際にレヴィ王家が買い上げ、それが支度金として支払われています」
「その買い上げた屋敷はどうしたの?」
「希望者に売られています。ウォーグレイヴ家の屋敷が現在誰の手にあるかは、今すぐには答えられませんが、調べればわかります。それがどうかしたのですか?」
「もしかしてハリスン家とウォーグレイヴ家は昔から仲が良くて、今でも繋がっている可能性もあるのではないかと思ってしまって。ほら、大河を挟んだだけで領地が近いでしょう?」
ライラの言葉にカイルは何か考えるように沈黙した。暫く視線を泳がせていたが、何かに思い当たったのか、彼は彼女を真っ直ぐ見た。
「ないとは言い切れませんね。元宰相が宰相になってから休戦状態になったのはお互いが情報を持ち寄り、休戦状況を作り出していたという可能性はあります。しかし軍の監視をかわして情報をやり取りする術がありません」
「渡河は簡単に出来ないの?」
「出来ません。レヴィ軍を侮るのはやめて頂きたいですね」
「渡河は無理でも方法はあるだろう?」
ジョージは書類を置いてカイルの方を見る。
「例えば帝国を経由するとしたら出来なくはない。商人の恰好をしていればレヴィ軍の監視はかわせるし、ガレス側だって商人なら受け入れるだろう?」
「しかしそれでは山脈を二度越える事になります。効率的ではありません」
レヴィから山を一旦越えて帝国に入り、帝国内を移動して再度山を越えてガレスに入る。時間もかかれば労力もかかる。とても現実的ではない。
「それなら伝書鳩を使うとか。空を飛ばれたら追いかけられないし、川を渡るくらい鳩には簡単だろう?」
「祖父は鳩を飼っていません」
「ガレスに飛ばす為の伝書鳩を飼ってるなんて宰相が言う訳がないだろう? まぁ例えばの話だ。可能性を考えるなら渡河に拘らない方がいいと思う」
そう言ってジョージは再び書類に視線を戻す。どうやらこのやり取りにはさほど興味がないようだ。カイルはライラの方に向き直る。
「何故、突然そのような事を思われたのですか?」
「昨夜エミリーに貰った相関図を見ていて、ウォーレンの名前がないのが気になったの。王宮にいないのだから知らなくて当然なのだけど、わざと隠したのかなと思って」
「わざと? 本当は繋がっているという事を隠す為にという事ですか?」
「えぇ。エミリーは私に女性の幸せを願っているから、余計な事は言わないの。国政なんて考えないで大人しく妻をやってればいいと思っているのよ。あの相関図も王宮でジョージの妻として振る舞うのに必要と思っているだけで、そこから何かの陰謀を汲み取れというような意識はないと思う」
ライラは小さくため息を吐いた。王宮でエミリーが情報を集めているのも、ライラが幸せに暮らす為にくだらない争いを終わらせる必要があるというだけで、それ以上の事を言えばきっとお小言を食らう。どうしたら聞き出せるかが思い浮かばなくてカイルに尋ねたのだが、あくまでも可能性の域を出ない。
「エミリーは口を割らないのですか?」
「多分割らないと思う」
「ちなみにエミリーの男性の好みは知っていますか?」
カイルの質問の意図がわからずライラは眉根を寄せた。彼は珍しく笑っている。
「カイル、その手を使うな。それはもう封印しておけと言っただろう?」
ジョージが怒っているような口調で割り込んできた。ライラは内容がわからない。
「しかし女性の口を割るのはあれが一番簡単なのですよ」
「だがエミリー相手に使うな。彼女はライラの大切な侍女だ」
カイルはつまらなさそうな顔をしたものの、ジョージに頭を下げた。
「失礼致しました。では別の方法にしましょう。その情報がライラ様の幸せに繋がっているとわかれば教えてくれるのですよね」
「そうね」
「それならその情報がないと隊長が死ぬかもしれないとでも脅すのはどうでしょうか」
「そんな大げさな嘘は気付くだろう? もう少し柔らかくしとけ」
「ジョージが一日でも戦場から早く帰ってこられるように情報が必要だと言えば、口を割るかもしれないわ」
「ではそれで。王宮へ戻って四人で話す時にでも聞き出しましょう」
「わかったわ。手紙で打診はしてあるから、王宮に戻ったら早めに実現出来ると思う」
「それでは公国語講座に戻りましょう。発音のコツを覚えたいので」
「わかったわ」
ライラとカイルは公国語の発音講座に戻った。ジョージも査定書類を黙々と片付けた。
「そろそろいい返事は用意してもらえた?」
エミリーは背後からの声に、ため息を吐きたいのを堪えて無表情で振り返った。前回もそうだがエドワードは何故か気配がしない。知らぬ間に背後を取られているのも、彼女にとって面白い事ではなかった。
「申し訳ありませんけれども、三日程度では気持ちを固められません」
レヴィ王宮の庭は広い。乗馬で散歩出来るくらい広い。それなのに何故エドワードは自分を見つけるのか、エミリーは不思議で仕方がなかった。もしかして見張られているのだろうかとさえ疑いたくなる。
「では要件を変えよう。ナタリーとアリスにこれから会いに行くのだけど、一緒に行かないか」
エドワードの誘いにエミリーの心は揺れた。ナタリーに挨拶が出来るまたとない機会である。
「私が一緒に行く事で何か誤解されるような事はないのでしょうか?」
「ナタリーは私が誰を連れていても、それに対して何か言う事はないよ」
エドワードは思わせぶりな口調である。エミリーはその意味を知りたくなった。
「誤解されないのでしたら是非お願い致します」
「そう言って貰えると助かるよ。ナタリーはライラさんと仲良くしたいみたいだから。ついてきて」
エドワードはそう言うと歩き出した。エミリーは彼の後ろを少し距離を置いてついていった。その間、会話はなかった。本来なら一緒にいる事もあり得ない二人である。ただ彼の近くに女性がいる事を、王宮の使用人なら誰が見ても気にも留めない環境で、勿論この事で彼女が誰かに責められる事はない。
「アリス、いい子にしてたか」
エドワードは屈むと、よちよち歩いていたアリスを抱きかかえて立ち上がった。アリスは嬉しそうに微笑んでいる。その奥、椅子に腰掛けていたナタリーに対しエミリーは頭を下げた。
「はじめまして。ライラ様に私がした忠告について貴女ご存じ?」
エミリーは困った表情を浮かべた。ナタリーの言葉は帝国北方言語だったのだ。
「申し訳ございません。出来ましたらレヴィ語でお願い出来ませんでしょうか?」
エミリーの言葉にナタリーは微笑む。
「ごめんなさい。アリスには帝国語も覚えさせたくて。ライラ様はいつお戻りかおわかり?」
「申し訳ございません。はっきりとした日時は伺っていないのです。戻り次第サマンサ殿下に連絡する事になっています」
「あら、もうお茶会の話を?」
「えぇ。主にもその件は手紙にて連絡しております」
「確か乗馬で外出されたのよね? ライラ様はどのようなお方なの?」
「主はただの公爵令嬢です。乗馬には自信がおありのようですが、私は乗馬が出来ませんので正直いかほどの腕かはわかりかねます」
エミリーは普段よりは少し柔らかい表情を浮かべた。ナタリーは微笑む。
「そう。貴女はいい侍女ね。お茶会を楽しみにしているとライラ様に伝えて頂戴」
ナタリーはそう言うと用事は終わったと言わんばかりにエミリーから視線を外し、アリスとエドワードの様子を窺った。
「かしこまりました。それでは失礼させて頂きます」
エミリーはナタリーとエドワードに頭を下げるとその場を立ち去った。彼女は王宮に戻りながら思考を巡らす。ライラにナタリーは帝国北方言語を話すと聞いていたのでとっさに知らないふりが出来たが、忠告とは一体何の事だろう。北方言語で何かを言われたという事だろうが、出立間際でその内容は聞いていない。サマンサといいナタリーといい何を企んでいるのか、もう少し情報を集めてみないとわからない。
エミリーは小さなため息を吐いた。エドワードに連れられてきた場所はライラの部屋からは随分と遠く、戻るのも一苦労である。彼女はライラの戻りを待ち遠しく思った。




