過る不安、示される道
その夜の入浴後、ジョージは机の前で査定書類に目を通していた。ライラは化粧を落とした後、彼の邪魔をしないように、寝室でベッドに腰掛けながらエミリーに貰った相関図を見つめていた。何も考えないでいると、彼が戦場に行く事の不安に押し潰されそうだったのだ。しかし、名前を見ても舞踏会で挨拶した誰なのかわからない方が多い。名前を覚えて次に会った時に顔を結びつけるしかない。赤鷲隊隊長夫人として振る舞う為にも、最低限この相関図に載っている人々は覚える必要があるだろうと彼女は感じでいた。
第一王子エドワードにハリスン家、レスター家、スミス家各公爵家長男が仕えている。第二王子は故人と書かれている。第三王子が割愛してあるのはライラの判断に任せるというエミリーの意思表示だろうか。第四王子のウルリヒにはスミス家の次男しか仕えていない。公爵家があと二つあり、モリス家の長男が第五王子フリードリヒに仕えている。クラーク家には男子がいない。
ここでふとライラは相関図に一人の名前がない事に気が付いた。第二王子チャールズの所にハリスン家次男の名前がない。今は王宮にいないのだから知らなくても仕方がない。しかし、ハリスン家の長男と三男がいるのに、次男がいない事に気付かないはずがない。エミリーの母はライラの母の侍女でありライラの乳母でもあった。ライラとエミリーは乳姉妹でもあるから一緒に育ち、同じ教育を受けている。ライラが外交官の仕事を始めてからはエミリーも侍女の仕事に徹し、むしろその範囲を超えて常にライラの事を考えて行動するようになっていた。それが度を超えている気がして、エミリーの為にも結婚を機に離れようと思ったわけだが、結局エミリーを説得出来ずにレヴィまで連れて来てしまった。そんなエミリーがウォーレンを見逃す事があるだろうか。
ライラは相関図を綺麗に折り畳み、入っていた封筒に戻すと荷物の中へ片付けた。この政略結婚の本当の意味が気になりだして、他の事など考えていられなくなったのだ。祖父はこの話が壊れそうになっても強引に進めた。自分の土地での戦争をなくしたい、それは間違いないだろうが、果たしてそれだけだろうか。知らないと何も教えてくれなかった所に、何か隠されているのではないだろうか。エミリーは一体どこまで話を知っていてついてきたのか。もしかしたらウォーレンと繋がっている可能性もあるのではないだろうか。ウォーグレイヴ家は国が別れる前、ハリスン家と仲良くしていた可能性はあるのだろうか。大河を挟んでいるとはいえ領地が近い。七十年前は橋が架かっていたのだから親交があっても不思議ではない。
これはカイルに聞いてみなければとライラが思った瞬間、扉をノックしてジョージが部屋に入ってきた。
「どうしたの? 何か考え事?」
ライラが腕を組みながら真剣そうな表情をしているのを、ジョージは不思議そうな顔をして見つめた。彼女は慌てて笑顔を作る。
「別に大した事ではないの」
「そう? 俺はもう目が疲れてきて寝たいから横にならせて」
ライラはベッドの掛布を捲って足をベッドの上にあげると奥へと下がった。ジョージは空いた隙間に身体を横たわらせると、本当に疲れているのか仰向けで目を閉じた。彼女は不安を思い出し、彼に寄り添うように掛布をかけながら横になった。
「ねぇ、ジョージ」
ライラはそう言いながらジョージの手を力なく握る。
「戦争になった場合、どれくらいかかるの?」
終わったと思っていたのに、また別の戦争が始まろうとしている。戦争が始まればジョージは戦場へ行ってしまう。その戦争はどれくらいで終わるのか、ライラにはわからず不安で仕方がなかった。国王次第だとはいえ、多分回避は出来ないだろうと彼女は感じでいた。
「何とも言えないな。予想通りに展開すれば冬になる前には片付くだろうけど、終わりが見えない泥沼になる可能性がないとは言い切れない」
「何年も会えなくなったりするの?」
「戦争が終わるまでは帰れないから、そうなるかもしれない」
ジョージの言葉にライラは握っていた手の力を強めた。隣にいる事が当たり前になっている彼が戻ってくるのを待つ事は出来なくはない。しかし万が一の事があったら、どうしたらいいのか見当もつかない。
「念の為に言っておくけど、戦場には連れて行かないからね」
「わかっているわよ。だから通訳をしに行くなんて言わなかったでしょう?」
ライラはジョージの腕に抱きつき、彼の腕に額をつけた。戦場に行くとなった時、この手を離せるだろうか。赤鷲隊隊長夫人として毅然と送り出せるだろうか。
「戦争になるかもしれないってのは、前から言ってたはずだけど」
「回避が出来る可能性に賭けていたの。でも多分難しいのよね?」
「国境へ出向くのは避けられないと思う。そこで睨んで終わるか、開戦になるかはわからない。睨み合いになると何年かかるか正直予測が出来ない」
「私に出来る事があるなら何でも言ってね。帝国語や公国語の手紙を書く事も出来るから」
「そんなに俺と離れるのが嫌?」
ライラは頷くとジョージの腕を強く抱きしめた。彼は彼女の方に顔を向けると、腕を離すように彼女の手を叩く。彼女は悲しそうな表情で彼を見つめた。彼が微笑みながらもう一度手を叩くので、彼女は渋々腕を離す。彼はその腕を彼女の首の後ろに回し、腕枕をして彼女を抱き寄せた。
「心配しなくていいよ。そんなに簡単には死なないから」
「ジョージは私と離れても平気なのね」
「俺は赤鷲隊隊長という職務を責任もって全うしたい。平和になったら嫌と言う程側にいるよ」
ジョージはライラの頭に口付けをする。彼女は上目遣いで彼を見つめた。
「観光、絶対に連れて行ってね」
「約束する。行きたい場所を考えておいて」
「私は観光地がわからないのよ」
「滝が見たいとか、離宮に行きたいとか、そんな感じでいいよ」
「離宮? いくつもあるの?」
ライラは瞳を輝かせた。
「四か所かな。父上に許可を貰わないと入れないけどね」
「許可を貰ってくれるの?」
「ライラが行きたいと言うなら、適当に理由を考える」
ジョージの言葉にライラが笑う。
「それなら海の向こうも理由を考えてね」
「その話は諦めてなかったの?」
ジョージは呆れたように笑う。
「船にも乗ってみたいけど、あれほど大きな船を持てる国を見てみたいのよ」
「国外へ出るとなると、仮初の平和では難しいから時間が欲しい。俺のいない間に帝国に攻められるなんて状況は困るから」
ジョージは海の向こうに興味がないのだとライラは思っていたのだが、赤鷲隊隊長として国を離れられないという理由だったのだ。総司令官が気軽に国外へ出ていいわけがない。
「帝国との争いは今回きりで収まるといいわね」
「そうでないと困る。本来なら義姉上が嫁いでいるのだから争いは起こらないはずなのに、何の為の政略結婚なのかわからない」
「それは帝国からしたら乗っ取りの第一歩だから仕方がないのではないの? 帝国と公国の調停者にレヴィがなるのならまた別の話だけど」
ジョージはライラを真剣な眼差しで見る。彼は長らく帝国と戦争になった場合、どう対処するかを考えていたわけだが、調停者になるという発想は持っていなかった。
「帝国と公国を呼び出して三国間で会談をすれば収まると思う?」
「それはジョージ次第だと思うわ。その三国で会談をするなら、レヴィ代表はジョージになるでしょう?」
国王やエドワードが会談に臨めば配偶者の都合で力関係に偏りが生じる。大臣の誰かが出ても王妃とナタリーの争いがある以上どちらかに傾くであろう。どちらにも公平に話し合いをするのならば、帝国とも公国とも関係のない母と妻をもつジョージが出向くのが一番適任と言える。
「戦争をしても会談をしても俺の腕次第なのか。頭が痛い」
ジョージは仰向けになりため息を吐く。そんな彼にライラは微笑む。
「その辺りは国王陛下やお義兄様と話し合って決めたらいいのよ。レヴィにとって最善の道はどれかを一人で考えるから頭が痛いのではないの?」
「話し合って決めた答えが、俺が王宮に何年も戻れない策だったらどうする?」
ジョージは意地悪そうな表情でライラを見る。
「その策が本当に有効なら納得するかもしれないけど、他の案を考えて訴えるかも」
ライラの答えにジョージが笑う。
「じゃあそんな策が出たら妻が納得しそうもないのでと断るか」
「茶化さないでよ。真面目に言っているのに」
「勿論言い方は変えるけど。俺だってライラと何年も離れていたくはない」
ジョージが柔らかく微笑むと、ライラも微笑んだ。彼は私利私欲の為に行動しない。あくまでもレヴィ王国の為に赤鷲隊隊長として職務を全うする。ただ、彼はひとつの事だけをしない。国にも都合がよく、結果自分にも都合のいい道を選ぶはずだ。
「国の為にも戦争期間は短い方がいいものね? その結果私も嬉しいだけで」
「あぁ。最善で最短の策を考えるよ」
ジョージの片手がライラの頬に触れる。彼女ははにかみながら瞳を閉じると二人の唇は重なり合い、何度も口付けを交わした。




