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謀婚  作者: 樫本 紗樹
四章 恋心と陰謀

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ガレスと帝国の関係

 翌朝、ジョージは執務室のある建物の入り口横の井戸から水を汲み、顔を洗っていた。この建物には入口がひとつしかないので、彼はライラを執務室に一人で残していた。

「おはようございます」

 カイルがそう言いながらジョージにタオルを差し出す。ジョージはそれを受け取る。

「おはよう。ウォーレンから返事は来たか?」

「兄はこちらを優先しませんからもう少し時間がかかると思いますよ」

「本当に三兄弟でも性格は違うな」

 ジョージはそう言いながらタオルで顔を拭く。

「それは隊長も一緒でしょう? 母が違えばそういうものではありませんか?」

「母が一緒でもサマンサと俺も性格は違うけどな」

 ジョージの言葉にカイルは冷たい視線を送る。

「そうでしょうか。比較的近いと思いますよ。人を振り回す所なんて、そっくりではありませんか」

「サマンサを振り回しているくせに」

「振り回すとは心外ですね。私はサマンサ殿下を思って対応しているだけです」

「それはわかってる。ただ兄としては少し複雑なんだよ」

 ジョージはそう言いながらタオルをカイルに渡す。

「カイルもたまには朝練をやるか?」

「結構です。私は別に溜まっていませんから」

「日課なだけだ」

「隊長の女性に対する態度は理解出来ませんが、余計な事を言ったようでしたら謝ります」

 カイルの淡々とした言葉にジョージが苦笑いをする。

「陛下に親書を送ってある。返事次第では早く帰る」

「隊長が王宮に帰りたがるなんて雪でも降りそうですね」

「もし降ったら俺のせいかもな」

 ジョージは笑った。季節は秋。雪が降るにはまだ早い。

「動きがあるなら雪が降る前だよな」

 ジョージは真面目な顔をしてカイルに小声で言う。

「そうですね。近々に動きがなければ来春になるでしょう」

「来春になる可能性は低いだろう?」

「えぇ、おそらく冬になる前でしょう。間者も増やしていますが、なかなか情報が入ってこなくて申し訳ありません」

「いや、詳細は後で聞く」

 ジョージはそう言うと隊員達が集まっている場所へと歩き出した。赤鷲隊は朝の体力訓練が日課であるが、カイルは特別に免除されていた。カイルは体力に自信もなければ剣の素質もなく、軍隊には不向きである。それでも参謀として赤鷲隊を支えているのがカイルだという事を、隊員達は承知しているので特に不満は出なかった。ちなみにカイルはいつも朝練の時に現場にいる訳ではない。執務室へ向かう妙な輩がいないか入口で監視する為に、昨日から顔を出しているに過ぎない。

 一方、執務室では建物の外から聞こえる号令でライラが目を覚ましていた。彼女は起き上がらず俯せのまま考えていた。昨夜胸を触った後、何事もなく寝るなんて一体どういう事なのか。胸の大きさに文句を言われても困るのだが、やはり小さかったのだろうか。ジョージと同じ想いとは何だろう。今の気持ちでは何が足りないのだろうか。ゆっくり待つと言いながら実は急かされているのか、ただからかわれているのか、彼女にはわからなかった。ただ彼は何事もなかったような顔をするだろうから、自分も何事もなかったかのように振る舞おうと彼女は決めた。

 建物の外から聞こえる号令が変わってライラは起き上がった。朝練が終われば朝食である。その前に身支度を整えなければならない。彼女はベッドを整えると着替えて髪を整えた。何かしている時はいいが、ふと止まるとジョージの事を考えてしまう。それこそが彼が彼女にした意地悪なのだが、彼女は気付かなかった。



 朝食後、執務室にジョージとライラは戻ってきていた。

「ねぇ、誰も使っていない洗い場はないかしら?」

「洗い場は共用の施設だから、誰もいない時間は夜から早朝くらいじゃないか?」

「朝練の時間なら空いているという事?」

「その時なら誰もいないはずだけど、別に洗濯なら今からでもいいよ?」

「隊員の誰かがいる時間は嫌なの」

 ライラは少し不機嫌そうにそう言った。ジョージはそれが何故なのかわからない様子だ。

「軍服を洗ってる横だと臭いそうとかそういう話?」

「違うわよ。そんな事を私が気にするように見える?」

 見た目だけで言えば気にするように見えるとジョージは思った。しかしこの男臭いであろう軍事施設にいて、ライラは文句も言わなければ素振りもない。いくら男装をして男性社会の外交官をしていたとはいえ、役人と軍人では発する臭いが違うはずだ。

「いや。むしろよく文句を言わないでここにいるなと思ってるけど」

「ジョージの側にいたいのだから臭いなんて大した問題ではないわよ」

 ライラは視線を外してそう言った。ジョージは嬉しそうに微笑む。

「洗濯は明日の朝にするわ」

「でも今日はいい天気だよ。今から洗っても十分乾くと思うけど」

 ライラはジョージを睨む。何故あれだけ気遣うのに気付かないのか彼女には不思議だった。

「わざととぼけているの? 洗うのはこれだけじゃないのよ?」

 ライラはワンピースをつまんで、ひらひらと動かした。揺れる裾から靴下が見えてジョージははっとする。隊員の横で彼女が下着を洗っている構図など面白いはずがないのに何故気付かなかったのか、彼は自己嫌悪した。

「悪い。気が付かなくて。それならここの上、立入禁止にしてるから明日洗った後はそこで干したらいいよ。縄を引っ張る場所はあるから」

「それはどうも。縄は上にあるの?」

「どうだったかな。ちょっと見てくるよ。一緒に行く?」

 ライラは頷いた。ジョージは彼女の手を取ると執務室を出て鍵をかけ、廊下の突き当たりにある鉄格子の鍵を開けると、二人は螺旋階段を上っていった。この階段は上にしか行けず、一階からここへ来る為には三階で止まる階段を上り、執務室の前の廊下を通らなければいけない構造である。階段を上りきった上に広がった部屋は、物見櫓として使われている場所である。

「縄がないね。後で持ってきておくよ」

 ライラはジョージの手を離して東の方の窓へと近付いていった。そこからは川が見える。執務室の窓は西向きで軍事施設内しか見えなかったのだ。

「ガレスが見えるのが嬉しい?」

 川の奥に広がる陸地はガレス王国、南側は海まで彼女の生家ウォーグレイヴ公爵領リデルである。そして川の北側には橋脚が見える。レヴィとガレスがまだ一つの国だった時には大勢の往来があった、街道の一部になっていた橋の橋脚である。

「私が生きているうちに平和条約が締結されて、再びあの橋が架かるといいなと思っているの」

 ライラは橋脚に視線をやった。ジョージが彼女の隣に並ぶ。

「そうだね。橋脚はまだ使えるはずだから、橋を架けるのは難しい作業ではないはず。ただ休戦の状態だと架けられない」

「その辺をレヴィはどう考えているの? 平和条約は嫌なの?」

 ライラは視線をジョージに向ける。

「嫌な者もいるだろう。休戦だって不満を全部押さえた訳ではないから」

「そう、前途多難ね。帝国の問題が片付いたら不満も減るかしら?」

「そうだな。片付かない場合はレヴィとガレスが手を組むというのもありえるけど」

「それは出来そうだわ。ガレスは表面上帝国と付き合っているけど、本音を言えば皆帝国嫌いだから」

 ライラの言葉にジョージは意外そうな顔をした。

「帝国寄りの政治家はいないの?」

「私が知る限りではいないわね。ガレスと帝国の国境も山脈だから出入りは限られているし、そこは王家直轄地だから」

「なるほど。ガレスの初代国王は色々と考えていたのかもしれないな」

「そうね。レヴィの嫌な所をなくした国を目指したのではないかと、レヴィに来てから私も思ったわ。ガレスは何故か王子が常に一人しかいないから揉める事もなかった訳だけど」

「そうなの?」

「そうよ。だからガレスの公爵家はレヴィ時代からの公爵家しかないの。以前のウォーグレイヴ家の屋敷がレヴィ王都内にあっても不思議ではないと思うけど、そういう話は聞いた事ある?」

「俺は知らないな。カイルなら知ってるかもしれないけど」

 ジョージの答えにライラは笑う。

「カイルは一体どれだけの情報を持っているの?」

「俺にもその辺はわからない。ハリスン家は皆そう。情報を共有しているのか別なのかもわからない」

「ガレスの情報もカイルは持っているの?」

「いや、ブラッドが音信不通になったから間者を送るのは諦めたみたいだ。帝国よりガレスの方が情報入手は難しいという事だろう」

 ジョージの言葉にライラは不思議そうな顔をする。

「そうなの? 屋敷には色々な国の人がいたから入国しやすいと思っていたわ」

「入国しやすいが情報を持ち出せないんじゃないか? ブラッドも本来なら大人しくしている男ではないのに、黙って厩番をしていたんだろう?」

「そうね。私は間者だなんて疑いもしなかったわ。エミリーは勘付いていたのかもしれないけど」

「そうなの?」

 ジョージはライラの顔を覗く。彼女は頷いた。

「ブラッドは私だけでなくエミリーにもよく絡んでいたけど、エミリーはそれをいつも冷たく対応していたの。聞いても苦手だとしか言わないから、本当の所はわからないのだけど」

「でももし間者と気付いていたなら、ライラがブラッドを連れて嫁ぐと言った時に反応したんじゃない?」

「私はエミリーを置いてくるつもりだったから、ブラッドを連れ出そうとしたのよ。結局エミリーがついてくる事になったから途中でフトゥールムを諦めようとしたけど、ブラッドは帰る家がないから王宮までお供しますと言うし、そこでおかしいとは思ったけど、エミリーは特に何も言わなかったわね。結果的にはこれでよかったのかもしれないけど」

 ジョージは微笑んだ。

「そうだな。ブラッドは厩番が気に入って騎兵に戻らなさそうなのは残念だけど」

「ブラッドは騎兵として優秀なの?」

「馬の扱いも上手いし、剣も槍も得意だからね」

「槍? 全く想像が出来ないわ」

「赤鷲隊でもブラッド以上の騎兵を探す方が難しい。俺がまだ隊員だった頃は、一緒にあの浅瀬で騎兵として戦っていたんだから」

 ライラは目の前に見える浅瀬を見ながら想像しようとした。しかしジョージはまだしも、家宰に怒られても厩舎の掃除に何度も付き合ってくれたブラッドリーが、馬上で槍を構えて戦う姿がどうにも想像出来なかった。

「駄目だわ。干し草を馬に与えている姿から離れられない」

「俺はその姿にむしろ戸惑っているんだがな。家を捨てているとはいえ公爵家の次男だし」

「そのような肩書、ジョージは拘らないのではないの?」

「俺自身は拘らないけど、公爵家は色々と面倒だったりするから」

 ジョージの言葉にライラは嫌そうな顔をしながら首を二回縦に振った。彼女も散々公爵令嬢らしくしろと言われてきた。自分が拘らなくても周囲が拘るのだ。

「そう言えば彼は実家を捨てていたとはいえ、妻や子供はいなかったの?」

「ブラッドは家を捨てた時に政略結婚の相手とも離婚していて、その間に子供はいない。ガレスでいい人がいたりした?」

 ライラは思い出すかのように視線を宙にやった。ブラッドリーは屋敷の女性なら誰でも声をかけていたが、誰からも簡単にあしらわれていた姿しか思い出せなかった。

「私の知る限りではいなかったわ。本当に帰る家がなかったのね」

「赤鷲隊兵舎のブラッドの部屋は残していたから、しいて言うならそこが家かな」

「隊員の人達は結婚したらどうしているの? 兵舎に女性は居ないわよね?」

「家を建てるなり部屋を借りるなりして、そこに家族を住まわせているよ。場所はハリスンだったり王都だったり故郷だったり人それぞれだけど。二十年で退役だからその後から結婚という人もいるけどね」

 ジョージの言葉にライラは驚く。

「二十年? 政治家と違って年老いても出来るものでもないから?」

「赤鷲隊は若さもある程度必要だから他の隊より早いんだ。だから赤鷲隊退役後別の隊に行く者もいるし、政治家になる者もいる」

「それだとカイルは先に退役になるという事?」

「俺があと十五年生きれば、カイルが先に退役だね」

「その後参謀役はどうするのよ?」

「そんな先の事は考えてないよ。平和な時代になっていれば参謀はいらないかもしれないし、カイルの事だから曖昧な立場のままで口を出してくるかもしれないし。お、噂をすれば。カイルが執務室に来る前に戻ろう」

 ライラは窓の下を見たがどこにカイルがいるのかわからなかった。金髪を探せばわかるかと思ったが二人いて全く区別がつかない。そんな彼女の手をジョージは引いて執務室へと戻っていく。

「どうやってカイルかわかったの? 見えないわよね?」

「カイルは軍人らしくない歩き方をするからすぐわかるよ」

 軍人らしい歩き方がそもそもわからないライラは理解出来なかった。しかし別に理解する事もないだろうとそれ以上聞く事をやめ、おとなしく執務室へと戻った。執務室の椅子に腰かけて暫くしてカイルが訪ねてきた。ジョージが見たのはやはりカイルだったのである。

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