純粋王子
夕食後、ライラはカイルと共に執務室へ向かって歩いていた。そこにウルリヒが後ろから声をかける。
「カイル、ジョージは?」
「ウルリヒ殿下、執務室以外では弁えて下さい。隊長でしたら浴場ですよ」
「それなら丁度いいや。僕はライラ姉上と話がしたいんだけど」
言葉遣いを変えないウルリヒに、カイルは冷たい視線を送る。しかしウルリヒはそれに怯まなかった。カイルは小さくため息を吐く。
「ライラ様、断られても結構ですよ」
「カイルに何の権限があって、そんな事を言うんだよ」
「私は隊長の信頼を一番得ていると自負しておりますから」
ライラは二人のやり取りを見ながら考えていた。ジョージはエドワードを次期国王にしたい。だから特別ウルリヒと仲良くする必要はない。しかし仲悪くする必要もない。ここは適当にあしらえばいい、そう判断した彼女は素を隠しておこうと、姫対応で微笑んだ。
「面白い話は出来ません。それでも宜しければどうぞ」
「ライラ姉上は丁寧な言葉遣いなの?」
「これが普通だと思いますけれども。私は気にしませんので、ウルリヒ殿下はそのままで結構ですよ」
カイルが執務室の鍵を開け、扉を開ける。そこに三人は入っていく。ライラはジョージがいつも腰掛ける椅子の隣に置いてある椅子に腰掛けた。
「カイルもここにいるの?」
「隊長がお戻りになるまでいますよ。嫌なら出ていって下さって結構です」
執務室に椅子は三脚しかない。カイルは座らず壁際に立っていた。ウルリヒは面白くない表情をしながら、カイルがいつも座っている椅子に腰掛けた。
「旅行はどこに行って来たの? 楽しかった?」
ライラはまさかそんな他愛もない話を振られるとは思わず、驚きながらも笑顔で答えた。
「土地勘がないのでどこと言われると困るのですけれども、色々と美味しい物を頂けて楽しい旅行でした。美食大国レヴィと言われるだけはありますね」
「食べるだけの旅だったの?」
「有名な観光地があるのですか? 私はそういう場所がわからないのですけれども」
「僕も王宮とここしか知らないから、どういう所があるのか知りたくて聞いたんだけど」
王宮から自由に出られないのは、ウルリヒも同じなのかとライラは思った。しかし実際、彼女がジョージと旅をした場所で観光地らしかったのはケィティのみで、それ以外はただの視察であり、それをウルリヒに言う気にはならなかった。
「それでしたらジョージ様に伺えば宜しいではないですか」
「ジョージはこういう世間話をしてくれないから、ライラ姉上に聞きに来たんじゃないか」
「それはお役に立てなくてごめんなさい」
ライラは優しく微笑んだ。
「ライラ姉上は何でこんな所まで来ようと思ったの? ここは姫が来る場所ではないでしょ?」
そもそもは王宮にいたら命が危ないと判断しての行動だった。しかしそれは思い過ごしどころか外出したせいで危険な目に遭ったのだ。だがライラはこの話をウルリヒにする気はない。昨日ジョージは詳細を話そうとはしなかったので、きっと言う気がないのだろうと彼女は判断していた。
「ただの好奇心です」
ライラは開き直る事にした。国王に謁見した時に、ジョージが外出後は変わった姫扱いになると言っていたのを思い出し、それで通そうと思ったのだ。
「好奇心?」
「軍団基地には簡単に入れないではないですか。そういう所は魅力的でしょう?」
微笑むライラにウルリヒはつまらなさそうな顔をした。彼の望む答えではなかったのだろう。
「隊員達がジョージとライラ姉上が楽しそうに歩いてるのを見たと言ってたけど、それはここが魅力的だったからという事?」
見回りをした時、ライラはジョージと一緒にいられるのが楽しくて素のままで歩いていた。もう少し自分の立場を弁えるべきだったと、彼女は顔には出さず心の中で反省した。
「休戦協定が締結された事を強調したかったのです。私達が仲良さそうに歩いていれば、皆様も戦争はもう終わったと安心して作業出来るでしょうから」
「仲良さそう? 実際は違うの?」
「ジョージ様は休戦協定を守る上で大事な協力者だと思っています」
「協力者?」
「政略結婚とはそういうものでしょう? 私は戦争さえなくなれば、それでいいのです」
ライラは微笑む。ウルリヒは彼女の言葉に納得がいかない様子だ。
「ジョージはすごくいい男なのに、協力者なんて冷たくない?」
「そうでしょうか。それなら是非、ジョージ様のいい所を教えて下さい」
「赤鷲隊には千人近く隊員がいるのに、ジョージは全員の顔と名前を覚えて、其々の長所を伸ばすような場所に配置してるんだよ。しかも黒鷲軍なんて何万いるかわからないのに、それも一回顔を合わせたら名前を覚えちゃうんだ。それなのに偉そうにしないで、隊員と一緒に食事したり色々やってるんだよ。凄いでしょ?」
ライラにはジョージの凄さを、まるで自分の事のように言うウルリヒが可愛く見えた。
「それは凄いですね」
「本当に凄いと思ってる?」
「ごめんなさい。軍隊の事はよくわからないのです。ですが、一度顔を合わせたら覚えるというのは凄いと思います」
淡々と語るライラにウルリヒは面白くなくカイルの方を見た。カイルはウルリヒに冷たい視線を送っている。まるで妙な事を言うなと隊長に言われましたよね、と言わんばかりの視線である。ウルリヒは何故ジョージがライラに惚れているのかがわからなかった。ただ綺麗なだけで感情がないように見える。昨日挨拶した時はもう少し柔らかく微笑んでいた気がするのだが、今日の微笑みは嘘っぽくて仕方がなかった。
「ライラ姉上はジョージの前でもそんな感じなの?」
「それは想像にお任せします」
「否定しないという事は違うんだ?」
「そのような詮索をして、何になるというのでしょうか。私とジョージ様の関係がどうであろうと、ウルリヒ殿下には関係ないと思いますけれど」
「ジョージには幸せになって欲しいと思ってるんだよ」
この言葉はカイルからも聞いたとライラは思った。ジョージの周りにいる人間は何故、こうもジョージの幸せを願うのか。そんなに彼は幸せそうに見えないのか。彼女が見るジョージは不幸そうに見えないだけに納得がいかない。余程彼女が嫁ぐ前の王宮での対応が酷かったのだろうと彼女は思った。
「ジョージ様を幸せにするのは別に私でなくても宜しいではありませんか。妾を何人抱えられようと、私は口を出す気はありません」
「それは本気で言ってるの?」
「政略結婚に何をお求めなのでしょうか。私達が一緒にいる事によって戦争で苦しむ人達がいなくなる、それだけで十分ではないですか。レヴィに必要なのは平和ではないのですか?」
「俺は戦争とか、そういう話をしたいんじゃないんだけど」
ライラは少し苛立ってきた。レヴィの事を考えれば、この結婚によってもたらされる平和が必要なのだと何故わからないのだろう。王子としてこの軍団基地に二年もいるのに、国の事を何も知らない事が彼女には信じられなかった。
「ジョージ様はレヴィの為に平和を望んでおられると、私は思っているのですけれど」
「それはそうだけど、そういう話じゃなくて」
「それでは口出しをする事はやめて頂けませんか。私達は平和を望むという利害が一致して一緒にいるのです。ウルリヒ殿下も政略結婚をされれば、いずれわかりますよ」
ウルリヒは口を真一文字に結んだ。ライラは少し淡々と言い過ぎたかなと思ったが、ジョージがウルリヒに自分の事をどう話しているかがわからないので、迂闊な事を言いたくなかった。
「ライラ姉上はジョージの事が嫌いなの?」
「嫌いならここにはいません。先程も申し上げたように大事な協力者です」
「わかった、もういいよ」
ウルリヒは椅子から立ち上がると部屋を出て行った。扉が閉まるのを確認して、カイルは椅子に座った。ライラは困ったように微笑む。
「やり過ぎたかしら?」
「今のは完全に勘違いしましたね。隊長にあんな女はやめておけと言いに行きますよ」
「ウルリヒは政略結婚に夢でも見ているの?」
「いえ、そうではありません。ウルリヒ殿下はジョージ様に幸せになって欲しいと、純粋に思ってらっしゃるのです。ジョージ様の気持ちをご存知ですから」
「そうなの?」
「ウルリヒ殿下がライラ様を呼び捨てにした時、隊長が頭を叩いたではありませんか。あれで隊長の本気度を理解したと思いますよ」
「あれはそういう事なの? ごめんなさい、疎くて」
「そういう事なのです。手をあげる隊長は非常に珍しいですからね。いい物を見させて頂きました」
カイルは楽しそうにそう言った。
「つまり私はジョージの愛情を冷たくあしらっている非情な女を演じてしまったと」
「それで宜しかったのですよ。夫婦間の話に首を突っ込むウルリヒ殿下が悪いのですから」
「それもそうね。もし私がのろけたら、どうする気だったのかしら?」
「それは多分隊長が望んでいないと思うので、その選択肢は捨てて頂きたいですね」
「非情な女の方がいいの?」
「えぇ。ウルリヒ殿下に冷やかされるなんて面倒でしかありません」
カイルの言葉にライラは想像する。確かに一緒にいる所を見られる度に絡まれそうで、面倒そうとしか思えなかった。
「それはそうかも。ウルリヒは王宮育ちの割に真っ直ぐなのね」
「王妃殿下が王族貴族と隔離して育てましたから、世間知らずなのですよ。それを心配して国王陛下は隊長に預けられたのだと思うのですが、隊長も甘やかしているのであのような感じです。ですから冷たい人間が私以外にもいた方がいいのですよ」
「カイルは損な役割を担っているのね」
「損だなんて思っていません。隊長は人をこき使いますけど結構楽しいので」
「さっきウルリヒが言っていた適材適所、カイルも該当しているという事?」
「そうですね。結果的にそうなっています」
ライラは自分もそうでありたいと思った。ジョージの妻として、赤鷲隊隊長夫人として相応しくなりたい。誰かの為に何かをしたいなんて彼女は今まで考えた事もなかった。こんな気持ちは知らなかった。誰かを好きになるという事はなんて素晴らしいのだろう。
暫くしてノックする音が響き、ジョージが手桶を持って部屋に入って来た。彼は不機嫌そうだ。
「ウルリヒに何か言った? 鬱陶しい態度だったんだけど」
ライラとカイルは顔を見合わせて笑った。
「ごめんなさい、ウルリヒに少し冷たい態度を取ってしまったの」
「俺の忠告を無視したのか」
呆れ顔のジョージにカイルは頷く。
「えぇ。私が見張っていたのに堂々と無視していましたよ」
「忠告とは何の事?」
ライラは話が見えず首を傾げる。
「俺とライラの関係に首を突っ込むなって言っておいたんだ。どうせ口調も改めなかったんだろう?」
「むしろ私が丁寧に話す事を不自然にさえ思っている様子だったわよ」
「ウルリヒは王子という自覚をいつ持つ気なんだ。兄上の前でもあれだと思うと憂鬱だな。いや、むしろ兄上に会わせて現実を教えた方が早いか」
「その方が早いかもしれませんね」
「どういう意味? お義兄様はとても優しそうな雰囲気だったのに」
「兄上は一見優しそうで、腹黒さが見えない所が恐ろしい。ライラは兄上に一人で会いに行ったら駄目だよ。兄上の闇に飲み込まれるかもしれないから」
ジョージの脅しにライラは眉根を寄せる。
「隊長、意地悪は程々にして下さい。エドワード殿下を悪人にしてはいけませんよ」
「ちょっと、どこまでが本当なの? もうわからないのだけど」
「ごめん。ライラが見たままでいいと思うよ。兄上は人によって評価が違うんだ。あの人も苦労人だからね。俺はエド兄上を信頼してる」
ジョージはわざとライラにわかるようにエド兄上と言った。彼女にはそれで十分だった。
「それでは私はこれで失礼します。おやすみなさいませ」
カイルは一礼すると部屋を出ていった。