その頃の王宮 ~暇な人達~
レヴィ王宮ではサマンサがナタリーの私室を訪れていた。
「アッシャー伯から美味しいケーキを頂いたので、是非ナタリー様とご一緒にと思いまして」
サマンサが連れてきた侍女が、手際よく紅茶を淹れてケーキの横に置く。
「いつもお気遣いありがとうございます」
「いえ。貴女達は下がって。ナタリー様とお茶を楽しみたいの」
サマンサの言葉にサマンサの連れてきた侍女は部屋を後にする。その後に渋々ナタリーの侍女達も続いて部屋を退室した。ナタリーの侍女はサマンサには口応えが出来ないのである。
「このケーキ、美味しいと評判なのですよ」
「本当にいつもありがとうございます」
ナタリーが嫁いできた時、サマンサは十一歳だった。サマンサはナタリーに帝国語を教わるという建前で、よくこの部屋に通っていた。それはエドワードからの指示であったのだが、サマンサは通ううちにナタリーの孤独を知り、帝国語をある程度覚えてからは、こうして侍女を下げさせてナタリーとお茶の時間を設けていた。
「ナタリー様、乗馬は出来ますか?」
「えぇ。趣味程度には。急に何の話でしょう?」
「いえ、私も趣味としては乗れるのですが、何日も走るのは耐えられないと思いまして」
ナタリーはサマンサが何を言いたいのかわからず首を傾げた。
「軍人か商人でもない限り、何日も乗馬などしないものではないのですか?」
「それが、どうやらライラ様は乗馬で王宮の外に出られたらしくて」
「乗馬で?」
ナタリーは怪訝そうな顔でサマンサに聞き返した。
「ライラ様の侍女がそう言うのですよ。確かに王宮の馬車は残っていますし、お兄様は馬車をお持ちでないし、本当にご自分で馬を駆っていったと思うのですが、そのような事が出来る人には見えなくて」
「ライラ様はお綺麗でしたよね。身に着けている物も素敵で、大切に育てられたお嬢様という感じで。趣味で乗馬が出来ても不思議ではありませんけれど、長距離移動は難しいのではありませんか?」
「しかも侍女を置いていっているのです。ナタリー様ならエドお兄様とお二人で旅行へ出かけるなんて考えられますか?」
「殿下は私と二人でなんて出かけてくれませんよ」
ナタリーは寂しそうな顔をしながらそう言うとケーキを口に運んだ。
「エドお兄様の側近達とナタリー様の侍女、どちらも置いていくのは至難の業ですよね」
「万が一それが叶ったとしても、殿下は公務に休みがありませんから。ジョージ様はご自由で羨ましいです」
「お兄様も本当は忙しいはずなのですけどね。王宮にいないのでわかり難いだけで」
「私も数回しかお会いした事がないのでよく知らないのですよ。サマンサ様のお兄様なのですから、きっと素敵な人なのでしょうけれど」
ナタリーの言葉にサマンサが笑う。
「お兄様に素敵なんて言葉は似合いません。あの人は根っからの軍人ですよ」
「そうなのですか? しかし殿下とはいつも楽しそうにお話していますけれど」
「それはエドお兄様が優しいからです。それにこの王宮で暮らすには色々ありますから」
サマンサはそう言いながらケーキを口に運ぶ。そして満足そうな表情を浮かべる。
「ナタリー様、私はそろそろ公国の味付けに飽きてきたのですけれど、どうにかなりませんか?」
「サマンサ様は単刀直入ですね」
ナタリー微笑んだ。
「レヴィは大陸一の美食国家だと私は思っているのです。公国の味付けは微妙すぎて、お父様には何度か申し上げたのですけれど、公国の味付けも十分美味しいと仰るので、馬鹿舌を引っこ抜いてやろうかと思いましたよ」
「まぁ物騒な。実の親子でもそれは言い過ぎではありませんか?」
「王妃殿下に直接文句を言おうにもお父様が会わせてくれませんし、ナタリー様以外に言う所がなくて」
「ごめんなさい。私も味付けはレヴィの方が好きなのですけれど、私がどうこう出来る問題でもないのです」
「侍女ね。侍女達が許さないのですね?」
サマンサの問いにナタリーは困ったような表情を浮かべた。
「ごめんなさい。本当はわかっているのです。ナタリー様が一番困っているという事は」
「こちらこそごめんなさい。私に力がないばかりに迷惑をかけてしまって」
「いえ、それでライラ様がお戻りになったら、一度三人でお茶でもしませんか?」
「今の話、最初の話と繋がりがあったのですか?」
「脈絡のない話し方でごめんなさい。お兄様に乗馬でついていくような変わった姫なら、現状を打開してくれると思いませんか? お兄様、ライラ様を気に入っているようなのです。あのお兄様が気に入る女性という事は、間違いなくただの姫ではないはずなのです」
「そうなのですか? 綺麗な姫という印象でしたけれども」
「お兄様はただの姫を一緒に連れて行くような人ではありません。お兄様は常に国の事を考えて行動しています。きっとライラ様はレヴィにとって必要な人だと判断したのだと思うのです」
「サマンサ様はライラ様に何をお望みなのですか?」
「私はレヴィの味付けの食事をしたいだけですよ。赤鷲隊隊長夫人であるライラ様なら、王妃殿下と話す事は私達より容易なはずです」
「どういう事でしょう?」
「無理にはお勧め致しません。私もいずれはどこかへ嫁ぐ身。暫く我慢をすればいいだけです。しかしナタリー様は現状のままで本当に宜しいのですか? この息の詰まるような王宮で一生暮らすおつもりですか?」
ナタリーは一瞬困ったような表情をしたが、すぐに笑顔を浮かべた。
「お茶だけでよければいいですよ」
「本当ですか? きっと楽しいですよ。ライラ様はもうガレスの姫ではありませんから」
「どういう意味でしょう?」
「ライラ様はガレスとの繋がりをレヴィに持ち込んでいないそうです。母国との関係を完全に断ち切るのはなかなか難しいのに、本当に変わっていますよね」
「そのような事がわかるものでしょうか?」
「えぇ。ナタリー様も五年もここにいらっしゃるのですから、この王宮がどのような所かおわかりでしょう?」
サマンサは含みのある笑顔をナタリーに向けた。ナタリーは困った表情を浮かべる。
「この王宮はわからない事だらけですよ」
「そうですか? この王宮は居心地が悪い、それだけですよ」
サマンサは笑いながらケーキを口に運んだ。
エミリーは王宮の庭を歩いていた。王宮の中を堂々と歩くのは憚られたので、庭を歩いて王宮の大きさなどを確認していたのだ。ガレス王国では王城の庭が国民に開放されていた為、彼女はその大きさを知っている。しかしレヴィ王国では開放されていない。王宮とその庭を囲む壁も高く、外の様子は一切伺えない。三ヶ所ある門はどれも固く閉ざされており、必要な時にしか開かない。これでは間者の出入りや手紙の配達もなかなか難しそうである。彼女は歩きながら庭もしっかり見ていた。何がどこに植えてあるのかを覚えておいて、ライラが戻ってきたら一緒に楽しもうと思っていたのだ。
「君、少しいい?」
突然背後から声を掛けられ、エミリーは足を止めるとゆっくり振り返った。そこには端正な顔立ちの青年が、優しそうな笑顔を浮かべている。名乗らなくても誰かというのは察せる雰囲気が漂っていた。エミリーは頭を下げる。
「頭は下げなくてもいい。もし時間があるなら私と一緒に少し休憩をしないか」
その言葉にエミリーは目の前の男性が誰かを確信した。彼女はこの王宮に入ってすぐ、とある噂を耳にしていた。第一王子エドワードは執務中によく休憩を取る、そしてその休憩には大抵女性を誘うのだと。彼女は頭を上げる。顔はあえて無表情を保った。
「お気遣い頂き誠にありがとうございます。殿下に声を掛けて頂ける時を心待ちにしている方が他にもいらっしゃいますので、今は遠慮させて頂きたく存じます」
エミリーの腕には赤鷲隊腕章がある。誰かわかっていて声を掛けたに違いない。だからこそ彼女はここで誘いに乗るわけにはいかなかった。エドワードとジョージの関係もわからないうちに引き込まれてはいけない。
「順番があるわけではないから、遠慮はしなくてもいいよ」
エドワードは笑顔のまま視線はしっかりとエミリーの瞳を見ている。彼女は胸が大きいせいで男性の視線が胸に行くのに嫌気がさしていたのだが、彼は一度も胸を見ようとはしない。女性に声を掛け部屋に連れ込むという噂が違うのか、それとも連れ込んでから見ればいいので外では紳士を装っているのか、ただライラの侍女と話をしたいと思っているだけなのか、彼女は判断しかねた。
「殿下と二人きりなど心臓が持ちそうにありません。どうぞご容赦下さいませ」
「随分とつれないね。ガレスの女性にはもてないのかな」
ガレスの女性と表現するという事はライラを含めているのだろうが、二人が顔を合わせたのは舞踏会の一夜だけである。あの夜、確かにライラの態度はおかしかったが、あれは男性が絡んでいる雰囲気はなかった。つまり無反応だったという事だろうとエミリーは解釈した。
「ライラ様も私も恋愛とは無縁でここまで生きてきました。それを期待されると少々困ります」
ライラは確かに恋愛と無縁だったが、エミリーはそうではない。ただ心の底から愛せる人がいないかと、次から次へと恋人を作っては違うと斬り捨て、結果人を愛するという事がわからなくなっているだけである。
「サマンサが言うように君は面白いね。心臓が持たないと言っておきながら、恋愛と無縁とは一体どういうつもり?」
エミリーは表情を変えぬまま必死で思考を巡らす。エドワードとサマンサが繋がっているとは想定していなかった。異母兄妹なのに親しいとはどういう事情があるか調べなければいけないと思いながら、現状の言い訳を考える。
「私のような平民が殿下にお声を掛けて頂けるだけでも緊張してしまいます」
「緊張しているようには見えないけれど」
「そう見えないだけで、心臓は今にも飛び出しそうなのでございます」
勿論エミリーは緊張していない。緊張しているふりも出来なくはないが、今から切り替えると不自然なのでしないだけである。そんな彼女にエドワードは微笑む。
「そう。とりあえず今日は諦めるよ。次に会う時までにいい返事を用意しておいて」
エミリーは返事をせず頭を下げる。エドワードは笑みを零すと王宮へと戻っていった。彼女は何故エドワードが自分に声を掛けてきたのか考えながら、庭の散歩を続ける事にした。
 




