結婚式当日
王宮の横にある教会の鐘が鳴り響いた。三度響いた音色は結婚式が無事に終わった事を知らせるものだった。しかし国民はそれが何を知らせる鐘なのか知らない。気になっている者もいない。休戦という事は知らされていたが、戦争は国境付近で行われていた。その戦場から遠く離れた王都の人々にとって、戦中も今も平和な日常なのである。特に今回は凱旋式があるわけでもなく、国民は興味を持たなかった。
「この後は晩餐会になりますので、準備が出来るまでこちらでお待ち下さい」
そう言われて控室に案内されたライラはソファーに腰かけた。彼女の妹の結婚式の時は国民と共に祝い、それは温かいものだった。しかしこの国の結婚式は形式上という感じで、参列者も少なく彼女は国王の姿も見つけられなかった。そして当人の王子でさえ気怠そうだった。
一体これからどう過ごしたらいいのか、ライラは頭を抱えた。政略結婚とはこんなにも難しいものなのか。休戦協定調印式で見かけた結婚相手に期待などしなければよかった。自分に興味のなさそうな男に対し、一体どうやって接すればよいのだろう?
「晩餐会とは何をするのかしら?」
ライラは傍で控えていたエミリーに問いかけた。
「普通でしたら王家や貴族の皆様と食事をするのでしょうけど」
エミリーも何も聞かされていないので正しく答えられなかった。この国に知り合いなどいるはずもない。
「内容を聞いてきましょうか?」
「出来るならお願い」
「わかりました。少し失礼致します」
一礼をしてエミリーは控室を出て行った。ライラは窓の外に視線を向けた。そこには青空が広がっている。この空はガレス王国に繋がっている。いっそ飛べれば……
そこまで考えてライラは視線を窓から外した。国に帰れば休戦協定破棄だ。そのような事など出来るはずがない。これはガレス王国にとって念願の休戦協定。覚悟を決めてこの国で生きていくしかない。
その時ノックの音が響いた。
「エミリーです」
「早かったわね」
エミリーは素早く部屋に入ると静かに扉を閉めた。
「丁度廊下に人がいたので尋ねたのですが、晩餐会ではないらしいですよ」
「どういう事?」
「国王陛下が開催する晩餐会はあるらしいのですけど、出席とは聞いていないと言われました」
ライラは昨日読んだ手紙の、たった一言だけジョージに触れられていた箇所を思い出した。
『ジョージ殿下は王子としてではなく赤鷲隊隊長として扱われていますので、敬称は殿下でなく様でお願い致します』
つまり政略結婚としては都合よく王子にしたが、基本的には隊長なので晩餐会に参加はさせないという事だろうか。ライラは自分が直系の王族ではないので、ガレスの姫君として扱ってもらえなくても文句は言えないと思っていた。むしろ扱ってほしくないとさえ思っていたので、この対応に特に怒りは感じなかった。
「それならここに控えていても仕方がないし、部屋に戻っていいのかしら?」
「そう言われましても、私は部屋への戻り方がわかりません」
昨日着いたばかりの王宮。教会からここに通されたので現在地はライラにもわからなかった。
「確かに……待つしかないのね。ずっと放っておかれたらどうしましょう?」
「流石にそれはないと思います、よ?」
エミリーも不安に思ったのか言葉の最後が頼りなかった。
「ごめんね。こんな所まで付き合わせて」
ライラは申し訳なさそうにそう言った。しかしエミリーはそれを笑顔で受け止める。
「いいえ、ライラ様に仕えられるのは私しかいませんから、お気になさらないで下さい」
結婚式が終わった後、ジョージはまっすぐ自室に戻って堅苦しい正装を脱ぎ捨てた。普段から軍隊の中にいる為正装は苦手で、着替えたのは普段着ている軍服である。どうせ晩餐会など呼ばれないし、呼ばれても理由を付けて断るつもりでいた。本来なら従者が何人かいてもおかしくないが、彼には誰もついていない。身支度は自分で出来るので必要がないのだ。
着替え終わった頃を見計らったようにノックする音が響いた。
「カイルか? 入れ」
「失礼致します」
カイルは結婚式に参列していたので正装のままだった。
「お前よくそんな恰好を長くしていられるな」
「貴族ですから平気ですよ。それより王子で対応をお願いしたのに、何ですかあの態度」
「うるさいな、気が乗らなかったんだよ」
ジョージは不機嫌そうに吐き捨てた。カイルはわざとらしくため息を吐く。
「その態度で今後も過ごされるのはいかがかと思います」
「それは俺の勝手だろ。晩餐会は欠席でいいよな?」
「やはり欠席されますか。今夜は出席でもいいのですが」
カイルが少し残念そうな顔をしたので、ジョージはうんざりという表情で返した。
「あの姫を晩餐会に連れていけると思うか?」
「確かに、御不興を買われる可能性はありますけど」
「絶対に買うだろ。俺は女の争いに巻き込まれたくないから出ない。ついでに帰りたい」
「ここは隊長の自室ですから既に帰っていますけど」
ジョージはカイルを睨んだ。それをカイルは笑顔で受け流す。
「とりあえず晩餐会に出ない旨、ライラ様に伝えてきますね。それとも隊長が自ら行かれますか?」
「俺が説明しに行くわけがないだろ」
「今回はどちらでもいいですけれど、夜は必ず寝室へ行って下さいね」
「はぁ? 嫌だよ。形だけの結婚なのに一緒に寝る必要はないだろ」
ジョージはカイルに嫌そうな表情を向けた。それをカイルは無表情で受け流す。
「初日から不仲説を流されるような行動はやめて下さい」
「結婚した俺にもう用はないだろ?」
「次は愛妾をと言われるだけです。表面上だけでも仲がいい振りした方が楽ですよ」
カイルは淡々とそう言った。ジョージの表情に苛立ちがみえる。
「だから王宮は嫌なんだよ。早く軍団基地に戻らせてくれ」
「復興案議会通過が早まるよう調整していますから、もう少し我慢して下さい」
「あら、また貴方なの」
ライラは冷めた声で言った。何故王子の嫁の所に、カイルは一人でやってくるのか不思議だった。
「申し訳ありません。ジョージ様には従者がおりませんので伝言は私の役目になります」
「従者がいない? 王族なのに?」
「王族の中ではジョージ様だけです。これはあの方の希望ですので気になさらないで下さい」
ライラは特に興味もなかったので言われた通り気にしない事にした。彼女は気になれば納得するまで調べるが、興味がない事には一切頓着しない性格である。
「それで申し訳ないのですがジョージ様が晩餐会を欠席されるというので、ライラ様も欠席して頂けますでしょうか?」
「別にどちらでも構わないけれど、欠席して問題はないのかしら?」
「本来なら今夜くらいは出席して欲しいのですけれども、ジョージ様に首を縦に振ってもらえませんでした」
「その理由は? それを聞く権利はあると思うのだけれど」
ライラは強気に尋ねた。カイルは少し困ったような表情を浮かべる。
「実は王妃殿下と第一王子エドワード殿下の正妻ナタリー様との間で揉め事がありまして。どちらが美人かという」
「平和な揉め事ね」
「いえ。それが平和な揉め事と思えないほど、張りつめた空気が王宮内に漂っているのです」
何故そのような話が王宮内の空気に影響を及ぼすのか、ライラには全く理解出来なかった。
「ライラ様はお二方よりもお綺麗なので、矛先が向かいそうだから連れて行きたくないと」
「この国の基準では私は美人になるのかしら?」
ライラはさらっとそう尋ねた。そこには嫌味もなく純粋な疑問として発せられていた。彼女は高貴な生まれの特徴とも言える金髪碧眼。少しだけ眼は吊り上っているが二重でぱっちりしているからかきつい印象はない。鼻筋も通り口は小さめだが唇は肉厚で、肌はきめ細かく白い。誰が見ても美人と思う端正な顔立ちである。
「えぇ。この国一と言われてもおかしくありません。ガレス王国は違うのですか?」
ライラはエミリーと目を合わせて笑った。
「いえ、ガレスでも評判でしたよ。黙っていれば美しいのにと」
「人形でもあるまいし、ずっと黙っていたら気味が悪いのに皆好き勝手に言っていたわよ」
カイルは目の前で屈託なく笑うライラのどこに問題があるのか見極められなかった。しかしそのような話を聞いた後では、晩餐会に出席させたくなくなるのは当然である。
「口は災いの元と申します。この国に慣れるまでは静かにして頂けると助かります」
「あら。私は口が悪いわけではないの。話すと女性らしくないという事よ」
ライラは微笑んだままカイルの眼をじっと見た。
「そもそも私が正当な王族ではない事は知っているのでしょう?」
「直系ではなくとも王家の血が流れていると伺っております」
「そうね。曾祖母が王家の出身だからわずかには流れているわ。でもこの血の薄さでいいのなら、別に私以外にも候補はいたはずなのよ」
「ですがライラ様はガレス王太子妃の実姉に当たるのですよね?」
「えぇ。表向きはその理由で選ばれた事になっているわ。でも体のいい追い出しなのよ」
追い出しと聞いてカイルは事前に入手していたライラの情報を頭の中で紐解き始めた。
「確かお父上であるクリフォード外務大臣の下で働かれていたと伺っておりますが」
「そうよ。父は私の才能を認めて重用していたと思うけれども、それが面白くない無能な男達がたくさんいるのよ」
政治の世界は男社会である。ライラがいかに優秀であったとしても、女性という事が足枷になるのは仕方がない。それを父親の権力で押さえていたならば、今回の嫁選びは好機と見て彼女を推薦するのは自然な流れかもしれないとカイルは思った。
「その男達に屈する形が嫌なので、外交官として振舞うおつもりでしょうか?」
「あら、貴方やはり賢いわね」
ライラは柔らかく微笑んだ。
「だから揉め事は起こしたくないの。晩餐会に出ない方が平和に繋がるのならば従うわ」
「ライラ様はこの休戦が長く続けばいいと思っておいででしょうか?」
「勿論よ。戦争は失うものが多すぎる。私がここにいるだけで平和に過ごせるのなら、外交官冥利に尽きるでしょう?」
カイルはライラの先程の言葉が腑に落ちた。彼女は確かに考え方が女性らしくない。少なくともレヴィの貴族令嬢達は戦争など興味も持っていない。しかしそれはこの王国でジョージの嫁として生きていくには必要な事かもしれないとも彼は思った。
「ライラ様のお気持ちはわかりました。しかしこの件、ジョージ様以外には口外なさいませぬようお願い致します」
「あら、ジョージ様には言っても平気なの?」
ライラにそう尋ねられてカイルは言葉に詰まり、暫く沈黙した。
「どうしたの?」
「いえ、ジョージ様は多分……」
カイルはその後の言葉を選べなかった。長い付き合いなのでジョージの気持ちはわかるのだが、それを口にするのは憚られた。そんな彼の様子をライラは察した。
「結婚式の最中、彼はずっと気怠そうだったわ。そういう事でしょう?」
「いえ、それはジョージ様は隊にいる事が長く、式典の類が苦手と申しますか」
「別に気にしなくていいわ。外見だけを気に入られるよりはましよ」
ライラのその言葉は本音のようで、カイルは少しほっとした。
「ところで悪いけれど私達を部屋まで案内してもらえないかしら? ここがどこかわからないのよ」
「かしこまりました。すぐに侍女を呼びましょう」
「あら、私にはこの国の侍女を付けてもらえるの?」
「私の勝手な判断で先程の派閥に属していない者を選ばせて頂きました」
「貴方本当に大変ね。そのような所まで気を遣って。ジョージ様には尽くす価値があると判断しているの?」
予期せぬ質問にカイルは一瞬驚いたが、すぐに微笑んだ。
「ジョージ様には幸せになって頂きたいのです。その為に私が出来得る事は何でもするつもりです」
ライラは彼が傍にいる事が既にジョージの幸せなのではないかと思ったが、あえて口にしなかった。
「そう。では侍女を呼んで頂こうかしら。そろそろこの堅苦しいドレスを脱ぎたいの」
ライラの言葉を聞いて、この結婚は案外上手くいくかもしれないとカイルは少しだけ期待をした。
寝室にはクイーンサイズのベッドが置かれている。
ライラはそこに近寄る気にならず、部屋の隅にあるソファーに腰かけた。休戦協定の為の結婚。上辺だけ取り繕えばそれでいい。そうは思っていても気持ちが追いつかない。それをどう説明しようか、彼女は左手薬指の指輪を見つめながら悩んでいた。
すると突然扉が開いた。ライラは驚いて扉の方を向く。そこには驚いた顔のジョージがいた。
「あ、悪い。いると思わなくて」
「いえ」
結婚式の最中言葉を交わす事はなかったので、これが初めての会話になる。ジョージは扉を閉めるとライラの向かいのソファーに腰かけた。
「もう一つ悪いんだけど、俺は君を抱く気がない」
単刀直入にそう言うジョージにライラは自然と笑みが零れていた。
「え、何で笑うの?」
怪訝そうにそう尋ねるジョージにライラは慌てて表情を引き締めた。
「ごめんなさい。ジョージ様の言葉で気が楽になってしまって」
「そう。俺は基本的に王宮にいないから、殺されない程度に好きにしてくれて構わないよ」
ジョージはライラの返事に興味がなかったのか、そう言いながら立ち上がるとベッドへ寝転がった。しかし彼女は彼の言葉を聞き流せず、彼を視線で追う。
「殺されない程度にとはどういう意味でしょうか?」
「どう……ってそのままだけど」
ジョージはベッドに寝転がったまま、ライラの方を見ようともせず面倒臭そうに答えた。その態度が面白くなかった彼女はベッドへと向かう。
「私はこの休戦協定を守る必要があるので、殺されるわけにはいきません。何が危険なのかを教えて貰えませんか?」
ライラの言葉にジョージは身体を起こした。そして彼女の眼をまっすぐ見つめる。
「休戦協定を守る為?」
ライラはジョージの視線を逸らさず受け止めている。
「そうです。国境付近の国民および騎士・兵士達は両国とも疲弊しきっています。戦争再開などありえません」
「疲弊しきっているって君は何か見たのか?」
「戦時中の報告書は全て目を通しました。またここへ来る途中、戦場跡を馬車の中から見ました」
ライラの表情が曇る。嫁ぐ為に通った道は戦場跡もあり、そこにはまだ死体が転がっていた。きっと葬るにも人手が足らないのだろう。綺麗な土地に戻すには時間が必要だ。
「出来るなら何十年と平和が続いてほしい。そう思っているのは私だけですか?」
「いや、俺も平和を願っているが、陛下がどう考えているかはわからない」
父上ではなく陛下と言ったジョージの言葉にライラは違和感を覚えた。しかしその疑問を発する前に彼は言葉を続ける。
「王宮内での危険は俺にはわからないから明日カイルに聞くといい。あいつは詳しいから」
そう言うとジョージは横になってライラに背を向けた。どうやらもう寝たいらしい。彼女も馬車での長距離移動に結婚式と慣れない日常に疲れていたので、仕方なく横になって寝る事にした。