赤鷲隊隊長の裏仕事【後編】
「休戦協定間際の弓矢の件ですが、まだ調べはついていません。しかし先程の件でトリスタンの可能性が出てきましたので、こちらでもう一度洗い直そうと思います」
「その話、ガレス側から応戦の弓矢があったのは本当なの? ガレスの報告書には応戦したという記述がなかったのだけど」
先日ジョージから話を聞いた時からライラは気になっていたのだが、彼の傷跡を見て驚いてしまい、そのまま質問する機会を失っていた。
カイルは怪訝そうな表情をライラに向ける。
「ライラ様はガレスの戦争報告書に目を通しているのですか?」
「通しているわよ。おかしい?」
「いえ、赤鷲隊隊長夫人としてはこの上ない方だなと思いまして」
「そうじゃなきゃここに連れて来てないよ。しかしそれは本当か? 応戦してないって」
ジョージはライラに問う。彼女は頷いた。
「えぇ。ガレスの報告書では弓矢が何度か飛んできた後で、レヴィが攻めてきた事になっていたわ。霧がなかなか晴れなくて、最初は何が起こっているかわからなかったと」
「あの日は濃霧だった。弓矢が確実にガレスから飛んできた物か判別出来たかと言われると困る。レヴィ内部の芝居の可能性も捨てられない?」
ジョージは首を傾げて思考を巡らす。カイルは頷いた。
「そう言われるとその可能性もありますね。帝国の者の罠にこちらがはまり、ガレスを巻き込んでしまった。その目的は勿論休戦協定中止」
「しかし休戦協定は予定通り締結された。あの戦闘はガレスが不問にしたはずだ。不問にしたのも元宰相か?」
「そうね、祖父だわ。今この機会を逃せば永遠に休戦協定が結ばれないかもしれない、これ以上尊い命を失うわけにはいかない、ここは耐えて欲しい。そう言っていたわ」
「それを不問にして、更にライラをこちらに嫁がせた。ガレスも何か休戦したい理由でもあるの?」
ジョージの言葉にライラはため息を吐いた。
「戦争をしたくないだけよ。ウォーグレイヴ公爵領は国境沿いにあるの。自分の土地で戦争なんて、誰が望んでするものですか。祖父は自分の土地を守っているだけなのに、それを国の平和という大義名分を掲げて仕切っていたにすぎないわ」
ライラの言い方にジョージが笑う。
「ライラ、元宰相の事を好きそうじゃないなとは思ってたけど、それが理由?」
「悪い人ではないけど苦手なの。自分の損得を国の損得と結び付けてやるのよ。勿論、結果としてはどちらもいい方に進むわけだけど、それはそれで腹立たしいというか」
「ライラも人の事は言えないじゃん。一回元宰相と話した方がいいんじゃない?」
「もうガレスに行く事はないから結構よ。私はレヴィで生きると決めたのだから」
ライラの決意にジョージとカイルは彼女を見つめた。
「何よ? レヴィで生きたらいけないと言うの?」
「嫁いでも実家との繋がりを保つ女性は多いのですが、ライラ様はあっさりとされていますね」
「家族にもう会えないのは寂しいけれど、それだけよ。先程のジョージの言葉ではないけれど、私が嫁いだ意味があるのなら私はレヴィで自分のやるべき事をやるだけだわ」
「それは頼もしいね」
「私が王家の人間でないからいいのかもしれないわね。ガレスには平和であってほしいと思うけど、それ以上は何も望まないわ。それに私の血筋を辿ればレヴィ王家なのだから、そこまで不思議な事でもないと思うし」
「そう言えばそうなりますね」
ライラの曾祖母は初代ガレス国王の王女、つまりレヴィ王国元第一王子の娘であった人物である。この女性がライラの祖父アルフレッドの母にあたる。
「じゃあ俺とライラって遠い親戚なの?」
「そうですね。ただ遠い親戚の話をし出すと公爵家、侯爵家にかなりの人数が出てきてしまいますよ。そしてその中に私も入ってしまいます」
ジョージの曽祖父とライラの高祖父がレヴィとガレスに分かれた時の弟と兄にあたる。親戚と呼ぶには遠い。ちなみにジョージとカイルの関係は、はとこである。
「レスターとハリスンに婚姻関係は?」
「昔はわかりませんが、ここ三代ではありませんね。仲が悪いのは昔からみたいですし。それにハリスン家は男系で、嫁に出す事がまず少ないのですよ。私も三人兄弟ですし」
「それならカイルの奥様はどこの人なの?」
「私の妻は侯爵家の次女でした。しかし彼女は三年前に亡くなっていますので」
カイルが嫌そうなのはライラにもわかった。彼女がジョージの方を見ると彼は小さく首を横に振る。この話はこれ以上踏み込んではいけないようだと彼女は判断した。
「レスターとハリスンの二家が帝国対レヴィとして争っているという事でいいの?」
「レスターの領地が帝国と隣り合わせなんだ。山道が切り開かれていて人の往来も多い。歴史書を読んだからわかると思うけど、帝国とレヴィは直接戦った事はない。常に牽制しているだけ。それが近年変わってきて、そこから対立構造が表立ってきた」
「昔から仲の悪い所に帝国が手を出したという事です。それには近い方が懐柔しやすいでしょう。それにハリスンはレスター程単純な家ではないですし」
「何か王家より質が悪そうね、ハリスン公爵家」
ライラは公爵家出身だが、彼女の父親が嘘を吐けない性格のせいか祖父以外は策謀を巡らせる事と無縁の家であった。しかしハリスン家はレヴィ王家に勝るとも劣らない陰謀の渦がありそうな雰囲気である。
「実際そうだと思いますよ。人情に欠ける家ですから」
「そう、それならカイルは例外でよかったわね」
「私も情は薄いですよ」
「もしそうなら部屋の前で立ってないでしょうし、先程の顔は休戦協定破棄にならなくてよかったという顔でもなかったわ。カイルにも心配をかけてごめんなさい」
ライラは頭を下げた。カイルは困ったような表情を浮かべる。
「それで、レスター家の動きは何かあったか」
「いえ、今の所はまだ。ナタリー様の事もあって向こうも複雑なのですよ」
「義姉上? 王宮では堂々としてるんじゃないのか?」
「ナタリー様は出産後、少しずつ態度が変わってきているのです」
「あ、その事について聞きたかったの。お子様の名前は何と言うの?」
ライラの問いにカイルは不思議そうな顔をする。
「名前ですか? アリス姫ですが、それがどうかしましたか?」
「アリス……レヴィ語でも帝国語でも同じ綴り、ほぼ同じ読み方をする名前ね」
「そうですね。二国間の姫として考えられている名前だと思いますよ」
「王妃殿下は何故、息子達に公国語の名前を付けたのかは知っている? 発音しやすい名前を選ぶ事も出来たと思うのだけど」
「さぁ? それは国王陛下か王妃殿下に尋ねないと、わからないのではないですか?」
「聞き難い相手を言ってくれるわね。わかったわ、気にしない事にする。それで、ナタリー様の態度が変わったとはどのように?」
「元々あの夫妻は仲良さそうには見えていたのですよ。実際はわかりませんが。ですがアリス姫出産後、子供で縁が繋がったと言いますか、距離が縮まったように見受けられるのです」
「つまりお義兄様を傀儡しにくくなったと?」
「エドワード殿下は無能ではありません。優しそうな雰囲気から傀儡し易そうに見えただけで、女性一人でどうこう出来る方ではありません。それに帝国は気付いたのかもしれません」
ライラは舞踏会で会ったエドワードを思い出す。確かに優しそうな雰囲気はあった。しかしそれだけではない何かがあった気がする。一方ナタリーは突き刺さるような視線しか覚えていない。しかしあの時何故あのように見られたのだろう? ただの興味心では片付けられない視線だった。
「王宮へ戻って私がナタリー様と王妃殿下、両方と仲良くしようとするのはありかしら」
突然のライラの提案にジョージは呆れた表情を向ける。
「何でまたそんな所へ首を突っ込むんだ」
「そもそも王妃殿下とナタリー様のどちらが美人かというくだらない争いがなくなれば、王宮は穏やかになるのでしょう? 内部分裂から帝国にいい所をさらわれるのは嫌だもの。エミリーに相談したら、何かいい案を出してくれると思うのよ」
ライラの言葉にジョージは思い出したように机の引き出しを開けた。
「忘れてた。ライラ宛に手紙が届いてたよ。随分と分厚いけど何の文通をしてるの?」
ジョージが差し出した手紙は便箋が四~五枚入っていそうな厚みだった。
「私は何枚も返事を貰う内容は書いてないのだけど、今開けてもいい?」
「どうぞ」
ジョージがペーパーナイフを差し出したのでライラはそれを受け取り、ゆっくりと封を切った。中には便箋が一枚と畳まれた紙が入っていた。彼女は手紙を開いて目を通す。
――親愛なるライラ様。お元気でしょうか? ライラ様がいなくて暇なので、私なりにまとめたレヴィ王国の相関図を一旦送ります。お戻りになる前に予習をしておいて下さい。それと烏の件ですが、親鳥はとても子煩悩なようです。子分とはうまくいっていないかもしれません。引き続き調査します。最後に私のお土産は結構ですのでサマンサ殿下に是非お願いします。それでは。 エミリーより――
ライラは折り畳まれていた紙を広げた。そこにはレヴィ王国の王家・公爵・侯爵・伯爵の名前と関係が細かく書かれている。ライラはその相関図を机の上に広げた。
「カイル、これは正しい?」
ライラにそう言われカイルは相関図を見ていく。
「そうですね。よく調べてあると思います。これは?」
「エミリーが戻ってくるまでに覚えろと送ってきた物よ」
「エミリーはライラ様の侍女ですよね? 侍女がここまで調べるのは難しいと思うのですが」
カイルは眉根を寄せた。レヴィ王宮で暮らし始めてからの日数を考えると詳しすぎるくらいだ。
「エミリーは昔から噂話が大好きで。火のない所に煙は立たないと言って、噂話を突き合わせて相関図を描いていくのが得意なのよ」
「それにしても短期間でよくここまで。私の話を覚えていたという事ですか?」
「そうね。カイルの説明を受けた時にエミリーは控えていたから記憶したのでしょうね。私は途中からさっぱりだったのに、流石エミリーだわ」
「王宮を留守にしている間にライラ様を尋ねてきた人が書かれていますね。しかもこの説明はしていないのに的確に捉えています」
ライラが王宮にいない間に尋ねてきた人々は、第三の派閥を作ろうとしている貴族達の名前であり、それをエミリーはライラ様を利用しようとしている者と書き込んでいた。
「エミリーは優秀すぎない? 彼女は何者なの?」
「私の幼馴染であり、私を一番に考えてくれる侍女よ。それ以外の何者でもないわ」
「侍女というよりは側近みたいだね」
「私といると侍女の仕事はあまりないから、自然とこうなってしまったのよ」
「先程のエミリーに相談したらという話は、このような相関図を描けるからこそという意味ですか?」
「そうよ。あ、でもその場合、ジェシカを外してもらえると助かるわ。彼女はカイルの間者でしょう? 彼女がいるとエミリーと話し難いのよ」
ライラの言葉にカイルは苦笑を浮かべた。
「お気付きでしたか? 彼女は有能なのですが」
「ジェシカに非はないわ。エミリーの勘の良さが勝っただけよ」
「ジェシカは今帝国に行ってもらっています。彼女からもライラ様の侍女は遠慮したいと言われていたので、戻す予定はありません」
「私が何かしたかしら?」
「いえ、暇過ぎると言っていました。エミリーは堂々と昼寝をするし、どうしていいかわからないから嫌だと」
カイルの言葉にジョージが笑う。
「昼寝って何? どういう事?」
「私が読書をしていて暇だったから昼寝をしていただけよ。寝ていても私がお茶を飲みたいと思った時には、知らぬ間に起きて出してくれるの。だからいいのよ」
「エミリーは面白いね。王宮に帰ったら話をしてみたいな」
「面白さを引き出せるかはわからないわよ。エミリーは相手によって態度を変えるから」
ジョージはエミリーからもらった手紙を思い出していた。やたら丁寧な言葉での手紙だった事を考えると、確かに上辺だけの会話になりそうだと彼は思った。
「エミリーも交えて四人で話すというのもありかもしれませんね」
「そうね。手紙で打診しておくわ。返信は出来るわよね?」
「勿論。王宮とここは定期便が出てるから大丈夫」
ライラは広げていた相関図を畳むと手紙と共に封筒にしまった。
「一旦ここでやめましょうか。隊長は見回りに行かれたいですよね?」
「そうだな。昨日ずっと書類にかかりきりだったし」
「見回り? 私も行っていい?」
「俺の側から離れないならいいよ」
「ありがとう」
二人のやり取りにカイルは自分が邪魔だという事に気付き立ち上がった。
「では私は先に失礼致します」
カイルは一礼すると執務室を出て行った。ジョージは立ち上がるとライラに手を差し伸べる。彼女は彼の手を握って立ち上がった。
「腕より手がいいわ」
ジョージは微笑みながら頷くと、握られている手から自分の手を少し引いて指を絡めて握り直した。ライラは嬉しくて微笑む。
執務室を出るとジョージは鍵をかけた。そして二人は建物の外へと出て行く。復興作業は主に防塁の修復を行っていた。ガレス軍がレヴィ国内に侵入する事はほぼなく、戦闘は川の浅い場所で行われる事が多かった。しかし戦闘中に揉みあったり投石器で穴が開いたりとで防塁は至る所が傷んでいた。戦時中は修復してもまた壊されると応急処置に留まっており、やっと本腰を入れて修復が出来る状況になったのである。この防塁を堤防にしようとするのが先日議会に提出していた復興案であり、それが通過して作業が進められていたのだ。
ジョージを見かけた兵士達は皆敬礼をする。それに彼も手をあげて答礼する。ライラはやはりどうしていいかわからず会釈をしていた。二人が防塁の近くまで行くと、一台の荷車の片方の車輪が溝にはまっていた。彼は彼女に動かないように言うとその荷車に近付き、隊員に荷車を持つ場所を指示し掛け声をかけて荷車の車輪を溝から持ち上げた。彼女が小さく拍手すると隊員達は彼女に気付き慌てて敬礼をする。彼女は笑顔で会釈をして答える。彼が彼女の元へ戻ってきた時に手が汚れたからと腕を差し出したが、彼女はお構いなしに彼の手を握って笑う。そんな二人のやり取りを隊員達は笑顔で眺めていた。隊長が遅れてくる理由は副隊長から説明があったものの、女性と一緒にいる隊長を想像出来ず腑に落ちない隊員が多かった。しかし目の前で二人のやり取りを見た隊員達はその理由が本当だった事を知り、持ち場に戻って自分の任務に勤しんだ。
「ここが長らく戦場だった場所なのね」
「そうだ。でも睨み合っていた時期の方が長い。この川は長雨が続くと渡れないし。だから防塁を堤防に作り替えているんだ」
「戦争を再開する為でなく、川から国を守る為の作業なのね?」
「もうガレスと戦争はしないよ。少なくとも俺が生きてる間は絶対にさせない」
「長く平和が続くといいわね」
ライラは微笑んだ。作業中の現場は騒がしく、二人が会話するには顔を近付けないと声が聞き取れない。作業中の隊員達に二人の会話は聞こえないので、いちゃついているようにしか見えない。しかし二人に対して否定的な感情を抱く者はおらず、むしろ羨望の眼差しを集めていた。本来なら王宮でしか会えない綺麗な姫が隊長の手を握り、少女のように楽しそうに微笑んでいる。流石は隊長と思う者、自分も妻に会いたくなった者、結婚したいと羨む者、そんな隊員達の思いを二人は知らずに見回りを続けた。




