ジョージの愛娘
翌日、ジョージとライラは街道から外れた小さな農村に辿り着いた。そこは一面の茶畑が広がっている。その農村の中で一番大きな屋敷の前で二人は馬を下りた。彼は慣れた雰囲気でこの家の使用人に馬を預けている。庭で水遣りをしていた女性がそれに気付いて近付いてきた。
「隊長! またお供もつけないでいらっしゃったのですか?」
背中から声をかけられジョージは振り返りながら笑う。
「ここに来るのに大勢で出来たら申し訳ないよ」
「よくそのような事を仰いますよ。人に愛娘の面倒を押し付けたばかりなのに、今度は奥様とは一体どういうつもりなのでしょうか? ここは私の家であって隊長の別荘ではありませんからね」
ライラは女性の言葉に反応する。愛娘とは誰だろうか。そんな話は聞いていない。
「それは悪いと思ってるけど、おかみさん以外に頼る人がいないんだよ。彼女は洗濯とか出来るから家政婦みたいな感じで、ね」
「何を仰います! お姫様が洗濯などなさるはずがないではありませんか! 隊長が出来るから誰でも出来るという話ではありませんからね」
「あ、いえ。料理は出来ませんけれど、それ以外でしたら何でも言って下さい」
おかみさんと呼ばれた女性は声のした方を見て驚いた。田舎ではまず見ない美人である。
「いや、ちょっと隊長! こんな綺麗な人を田舎に連れて来て。しかも馬? よく見たら馬車ではなく馬ではないですか。隊長には常識がないと思っていましたけどね、奥様に何をさせていらっしゃるのですか。そもそも奥様も何故従ってらっしゃるのですか。このような非常識な事は、きちんと反論をしておかないとずっと隊長に振り回されますからね? 私はこれだけ言っていても振り回されているのですよ?」
「ライラと申します。奥様と呼ばないで頂けると助かります」
ライラには奥様という言葉が歯痒かった。そんな彼女におかみさんは怪訝な表情を向ける。
「この家は爵位もないただの農家です。口調をお改め頂けますでしょうか。そのような話し方をされるから、隊長に振り回されてこんな田舎へ連れて来られてしまったのですよ」
農家というには立派過ぎる屋敷である。おかみさんの服装も決して貧しいものではない。所謂豪農というものだろう。本来なら豪農であっても爵位のある者と話す事はまずない。しかし彼女はジョージと話す事に抵抗はなさそうだ。敬語も少し砕けている。
「わかったわ。だから奥様とは呼ばないで」
「かしこまりました。改めましてクレアと申します。ライラ様、このような所で本当に宜しいのですか?」
「こちらこそ迷惑をかけてごめんなさい。何か私に出来る事があれば――」
「結構です。家政婦は足りています。というか隊長、何故連れてこられたのですか。明らかに場違いですよね?」
クレアはジョージを睨んでいる。
「そもそもはライラが一緒に行きたいって言い出したんだよ。ねぇ?」
「え? えぇ」
確かにジョージの言う通りなのだが、ライラは何か腑に落ちなかった。しかし何も考えていなかった自分が悪いので彼女には言い返す言葉がない。
「このように綺麗な人が田舎に来たいと言うものですか! もっと華やかな……あら? ライラ様は素顔ですよね? 商人の格好で宝飾品も身に着けていないみたいで、え? 隊長の奥様はお姫様ではなかったのですか?」
クレアはライラをまじまじと見て困惑の表情を浮かべた。どうやらクレアの想像の姫君とライラはかけ離れているようだ。ジョージはライラの帽子とかつらを取り上げた。綺麗な金髪がふわりと風に舞う。彼は帽子だけ戻した。
「彼女は紛れもなくガレスの姫君だよ。ただ姫らしくないからそこは適当に対応して」
「本当に金色の髪ってあるのですね。初めて見ましたけど綺麗ですね」
クレアは珍しそうにライラの髪を見ている。
「カイルはここに来た事がないの?」
「ないね。カイルは公爵家の息子だ。来るわけがない」
「その理屈だとジョージがここにいる理由が説明出来ないわよ?」
「俺は肩書なんて気にしないからね。カイルは気にする、それだけ」
あっけらかんと答えるジョージをクレアは睨む。
「隊長も気にして下さいよ。私は最初、本当に商人だと思っていたのですからね?」
「おかみさんが不敬罪に問われたりする事はないから大丈夫だよ。だからライラを宜しく」
「わかりましたよ。どうせ私に拒否権はないのでしょう? わかっていますとも。隊長には逆らえませんよ。それではライラ様、お部屋にご案内致します。どうぞこちらへ」
クレアは玄関を開けてライラを屋敷の中へと誘導する。ライラは言われるがままついて行く。その後ろをジョージもついてきた。
「隊長は早く軍団基地へお戻り下さい」
「エメラルドの様子を見たら行くよ。いつものとこにいる?」
「えぇ、きっと居間にいますよ。でもこの時間なら多分昼寝中ですね」
ライラは歩きながらどこか落ち着かなかった。エメラルドというのが愛娘の名前なのだろう。しかし何故宝石の名前なのだろうか。それだけ大切という意味だろうか。
ライラが悩みながら歩いていると、クレアは居間への扉を開けた。
「ライラ様、お疲れでしょう? すぐに紅茶を淹れますから適当にお寛ぎ下さい」
そう言いながらクレアは部屋の奥へと消えていった。ジョージは何の躊躇いもなく居間の中へ入ると、ソファーへと近付く。
「エメラルド。いい子にしてたか?」
ジョージの優しげな口調にライラはソファーに近付く事が出来ず、居間の入口で立ったまま動けないでいた。そんな彼女に彼は声をかける。
「そんな所に立ってないでこっちに座りなよ。またおかみさんに文句を言われるから。ねぇ、エメラルド」
ジョージはそう言いながらソファーに屈みこむと、猫を抱きかかえてライラの方を見た。
「瞳がエメラルドみたいで綺麗だろう?」
「愛娘とは猫だったの?」
ライラは肩の力が抜け、やっとソファーに向かって歩き出した。
「そうだよ。まさか庶子だと思ったの?」
ジョージはそう言いながらソファーに腰掛けるとエメラルドを膝の上に乗せて撫でた。ライラは彼の隣に腰掛ける。
「ごめんなさい。愛娘が人ではないという発想がなくて」
「でも俺が子供をここに預けるのはおかしいだろう? 一応王子なんだから、もしそういう事があったら屋敷を建てて囲う位出来るよ。でもいないからね」
ジョージは不満そうにしている。ライラは申し訳なさそうに頭を下げた。
「わかった、ごめんなさい」
「じゃあエメラルドの世話を宜しく。それと勝手にこの屋敷から一人で出歩いたら駄目だよ。俺が明日の昼前に迎えに来るから、それまでは絶対にここにいて」
「そこまで念押しをしなくても土地勘のない場所で出歩いたりしないわよ。このように長閑な場所で心配し過ぎだわ」
「ライラは危機感が足りないよ。ここはレヴィ王国って事を忘れないで」
そう言いながらジョージは立ち上がるとソファーにエメラルドを乗せた。ライラはそっと猫を撫でた。猫はごろごろと喉を鳴らしている。
「危機感と言われてもわからないけど、ジョージが来るまでは大人しくしているわ」
「危機感がわからないとは、ガレスは平和みたいで羨ましいね」
そう言いながらジョージ上着を脱いだ。彼は下に軍服を着ていた。
「軍服は持ってきていないと青鷲隊の砦で言っていなかった?」
「今日はこれから軍団基地に行くから朝から着てても不都合はないけど、あの日は砦の前で上着を脱ぐっていうのも妙な感じだし、帯剣してないのに朝から軍服というのもおかしいだろ? この辺は俺のそんな不自然を気にする人はいないけど」
「つまりそのような不自然でこの辺をうろうろしていたと?」
「ここは戦場に近いからね、色々とあったんだよ」
軍団基地に近いという事は国境近く。この農村が戦争に巻き込まれない為にジョージは色々骨を折っていたのかもしれない。そう考えると帯剣しないで歩いていたのはおかしな話でもないとライラは思った。
「あら隊長、軍服を着ていらしたのですね。商人になられたのかと思っていましたよ」
奥からクレアが家政婦を連れて戻ってきた。
「生憎隊長は終身職で商人へ転職は出来ないんだよ」
「そうなのですか? ですが隊長はそれが一番似合いますよ。王子と言われても私には一切想像が出来ませんから」
ジョージは正装を軍服で通しているので、ライラも彼は王子というより隊長という印象が強い。王子らしい服装をしていたのは結婚式だけである。
「俺も隊長職が一番合ってると思ってるよ。じゃあおかみさん、明日またライラを迎えに来るからそれまで宜しく」
「はいはい。大切にお預かり致しますよ」
「じゃあね、ライラ」
「えぇ、またね」
ジョージは微笑むと居間を出て行った。ライラは結婚してから彼を見送るのは初めてだった。これからはこうやって何ヶ月と離れたりするのだと思うと、何だか寂しい気がした。彼女の父親は愛妻家で、仕事で外泊になる時は最短で日程を組むのを常としていた。それがいつも彼女は不思議だったのだが、何となく父親の気持ちがわかった気がした。
「ライラ様、我が家の紅茶です。味には自信がありますよ」
「ありがとう」
ライラは家政婦が淹れたいい香りのする紅茶を飲んだ。
「これは王宮で飲んだものと同じような気がするわ」
「それはそうでしょうとも。うちの茶葉はレヴィのお姫様御用達ですから」
クレアは自慢げに微笑んだ。クレアの言葉にライラは確信する。
「そうだわ、サマンサの用意してくれた紅茶だわ。ここから王宮へ納めているの?」
「元々は隊長がこの紅茶を気に入るだろう人を知っているから売って欲しいと言われまして。でも値段交渉は商人そのもので、この軍人は何者かと思っていたら売り先は王国のお姫様だと言われるし、しかもそれが隊長の妹君だと言われるし、あの人には本当に最初から振り回されているのですよ」
クレアの物言いにライラは微笑む。ジョージがどのように交渉したかが想像出来てしまったのだ。
「こちらとしては安定供給先を紹介して頂いた借りがありますから、ライラ様はどうぞお気になさらずゆっくりしていて下さいませ」
「王女御用達だから、他の貴族達も買ってくれるというわけね?」
「そうです。おかげでいい暮らしをさせて頂いていますよ。ですからライラ様は何もして頂かなくて結構です。洗濯物があれば彼女に渡して下さい」
クレアは紅茶を淹れた家政婦を指す。ライラはここでも姫扱いから逃れられない事に心の中で落胆した。どうしてジョージはあんなに王子扱いされていないのに、自分は姫扱いされてしまうのか、その差がわからなかった。彼女は荷物から服を取り出すと家政婦に差し出す。
「ではこれを宜しく。商人風の服なので気を遣う必要はないわ」
「ずっとその恰好でここまで? 隊長の指示ですか?」
「えぇ、彼が用意した服よ。一番動きやすい服だと言われて」
「そりゃあドレスなんかで乗馬は無理でしょうけど、確かに商人の振りをしているなら宝飾品も出来ませんね。あ、だからかつらを。それは道中大変だったでしょうねぇ」
「でも楽しかったわ。今までこのような旅行をした事はなかったもの」
ライラは道中を思い出したのか楽しそうに微笑んでいる。それを見てクレアは呆れた顔をした。
「あの隊長に振り回されて、そのように楽しそうな顔をされては一生苦労しますよ?」
クレアの言葉にライラは微笑みで返した。




