旅行五日目【後編】 ~ジョージの祖父母~
「ジョージ! 遅かったじゃないか」
ケィティ自治区の中でも小高い丘の上にジョージの祖父テオの屋敷はあった。
「いや、夕食前に行くって伝言を聞いてない?」
「昼を過ぎたらずっと夕飯前だろうが!」
ライラはジョージに文句を言うテオの顔をどこかで見たような気がした。しかしケィティという国を知らないのにその代表を知っているはずがない。彼女は気のせいだろうと口にするのをやめた。
「あなた、ジョージが困っているわ。こうやって来てくれるだけでもすごい事なのよ、ねぇ?」
テオの後ろからジョージの祖母と思われる女性が出てきた。その女性はライラに微笑んだ。
「はじめまして、ジョージの祖母のパメラです。狭い館でごめんなさいね」
「はじめまして、ライラです。素敵な煉瓦造りの御屋敷ですね」
「あら、嬉しいわぁ。ジョージ、いい娘さんを貰ったわねぇ」
ライラはどう接していいのかよくわからなかった。彼女には祖父しかいないが、彼は宰相であったが故に多忙で滅多に会う事はなく、このように温かい対応をされた記憶がない。
「夕食まで暫くあるから先に部屋へ荷物を置いてきなさい」
「ありがとう、おばあさん」
ジョージはそう言うとライラの手を引き、自分の家を歩くように階段を上って部屋の扉を開けた。
「すごい、いい眺め」
扉を開けると、窓一面に海が見える。ライラは窓を開けてバルコニーへと進んでいく。太陽が海に沈みかけていて橙色に空と海を染めている。
「夜になると星も綺麗に見えるよ。王宮の窓から見る夜空とはまた違う」
「水平線が見えるから空も広く見えるのね。きっと素敵でしょうね」
「うん。俺は暫く見てないけど」
「何故? 早く寝てしまうの?」
「じいさんは俺が潰れるまで酒を飲ませてくるんだ。おかげでいつも気付いたら朝」
「潰れるまで? 余程嬉しいのね」
ライラは笑った。ジョージは少し困ったような表情を彼女に向ける。
「可愛がってくれてるのはわかるんだけど、限度がわかってないんだよ」
「国王陛下に船を借りてしまうような人なら、常識は通じないかもしれないわね」
「だから俺は先に風呂に入ってくるから、ライラはここでゆっくりしてていいよ」
「わかったわ」
ジョージが部屋を出て行った後、ライラはバルコニーから部屋に戻り窓を閉めた。部屋にはクイーンサイズのベッドにソファーとテーブルが置いてあり、レヴィ王宮の寝室と似たような間取りだった。彼女はベッドに腰掛けてみたものの、宿屋とはまた違う雰囲気で落ち着かなかった。彼女は立ち上がり自分の荷物から服を取り出すと部屋を後にした。
「あら、どうしたの?」
階段から降りてきたライラにパメラが声をかけた。
「宜しければ洗い場を貸してもらえませんか? 洗濯をしたいのですけれども」
ライラの申し出にパメラは顔を歪める。
「まさか侍女も使用人もつけて貰えてないの? いじめられているから王宮から逃げてきたの? そう言えば馬車でなく馬で来たのよね? 追手から逃げているの?」
パメラの予想外の発言にライラは圧倒されながらも首を横に振る。
「ち、違います。そのような事はありません。王宮には侍女もいますし、国王陛下の許可も貰っています」
「それならその洗濯はうちの家政婦に任せなさい。ジョージのお嫁さんに洗濯などさせたくないわ」
パメラは手を叩いた。すると部屋の奥から家政婦と思われる女性が出てきた。
「洗濯をお願い出来る? 明日の昼までに仕上げて欲しいのだけど」
「かしこまりました」
パメラがにっこりと微笑むのでライラはその家政婦に自分の服を預けた。家政婦は服を受け取ると一礼をして部屋を出て行った。
「ありがとうございます」
パメラはソファーに腰掛け、ライラに座るよう手で勧めたので彼女はそれに従った。
「そんなに堅苦しい口調は辞めて貰えないかしら? 本来なら身分が違うけど、この家の中だけでも私の事を本当の祖母と思って欲しいの」
「しかし……」
「いいの。ジョージが連れてきたのだからもう家族なの。もしジョージがライラさんを家族と思っていなければ、わざわざこんな遠くまで連れてくるはずがないでしょう?」
パメラの言い分はもっともである。それに今日のジョージの態度は明らかに今までの移動とは違った。赤鷲隊隊長ではなく、王子でもなく、ただの休日を満喫する青年だった。
「おじいさんなんて今日は議会を休んで魚釣りに行ったのよ。ライラさんは好き嫌いある?」
「いえ、でも魚を食べる機会があまりなくて」
ライラは母国語と同じレヴィ語の言葉を選ぶのに慎重になった。
「生魚は海の近くでしか食べられないものね。燻製も悪くはないけど、絶対生が美味しいわよ。今夜はジョージの好物ばかりになっているけど、希望があれば別に用意するわ」
「いえ、ジョージさんと同じものでも贅沢なので」
パメラはライラをじっと見つめた。ライラはどうしていいかわからず無言で視線を受け止める。
「ライラさんにとって敬語を使わない方が不自然なのね? 私は仲良くなりたいのであって困らせたいわけじゃないから、使いやすい言葉でいいわ」
「ありがとうございます。話難くて困っていたので、そう言って貰えると嬉しいです」
ライラの表情から硬さが消えた。パメラはそれに満足したようだ。二人が暫く会話に花を咲かせていると、テオが酒瓶を片手に奥の部屋から出てきた。
「パメラ! ジョージはどこに行った?」
「ジョージは今お風呂よ。今夜はライラさんもいるのだから程々にしておいてね」
「ライラさんはお酒を飲むかい?」
「ごめんなさい、お酒はあまり……」
「何だ、つまらんのぅ」
「じいさん、酒なら俺が相手をするからライラに勧めないでくれ」
テオの後ろから風呂上りのジョージが声をかける。
「姫君は禁酒なのか?」
「嗜む程度で済むならいいけど、そうじゃないだろ?」
「酒は浴びるように飲むのが粋だろうが」
「いや、じいさんも身体の為に少し控えた方がいいって」
「酒は薬なんだ、だからこの歳まで生きてこられたんだぞ」
「はいはい、でもまずは食事からね。お酒は後にして頂戴」
四人は食堂へと移動した。食卓には刺身をはじめ色々な料理が並べてあり、どれもライラにとって初めて見る料理だった。食事中もテオとジョージが仲良く話し、時々パメラがテオを諌めるという楽しい雰囲気に、自分も家族の一員になれたようでライラは嬉しかった。
食後、テオは酒瓶を片手に、ジョージにグラスを二つ持たせて二人で部屋の奥へと消えていった。テオの部屋で飲むのが恒例なのだと、パメラはライラに説明してくれた。
「ライラさん、食事はどうだった?」
「どれも本当に美味しかったです。御馳走様でした」
「気に入ってくれたならよかったわ。あの二人は遅くまで飲んでいるから、ゆっくりお風呂に入って先に休んで」
「でも」
「いいのよ。ここまで来るのは大変だったでしょう? 何で馬車くらい用意してあげないのかしら」
「私は乗馬が好きなのです。それに馬車は苦手なので」
パメラはライラの言葉に嘘がなさそうだと判断すると苦笑を零した。
「そう。それならせめて疲れを癒していきなさい。帰るのもまた大変でしょう?」
「ありがとうございます」
「場所はそこの廊下の突き当たりよ。私達はもう入っているし、遠慮なくどうぞ。あ、お風呂掃除はしなくてもいいからね?」
「わかりました」
パメラの言葉にライラも微笑む。
「それと悪いけど、ここに準備しておくから入浴後に水差しとグラスを部屋まで持っていってくれる?」
「わかりました。それではお言葉に甘えて入らせて頂きます」
ライラは軽く頭を下げると立ち上がり、階段を上って寝室へと戻り、着替えを手にすると階段を下りて言われた通り廊下の突き当たりの扉を開けた。すると柔らかい香りが彼女を包んだ。浴槽に香油を混ぜているのかもしれない。今までジョージが宿屋の浴室を一時間貸切りにしてくれていたとはいえ、どうしても落ち着かなかった。しかし今夜はゆっくり入れる。しかも浴槽は足を伸ばしても余裕があるほど広かった。
ライラはゆっくり入浴して、パメラに言われた通り水差しとグラスを手に、階段を上って寝室へと戻っていった。結構時間をかけて入浴したはずだがジョージはいない。水差しとグラスをテーブルの上に置くと彼女は窓を開けてバルコニーへと足を進めた。今まで見た事もない夜空と、静かに波を打つ海がとても神秘的だった。三日月なので月明かりが弱く、雲もないのでより星空が綺麗に見える。彼女はこの景色を暫く眺めていたが、夜風が思ったよりも冷たく身体が冷える前にと部屋の中へと戻った。
宿屋とは違うベッドだから横になれば熟睡してしまう気がして、ライラはソファーに腰掛けた。彼女はジョージが戻ってくるのを待つつもりでいた。泥酔した彼が一体どういう感じなのかが気になっていたのだ。彼は王子として隊長として振る舞い続け、そうでない時でも彼女には常に気を遣い、一体いつ心から休んでいるのか不思議だった。しかしケィティに着いてから雰囲気が変わった。彼が一番好きな場所と言ったのは、ここが一番心安らぐ場所なのかもしれない。
ノックなのかわからない音がした後、扉を開けでジョージが部屋に入ってきた。彼はそのままベッドへと倒れこんでいく。
「水……」
譫言のようにそう言うジョージに、ライラは慌てて水差しからグラスに水を注ぐと彼の元へと運んだ。
「ジョージ、起きられる? そのままだと零してしまうわ」
ライラの問いかけにジョージは唸りながら、重そうに身体を起こした。彼女はそんな彼にグラスを持たせる。
「大丈夫? 飲める?」
ジョージは目を閉じたまま頷くとグラスの水を飲み干した。グラスを持ったまま今にも寝そうな雰囲気である。
「もういい? まだ飲む?」
「いい」
差し出されたグラスをライラは受け取るとテーブルへと置いた。ジョージはやはりそのまま寝そうな雰囲気である。
「座ったままだと危ないから横になって、ね?」
ライラがジョージに近付くと、彼は彼女の腕を引っ張って自分の方に引き寄せ、そのまま彼女を抱きかかえて横になった。一瞬何が起こったかわからない彼女は彼の方を見たが、あまりにも顔が近くてどうしていいかわからない。彼は目を閉じたまま、口元に笑みを浮かべている。
「おやすみ」
ジョージはライラの髪を撫でながらそう言うと寝息を立て始めた。彼女は彼の腕の中から抜け出そうとしたが案外力が強くて動けない。しかしこんな体勢で眠れないと何度か抵抗してみたものの無駄だった。こんな事なら先に寝ておけばよかったと思いながらも、嬉しそうな彼の寝顔を見ると、もうこのままでもいいかと彼女も微笑みながら目を閉じた。