旅行四日目【後編】 ~眠り姫~
「ごめんなさい、かつらを取ってしまって」
ライラは馬を走らせながら、ジョージに申し訳なさそうに謝った。
「いや、どうしても必要だったんだろう?」
「えぇ。私を帝国人と勘違いしているから、髪を晒した方が早いと思って。ジョージが私を商人で通したい事はわかっていたのに」
「まぁ青鷲隊隊長は頼んだことは守ってくれる真面目な男だ。名前は忘れてしまったが」
「名前を呼ばなかったのは忘れたからだったの?」
ジョージが名前を呼ばないのは信頼していないからであり、だからこそかつらを取ってしまった事をライラは申し訳なく思ったのだが、意外な理由で拍子抜けしてしまった。
「先日報告書を読んでから彼の名前は俺の中で国境になってたから、そこから離れられなくてどうしても思い出せなかったんだ」
「そう言えば注意していたわね。表紙について」
「報告書は山のように届く。だから表紙でどんな内容なのか判断して読みたいじゃないか。それを彼は亡命者が増えたという報告書の表題を国境についてとしたんだよ。信じられないだろう?」
「それで国境なの? 確かにその表題なら読まれずに捨てられてもおかしくないわね」
「俺は読まずに捨てる報告書は一つもないけどね」
それが当然というような口ぶりのジョージに、ライラは何故あの関係が築けたのかわかった気がした。どんな報告書でも読み、それに対応してくれる上長についていくのは当然である。しかも若いのに十分隊長の風格がある。先程の対応は調印式で見た彼そのものだった。
「これからどうするの? 黒鷲軍団基地というのは目的地のガレスとの国境の事?」
「いやもう一ヶ所寄り道してから軍団基地に向かう。そこには美味しいタルトがあるんだよ」
「またお菓子なの? 本当によく食べるわね」
さっきまでの風格はどこへ行ったのかとライラは呆れた。しかし甘い物の話をしているジョージは少年のようで彼女は憎めなかった。
二人が町に着き宿泊予定の宿に向かう途中、ジョージに頭を下げる男がいた。
「ご苦労。返事を出したいから待機で宜しく」
男は頷いて持っていた袋をジョージに渡す。ジョージはそれを受け取ると宿屋へと向かっていった。ライラはついて行っていいものかわからず迷っていると、ジョージが振り返った。
「何してるの? ついてきて」
ライラは慌ててジョージを追い、二人は宿屋へ入ると宿泊手続きを済ませ、鍵を受け取り部屋へと入った。
「それは仕事の書類ではないの?」
「ライラは覗きこんだりしないだろう? 外でどこかの男に連れて行かれたら困る」
「でもあの人は赤鷲隊の人でしょうし、彼の側なら――」
「あれは早馬が仕事だ。悪いけどちょっと黙ってて。すぐ終わらせるから」
ジョージは椅子に座ると袋から書類を取り出して目を通していく。ライラは彼の書類を読む速度に驚いていた。紙をめくるのが早い。果たして本当に読んでいるのか疑問にさえ感じる。
「ライラ、これ君宛」
ジョージが一通の手紙とペーパーナイフをライラに差し出した。何故自分の所に手紙が届くのか不思議に思って受け取ると、それはエミリーからの手紙だった。彼女は早速封を切る。
――親愛なるライラ様。お元気でしょうか? 私は今赤鷲隊の預かりとなっており、ライラ様との手紙のやり取りをジョージ様を通じて出来るように取り計らって貰っています。もしライラ様からこちらに指示があれば何なりとお申し付け下さいませ。さて、こちらの近況ですがまずジェシカが去りました。私の監視は不要という事でしょう。それと烏の子分が少々煩いです。私が言葉などわからないだろうと堂々と巣作りしながら鳴くので暫く観察してみようと思っています。面白い話があればまた連絡致します。最後に、ライラ様がジョージ様を困らせていないか心配しています。意地を張るのは程々にして下さい。それではこの辺で失礼致します。追伸。ジョージ様に修繕という暇潰しをありがとうございました、また何かあれば何なりとどうぞと言付願います。エミリーより――
ライラは手紙を読んで微笑んだ。いつも側にいるエミリーから手紙を貰うのは初めてだった。赤鷲隊員を使っているのだから中身など誰にも見られないだろうに、ナタリーを烏と表現したのは遊び心だろうか? 最後の言い回しもエミリーらしかった。
一方、ジョージはエミリーからの手紙を読んでつまらなさそうな表情を浮かべていた。あの手紙は灰にしたのでどうぞ手紙を書いた事を忘れてほしい。しかし二人が仲良くするのは本望なのでひとつ教える、ライラ様が意識した男性は今までいない。そのような内容がやたら丁寧な文章で書いてあった。
「ジョージ、エミリーに返事を書きたいのだけど、紙とペンを貸して貰えるかしら?」
ライラの問いかけにジョージは無言で便箋と封筒とペンとインクを差し出す。彼は既に返事を書き終えたのか、机の上には畳まれた便箋がいくつかある。彼女はベッド脇の袖机に紙を置くとさらさらと文章を紡いでいく。彼女の文字もまた癖がなく綺麗である。彼女は書き終えると自分の荷物に手を伸ばしてふと止まった。
「どうした?」
「いえ、封にガレスから持ってきた物を使ってもいいのかと思って」
「公式の書類でなければ問題にならないよ。そもそも王家の印璽なんて俺も持っていない」
「これは気に入っているから、そう言って貰えると嬉しい」
ライラは荷物から指輪を取り出すと手紙を封筒に入れ、蝋を垂らして封印した。彼女の印はオリーブの花である。
「便箋は持ってきてないのに、指輪印章は持ってきてたの?」
「これはお守り。母がくれたものだから大切なの」
ライラはそう言いながらジョージに封筒を渡した。
「渡したらすぐ戻ってくるから」
ジョージはそう言うと手紙を最初に預かった袋に入れて部屋を出て行った。ライラは指輪を片付けると窓から外を覗いた。暫くすると赤鷲隊隊員の所にジョージが現れ、袋を渡して何やら指示をしている。このような所まで追いかけてきて指示を仰ぐ緊急の用事があったのだろうか? それとも先程の亡命者の話で何かわかった事でもあったのだろうか?
ジョージが赤鷲隊隊員と別れたのを確認し、ライラも窓際から離れて椅子に座った。軍団基地に着いたら何をするべきなのか結局何も考えていない。暇を持て余すのは性に合わないし、レースを編んでいるのも長く続けば嫌になる。彼女は左手で右肘を支え右手に顎を預けて瞳を閉じた。ノックする音が響いても返事をする事は出来なかった。彼女は一瞬にして眠りについていたのである。
部屋に入ってきたジョージはライラの様子を窺い、寝息を立てているのを確認するとベッドに腰掛けた。いくら乗馬とはいえ四日も走っていればそれなりに疲れる。それを彼女は文句も言わずここまでついてきたのである。しかも彼は青鷲隊の砦に行くまでの予定は一切言わなかった。それなのに彼女はその予定を聞こうともせず、彼が道中街道や街を視察しているのを邪魔する事もなかった。無関心というわけでもなく彼の視線の先に何があるのかを探っている様子だったが、それは間者だからとかではなく純粋に好奇心のようにみえた。ただその好奇心が恋愛感情から発したものではなさそうなのが彼には残念だった。彼の中で彼女の存在は日々大きくなっているのに、目の前の眠り姫にはそんな様子はない。
ジョージは暫くライラの寝顔を見ていたが、静かに立ち上がると彼女の右手を下ろした。彼女が起きる気配がないのを確認して、ゆっくりと彼女を抱えるとベッドへと寝かせる。彼女は無防備に寝息を立てている。彼は隣のベッドに横になった。彼もまた疲れていたのである。
「ん? あれ?」
ライラは眠い目をこすりながら身体を起こした。確か椅子に座っていたはずなのに、何故自分がベッドに寝ていたのかわからず彼女は首を傾げた。
「おはよう。疲れてるならそう言ってくれてよかったのに」
ジョージにおはようと言われてライラは窓の外を見る。空は夕暮れだ。彼女が寝ていたのはせいぜい一時間くらいだろう。
「でもカイルに怒られるのでしょう?」
「カイルはいつも怒ってるから別にいいよ。それも仕事の内だ」
「そのような事を言う上長に仕えるカイルに少し同情するわ」
「カイルも俺に言いたい事は言う。部下に怒られる俺も同情してくれ」
ライラは笑った。きっとこの二人の関係は彼女が理解出来ない程強いのだろう。
「そうだ、エミリーの手紙に修繕の仕事をありがとうございましたとあったけれど、彼女にまで赤鷲隊の仕事をさせていたの?」
「いや、それはブラッドに任せた仕事だ。ブラッドとエミリーは仲が良かったのか?」
「エミリーはブラッドの事を苦手だと言っていたわ。きっとブラッドの口車に乗せられたのね。でも他に仕事があれば何でもやるから指示を下さいとも書いてあったわよ」
「流石にエミリーに指示は出せないよ。彼女を赤鷲隊預かりにしてあるのは、王宮の中で彼女が不自由なく動けるようにしただけで、俺の部下にしたわけではないし」
「不自由なく?」
ライラは意味が分からないという表情をジョージに向ける。彼はそれに不思議そうな顔で返した。
「ライラは聞いてないの? 王宮内のしきたり」
「ごめんなさい、読書の為に部屋に引きこもっていたから王宮内の事はわからないの」
ジョージは反省した。期限を付けて本を読ませたのは自分である。
「レヴィ王宮はとても広い。それはわかる?」
ライラは頷いた。王宮の中をくまなく歩いたわけではないが、謁見の間までの移動、舞踏会を催した広間までの移動を考えれば広い事はわかる。
「王宮の中は縄張りみたいなものがあって、誰付の侍女かで動ける範囲が決められている。ライラ付のままだと、王宮の端の方と洗い場など共有の場しか動けない。しかし王族の侍女だと王宮の中、ある程度自由に動ける。エミリーは今俺付の従者と同等の権利がある」
「ジョージが従者を付けていない理由はそれなの?」
目の前の女性がまた話の途中で違う事を指摘してジョージは少し困った顔をした。
「そうだ。俺のいない所で勝手に動かれたら困るからね」
「エミリーは勝手に動いてもいいの?」
「ライラが信用している侍女だろう? それなら妙な事はしないと思って」
「エミリーを信用してくれてありがとう」
ライラは微笑んだ。ジョージがエミリーを信用してくれた事が嬉しかった。
「私に言ってくれたらエミリーに手紙を書くわ。色々やってくれるわよ」
「色々って?」
「エミリーなら説明しなくても王宮内の雰囲気から派閥を正確に把握して、自分の立場を弁えて行動出来るわ。相手の心を読むのが上手いのよ。だから私も彼女を王宮に置いてきたわけだし」
「エミリーなら女の争いの解決の糸口を掴むかもしれない?」
「そうね。私には出来ないけれど、エミリーなら出来るかもしれない」
「それは楽しみだな」
ジョージはあまり期待していない口ぶりだった。しかし彼は忘れていたのだ。エミリーが問題の家宰ヘンリーの娘だという事を。




