旅行四日目【前編】 ~隊長と通訳の姫~
王宮を出てから四日目、ジョージとライラは公国との国境近くにある砦に辿り着いた。ここには青地に鷲の紋章が入っている旗が掲げられている。彼は馬から降りて、砦の前にいる兵士に声をかけた。
「隊長に赤鷲隊のジョージが来たと繋いでくれないか?」
「え? 失礼ですが……」
「あぁ悪い、軍服は持ってきていない。これで通してくれないか」
ジョージは懐から短剣を取り出した。そこには鷲の紋章が入っており、赤鷲隊隊長の階級章が繰りつけられている。それを見た兵士は慌てて頭を下げた。
「失礼致しました。今暫くお待ち下さい」
兵士はもう一度深く頭を下げると、急ぎ足で砦の中に入っていった。
「短剣なんて持ち歩いていたの?」
ジョージの後ろからライラが声をかける。
「身分証明の為だよ。俺の顔はまだ認知されてないんだ、こっち側では」
長らくガレスと戦争をしていたのだから、当然赤鷲隊もガレス国境付近に滞在していたに違いない。そうなると帝国及び公国側の国境を守る軍隊に認知されるのは難しい事かもしれないとライラは思った。
「お待たせ致しました。あの、失礼ですがお連れの方はどちら様でしょうか」
「通訳だ。砦内なら女人禁制という事もないと思うが」
「はい、それではこちらに。馬は彼が預かります」
二人は兵士が紹介した男性に馬を預け、案内された部屋へと入っていった。
「御無沙汰しております、ジョージ隊長」
「久しぶり、青鷲隊隊長。例の件その後は?」
「はい、あ、あの」
青鷲隊隊長と呼ばれた男は、ライラの前で話していいものなのか迷っている様子だった。
「彼女には今回通訳をお願いしているから構わず続けて」
「はい、失礼致しました。亡命者は奥の部屋にいます。どうぞ」
二人は青鷲隊隊長に案内されて奥の部屋へと歩いて行った。
「一昨日身柄を拘束した者です。食事は食べますが言葉は通じません」
三人は部屋の前で足を止めた。そこにはやつれた女性が一人、椅子があるにもかかわらず床に座り込んでいる。ジョージはライラに目配せをすると彼女は頷いた。彼女は視線の高さを合わせようとその場にしゃがみ込む。
「こんにちは。私の言葉はわかりますか?」
ライラの言葉にその女性は反応した。
「何で帝国の者がここにいるの?」
「私はレヴィの者です。この言葉を教えてくれた方が帝国の人でしたから、訛りが気になるようでしたらごめんなさい」
「そんな言い訳で騙されると思っているの?」
逃亡者は何か帝国にでも騙されたのか、ライラに敵対心をむき出しにしている。しかし彼女は実際帝国の者から習った言葉しか知らないので、公国とどう訛りの差があるのかわからない。
「騙すつもりはありません。貴女を保護するか送り返すか、それを決めるだけです」
「あんたに一体何の権利があってそんな事を言えるの?」
「私に権力がなくとも後ろにいる彼に権力があります」
亡命者はライラの後ろにいる二人の男に目をやった。一人は軍服だが一人は商人。話している女も商人。この不可思議な組み合わせにやっと気づいた亡命者は訝しい顔をした。
「商人が軍人に偉そうな事を言えるわけがない。馬鹿にしないで」
ライラはジョージが自分の事をあくまでも商人で通したいのだろうと思って来たのだが、確かにこれでは説得力がない。しかし言葉で説明しようとしても話を聞いてくれる素振りがない。彼女は帽子に手をかけるとかつらごと脱ぎ、髪を手で梳かした。
「これなら私の身分がおわかり頂けますでしょうか」
帝国は多民族国家なので何色の髪の者がいても不思議ではないが、中央を治めている民族は黒髪である。公国はわからなかったが王妃は金髪だった。きっと金髪は公国でも高貴であるとライラは予測して髪を晒したのである。
「な、あんた、商人じゃなくて一体何なのよ?」
亡命者の狼狽える所を見るとやはり公国でも金髪は高貴なのだろうと判断し、ライラはにっこりと微笑む。
「ですからレヴィの者です。貴女は何故ここへ来たのですか?」
「正直に言ったら助けてくれるの?」
「内容によりますけれど、悪いようにはしません」
亡命者は暫く俯いていたが、何かを決心したようにライラを見た。
「私は公国の農民よ。徴税が厳しくて逃げてきたの」
「急に厳しくなったのですか?」
「今年は酷いわ。もう今では自分の食べる分も確保出来ない。生きていけないの」
亡命者は首を振りながら視線を落とした。
「貴方は一人で逃げてきたのですか? ご家族は?」
「皆逃げている途中で倒れてしまったわ。私は倒れた場所が国境だっただけよ」
「ではもう公国には農民がいなくなってしまったのですか?」
「まだ残っている人もいるけど時間の問題よ。だって食べるものがないのに生き延びられるわけがないじゃない」
亡命者の顔は悲痛に歪んでいる。ここまで切迫しているのかとライラは胸を痛めた。
「少し待っていて貰えますか? 彼に事情を説明しますので」
ライラはそう言うとジョージの方を振り返った。
「会話は出来そう?」
「大丈夫です。公国のどこからかはわかりませんけれど、徴税が苦しくて生きていけないから逃げてきたと言っています」
「つまり亡命者は増えるって事か」
「しかし彼女は家族と一緒に逃げてきたのに、他の皆は途中で力尽きたと言っています。徴税がかなり厳しいのではないかと推察出来ます」
「青鷲隊隊長、公国側に何か変わった事情や、ここからの見張りで気付いた事は?」
「いえ、ここは公国の首都からは遠いですし、亡命者以外は特に」
「飢饉の可能性は? 異常気象はなかったか?」
「この砦では異常気象は観測されておりません。公国の奥まではわかりませんが、砦から見える範囲では小麦が例年通り刈られているのを確認しています」
「飢饉でないのに徴税を増やしたなら首都で何かあったのだろうが情報が足りないな」
ライラは亡命者に向き直った。
「最初私の事を帝国人だと勘違いをして嫌悪感を示したのは何故ですか?」
「だって私達の食べ物を持っていったのは帝国軍なのよ? 領主に納めるだけで精一杯なのに、残りの食糧を掻っ攫っていったのよ?」
亡命者の言葉にライラは驚きの表情を向けた。
「どういう意味ですか? 公国の領地に勝手に帝国軍が入ってきたと言うのですか?」
「そうよ、勝手に入ってきて勝手に持っていくのよ。もう生きていけないわ」
「それは領主に訴えましたか? 国に訴えましたか?」
「言ったって聞いてくれないから逃げてきたのよ!」
「急にどうした?」
亡命者の悲鳴にも似た訴えに、ライラの後ろからジョージが声をかける。
「帝国軍が国境を侵して彼女達の食糧を奪っていったと言っています。そのような事をしていいのでしょうか」
「していいはずがないだろう。だが帝国は国境を越えて南に軍を進めているのかもしれない。とりあえずそんな事情では彼女を国に戻す事は出来ない。保護するしかあるまい」
「しかし彼女は言葉がわかりません。ここにずっと置いておくというのも……」
「私が簡単な会話文をいくつか書いておきます。それで徐々に慣れてもらうしかないでしょう。公国とやりとりしている商人はいらっしゃらないのですか?」
「あ、そうですね。商人なら言葉がわかるかもしれません。当たってみます」
ライラは再び亡命者の方を見た。
「事情はわかりました。貴女をこちらで保護します。言葉の壁はありますが、決して悪いようにはしません」
「本当?」
「えぇ。話してくれてありがとうございます」
「あんたはもう行っちゃうの?」
「えぇ。ゆっくりしている時間がないのです。ごめんなさい」
「いや、こちらこそありがとう。帝国人と疑って悪かったね」
亡命者は申し訳なさそうな表情をした。
「いえ、訛りがわからなかった事に気付かせてくれてありがとうございます」
「そんなに違うわけじゃないよ。気取ってるしゃべり方が帝国人っぽかっただけ」
「え? それなら砕けた話し方ならよかったの?」
「そう、それ。その話し方なら疑わなかったよ」
ライラは意外だった。本当に帝国の南西部の民族の言葉と差がないのだ。
「わかった、これからはこの話し方にする。元気でね」
「それがいいよ、あんたも元気でね」
最初は敵対心をむき出しにしていた亡命者が、今ではすっかり笑顔になっている。後ろで見ていたジョージも言葉こそわからなかったが、亡命者の笑顔を見て一安心していた。
三人は最初に案内された青鷲隊隊長の部屋へと戻ってきた。そこでライラは簡単な会話文をいくつか紙に書き込んでいく。指摘された通り、言葉は砕けた表現を選んだ。
「これくらいで足りますか? 何か希望があれば書き足しますけれど」
「いえ、ありがとうございます。あとはこちらで対応させて頂きます」
栗毛のかつらを被っている時より、金髪の方がライラの美貌を際立たせる。青鷲隊隊長は明らかに彼女を目の前にして、しどろもどろしていた。
「あの、ジョージ隊長。これからどうしたら宜しいでしょうか?」
「本来なら私は黒鷲軍団基地に向かっているはずだから、これは非公式という事で宜しく頼む。その上で今の内容を報告書にまとめて上に提出して欲しい。通訳はただの商人がした、私が連れてきた者とは書かない事」
「はい、承知致しました」
「これから亡命者が増えるだろうけど、こちらの住民には迷惑がかからないように対策を頼む。報告書が上に届けば必ず指示があるからそれに従って欲しい。もしその指示に疑問があれば、私にそれを報告してくれて構わない。何らか対策をしよう」
「はい」
「それと報告書の表紙、国境についてはもう使わない事。それでは伝わらない」
「は、はい。申し訳ありません」
ライラはかつらを被り直しながら二人の会話を聞いていた。青鷲隊隊長は四十歳過ぎに見える。それなのに自分の半分ほどしか生きていないジョージに指示を仰ぎ、しかも注意まで受けている。隊長になって三年でよくこのような関係が築けているものだと彼女は感心していた。
「あの、遅くなりましたが、ジョージ隊長、ご結婚おめでとうございます」
「あぁ、ありがとう。先に紹介しなくて悪かった。彼女が妻のライラだ」
「ライラです」
青鷲隊隊長は驚き目を見開いた。隊の上層部ならどの地を守っていようと、先日締結された休戦協定の内容は把握している。赤鷲隊隊長の妻はガレスの姫君だと。本来ならそのような姫がこんな国境にいていいはずがない。しかし彼は彼女の綺麗な金髪を既に見ている。ただの商人で金髪の娘はいない。
「彼女が公国の言葉を解する事も、ここに来た事も口外しないように頼む。私が無理に彼女を連れてきたのだから」
「しょ、承知致しました」
「これから暫く大変だと思うが宜しく頼む」
「承知致しました」
「では、本来の任務に戻らねばならないので、これで失礼させてもらう」
「はい、入口までご案内致します」
青鷲隊隊長は二人を入り口まで案内した。軽い別れの挨拶を済ませると二人は馬に跨って颯爽と去って行った。女性でも商人なら乗馬が出来てもおかしくはない。しかし彼女は姫なのだ。姫が乗馬するならば横乗りでなければならない。彼はその姿にも驚き、頭の中で上手く整理が出来ず暫く動けないでいた。