出立当日 ~王子と姫の仮面を暫く外す旅へ~
「エミリー、少しいいかしら」
ジェシカが朝食を片付けに部屋を出たのを確認して、ライラはエミリーに声をかけた。エミリーは頷くと微笑を浮かべる。
「昨夜沈んでおられたので心配していましたが、大丈夫のようですね」
「心配かけてごめんね。もう大丈夫。だから私がいない間にお願いがあるのだけど聞いてくれる?」
「えぇ。何なりと」
「まずジェシカ。彼女はカイルの間者で間違いないわね。でもジョージ様の与り知らぬ所とみたわ。だから彼女との対応はエミリーに任せる」
エミリーは頷いた。
「暫く様子をみて考えます」
「それと第一王子の正妻ナタリー様。帝国北方の言葉を使うわ。彼女の噂を何でも拾っておいて。王妃殿下も全く読めない人だから何でも拾って。但し首を無理に突っ込まないで。エミリーに危険が及んだら困るから、耳に挟んだものだけでいいわ」
「わかりました」
「あと私が帝国の言葉がわかる事をジョージ様に昨夜打ち明けてしまったの。そういう事で宜しく」
「余程信頼されているのですね」
エミリーは優しく微笑んだ。ライラも微笑む。
「ジョージ様は話しやすいの。それに気取らないから楽なのよね」
「確かに王子と思えない気さくさがありますよね。人を敵に回さない雰囲気もありますし」
「ジョージ様は私の事を面白いと言うけど、彼の方が変わっていて面白い人だと思うのよね」
「それはどんぐりの背比べです。お二方とも肩書と行動が伴っていません」
「平民の恰好で出かけるという話? そう言えば渡された服を見ていなかったわ」
ライラはジョージに渡された袋を開ける。そこには商人と思われる服が入っていた。
「あら、案外可愛らしいわね」
ライラの広げた服をエミリーが触って確認する。
「見た目ではわかりませんが素材はいい物を使っています。肌触りは問題なさそうです」
「ジョージ様は妙に気遣うわよね。私は細かい事を気にしないのに」
「全然妙ではありませんよ。むしろ気遣われている事に感謝をして下さい」
「後でお礼を言っておくわ」
そう言いながらライラは今日どれを着ていくか服を見比べて悩んでいる。その呑気な主にエミリーは冷めた視線を送る。
「ところで商人の恰好でどこへ行かれるのですか?」
「知らないわ」
ライラの答えにエミリーが驚いた表情を返す。
「知らないとはどういう事でしょうか。お二人で出かけられるのですよね?」
「そうよ。平民の夫婦を装って出かけるの。でも目的地は国境にある砦だと思うわよ?」
エミリーは呆れた。いくら変装するといえど王子と姫なのである。しかも二人きりという事は護衛がつかないという意味になるのに、ライラは王族がそのような事をしていいのかという疑問さえ抱いていない。ジョージが予定している旅行に便乗するだけ、そんな様子に見える。予定を聞いていないのはジョージを信頼しているからなのだろうが、ライラの心境の変化の無自覚さにエミリーは不安を覚えた。話しやすく楽だと言うのは相手を受け入れているという事であるのを、結婚相手を受け入れるという事が何を意味するのかをライラはきちんと理解しているのか、エミリーは確認せずにはいられなかった。
「ライラ様、念の為に申し上げておきますけれども、ジョージ様とは結婚されたのですからね」
「そのような事は言われなくてもわかっているわよ」
「ライラ様はジョージ様の事をどう思っていらっしゃるのでしょうか?」
「どうと言われても、休戦協定を守る仲間?」
ライラの返事にエミリーは冷たい視線を返した。ライラはやはり自分の立場をわかっていない。自分の気持ちに無自覚なライラと一緒に出かけるジョージに、エミリーは内心同情した。ライラに色々話をしたいのに時間がない事がエミリーには悔しかったが、間に合わないものは仕方がない。
「わかりました。さぁ、ジェシカに不審に思われないよう早く着替えて下さい」
「隊長、そのような話は聞いていません」
「話したら止めただろ?」
カイルは怒りを隠す気もないようだ。それをジョージは飄々として受け止めている。
「大丈夫。ちゃんと指示は飛ばしてあるし、俺がいなくても復興業務は進むから」
「しかし何故逆側を移動されるのですか。その理由は教えて頂けますよね?」
カイルはジョージから預かった旅程表に目を通しながら尋ねた。そこには泊まる予定の宿屋が書いてある。
「あの報告書が気になるから、少し現地を見てくるだけだよ」
「ライラ様を伴ってですか? しかも護衛もつけずに?」
「国境は越えないからいいじゃないか」
ジョージの言葉にカイルは不機嫌そうな表情を向けた。
「当たり前です。公国と争うような事態になっては困ります」
「俺もそこまで愚かじゃないよ」
カイルの視線は冷たい。ジョージは真剣な眼差しでその視線を受け止める。
「何の為の休戦協定かわかってるだろう?」
「わかっています。ですがライラ様を伴っていく必要性がわかりません」
「ライラが聡明なのは気付いてるだろう? 俺達が気付いていない事に気付くかもしれない。彼女の感想を聞いてみたいんだよね」
「そのような理由でライラ様を外へ連れ出す事になさったのですか」
「陛下の許可は得てる。どこへ連れて行くとは言ってないけど」
「だからそのような恰好なのですか? あくまでも非公式と」
ジョージは普段軍服を着ている。しかし今日はゆったりとした商人の恰好である。
「そうだよ。だから俺が寄り道して行くのは適当に誤魔化しておいて」
「またそうやって人に面倒を押し付けるのですね」
カイルはため息を吐いた。しかしもう怒りは消えている。
「俺の為に色々忙しくさせて悪いと思ってるよ」
「そう思っていらっしゃるなら面倒な事を減らす努力をして頂きたいものですね」
「レヴィが平和になれば面倒なんてなくなるさ」
ジョージは笑顔を浮かべた。それをカイルは無表情で受け止める。
「では是非平和にして下さい」
「ただの隊長に難しい事を言うね」
「本当にただの隊長ならば私はこのような事を言いません」
ジョージは笑った。カイルの表情も柔らかくなる。
「あ、サマンサには挨拶してから出立してくれ。昨日わざわざ釘をさしに来たぞ。俺の命令なら聞くはずだからって」
「わかっています。挨拶のみ簡単にしておきます」
少し嫌そうな表情のカイルにジョージは苦笑を零した。
「俺はカイルが義弟でも構わないけどな」
「遠慮させて頂きます」
否定するカイルにジョージは困ったような表情を向けた。
「サマンサじゃ心の傷は癒せないか」
「誰かに癒してもらうつもりはありません。これは私が一生背負うべきものですから」
「そこまで背負うものでもないと思うがな。あれはカイルだけが悪い話じゃないだろう」
「いえ、私が未熟だったのがいけないのです。隊長は私ではなく御自身の心配をして下さい」
「俺の? 何で?」
「私の憶測ですが、ライラ様は手強いですよ」
「手強い? どこが?」
ジョージは不思議そうにカイルを見た。
「不思議さが今は面白いかもしれません。しかしいずれ面白くなくなりますよ」
「何が言いたい?」
「隊長の今まで見た事がない一面を見られるのを楽しみに、面倒事を引き受けるという話です。それでは私はサマンサ殿下に挨拶に伺います。道中御無事で」
カイルは一礼するとジョージの部屋を出て行った。ジョージはカイルの言いたい事がわからず暫く考えていたが、荷物を手に取ると厩舎へと向かっていった。
「あぁ、それは副隊長と同意見ですね」
ジョージの話にブラッドリーはそう答えた。
「ブラッドがカイルの意見を肯定するとか珍しいな」
「副隊長の私に対する態度が腹立たしいだけで、副隊長の洞察力は認めていますよ」
「あれは許してやってくれ。カイルにも立場がある」
「それはわかっています。私も正直正しい振舞い方はわからないので」
「いや、カイルの話は今いいんだよ。何故カイルの意見を肯定した?」
「ですから副隊長の女性を見る目は確かだという事ですよ」
「俺は確かじゃないと言いたいのか」
「私が知っている隊長は女性に興味など示していなかったので、見る目が確かかは判断が出来ません」
ブラッドにそう言われジョージは口をへの字に曲げた。
「何だよ、二人して。俺にどうしろと言いたいんだ」
「覚悟して下さいという所でしょうかね」
ブラッドリーは楽しそうに笑った。そして視線の先に友人を見つけてジョージを見る。
「ほら、ライラ様がいらっしゃいましたよ。わざわざ服を用意されたのですね」
ブラッドリーの言葉にジョージは少し不機嫌そうな表情をした。
「平民の服を持ってるなんて思うわけがないじゃないか」
「よく栗毛のかつらを被って王都へ遊びに行かれていましたからねぇ」
「それは聞いてなかったな」
「報告の必要性は感じなかったのですが必要でしたか」
「何? 何の話?」
商人の服に着替え、栗毛のかつらの上から帽子を被っているライラが二人に近付いてきた。
「ライラ様が平民の服を持っているかどうかの話です」
「何故そのような話をしているの? 着る機会があるかもしれないから数着は持ってきたわ」
「いや普通ないだろ」
「現に今その機会に恵まれているではないですか。ですがジョージ様の用意してくれた服が可愛かったので、持ってきた服は置いてきました。お気遣いありがとうございます」
ライラは嬉しそうに微笑んだ。ジョージはそれを笑顔で受け止める。そんなジョージをブラッドリーは同情の眼差しで見ていた。
「じゃあ行くか。ライラ、約束は覚えてるよね?」
「覚えていますよ。外へ出たら守ります」
「よし、ブラッドあと宜しく頼む」
「かしこまりました。御無事でいってらっしゃいませ」
ブラッドはジョージに馬の手綱を渡す。続いてライラにもフトゥールムの手綱を渡す。二人は馬に跨ると裏門から去って行った。