出立前夜【前編】 ~舞踏会~
「ライラ様、今日は一段とお綺麗ですね」
エミリーが嬉しそうにしている。ライラは宝飾品をいくつも身に着けるのを好んでいなかったが、舞踏会という事で色々と着飾る羽目になっていた。ライラは自分をよく見せる事に興味がないのでエミリーに全てを任せた。身に着けている物はどれもガレスから持ち込んだ高級品だが控えめなもので、あくまでもライラの美貌を際立たせる脇役である。
「この耳飾りは要るの? 踊っている間に耳が千切れたりしない?」
「千切れません。そちらはライラ様が購入されたものですからね」
両耳で揺れる耳飾りがライラは不満だった。首飾りも腕輪も重くて仕方がない。見ている時は綺麗でつい欲しくなるのだが、身に着けると自分では見えないので面白くない。彼女は踊るのが嫌だったわけではない、着飾るのが嫌だったのだと思い出した。実際昨夜ジョージと踊った時、嫌とは思わなかった。
「数時間の我慢ですから外さないで下さいね」
釘を刺されライラは不満そうに頷く。エミリーに言われなくとも、ジョージから綺麗に着飾れと注文をされているのでそもそも外せない。
エミリーとそんなやり取りをしていると扉をノックする音がした。ジェシカが扉を開けてジョージを部屋に招き入れる。赤鷲隊隊長である彼の正装は軍服である。
「今日はまた一段と綺麗だね」
「仰せのままに致しました」
ライラは冷めた声で答えた。
「何でそんなに不機嫌そうなの?」
「苦手なのですよ、正装。宝飾はただの錘です。何故これを付けたがるのかわかりません」
「適当な所で切り上げるようにするから、表情をにこやかにね」
ジョージは手を差し出した。いつもなら笑いそうな彼が笑わないのを見てライラは思い出す。今日は王子なのだ。ただでさえ苦痛の正装なのに、彼の態度もずっと王子のまま。だからこそ彼女もその妻を演じなければいけない。その為に化粧という仮面をしたのではないかと、彼女は彼の手を取り立ち上がった。
腕を組んで二人は王宮内の舞踏会が催される広間へと歩いていく。
「広間は謁見の間とは違う場所にあるのですか?」
「違うよ、庭に面した一階だからね。今日は貴族もいる大きな催しだから一番広い部屋を使うんだ。だから堂々としてて」
一体何人集まる舞踏会なのか。しかし人が多い方が適当な所で切り上げられるかもしれない。そんなこと考えながら着いた広間を見て、ライラは驚きの表情を隠すので精一杯だった。ガレスとは比べ物にならないくらい広い。何人いるのか見ただけでは数えきれない人がいる。
給仕がトレイにワイングラスを乗せて近付いてきた。ジョージはグラスを二つ受け取り、一つをライラに渡す。
「お酒は大丈夫?」
「えぇ、好きではありませんが酔いません」
「それは心強い」
二人はグラスを持ったまま部屋の隅の方で立ち止まった。ジョージは広間を見渡している。誰が参加しているのか確認しているようだ。ライラも彼の横で広間を見渡す。サマンサが淡い桃色のドレスを着て身分の高そうな青年と踊っているのが見えた。
「まだ二人はいないみたいだ。暫く食事でもする?」
「ジョージ様は王宮の食事も口にされるのですか?」
「するよ。味付けが好みじゃないから、普段は赤鷲隊の料理長に好みのものを作ってもらってるだけ」
毒物云々ではなくただの我儘だったのかとライラは呆れた。しかしそれなら何故わざわざ彼は自分の所にも同じものを運ばせたのだろうかと疑問が頭を過る。
ジョージは既に飲み干していたワイングラスをテーブルの上に置くと、小皿を取った。
「ちょっと口開けて」
「口? こうですか?」
ライラが素直に口を開けるとジョージはそこに小皿の中に盛ってあった肉料理を放り込む。彼女は驚いて目を見開きながら、抗議する為に口の中のものを急いで飲み込んだ。
「何をするのですか!」
「美味しい?」
尋ねられてライラは困った。薄味だが不味いわけではない。しかし料理長の料理の方が美味しいのは明らかだった。我儘を言いたくなるのも仕方がないくらいの差がある。
「料理長には軽い物を作ってくれるようお願いしてあるから無理して食べなくていいよ」
「わかりました。ですがこちらは王家の食事ですよね?」
「公国の味付けらしい。俺はレヴィの方が好きなんだよね」
ジョージの言葉にライラは納得した。レヴィとガレスは味付けもさほど変わらない。しかしガレスとは国交もない程遠い王妃の出身国の味は馴染みがなく違和感があっても仕方がない。それで彼はわざわざ母国に近い食事を用意してくれていたのだ。それはまだ二人が会話も交わしていない初日からされていた事であり、彼女は彼の真意がまた見えなくなっていた。この人は一体自分に何をさせたいのか、彼女には見当がつかない。
「一応父上と兄上には挨拶に行くからね」
「最低限必要な礼儀は持ち合わせているのですね」
「これでも王子だから。弟に会う予定はないけど」
「本当に最低限しか持ち合わせていないのですね」
ライラは微笑んだ。ジョージは笑顔でそんな彼女の頭を軽く撫でた。
「そう、その顔で宜しく」
突然の行動にライラは頬を赤くする。ジョージは何故こういう事を恥ずかしげもなくさらりとやるのか彼女には不思議だった。
その時入口の方が騒がしくなった。ライラがそちらを見ると、美男美女の夫婦が人に囲まれて始めている。装いから見て高貴なのは間違いない。
「兄上が先に来たね」
ジョージがライラの耳元で囁く。彼女はまじまじとその夫婦を見ていた。エドワードはジョージとは似ていないが、国王とは似ている。優しそうな笑顔で挨拶に対応している。隣にいる女性は綺麗というよりは可愛いという感じで、身に着けている宝飾品はどれも大振りでドレスも真っ赤で華やかである。この国では珍しい黒髪を腰まで下ろしている。黒髪は帝国の権力者の象徴である。
「言い忘れていたけど、兄上と仲は悪くないからね」
「そうなのですか?」
「だから余計な事は考えなくていいよ。さぁ行こう」
ジョージに促されてライラはグラスをテーブルに置いて彼と腕を組む。二人はエドワード達に向かっていった。
「御無沙汰しております、兄上」
「ジョージ。元気そうで何よりだ。先の戦いで怪我はなかったか?」
「多少ありましたが、もう痛みはありませんよ」
兄弟は仲良さそうに話している。その間エドワードの隣の女性はライラを品定めしているような視線を送っていた。ライラはジョージ達の会話を聞いている素振りでその視線をかわす。
「兄上、紹介が遅れて申し訳ありません、彼女がガレスの姫君、ライラです」
「お初にお目にかかります、ライラです」
ライラは一礼した。
「初めまして、私がエドワード。彼女が妻のナタリー」
「ナタリーです」
「宜しくお願い致します」
「噂には聞いておりましたが、本当に綺麗な方ですね」
ナタリーは優しい口調だった。
「ありがとうございます。ナタリー様に褒めて頂けるなんて光栄です」
ライラも柔らかい笑顔で答える。ナタリーの視線が刺さるようだったが、まるでそれを感じていないかのように微笑んだ。
「何かお困りの事がありましたら遠慮なく尋ねて下さいね」
「お気遣いありがとうございます」
「それでは兄上。私達はまだ挨拶に回らないといけませんのでこの辺で」
「普段出席しないのだから、出来るだけ挨拶をしておけよ」
「わかっています、それでは失礼します」
ジョージとライラは会釈をすると二人の横を通り過ぎようとした。その時、ナタリーはライラに聞こえるかどうかの声で囁いた。ライラは何を言われたのかわからないという感じで首を傾げてみせると、ナタリーが笑顔を返してきたので、ライラも笑顔で軽く会釈をするとジョージの後をついて行った。
「何か言われた?」
ジョージが小声でライラに問う。
「えぇ、ですがここでは……」
「それなら後で教えて。とりあえず大臣にも挨拶をしておきたいから付いてきて」
「挨拶回りは会話を切り上げる口実ではなかったのですか?」
「違うよ。挨拶する人が多いから覚悟しておいて」
そう言ってジョージは色々な人と挨拶を交わしていく。ライラは人が多すぎて誰が誰なのか途中から覚える事を放棄した。軍事関係者、法律家、議員など普段王宮に居ないとは思えない程、彼は顔が広かった。ただ横にいてくれればいいなんて簡単な注文だと思ったが、こんなに人と会うなんて聞いていないと彼女は文句を言いたい気分だった。しかも挨拶する相手は腹の底が見えないような人が多い。よくこんな人達と付き合っていられるなと彼女は感心していた。
「疲れてきた。一曲踊ろうか」
「疲れたのに踊るというのはおかしくないでしょうか」
「踊ってる間は話しかけてこないでしょ」
ジョージはそう言ってライラの手を取る。彼女は彼にリードされるがまま踊る事にした。踊っている最中に声をかける事は非常識であり、精神的には休憩になりそうだと彼女は思った。
「随分と顔が広いのですね」
「隊長って人の繋がりがないと成り立たないんだよ」
「ジョージ様は好きで隊長をなさっておいでなのですね」
「うん。やらされてると思った?」
「逃げたと言われたので嫌々なのかと思っていました」
「楽しい方に逃げたんだよ。息が詰まる思いなんてしたくないから」
「それは同感です」
二人は微笑み合った。その時広間の奥の方が騒がしくなる。国王と王妃と思われる女性が広間に入ってくる所だった。ライラは踊りながら奥へ視線を流す。王妃は見た目三十歳くらいにみえた。
「若い方なのですね」
「若そうに見えるだけだよ。弟は十八歳と十四歳。王妃も四十歳近くのはず」
ライラは再び王妃を見る。とても十八歳の息子がいるとは思えない。しかも綺麗な顔立ちで体型も細身である。金髪も艶やかで四十歳という年齢を感じさせない。ドレスも深紅色で余計な細工はなく宝飾品も控えめと、ナタリーとは対照的だった。またナタリーとは顔のつくりが違う。これはどちらが綺麗と言われても好みの問題だなと彼女は思った。
ジョージが一曲で踊るのをやめ、無言のまま手を引くのでライラは腕を組んだ。挨拶を受け終えた国王夫妻に二人は近づいていく。
「ジョージ、やっと顔を出したか」
国王の声は明るい。そう言えば国王と謁見した時、彼を誘ったのは国王の方だったとライラは思い出していた。
「申し訳ありません。一人でこのような場所に出席するのが憚られまして」
「姫と仲良くしているようで何よりだ」
国王の横にいる王妃はライラを見ようともしなかった。扇子で口元を隠していたが、つまらなさそうな表情は隠す気がなさそうだ。彼女は王妃の態度の意味を図りかね、ジョージの横で大人しくしていた。
「王妃殿下、紹介が遅れて申し訳ありません。彼女がガレスの姫ライラです」
「お初にお目にかかります。ライラと申します。以後宜しくお願い致します」
一礼をするライラに王妃は無言だった。少し瞼が動いた位である。しかしその瞳ははっきりと彼女を拒絶していた。彼女は流石にどうしていいものかわからず、ジョージの腕を掴む手に自然と力が入っていた。
「せっかくの舞踏会だ。有意義に過ごすがよい」
国王はそう言うと王妃と広間の中央へと移動していく。ライラは顔にこそ出さなかったが、ジョージを見つめる瞳の奥に不安が滲み出ていた。
「気にするな。まだ残ってる挨拶回りに行くから切り替えて」
ライラは頷いた。頷くので精一杯だった。