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「……なんなんだよ、この状況……」

 それは面倒くさいながらも、簡単なミッションだったはずだ。出席することに意味がある。そのサークルから代表者を出していることに意味がある。それ以上の意味はない。そう聞いていたし、坂東岩男ばんどう いわお自身、これが3回目の連合会である。

(今までの連合会とは明らかに違う雰囲気……)

 これまでの連合会は、淡々と、何の波乱もなく、決められた議題をこなすだけであった。そして議題のほとんどは前もって根回しされていて、自薦・他薦とも、始まる前から当選者が決まっているような、予定調和ショーなのだった。

 連合会、正しくは「文化系公認サークル連絡会」とは、サークル同士の横の連絡を密にし、大学側への健全なアピールをするため、活動報告などをする制裁で3カ月に1度くらいのペースで開催されている。ほとんど形式だけの抜け殻だと認識していた。

「うらーー!!」

 だが、今、岩男が目の当たりにしているのは、修羅場、である。

(さながら「大激怒ブチ切れショー」とでもいうような……)

 先ほどの怒号を発したのは、議事進行をしていた連合会の理事長である。とても温和で冷静で、メガネをかけていた、四年生の爽やかモテ男子だ。

「やってやんぞ! コラーーー!!!」

 リア充の知られざる本性が、今、白日の下にさらされている。

(そして、こっちもヤバいことになってきやがった!)

 先ほどから岩男は両手で自分の口を塞ぎ、必死で堪えている。

「なに笑ってんだコラーー!」

 理事長の新たな怒号に岩男はビクッと身体を縮めたが、理事長が投げたペットボトルは他の学生を狙ったものだった。

(危ねえ! 俺は色んなものを面白がってしまって、よく「なんかあいつムカつくぞ」と、理不尽に大人から怒られる青春時代を過ごしてきたならな!)

 今は絶対に笑ってはいけない状況なのは頭では理解している。

(笑ってはいけないと思えば思うほど、例の振動は腹の底から喉もとへと、より力強く駆け上がって来やがる!)

 ついには両手の親指で鼻の穴も塞ぎ、呼吸ごと止めることで岩男は必死に笑いを堪えていた。

「なんでだよ! なんで事前調整と違うことをさあ! 今になっていいだすんだよ!」

 狂乱した理事長は、この日何度目かのセリフを繰り出した。

(それだけ、事前調整というものが大変だったんだろうね)

 岩男は同情することによって笑いをやり過ごそうと試みている。

「このタイムテーブル決めんのに! 何日かかったと思ってんだよ!」

 ホワイトボードに書き込んでいた学園祭の発表順序をバンバンと強く叩いた。叩き壊さんほどに。

(いや、これは、むしろ壊そうとしているね)

 理事長の手首のスナップの具合から、岩男は敏感に、理事長の意図を先回りして汲み取った。

「そんなに言うなら! やってやろうじゃねーかよ!」

 理事長の拳がホワイトボードを突き破り、ざわめく講堂の中、理事長はホワイトボードを担ぎ上げ、床へと叩きつけた。

(つえー!)

 いよいよ岩男は笑いを堪えていられない。飛び散るホワイトボードの破片から身を隠すフリをして、机へと顔を突っ伏した。

「お前ら! よーく聞いておけ! 俺が今から言うことを! 持ち帰って貴サークル内でよろしくご検討いただければ幸甚に存じます!」

 理事長はオーディエンスを指差しながら更に吠え続ける。

(スマートフォンのボイスメモで録音してるから、後で皆んなで聞こう。爆笑まちがいナシ!)

 そして皆で笑いあうシーンを想像して、岩男はまた笑いを堪える。

「わたくし! 文化系サークル連合会理事長! 兼理事長! オカルト研究会理事長! 不破臼人ふわ うすとは! ここに宣言する!」

 理事長は右手を高々と掲げ、左手を心臓に添え、堂々たる口上をぶちあげている。

(さあ! 何を言い出すのか! この勢いに乗って、デカいのを一発お見舞いしてくれ!)

 岩男は完全なる傍観者の無責任さではやし立てた。心の中で。

「地獄と! 地獄の大魔王と! 己の純なる欲望にかけて、ここに宣言する!」

 理事長の目は座っていて、話しかけようとしても咄嗟に目をそらしてしまうレベルである。

(何の宣言? 連合会理事の総辞職? 学園祭の中止? 知らねーぞ、どうなっても!)

 岩男の肩は、こみ上げる笑いと、これから始まる未体験ゾーンへの期待とで、大きく震えていた。

「……ここに! 「文化系サークル最強決定戦」の! 開催を宣言する!」

 理事長は確かにそう言った。

(ぷーっ! これは! 予想の! はるか斜め上ー!)

「最強決定戦」の意味を分からないまま、いや、分からなすぎるからこそ、岩男はついに我慢できず、机を手の平でペシペシ叩きながら、息も絶え絶えに身をよじらせた。

「最強になったサークルが学園祭の全ての権限を手に入れる。それなら文句ねーだろコラー!」

 理事長は抑揚をつけ、コラーのタイミングで黒板にローリングゾバットをかました。すごい音がした。

(最強決定戦! 文化系のサークルで! いったい何が起こっているのか、俺には全く分からないんだが!)

 岩男は笑いを堪えながら左右を見回す。皆んなキョトンとしたままだ。

「文句があっても言うなよ! 受け付けねーからな!」

 理事長は出席者たちに向かって舌を出し、威嚇している。

(とても気になっている! いいから早く! ルールを教えてくれないかな!)

 文化系のサークル同士で戦うとなれば、直接的なバトルではないだろう。岩男は無意識に、お互いの良いところをアピールしあう討論大会みたいなものを想像した。

「ルールは例のやつでいくからヨロシクな!」

 まさかのルール説明省略に、岩男は笑い声を抑えることができなかった。

(皆んなルール知ってるの? 俺が入ってから3年間、一度たりとも、他のサークルと闘ったことないんだけどー!)

 もちろん他の先輩方が闘っているところを目撃したことも、闘ってきたよと聞いたこともない。

「ルールを知らない者は、各自で前任者に聞いておくように!」

 あまりにも放り投げっぱなしの引き継ぎに、岩男は止むを得ずお腹を抑え、結果として顔がガラ空きになった。大爆笑している顔面が。

(そんなのは引き継ぎって言わないから! 盗んで覚えろとか、単なる手抜きだから!)

 マニュアルを作ってくれとまでは言わないが。

「よし! では! 効果は即日発効だ! 今日はこれにて散会する! すでに「文化系サークル最強決定戦」は始まっていることを忘れるな!」

 もう始まっていると聞いて岩男はピリッとした。ルールが分からないまま敗退したとあっては、ライブ鑑賞同好会の面々に申し訳が立たない。

「それぞれのマッチメイクと日程については連合会で決定次第、各サークルの代表アカウントにメールするので、常にウォッチしておくように。メールを見ていませんでしたとか言って、不戦敗になったり、不意を突かれたりしても自己責任だからな!」

 ルールが分からないままマッチメイクされても対応できないが、それでも、いきなり今日明日で試合は行われないだろうと岩男はとりあえず安堵した。

(まずはサークルに持ち帰り、上層部に報告して相談しよう。まさか俺に戦えとは言われないだろうし、この非常事態、皆んなで迎え撃つ方法を会議するより仕方ないだろう)

 岩男は少し平静を取り戻し、去りゆく理事長の背中を見ていた。その背中が止まり、理事長は岩男の方へと振り返った。

「それから、さっきからずっと笑ってた、そこのお前。もし俺様と当たったら粉々にぶっ潰してやるから覚悟しておけよ」

 岩男は、背筋が凍り、顔が青ざめていくのを感じた。


 大学公認サークル「ライブ鑑賞同好会」とは、ライブに行きたい学生をSNSなどで募集し、安全・確実・健全にライブハウスへ出入りする、というだけの、極めてシンプルな組織である。特に、大学に入りたてでライブには行ってみたいけれどもライブハウスに一人で入るのは怖い、というような初心者に、ライブの楽しみを知ってもらうことを通じて、人生の楽しみ方の一つの例示、導入、ひいては人生の素晴らしさを知るきっかけになればと、そっと彼らの背中を押すような、ささやかで慎ましい、優しい人たちの集合体である。あるひとりの学生のアイデアで学生たちが立ち上げたのは、ライブハウス安心鑑賞システム「ヒキツレ」。サイトでライブ情報をアップし、行きたい学生を募り、十人以上集まればチケット代一割引。何軒かのライブハウスのマスターと協定を結んでいる。ライブハウス側としても団体客を確保できるメリットがあり、ウインウインである。

 もちろんリスクもある。未成年者の飲酒・喫煙はやりすぎなまでに厳禁で、学生証の写しをライブハウスのスタッフさんに前もって提出している。また、一度申し込んだらキャンセルは認められない。ライブに参加しなくてもチケット代は全額回収する。そのための回収専門のチームもある。さらに不純異性交際にも厳しく、集合場所は男女別々である。執拗なナンパ、ストーカー行為は大学と家族と地域社会に通報する。……ライブハウスに入場した後の交流は自己責任で、自然な出会いまでは規制していないが、そこは、それなりにメリットもなければ、人は集まってこないし、ムーブメントも起こらないだろう。今までの経験に基づいたリスクマネジメントの線引きがある。

 坂東岩男ばんどう いわおは、その「ライブ鑑賞同好会」に所属している三年生で、このサークルの主軸であるという自覚を持っている。もちろん、まだ四年生の先輩方は現役だし、同期の連中も頼りになる気さくな奴らだが、今、こうして連合会の定例会議にサークルの代表として出席させられた以上、自分が「ライブ鑑賞同好会」の将来を背負って立つ存在なのだと、誇りと気概を感じずにはいられない。別に、面倒な役目を押し付けられたというような被害者意識もなかった。


 岩男はその足でライブ鑑賞同好会の部室へ向かった。部室には主将と副将が残っていた。岩男を待っていたのか。単にダベっていただけか。

「おう! お疲れ!」

 カラッと明るい声で岩男を迎えてくれたのは主将(正しくは同好会の会長だが親しみを込めて主将と呼ばれている)の番儀屋ばんぎや 美寿びじゅ。大学四年生の女子であるが、まん丸の顔に満面の笑みで、立派なおばちゃんオーラを放っている。

「ぶわははっ! 疲れましてー! ロック アンド タイアード!」

 女性と話すのが怖い岩男にとっても、意識せずに笑って話せる数少ない存在である。

「何をか? 何を疲れることがあるだろうか?」

 副将の瀬筋せすじ 直夫ただおが怪訝な顔で口を挟む。伝統芸能が好きすぎて、いつもものすごく良い姿勢でいる男だ。

「連絡会でしょうが。連合会の」

 主将はスッピンのままウインクした。ビジュアル系のライブ会場でフル装備の主将を岩男は見たことがある。とにかくギャップがすごかった。

「おお! おお! 坂東君! それは大儀でござった! あ、お疲れー! さまー!」

 副将も四年生なのだが、いつも真顔で全力でふざけるのが岩男は好きだった。

「祝着至極に存じたてあげまするー!」

 岩男もふざけて応対した。

「存じ上げ奉るー!」

 訂正された。

「本当に疲れた顔してるねえ。時間も遅かったし。何かあったの?」

 主将は優しく心配してくれている。岩男は先ほどの会場での乱痴気騒ぎを、なるべく面白おかしく再現した。

「めちゃめちゃキレてるーー!」

 笑いながら説明する岩男につられてか、主将も副将も、スマホで録音したものを笑いながら聞いてくれた。

「これぞロックでしょ? ちょっとしたステージより、よっぽど熱かったっす!」

 普通のライブではあんな空気にはまずならない。

「あー、笑った。演技で怒ってるとしたら天才的な演技力だわ」

 主将は、発達した表情筋を誇示するかのように笑顔で言った。

「これほどストレートに感情を表現できるなら、役者としての素地、才能は、疑う余地がありませぬ」

 副将も変に感心している。彼は演劇鑑賞の引率も受け持っている。

「ちょっと! 論点論点! 理事長の演技力の話になってますよ!」

 岩男は笑いながら突っ込みを入れた。

「んで? サークルの共用アドレスにメールが来るって?」

 ふざけながらも主将は押さえるべきところを押さえていた。もうスマホを操作し始めている。

「これからマッチメイクするとか言ってましたけどね」

 そんなにすぐにはメールは来ないだろうと岩男は油断していた。

「いや、何か来てる。文化系サークル連合会事務局からだ」

 連合会の理事長の下には、事務局という謎の組織がある。岩男も組織の名前を聞いたことがある程度で、規模も、構成人員も、全く分からない。

「やっぱりやめます、とかなら嬉しいんですけど」

 岩男は淡い期待を寄せた。

「ううん。開会の通知だ。正式な」

 主将のスマホを次に副将が受け取り、苦笑いしながらそのスマホを岩男に渡してきた。

「うわ、怖いな。何ですかその笑みは」

 岩男も半笑いでスマホを受け取った。スマホケースはもちろん主将のお気に入りのV系バンドのオフィシャルグッズである。イヤホンジャックが三種類くらいぶら下がっている。

「よく分からん」

 副将が渋い顔で首を振った。

「ちゃんと読みなよ」

 主将が呆れている。

「では僕が、副将の分までしっかりと読みましょう。なになに……」

 最初に岩男の目に飛び込んできたのは、やたらと硬い文面だった。

「読みづらいー!」

 岩男は目を細めて笑った。

「読む気になれないだろう?」

 副将が同意を求めてくる。

「典型的なお役所レターだよね。読んだことないけど」

 主将が頷いている。

「何を言いたいのか分からない……。「文化系サークル最強決定戦」を始める、というのはタイトルで分かるけど……」

 岩男は笑いながらも、なんとか文章をかみ砕こうと身を乗り出した。

「下の方には大会の開催要領が書いてありますね。なんで箇条書きにしないんだろう」

 改行なしで、ごちゃごちゃした文章でいろいろなルールが書いてある。

「わざと分かりにくくしているのかもね」

 主将が含みのある発言をしたが、岩男は特に気に留めなかった。

「この通知によって、昭52年の事務局通達が失効するそうですよ!」

 岩男はとりあえず理解できた部分を大きな声で報告してみた。

「そんな前から連合会ってあったのかね。私らが生まれるだいぶ前じゃないか」

 主将が言う。岩男と一歳しか変わらないけれど。

「はるかにいにしえの文書……。調べればあるいは探し当てることもできましょうが……」

 副将は背筋を伸ばして探るように言う。

「探すのは面倒くさいし、どうせ失効するなら、知ったところで。ねえ」

 岩男はフォローしながら笑いかけた。

「そういう細かいことが気になると前に進めないって人もいれば、面倒くさいって流す人もいる」

 主将は哲学的な顔をして遠くを見ている。

「法律家として大成するのは、おそらく前者でありましょうな」

 副将も達観した顔をしている。

「法律の条文とか、エンタメの逆サイドの極致ですわマジで」

 岩男はそう言って笑ったが、残りの二人は笑ってくれなかった。

「つまり、書いたのは法学部のやつだな!」

 事務局で作文したのは、法学部の学生ではないからという主将の推理だった。

「主将は何学部であらせられる?」

 サークル内では学部の話にはあまりならない。

「え、経済」

 とはいえ、同じサークルに三年以上いて、知らないというのも寂しい。

「私は文学部。で?」

 岩男は副将に二本指で指さされた。

「あ、僕、環境デザイン学部です」

 岩男はボケずに応えた。

「そうだっけ? そりゃロックだなー。逆に」

 主将が笑っている。前にも言ったことはあるし、その時も同じような反応だった。

「なにぃ? 環境デザインーとなー?!」

 突然、副将が目を見開いて大声を出した。

「どうした、撫で肩。何か知っているのか?」

 主将もすぐにテンションを合わせてくる。

「環境について論じるには、その以前に、関係法令に精通していなければなりませぬ。環境法と一口に申しましても、消防法、都市計画法、ダイオキシン対策特別措置法などなど、枚挙にいとまがございません」

 そういう授業もあるだろうが、岩男にはまったく興味のないジャンルであった。

「そうか! じゃあ法律的な文章に慣れ親しむ、良いチャンスということか!」

 などとのたまう主将の顔は、少し笑っていた。

「えっ? いやいや! まちゃれ! まちゃれ!」

 ようやく二人の先輩の意図を感づいた岩男は、大きな声でリアクションをした。このままでは大変なことになりそうだ。

「ロック君(発音は「ろっくん」)、これは君のためだ。チャンスだ。成長するための、またとないチャンスなんだよ!」

 主将は完全に役に入り込んでいた。目は笑っているが。

「や! ややや! 悪い予感がする! プンプンと臭う! これは、黙っていたらやられるパターン!」

 沈黙は金、などと悠長に構えていられない。

「じゃあ、このメールはロック君のアドレスに転送しておこう」

 岩男の抵抗をまるで無視して主将はスマートフォンを操作した。

「でたー! メールを転送するだけで仕事した気になってる輩ー!」

 どうしても、焦れば焦るほど、岩男は笑ってしまう。

「よく読んで、しかるべき処置しておいて。分かんなかったら誰かに聞いて」

 主将はニッコリしながら、弾きかえすように言った。

「ご不明な点がございましたら何なりとご質問ください的な添え文! まったく意味のない、それでいて親切にしてやってる演出!」

 お前が分かるように説明する義務があるだろうが、という憤り。

「なにその、分かんない方が悪いみたいな言い草!」

 岩男は笑いながら怒り続ける。

「いやいや、ロック君。これは君のためを思って振るう、愛のムチだよ。成長できるチャンスと捉えなきゃ」

 主将の悪ノリが加速してきた。

「君のためを思って、とか! チャンスとか! おためごかし、とはこのことよ!」

 岩男は両腕を広げて空を仰いだ。

「まあまあ、落ち着いて。うちらももうじき卒業だし、次の代の幹部をどうしようかってタイミングじゃん?」

 主将のペースチェンジと、「幹部」という単語に、岩男は反応してしまった。

「坂東殿はロック関係のライブ鑑賞引率を任されている。いわば出世頭である。そんな君が、サークルの未来を担って戦うことに、なんの不具合があるだろうか」

 副将の反語表現に、「いや、ない」と続けそうになった。

「ま、まあ、エースとして扱われるのは、悪い気はしませんけれども」

 そう、岩男は、調子に乗りやすいタイプだ。

「負けても死ぬわけじゃないし」

 主将が重ねてくる。それにしても、ずっとルール分からないままなのが、いよいよ気になり出した。

「むしろ負けた方がいい。学園祭での発表なんかどうでもいい」

 副将が追随する。

「僕の股間にぶら下がった袋からは、絶対に負けるな、という本能からの呼び声が聞こえてくるのですが」

 岩男は容赦のない下ネタで対抗してみた。

「あははは! なにその袋!」

 主将は女性でありながら、下ネタにも寛大であった。

「男のメンツにかけるような、そんな重要な勝負ではない。学園祭での発表の順番など、どうということもないではないか。もっと言えば、発表は、遅ければ遅いほど良い」

 副将が軌道修正をしてきた。

「ウチらの発表なんかより、学園祭にどんなミュージシャンが呼ばれるのかの方が大事だから」

 真顔で主将が述べる。

「学園祭でプロのミュージシャンを呼ぶという噂は常にある。これを見逃すようなことがあっては、ライブ鑑賞同好会の存在意義に関わる」

 腕組みした副将も頷いている。

「だから、つまり、今回の最強決定戦で負けたとしても、別に構わない、と」

 だんだん岩男は呆れてきた。だったら不戦敗でもよいのではないか。

「では聞きますが、仮に勝ったら、どうします?」

 憮然とした岩男の問いかけに、主将も副将も一瞬たじろいだ。

「……それは、別に構わないよ」

 先に口を開いたのは副将だった。

「うん。ウチらとしては、ライブが見られればいいし。発表とライブの時間が重なったら、ウチらはライブを優先するし」

 キッパリと言い切る主将を、岩男は呆然として見つめた。

「その場合、サークルの発表は、誰が……」

 岩男は嫌な予感がしたまま問う。

「そんなもん。勝手に勝っちゃう人の責任でしょうが」

 あまりの不条理さに、岩男は息を吸いながら笑った。

「どうせ誰も発表なんか聞いてないんだし、そこは男らしく、最後まで、やり遂げてもらわないと」

 副将があくまでも追随してくる。

「ということは! つまり! あはーん? 負けたら負けたで悔しいし、勝ったら勝ったで? 僕? 学園祭のプロのミュージシャンのライブ? それに重なったら、俺のせいになるの?」

 岩男は笑顔なので迫力がないが、それでも必死で訴えた。

「負けたあげくにライブ観られないなら納得だけど、勝って観られないのは、運が悪いとしか言いようがないね」

 主将には全く譲歩する気がないようだった。

「納得いかないけどね! 仮に負けても!」

 なんで俺なの、っていう不満がある。

「落ち着きたまえよ。勝ったら、発表の順番を選べるのだろう? ならば、勝ってから、ライブの時間を事前に学園祭の実行委員に聞いて、その時間を避けるように段取りすればよいではないか」

 副将の当たり前すぎる意見に、岩男は膝をぴしゃりと叩いた。

「頭いい!」

 そして最大限のリスペクトを込めて言った。

「そうだね! 全てはロックンにかかっている! 未来を創るのは君だ!」

主将に手を握られ、岩男は感激した。

「ありがとうございます! 目が覚めました! 死ぬ気で頑張ります!」

 岩男の決意表明に、副将も拍手をしている。

「うん。じゃ、そういうことで」

 主将は席を立とうとしている。

「あ、すいません。最後に確認だけお願いします。なんていうか、負けたらどうなるんでしょうか」

 あえて空気を読まなかった岩男の発言に、主将と副将は目を見合わせた。

「こちらとしては、プレゼン合戦みたいなのを想像しているんですけど。ディベート大会とか」

 そう、ルールがまだ分かっていない。あるいはビブリオバトルみたいなものか。

「だいだい合ってる」

 主将が適当な感じで頷く。

「ならば、自分のアイデンティティを否定されることになるようであるなら! 死んでも負けたくないですね!」

 岩男は語気を強めた。ルール上で負けても、負けを認めたくない。

「相手の方の情熱がより多かったってだけで、負けたからといってジャンルそのものが否定されるわけでもない」

 副将が補足してきた。

「そう、おそらくはディベートの技術で負けることがあっても、情熱の量では決して負けません!」

 岩男は副将の発言をよく聞いてなかった。

「だから、情熱の量が問われるんだけんども」

 主将の妙な訛りが、ようやく岩男の胸に届いた。

「え? 情熱の量? どうやって?」

 数値を測定したりできるのだろうか。

「やればすぐ分かる。恐れることはない」

 こいつらには全く説明する気がないらしい。

「自分のロック愛を見つめ直すきっかけにすればいいよ。それで嫌気がさすようなら、しょせんその程度の情熱だったということ。真面目に就活して、他の趣味も探すといい」

 主将が急に現実的な顔になった。

「まだ負けてないし諦めてもないのに、えらい言われようですな!」

 もちろんロック鑑賞だけで生活していけるとは思っていないが、音楽情報誌やサイトの就職試験などあれば受けようかな、などボンヤリ考えていた。

「そこまでロック君が出場したいって言うなら、どうでしょう? ブイちゃん(主将の愛称)。今からでも修行に行きましょうか?」

 副将は主将と同期なので、愛称で呼んでも怒られないのだ。

「そうね、人間国宝(副将の愛称)の言う通り、ロック君の熱い気持ちが冷めない内に、やっつけようか。チャチャっと」


 まだ午後四時くらいだった。部室を出て三人(岩男と主将、副将)は地下鉄に乗り、行きつけのライブハウスへと移動した。

「こんちわー」

 ライブハウスのマスターには事前に副将から連絡してある。

「ライブハウス、と、修行、が結びつかないまま到着しちゃった」

 岩男も何度も来ているライブハウスである。収容人数キャパは二百人程度だが、音響が良いのど、マスターがおもしろ紳士なことで業界では知られた箱である。

「はい、いらっしゃい」

 マスターの風貌はジョンレノンみたいである。年齢不詳である。

「すみませんね、急で。セッティングの前までにはチャチャっと終わらせますんで」

 主将とも気の知れた仲で、頼みごとをするにも、それほど遠慮しない。

「懐かしいよねー。サークルバトル! オイラが学生のころなんか、そこらじゅうでやってたけどねー」

 マスターはロン毛をかきあげながら目を細めた。

「え? マスターもやってたんですか? 見たーい!」

 主将が目を輝かす。女子大生のノリである。

「おお! やってたともよ! 「ライブ鑑賞同好会に苺原いちごはらあり」って恐れられてたもんよ!」

 マスターが胸を張った。

「って、マスター、OBだったんすか?」

 岩男は今知った。マスターの名前も。

「知らなかったのかい? 歴史のあるサークルなんだぜ」

 マスターにウインクされた。

「電話でも言いましたけど、坂東君がバトル初めてなんで、ついでだし、模範演武というか、エキシビションで、ウチの副将と手合わせしてもらうっていうのはどうですかね?」

 主将の前向きな提案に、副将の顔がハッとなった。

「生ける伝説の大先輩と手合わせ願えるとは、またとないこと。ここはひとつ、胸を借りるつもりで、稽古をつけていただこう」

 副将も前向きであった。

「百聞は一見にしかず、今から見せよう、サークルバトルを!」

 すんなりと段取りが決まり、岩男と主将はオーディエンスフロアへ、マスターと副将はステージへと移動した。

「見てればいいんですよね?」

 岩男はとりあえず主将に確認する。

「ふふ」

 主将は曖昧な返事をした。


 それほど広くはないフロアで、岩男と主将は突っ立っている。ここはライブハウス。椅子はない。コンクリート打ちっ放しの床に、自分の脚で立っているしかない。

「この時間は空いているなあ」

 他に客などいるわけもない。まだ開場していないのだ。後ろではドリンク係の若い男性が準備しながら、チラチラとステージの方を見ている。マスターのバトルに興味ありげだ。

「あ、場典ばてんさん、ちいっす」

 岩男は気軽に挨拶をする。未成年の学生の飲酒防止について、日ごろより岩男と連携している。

「ういっす」

 ギラッとした笑顔を返された。今のところ、観客は三人だけである。

「いよぉーーー!」

 大音量の邦楽的な掛け声がフロアに響き渡り、岩男たちは反射的にステージへ顔を向けた。

「…ポン!」

 小さめの太鼓を指で強めに叩く音が続く。

「始まった! 前触れもなく!」

 岩男の目が目まぐるしくステージ上を探っているが、和楽器奏者の姿を見つけることができない。

「いぃいよぉぉーー!」

 スピーカーから発せられる音なのかとすら思える。

「…っポン!」

 鋭い音圧が岩男の身体を震わせる。

「登場SEか、出囃子か!」

 CDを事前に音響スタッフに渡していたとも思えない。そんなヒマは無かった。

「黙って見てろ。実況はいらない」

 主将はステージから目を離さずに諫めた。

「そんなこと言われても…」

 岩男は大いに困惑した。リアクションする気まんまんだったところに水を差されたのだ。

「だんっ!」

 違う種類の音がしたので岩男は発生源を探す。

「えっと、う、ううん」

 今度は謎の大音量ではなく、ステージから聞こえてきた生の音だったぞ、と実況したかった。

「ライブ鑑賞同好会! 副将! 瀬筋! 語らせていただきます!」

 聞こえてきたのは、副将がステージ上で足を踏み鳴らした音であった。両腕を水平に広げ、とても良い姿勢で、右足を踏み鳴らしている。

「あ、ああ」

 やはり自分の言葉でプレゼンをしあうルールなのか?というミスリードを入れておきたかった。

「はぁあー、うううぅーー!」

 ステージ上の副将の様子がおかしい。

「だ、大丈夫でしょうか?」

 黙っていられなくなってきた岩男は主将に問いかける。

「しー!」

 主将はステージに目をやったまま、唇に人差し指を当てた。

「うぅ、うぅ、…うわーっ! はっ! はっ! はっ!」

 副将が腹からの声で笑い声を上げた。

「独特で伝統的な感情表現! 副将が酔うとたまにやるやつ!」

 岩男は大声につられて実況を再開した。

「しーって! ほら来たよ!」

 トランス状態の様子の副将を主将が指差す。

「……、えーー!?」

 岩男は我知らず目を剥いた。こめかみや首に青筋、目は派手に充血、全身に大汗をかいている副将の、その目の前を、ゆっくりと通り過ぎるものがある。

「な、ななな、なんだあれは!」

 岩男の汗も負けていない。

「そう、あれこそが、人間国宝(副将の愛称)の、情熱を可視化したものさ!」

 主将はハンディなビデオを三脚の上で操りながら、スマートフォンで写メを撮っている。ビデオは部内資料として、写メはあとでSNSなどにアップするのだろうか。

「カシカシ?」

 岩男は素で聞き返した。

「可視化!」

 主将も笑わずに答えた。

「か、しかし! ハッキリと見える! いくぶん半透明だが! ボンヤリと、そしてキラキラと輝いている!」

 それは等身大の、歌舞伎の主役がクライマックスになったような、赤いロン毛に、金ピカの和服をまとい、白地の顔に赤いペイントをしたようなやつだった。

「情熱可視化と書いて「ザ・ジャンル」と読む。某マンガのスタンドと読み替えてもらうと理解が早いだろう」

 主将が、止むを得ず、というような解説をした。

「半透明なので、ちゃんと撮れているのか心配!」

 岩男はビデオの横の画面を見ようとした。

「声が入っちゃうからトーン落として」

 主役に素早く注意された。

「いよーぉー!」

 謎のBGMのボリュームもますます大きくなっている。

「どちらかというと副将は、能とか狂言とか、地味目の方が好きなのかと思ってたけど、いざ可視化してみたら、思いっきり歌舞伎寄りですね!」

 岩男は嬉しそうに言った。

「ビジュアル的にはしょうがないよ」

 主将はそれほど嬉しそうではない。

「よいや! よいや! これぞ我が情熱可視化! その名も「コノアタリノ・ムケイブンカ」でござーるー!」

 副将は自分で「よいや」とか言っている。

「狂言では、演者が出てきて、いきなり「この辺りのものでござる」って言ってから、一人でウロウロしながらコントの設定とか語りだすよね!」

 岩男は副将の奢りで何回か見たことがあるのである。

「コントって」

 主将も見たことあるはずだ。

「笑わせようしてくるのであって、狂言は、伝統文化に触れる入り口として、最適なものでござーるー!」

 ステージ上から副将が、岩男たちの会話が聞こえているかのように言った。

「ウワーッ!ハッハッハッハッハッハツ!」

 コノアタリノ・ムケイブンカも共鳴して独特な表現で笑っている。

「基本がしっかりできている! 「型」を守り、伝承しているんですね!」

 岩男は楽しくなってきた。

「見える! ハッキリと! 他人の情熱が可視化されている!」

 次々に出てきたリアクションを自分で抑えられない。

「さて、このようなライブハウスに馳せ参じたれば、オーディエンスの手拍子も、ありそうなものじゃが」

 副将の可視化ば、さっそくウロウロしながら、設定を一人語りしだす。

「けっこう聞き取れる! 古文の授業みたいに、どうせ分からないという先入観はいけないな!」

 難しい単語は、事前にもらえるパンフレットに解説が書いてあったりする。

「……はあはあ、どうです? 僕の「コノアタリノ・ムケイブンカ」は、ちゃんと見えてますか?」

 息の上がった副将が聞いてきた。

「バッチリっす! マジパネえっす!」

 岩男はステージ上の副将に向かって親指を立てた。

「若干、薄いかな」

 主将がステージには届かないくらいの声で言う。

「ああ、やっぱり、半透明ですもんね。間違いなく見えてはいますけど」

 岩男は即座に主将に合わせた。

「さても、さても、今宵のバトルのお相手を、ここにてお待ち申し上げ、あ、奉りまするー」

 そう言って副将の情熱可視化ザ・ジャンルは、フロアに向かって大きくお辞儀をした。

「これにあるは、伝統を引き継ぐ心意気、若いながらも、立派な男にごさるー」

 コノアタリノ・ムケイブンカが逆に副将をアピールし出した。

「歴史に思いを馳せ、凛とした心持ちによって、新たな時代にグローバルな思想を体現する、あ、所属にござりまするー!」

 言い終えると、コノアタリノ・ムケイブンカばステージの横の方に移動し、立ち膝の姿勢をとった。どごからとも無く、拍手が起こった。

「横で控えている! あの状態では、ストーリー上は存在しないものとして扱われる! モロに見えているのにね!」

 次の出番を待っている姿も見られているので気が抜けない。ずっと姿勢がいい。

「終わった? え、次はマスターの情熱可視化ザ・ジャンルが出てくるんですか? 」

 岩男は興奮を抑えられず、その場にしゃがみこんだ。

「いいかな? もう大丈夫?」

 大人の余裕でマスターが口を開いた。ニッコリ笑っている。

「オッケーでーす」

 主将がフロアからOKサインを出した。

「すごい久しぶりだからな。うまくできるかな」

 そう言いながらもマスターは笑顔である。

「やっぱり余裕ありますね。相手は半透明だし」

 さっきから、大人に認められたくて副将は無理をしているのではないか、という疑念を振り払えずにいた。

「情熱の強さを示すのは、存在の濃さだけではない」

 主将が意味ありげに言う。

「フンフンフフーン〜」

 再び岩男がステージに目を戻すと、すでにマスターはイヤホンを装着していた。体をクネクネさせながら、鼻歌を歌っている。

「やはり音楽に関係したものか! ライブハウスのマスターなのだから当たり前か!」

 音楽大好きの岩男にとっては興味深い。ワクワクしながら待っていると!

「上だ!」

 主将の声が鋭く響いた。

「な? え? えええー!?」

 上を向いた岩男の顔が、驚愕で強張った。

「JALだ!」

 主将の指摘は的はずれである。

「いやいや! 地下の! ライブハウスに! 飛行機が着陸しようとしている! の方を先に言わなきゃ!」

 二人して大声を張り上げているのは、飛行機のエンジン音がとんでもない轟音だからである。ジャンボ機ではないが、旅客機が、こっちへ目掛けて突っ込んでくる。

「うわー!」

 風圧と轟音と精神的なショックで、岩男と主将は吹き飛ばされた。一メートルほど。

「おいちちち…」

 岩男は尻餅をついた尻をさすった。

「見た? このスケールの違い!」

 主将はすでに立ち上がり、ビデオの三脚を再セットしている。

「色の濃さなんてものじゃない! これは、この規模の大きさは、情熱の違いから生まれるのか!」

 飛行機は着陸していた。ステージの横に。

「降りてくる!」

 タラップが降ろされ、ゆっくりと出てくる一団がある。

「ま、まさか! あの法被ハッピは!」

 そう、四人組である。揃いの法被を着て、手を振りながら、飛行機から降りてくる。

「JALだ!」

 確かに襟元に「JAL」と刺繍してあるけど。

「それにしても、光り輝いている! まさにスターではないか!」

 おそらくマスターの目からは輝いて見えるのだろう。それが可視化されているのか。

「オッケーい! カモン! シェキラ!」

 感極まってきたマスターから雄叫びが聞こえる。

「聞いたことのある曲が聞こえてきた!」

 岩男はロックは好きだか、あんまりクラシックなものは聞いてこなかった。それでも聞いたことがある曲だ。

「ワンウェイチケット! イェー!」

 主将はいっしょに歌い出した。さすが主将。

「カモン! ラウド・リバプール! ヒアウィーゴー!」

 マスターの絶叫と共に、四人のスターはタラップを降り終わった。

「ラウド・リバプール! それがマスターの情熱可視化ザ・ジャンルの名前か!

 岩男は海外サッカーにも疎いが、都市の名前であろうことは知っていた。

「ああ! オイラはこの日のことを思い出すだけでもワクワクし、体ば空に浮かぶようだ!」

 マスターがすっとステージの中央へ出てきた。四人組を後ろに従える格好だ。

「本人もアピールしていいんですね」

 岩男は主将に声をひそめて聞いた。

「まだバトルが始まってないから、フリータイムだね」

 ルールに則ったフリースタイルなのか。

「世界を熱狂の上にも熱狂させた四人が、ついに日本にやってきたのだ! 時代が変わった日! どれほど待ちわびたことだろう!」

 マスターは両腕を広げ、涙を流している。

「当時、何歳だよ」

 岩男はいぶかしんだが、無粋な勘定はしなかった。

「あの武道館のライブを見たとき、オイラは心に誓った! たとえ成功しなくても、音楽関係の仕事に就こうと!」

 そんなに大きくないライブハウスの管理者だが、確かに、好きなことで生きているように見える。ふとフロアの壁を見ると、貼り付けてあるモニターにもステージ上の現象が映されていた。ドリンク係の場典も、ライブハウスの機材を操作して録画しているようだ。

「だもんで、まだまだ若いやつには負けん! むしろ壁となって、跳ね返してやる!」

 それが合図なのか、四人組がゆっくりとステージの中央へと歩き出した。二人はギター。後はベースギターと、ドラムのスティックを手にしている。

「始まるのか? 迎え撃つコノアタリノ・ムケイブンカの様子はどうだ?」

 岩男がステージの反対側に目を向けると、副将の情熱可視化ザ・ジャンルは、よりいっそう半透明になっていた。

「気圧されてる!」

 岩男は驚きながらも、だいぶ笑った。

「こりゃあ、始める前から、ダメだわ」

 主将も諦めていた。

「それでも興味は尽きない! いったい、どんなルールで戦うのだろうか!」

 岩男は両の拳を握りしめ、ステージへとちょっと近づいた。

「難しいルールはない。情熱が強い方が勝つ。それだけのこと」

 主将がクールに返した。

「それでは、まあ、勝てっこない」

 副将の顔は真っ青で、顔中が冷や汗まみれである。

「来ないならこっちから行っちゃうよ! くらえ! 英国狂騒拍動マージーサイド・ビート!」

 いかにも必殺技の名前らしきものをマスターが叫んだ。

「え? いきなり?」

 岩男が困惑したのは、バトル開始の合図とか、お互いの了解がないまま、マスターが必殺技を繰り出したからだ。

「おおーん? うーん? むむむむー!」

 黙ったまま先制攻撃を受けることになったコノアタリノ・ムケイブンカが、驚いて目を見開き、だが何もできずに唸っている。

「最初からあの技! ライブ鑑賞同好会史上、伝説の必殺技! 一撃で仕留めるつもりだ!」

 同好会に在籍して三年になる岩男だったが、そんな伝説は聞いたことがない。

「そもそも同好会で必殺技ってなんだろう」

 さて、目にも見よ。ステージ上のトッポい兄ちゃん四人組、ラウド・リバプールが、ツカツカと、コノアタリノ・ムケイブンカを取り囲んだ。

「人数は! いいんですか? 四人対一人なんてアンフェア!」

 岩男はステージを指差しながら主将の腕を引っ張った。

「情熱の量があれば、情熱可視化ザ・ジャンルは何体出撃させても構わない」

 主将は静かに首を振った。

「しかも、出番がまだだと思って、コノアタリノ・ムケイブンカは舞台の横で控えていたのに!」

 彼の驚きは、お約束を堂々と破ってこられたこともあるだろう。

「狂言界の不文律なんて、外国のロックスターには関係ない」

 むしろ、隙だらけで座っているだけに見えているに違いない。

「ああ! いよいよ!」

 二人のエレキギターと、一人のベースギターが、ネックの方を両手で握り、ボディをハンマーに見立てるようにして、大きく上に振りかぶっている。

「楽器で殴るの? いいの?」

 岩男はロックが大好きなので楽器もそれなりに見ているし、リスペクトもしている。

「芸術の表現方法は、人それぞれだから」

 主将は、あまり好ましくない行為と思いながらも、表現の自由を尊重する姿勢のようだ。

「まあ、ギターを燃やしたり、ドラムセットを破壊するスターもいますしね」

 岩男も肩をすくめた。超一流のスターなら許されるだろう。一流じゃない若僧がやるのは反対だが。

「っていうか、避けないの?」

 主将の発言はステージ上の副将に向けられたものだったろうか。ポカポカというか、バシンバシンというか、すでにコノアタリノ・ムケイブンカは、三人によってタコ殴りにされている。

「耐え忍んでる!」

 コノアタリノ・ムケイブンカは俯きながら、いつか暴力が過ぎ去るのをじっと待っているようだ。

「どうしたらいいか分からなくなってるのかな」

 副将自身も、完全にフリーズしている。無表情で殴り続けるラウド・リバプールと、なすがままで無抵抗なコノアタリノ・ムケイブンカを、ただ見ているだけだ。

「俺らはさっきから何を見せられているんだ」

 相撲で先輩が若手に稽古をつける感じだろうか。気合いを注入しているというか。

「本体へのダメージは?」

 岩男は心配した。

情熱可視化ザ・ジャンルがダメージを受けても、人体には影響はない」

 主将はキッパリと断言した。

「そーれ! とどめだ!」

 マスターの号令で、手を出さずにいた四人目、ドラムの人が、両手にドラムスティックを一本ずつ持って、ゆっくりと図上へ掲げた。

「来るぞー! そろそろ何かしろー!」

「先輩! 必殺技とかないんですかー!」

 声援というよりは野次である。

「お、おお! そうか、こっちも必殺技を…」

 出せばいいんだ、と言いかけた気がした。

林檎星猛連打スターオブアップル!」

 だが、副将が必殺技を叫ぶ前に、マスターの方が追加してきたのだった。

「うわーあぁー!」

 ギターで叩かれるより痛そうなのは、ドラムスティックが叩くために存在しているからだろうか。ギターで殴られるといっても、ウレタンというか、硬めの発泡スチロールみたいな音だったのが、今度は本当に木の棒なのだ。

「ものすごい連打! 現在のハードロックのドラマーに比べても遜色ない!」

 主将が賞賛している。彼女もヴィジュアル系のライブでよく見ているのだろう。

「あ、あの、必殺…、能面発声内篭キキトリヅライネ

 後ろで副将が小さい声でいうが、コノアタリノ・ムケイブンカには届かないのか、棒で殴られ続けている現状では、何もできない。

「そんなんじゃ勝てないよ。仮に発動しても」

 主将が辛辣に分析した。

「能面ね! 古くて価値があるものが見られたりして嬉しかったりね! ただ、能面つけて喋られると、何言ってるか分かんない時もあるやね!」

 岩男は無理にテンションを上げて、狂言あるあるを言った。

「マイク使わないもんね」

 主将が合いの手を入れてくれる。

「そうですね。和服の袂にピンマイクとか、たぶん付けないですね」

 海外公演など、規模が大きい場合はどうだろうか。

「人間国宝(副将の愛称)も、普段はやたらと声が大きいんだけど」

 主将がため息をついた。

「腹から声が出てますよね。普段なら」

 それが今では、萎縮してしまっているのだ。

「これで終わりだよ! 超必殺! 黄色潜水艦音頭エターナルリスペクト!」

 相手に何もさせないまま、マスターは超必殺技でトドメを刺しにきた。

「手加減ナシ!」

 その冷徹さに岩男は笑いを禁じえなかった。

「四人組が、回り始めた! コノアタリノ・ムケイブンカの周りを! 高速で!」

 主将の実況の通り、ラウド、リバプールの面々は、このままバターになるのかというくらいの高速で。

「しかし、このBGM! 今でも十分に新鮮だな! 落ち着いたら定額ストリーミングで聴いてみよう!」

 古臭いイメージだったので全くの未開拓だった。その考えを岩男は改めたのだ。

「カミナリ!」

 主将の叫びと共に、ステージに落雷があった。

「ぎゃー!」

 ドカーン、バリバリ、ピシャーンといった轟音に、岩男たちはまた吹き飛ばされた。

「なんて唐突な!」

 ラウド・リバプールの超必殺技の演出だったのだろうか。

「これではコノアタリノ・ムケイブンカはひとたまりも……。おや?」

 岩男は大げさに目をこすった。

「あ、あれは!」

 主将もわざとらしくステージを指差す。

「四人組が立ちはだかっていて奥が見えないけど、確かにいる! まだいる!」

 四人組の向こうでもぞもぞと蠢めくものがある。

「はははっ! 学生相手に大人げなかったかな?!」

 マスターの余裕たっぷりの勝名乗り。そして、四人組が左右に分かれ、奥から出てきたのは……!

「ああ! なんてこと!」

 主将は顔を手で覆った。

「そ、そんな! 嘘だろ? 歌舞伎っぽいビジュアルだった、コノアタリノ・ムケイブンカが!」

 そう、なんということか、白地のフェイスペイントに、目の周りを黒く隈取りしているではないか。

「かぶれたー!」

 コノアタリノ・ムケイブンカは、ハードロックのハードなビートにやられてしまって、地獄から来た悪魔のバンドみたいになってしまったのだ。

「あー、あのペイント、日本のカブキを参考にしたみたいなエピソード聞いたことあるわー」

 主将はとてもガッカリしながら解説した。

「副将ももともとロックが好きで、よくライブハウスで一緒になりますからね」

 岩男は、彼が伝統芸能ファンを名乗っているのは建前だろうと前から思っていた。

「うるさい! うぇー!」

 見れば副将もステージ上で下を出しながらシャウトしている。

「ひゃー! はー!」

 コノアタリノ・ムケイブンカは口から花火みたいな火花を出し始めた。

「よく見ておきなさい。サークルバトルで負けるということが、どういうことか」

 主将は悲しそうに岩男に語りかけた。

「なんていうか、まあ、趣味は広がるかもしれませんがね」


 疲れ切った副将はフロアに出してもらったパイプ椅子に座り、ドリンク係の場典から受け取ったペットボトルの水を飲んでいた。虚ろな目をしている。

「お疲れ様でした! 勉強させてもらいました!」

 岩男は降りてきたマスターに礼を言った。BGMはもちろん例のリバプールサウンドだ。

「どう? できそう?」

 マスターはまっすぐな目で聞いてくる。

「僕が? あんなの出せますかね」

 出し方の見当もつかない。

「できるよ。たぶん」

 主将は無責任に励ましてくる。

「でも、百聞は一見に如かずとはよく言ったもので、だいたいの感じは掴めましたね! だいたいですけど!」

 想像していた以上に暴力的で、即物的であった。

「先に言っておくけど、コツなんかないから。情熱の強さ! それだけ!」

 マスターが明るく言い切った。

「そういうことでは、マスターの情熱は、どんだけなんすか」

 岩男はまた面白くなって笑った。馬鹿にした笑いではない。

「歳を取っても衰えない、それが音楽の素晴らしいところさ!」

 マスターは腕を組んで悦に入っている。

「せっかくなのだから、この勢いで、ロック君もやってみなよ」

 そう、岩男の修行に来たのだった。見学だけして帰るのは憚られる。

「というと、相手は?」

 岩男はちょっといやらしい目で主将を見た。

「私はやらないよ。やったこともないし」

 それでも主将かよ!とは岩男は言わなかった。

「オイラは疲れちゃったし、十分満喫したから、他に岩男くんの相手をするようなのは……」

 マスターがライフハウスを見回すが、誰とも目が合わないようだった。

「もうすぐ開場の準備も始まりそうですしね」

 主将も同調する。

「という訳で、一人でやってみ?」

 そしてアッサリと言い切りやがった。

「見ててあげるから」

 マスターも笑いを堪えながら言う。

「ひひひ、一人で? 何ですかその辱めというか、みっともない行為は!」

 一人での行為を見られて興奮する性癖はない。少なくとも今の岩男には。

「わかったよ。冗談だって。誰かスタッフで……」

 マスターは笑って相手を探そうとしだした、その時!

「あ、メールだ」

 主将のスマートフォンから着信音が鳴った。「パッププパープー、プップッ!」と、野球の応援でのトランペットがスリーアウトになった時に演奏するやつだった。

「何ですかその脱力というか、情けない着信音は」

 よほどしょうもない相手からのメールなのだろうと推測した。そんな着信音を設定するような。

「事務局から」

 主将はスマートフォンの画面を見ながら言う。

「何の、ですか?」

 岩男は嫌な予感を感じながらも聞いた。

「文化系サークル最強決定戦の」

 主将はことも無げに返す。

「え、どうせ、なんか、設定の追加とかでしょ?」

 岩男たち三人はさっきまで部室にいて、そこで初めてのメールが来たのだ。そんなにすぐに事態が動くとは思いたくなかった。

「え? 今日じゃん!」

 メールを読む主将から、とても嫌な感じが飛んできている。

「初戦、今日だって」

 主将は苦々しく言う。

「今日って、これからですか?」

 子供は帰る時間じゃないかな。

「ここで?」

 こればマスターが聞いた。ライブハウスはもうすぐ開場の準備が始まるのだ。

「場所はこっちが指定できる。できれば、ここでやりたいですけど……」

 主将はチラリとマスターを見た。

「あ、いいよいいよ。邪魔にならなければ」

 マスターは軽く承諾した。

「邪魔じゃないすか? いいんすか? やるんすか?」

 本当に岩男は戦うとしたら、ぶっつけ本番にも程があるのではないか。

「いいじゃん。時間もないし。サクッと負けちゃってよ」

 人ってこんなに冷淡になれるんだ、と岩男は笑顔を引きつらせた。

「して、相手は?」

 副将の問いに主将は答えず、厳しい顔でスマートフォンを見ている。

「その感じは、強敵ですね! サクッと負けそうなくらいに!」

 岩男がハードルを上げようとした、その時だった!

「すみませーん」

 ライブハウスのフロアは地下にある。上の方から声がした。誰か入ってきたのだ。

「若者の声。ライブの客じゃないな」

 マスターはつぶやきながら、コンクリートむき出しの階段を登っていく。

「敵襲?!」

 岩男は緊張した面持ちで身構えた。

「敵といっても同じ大学の学生だろうが。もし対戦相手だとしても」

 主将はぜんぜん緊張していない。

「失礼しまーす」

 程なくして、マスターに導かれ、若者の集団がぞろぞろと階段を降りてきた。

「こんちわー」

 主将がよそ行きの顔で挨拶を返す。

「気をつけてねー」

 マスターは、コンクリートむき出しで、手すりのない階段から落ちないように注意を促している。

「初めて来た時はビビったよね。ライブが始まると暗くなるし」

 このライブハウスあるあるが主将から繰り出されているが、若者の集団は恐る恐る降りてくる最中で、あまり聞いていない。

「混んでるライブの時は、階段から見てる人もおりますな」

 副将も後を追った。

「そんな呑気なあるあるはさて置き、僕は集団の外見から彼らの性質を分析しようと試みる!」

 岩男は謎の宣言をした。

「まず目につくのは、メガネ率の高さ! 間違いなく文化系だ!」

 集団は八人で、男ばかりである。

「一人! 女子がいる! メガネだけど!」

 岩男もお年頃の男なので、そこは目ざとく見つけられる。

「服も地味だな! コンサバコンサバしている!」

 今時の若者にしては珍しい。

「僕は文化系サークル連合会の総会に参加したことがある。というか今日の話だけど。その参加サークルのリストも見ている」

 もうだいたい集団は階段を降り終わっている。何人かは、岩男のオーバーアクションを不思議そうに見ている。

「嫌な予感がプンプンとしてきた! 文化系、それでいて保守的。礼儀正しく、浮わついてない。……ま、まさか、彼らの正体は……」

 岩男はすごい汗で、首を振りながら、少しずつ後ずさった。

「お忙しいところすみません。安政大学の、将棋部のものです」

 メガネの男性が名乗った。

「うわー! やっぱり!」

 岩男は顔を手で覆ってしゃがみ込んだ。

「……彼は大丈夫?」

 将棋部の部長らしきメガネの男性が岩男を心配している。

「こいつ、うちの代表なんだけど、まだ試合したことなくて、緊張しすぎておかしくなってるだけだから」

 主将が呆れた感じで切り離してきた。

「戦慄! 文化系の中の文化系! 初戦からなんでそんな強敵が?」

 連合会理事長の不破の言葉を思い出している。岩男の会議中の態度にムカついた理事長は、岩男を自ら直々に叩き潰すと言っていた。つまり、理事長が所属しているオカルト研究会と当たるまでは、そんなに強敵に当たらないんじゃいかと期待していたのだ。

「くじ引きだからねえ」

 将棋部の部長は冷静に言ってきた。

「私はライブ鑑賞同好会理事長、番儀屋です。彼が今回、代表で試合に出る坂東君。よろしく」

 主将は堂々と自己紹介し、右手を差し出し、握手を求めた。

「初めまして。大人数で押しかけて申し訳ありません。みんなが、いっぺんライブハウスというところを見てみたいというものでね」

 将棋部の部長はメガネをピカーンと光らせた。

「彼は嘘をついている! 大人数を引き連れてきたのは、用心棒、あるいはボディガードの役割を担っているだろう! その証拠に! 下級生らしき何人かは、不自然に長傘や空のワインボトルを装備しているではないか!」

 岩男がビシッと指差した。

「面白いこと言うねえ」

 代表の目は笑っている。見抜かれることまで読みきられているのか。

「僕は将棋部の部長をしている、法学部四年、尼追手あまおうて 街太まちただ。よろしく」

 将棋部の部長は良い姿勢で挨拶し、主将と握手を交わした。

「ほらほら! 法学部! やっぱり頭良い!」

 岩男が通う大学はそれほど偏差値は高くないが、法学部だけは飛び抜けていた。

「よろしーく」

 ライブ鑑賞同好会の主将も負けじと威厳たっぷりに握手した。両サークルのトップが火花を散らしている。

「マッタ先輩。こんな茶番は好い加減にして、はやく終わらせましょう」

 そこに後ろから女性の声がかかる。将棋部の紅一点の発言だったが、将棋部において、その呼び方は大丈夫なのだろうか。

「オフィシャルのシーンでそのニックネームやめてね」

 将棋部部長の目は笑っていなかった。

「将棋盤の裏のくぼみは、「待った」をした人間の首を据え付けるためにある、という」

 将棋部員の誰かが言った。

「将棋においての「待った」が、どれくらい禁忌なのかを物語る伝説ですね」

 違う将棋部員が言った。

「だから諸君。僕のことを「マッタ先輩」と呼ぶのは、TPOをわきまえてくれたまえ」

 仲間内で呼ぶのはやぶさかでもないらしい。

「そんなことよりマッタ先輩」

 先ほどの女性は空気も部長の体裁も読まずに発言する。

「はい、どうぞ」

 部長は微妙な笑顔で促した。

「こんな場所に出入りしているところを見られたら、どんな悪い噂を立てられても抗弁できません。できるだけ早急に目的をやり遂げなければ」

 女性の将棋部員は嫌悪感を露わにして言った。

「失礼。先に僕から紹介させてもらおう。彼女は駒鳥杉こまどりすぎ 津美つみ。女性ながら、我が将棋部のエースなんだ」

 岩男には、部長は女性というところを強調したように感じられた。

「将棋の世界では、男女の差はどんな感じ?」

 主将がのん気に質問した。

「事実として、かなり差がある。男性のプロと互角に渡り合える女性はほとんどいない」

 部長はそれほど残念そうではなさそうだ。

「女流棋士というカテゴリーがあるのは、男性のプロだけだと華やかさに欠けるから、と言うこともできるどろう」

 事実にかまけて、部長は差別的な立場を隠そうとしなかった。

「違う生き物ですし、得意不得意はありますよね」

 そして岩男は、長いものに巻かれようとした。

「が! しかしですね! うちの駒鳥杉さん、ニックネームは「ツメローちゃん」はですね、まあ強いんですわ!」

 部長が急にテンションを上げてきた。

「つめろ、とは将棋用語です」

 駒鳥杉さん本人が補足した。

「ちゃん付けな時点でセクハラですがな」

 マスターが社会人の視点から指摘してきた。

「彼女、ホント強いんですよ! 学生将棋大会でも、今年は県の予選でいいところまで行けるかもしれない」

 その目標がすでに弱小じゃないか、と岩男は思ったが口にはしなかった。

「周りが強すぎるんだ」

 駒鳥杉が弁明するようにつぶやいた。

「そうそう。OBがプロで、指導したりして」

 他の将棋部員も悔しそうに言う。

「知らんし」

 主将は対外的な交流には興味がなさそうだ。

「その学生将棋大会とやらに集中しておられるなら、こんなイロモノ異種格闘技戦に、貴重な時間を費やさない方がいいのではないだろうか?」

 副将が椅子から立ち上がり、自らを否定するような意見を述べた。

「いや、そんなことはない。この文化系サークル最強決定戦で優勝すれば、我ら将棋部念願の! 縁台将棋大会を開催できるのだから!」

 部長が大きな声と高いテンションで叫んだ。

「別に優勝せんでもできそう、と言うか、勝手にそこらでやればよさそうなものだが」

 あの個性的な副将すらちょっと引いている。

「フフフ。そう言われることは読み筋だったよ」

 部長は不敵に笑った。

「さすが将棋部だな! 普段の生活でも常に先を読んでいるのか」

 岩男は将棋を勉強したらそんなスキルが身につくかも、と下心をのぞかせた。

「フフフ」

 部長は不敵に笑っている。

「……読んでただけで、何も準備してないな」

 主将はツッコミながらも、あまり深く関わりたくない様子で一歩下がった。

「もっと大々的にやりたいってのよ。文化系サークルの人員は、全員、強制参加よ」

 不甲斐ない部長に苛立ったのか、駒鳥杉が棘のある言い方をした。

「うへぇ〜〜」

 主将が心底嫌そうに舌を出した。バンギャが縁台で将棋など罰ゲームでしかない。

「初心者にはルールから教えていただけるんでしょうな」

 副将は日本文化に強いのでまんざらでもなさそうだ。

「長々と終わらない茶番! そろそろいい加減にしましょうか!」

 駒鳥杉はずっと怒っている。やはり初めてのライブハウスにいることに緊張しているようだ。

「それで、さっき、こんな場所、と仰ったが、ライブハウスについては、どんなイメージ持ってます?」

 先ほどの発言を岩男は忘れられず、女性に対する緊張を乗り越えて異議を唱えた。

「フン! このように、わざわざ地下に作られた怪しげな施設! どうせ未成年の飲酒や喫煙、果ては違法なドラッグや、合意に基づかない交渉などが、夜な夜な、サバトのごとく行われているに違いないわ!」

 駒鳥杉は、おぞましそうに自らの体を抱いた。

「禁煙なんだけどな」

 マスターは泣きそうな顔をしていた。

「そして、嫌がる女子に、ムリやり、あんなことやこんなことを…」

 顔を赤らめながら駒鳥杉は続ける。

「大した妄想力! これは情熱可視化ザ・ジャンルも相当に強力だと予想される!」

 副将がハードルを上げにきた。

「女性として怖いなら、試合に出るのを断ればよかったのに」

 岩男が普通のことを言った。事前申請すれば選手を交代できるルールだったはずだ。

「……みんなが護衛してくれるっていうし」

 駒鳥杉がもじもじしとしだした。

「我々も、どんなところか、一度来てみたかったし」

 正直な部長を駒鳥杉が睨んだ。

「ははーん? さては、下見も兼ねているな?」

 あからさまなヒントに、主将の推理力が鈍く光だした。スマートフォンでライブのスケジュールを確認するようだ。

「来週の「極悪ツートップ」でしょ」

 主将がいたずらっぽくカマをかける。注釈をつけるとすれば、エジムンドとバティストゥータ。

「違うわ!」

 顔の赤いままの駒鳥杉が直ぐに否定する。

「あ、違うバンド?」

「そりゃそうよ!」

「語るに落ちたな」

 テンポ良く、駒鳥杉がハッとした。

「ライブに行きたいけど、ライブハウスの敷居は高い、そんなあなたにおススメのアプリがこちら! ヒキツレ!」

 流れるようにスマートフォンの画面を見せ、主将が宣伝を始める。

「え? そんな夢のようなアプリあるんですか? でも、なんか怪しいなあ〜」

 副将も寸劇に参加してくる。結構な棒読みである。

「茶番が長い」

 岩男が感想を述べた。駒鳥杉も同意だろう。

「ライブハウス経験豊富なスタッフが親切丁寧に随行! しかも一人参加なのに団体割引! 学生証のデータと紐付いているから、年齢確認もバッチリ! 決して未成年に飲酒や喫煙をさせません!」

 一度始まった寸劇は、当人たちですら止められない。

「個人情報の流出が心配だなあ」

 副将がムリやりな大声で言う。

「ご心配なく! 安政大学ハッキング同好会のエキスパートたちが日夜監視してくれています!」

 致死量の毒を以て毒を制するスタイルである。

「うーん、なるほど! 我々将棋部でも、プロの先生方のタイトル戦の観戦とか、希望者を募って団体で行くのもアリだな!」

 将棋部の部長がインスパイアされている。さすがにここでタイトル戦とは何なのかを解説するのは躊躇われた。

「あのう、先輩方、そろそろやばいんじゃないですかね……」

 岩男は駒鳥杉のアンガーコントロールを気にしていた。

 パチン……。パチン……。

 駒鳥杉の方を見やれば、目を閉じて、眉間にシワを寄せ、扇子をパチンパチンさせていた。

「おや? ぷぷっ! ツメローちゃんたら、キレて独断で勝手に戦闘態勢に入ってるよ」

 ハイテンションな部長が説明してくれる。扇子を鳴らしながら、駒鳥杉がトランス状態に突入しているようだ。

「問答は無用とばかりに! なんてサバサバした性格なんだ!」

 岩男は、勝負に徹する姿勢を垣間見た気がした。

「感心している場合か! 向こうはもう、情熱可視化ザ・ジャンルを出してきてるよ!」

 主将の言葉に導かれ、岩男が見たものとは。

「出てる! 見える! ハッキリと! イケメンが!」

 男の岩男ですら息をのむような美青年であった。

「なんて美形! 青白い顔! 黒髪の長髪! 駒鳥杉の趣味なのか!?」

 現れたのは、赤い鎧を纏った、戦国時代の武者のような人物だった。

「派手な鎧に、シュッとしたイケメンかい。それはそれは」

 岩男は呆れつつも、どこか寂しかった。彼だって年頃の男子なのだ。

あゆむくん! 軽く揉んでやんな!」

 それまでの地味で保守的な態度から打って変わって、ドスの利いた声で駒鳥杉が言った。

「八種類の駒のうち、前に一マスしか進めない、最も弱い駒さ」

 将棋部部長による不愉快な説明が入る。

「吹けば飛ぶような駒の代表格であるな」

 ライブ鑑賞同好会副将による不愉快な合いの手も入った。

「一歩一歩、前しか進まねえぜ」

 そして歩くん本人が不敵に笑う。

「しゃべるのか! しかし、細面で色白、ハンサムなのにワイルド。彼女の好みなのか?」

 岩男が振り向くと、ショックを受けているらしき将棋部員が何人かいる。いや、全員ショックを受けているようだ。

「見た目とか、雰囲気とかって大事だよね」

 中身で勝負したかったであろう将棋部員たちに、主将から追い打ちが入った。

「それで? 俺の相手は? まだ来てねえのか?」

 歩くんが威圧的にフロアを見回し、ガンを飛ばしている。将棋部員たちは一様に目を伏せた。

「ロック君! ロック君!」

 にやにやしていた岩男に、副将が呼びかける。

「なんすか?」

 素で聞き返してしまった。

「出番! 次!」

 副将は岩男を指さしながら、最小限の言葉で伝えようとしている。

「早くしないと不戦敗になるよ」

 主将は人ごとのように言った。

「あ、そっか! お、俺? やっぱり?」

 予行演習なしでのいきなり実戦に、今さらながら尻込みしてしまう。

「不戦勝だったら歩で十分」

 駒鳥杉が腕組みをして見下している。

「ムッキー! 舐めやがって! 俺だってライブ鑑賞同好会、通称ラカンショのエースなんだぞ!」

 もちろん、そんな通称はない。

「いいから早く情熱可視化ザ・ジャンルを出すんだよ!」

 将棋部員たちからもヤジが飛んでくる。岩男は精神的な余裕が失われていくのを感じた。

「むむむ……」

 岩男は情熱可視化ザ・ジャンルの出し方を教わっていないので固まっている。

「よし。じゃ、仕方ない。不戦敗かな」

 主将は露骨にやる気がなかった。

「主将が仰るのはロック君の自尊心をおもんぱかってのことでしょうが、男ならば、やらなきゃいけない場面もございます!」

 副将が熱く反論している。そのことが岩男をさらに追い詰めた。

「ああ? だったら早く出しゃいいじゃんかよ」

 主将の方から不機嫌で不穏な空気が伝わってくる。

「ロック君! できるよな! エースだもんな!」

 副将のボルテージも上がっている。

「よ、よーし、やってみます!」

 情熱可視化ザ・ジャンルの出し方が分からない岩男は、とりあえず太極拳のようなポーズをとった。

「なんだそりゃ」

 駒鳥杉に笑われ、やっぱり違ったかなと岩男は思った。

「はあっ! とうっ!」

 かめはめ波のような動作を繰り返してみる。

「まだですかー?」

 将棋部部長も腕時計を見ながらプレッシャーをかけてくる。

「うう、くそう……。出し方さえ分かれば……」

 岩男は悔しさに顔をしかめ、ライブハウスの床に片膝をついた。

「ああ、まったく、だらしない」

 主将のため息も聞こえる。

「ロック君よ。ロック君。君はさっきから何をしようとしている? どんな情熱可視化ザ・ジャンルを出そうとしているんだ」

 近づいてきた副将が岩男の肩に手を置いた。

「……ピンクフロイドみたいなのです」

 そう、岩男は、超かっこいいバンドを召喚しようと気負っていたのだ。

「普段そんなオシャレ洋楽なんか聞いてないだろ」

 主将とは常々、熱く音楽論議を交わしているので、岩男の嗜好も筒抜けなのであった。

「何人組かも知らないだろ」

 副将にも筒抜けなのであった。

「もっとベタなのが好きそうだよね」

 初対面の将棋部部長にも見透かされていた。

「そ、そうか。他人の目の方が冷静に分析できているんだな」

 そして自分を実際のもの以上に見せかけようとしていたことに気づかされた。

「そりゃ出ないよ。本当に心から好きなものじゃないと」

 主将が唇を尖らせて言った。

「俺が好きなロックとは、どういうものだろうか。そして、俺は何のために生まれてきたのだろう」

 主将のアドバイスをうけ、岩男は思索の深い海へと潜り始める。

「今から?」

 駒鳥杉は怒りを通り越して驚いたようだ。

「うーん。同じ大学の後輩だし、なるべくなら実力を出し切ってほしかったけど、さすがに、時間も遅くなっちゃうし……」

 温厚そうな将棋部部長さえ、遠回しに不戦勝の方向にサジェスチョンし始めた。

「ままま! 待ちゃれ! 待ちゃれ! あ、お待ちあれー!」

 割って入ってきたのは副将だった。

「シバラク、じゃないんだ」

 駒鳥杉の期待は外れたようだ。

「どうか! どおーか! いまシバラク! お待ちいただきたい!」

 指摘された副将はシバラクを取り入れた。

「なんでしょう? 彼の情熱可視化ザ・ジャンルが出せるようになるまで、我々にただ待っていろ、と?」

 将棋部部長はメガネをクイと上げながら、優越感タップリに言った。

「ちょっと。勝手にラカンショを代表しないでよね」

 主将は岩男初の同好会通称を取り入れていた。

「……何らかの要求を飲めば、お待ちいただけるのか?」

 副将は良い姿勢のまま、まっすぐに将棋部部長を見据える。

「そうだね。もちろん、貴同好会の総意であれば、だけど」

 そう言って部長は主将の方を見た。

「フン。要求にもよるわよね」

 勝手に副将が始めた交渉だったが、主将という立場上、簡単には引き下がれないようだ。

「どうだろう。ツメローちゃん、何と引き換えなら、待ってあげられるかい?」

 部長は駒鳥杉へと振った。

「不戦勝でも、仮にこのド素人が情熱可視化ザ・ジャンルを出せても、どうせ勝つのは私なのですから、戦果がより多いこと越したことはありません」

 駒鳥杉は、すでに要求案を固めていたようだ。

「要求によるからね!」

 主将が再度くぎを刺した。

「ビーバーダム論の授業を取っている方はいますか?」

 ビーバーが作るダムについての授業。主将と副将は顔を見合わせた。

「それは、もしかして、環境デザイン学部?」

 そして二人同時に顔を輝かせる。

「そうです。要求は、ビーバーに関するレポート作成の、代行です」

 駒鳥杉はイリーガルなことを堂々と言い放った。

「さすがエース! まさか将棋に関係ない条件を出すとはね!」

 将棋部部長が微妙な表情で賛辞を贈った。

「こいつも環デザですよ。奇遇ですね!」

 副将が岩男を嬉しそうに指さす。

「他にいませんか?」

 駒鳥杉は露骨に嫌な顔をした。

「よろしい! その条件、飲みましょう!」

 主将は駒鳥杉の質問を無視し、交渉成立を高らかに宣言した。

「やはり、自分のケツは自分で持たせませんと! 心を鬼にして! 後輩の成長を促すためにも!」

 副将は自分が安全になったので安心しているらしい。

「彼もそれでいいのかい? 全く同じレポートだとばれるから、二種類作らないといけないんだけど」

 将棋部部長に心配される始末だった。

「……」

 そこで部長が見たものは、うつろな目で体を揺らしながら自問自答を繰り返す、変わり果てた岩男の姿だった。

「じゃ、もうちょっと待とうか」

 慌てて目をそらした部長は将棋部部員たちに声をかけた。やれやれ、といった空気が広がる。

「ていうか、早くしないと、あれ? もうバンドさんがセッティングに来たよ」

 主将がステージ上の変化に気が付いた。時間がきたのか、バンドのセッティングが始まっている。

「うそ? もう?」

 マスターが驚いて腕時計を見、首をかしげながらステージ袖へと消えていった。

「本当にもうライブの準備が始まるなら、邪魔になるわけにいかないから、不戦勝ってことでしょうがないよね」

 将棋部部長は少し残念そうに言った。

「おかしいな、まだ時間あるはずなんだけどな」

 主将は不思議そうに、ステージ上に入ってきた人影を見ている。

「不戦勝の場合でも、レポートの方はお願いしますよ」

 駒鳥杉は不信感をあらわにした。

「……それにしても、こう言っては失礼ですが、この規模のライブハウスに、この時間に……」

 副将は呆けた顔でステージ上を見ている。

「うん……。こう言っちゃ失礼だけど、すごい新人か、売れてないバンドが、活動の場を求めて仕方ないしに平日でお客さんガラガラで演奏するようなカテゴリーの、小さくて、味があるライブハウスに……」

 主将も驚いた顔でステージ上を見ていた。

「ほんとだね! 外国人の方もいる? 見た目からして、何て言うか、プロっぽいというか、こんな規模の、ええと、由緒あるライブハウスには、似つかわしくないというか」

 将棋部部長も言葉を選びながら、違和感を口にする。


 まず目立つのはギター担当の男。金髪の長髪で、筋肉質な長身であった。確かに日本の小規模なライブハウスではあまり見かけないだろう。しかもテキパキと自分でアンプやシールドをセッティングしている。ギタースタンドに置かれたエレキギターも、見た目からして高価そうであった。

「かっこいい! カナダ人のプロレスラーみたい!」

 主将が黄色い声を上げた。男は振り返り、主将へウインクを返す。それほどハンサムな印象でもないのは目と口が大きいからか。特に口が大きかった。

「キャー!」

 主将は興奮しながら足踏みをバタバタとした。

「かっこいいのにチャラチャラしていないなんて、バンドマンらしくないというか、もしかして本当のプロなのかな」

 将棋部部長の偏見は身もふたもないものであったが。


 ギターとは逆の位置、フロアから見て右側から現れた男は、パーカーのフードを被り、スキーのゴーグルをしている。

「かたや、異様な風体でありますな。ただものではありますまい」

 副将の指摘の通り、背は高くなく、どうやら日本人のようだが、見るからに怪しいオーラを放っている。電子ピアノのセッティングをしているが、その横にはエレキギターも置かれている。

「鍵盤もやりつつ? ギターも?」

 主将が驚きの声を上げた。 

「珍しいのかい?」

 あまり音楽に詳しそうではない将棋部部長が聞いた。

「少なくとも私は見たことない。ピアノ弾くドラマーなら超有名な人はいるけど」

 主将の主戦場はビジュアル系である。

「ほら! 椅子に座って、ピアノ弾きながらギターも持ってるよ!」

 確かに、足を組んで座って、その足の上にギターを乗せ、チューニングをしている。

「これで下手だったらいい笑いもの。よほど自信がおありなのでしょう」


 ステージの右の奥でも、一人のバンドメンバーが準備を始めている。

「あの、奥にいるのは女性じゃないですか?」

 目ざとく将棋部部長が見つけた。やはり男子大学生なのだ。

「なるほど、最近はベースやドラムに女子を配置して、実力は度外視に、男のファンを確保するバンドも増えてきましたが」

 さりげなく副将がJポップシーンを批評した。

「なんか、職人っぽいっていうか、たたずまいがプロっぽいよね」

 主将が言う通り、キャップを目深に被った顔はほとんど見えないが、厚手で灰色のTシャツにミリタリーなパンツという外見からは、男の目に媚びようという意図は微塵も感じられない。

「ベースギターはギターよりもネックが長くて重量がありますし、なにせ地味ですから、なんで女子ながらベースをやろうと志したかというところから、いろいろ興味が湧くのを禁じえませんな!」


 ステージ上の現れた四人の人影の内、一番奥でドラムのセッティングをしているのは、白髪の混じった長髪を後ろで束ねた、やや年配の男性である。

「ベテランであらせられる! バンドに落ち着きをもたらすことでしょうな!」

 口ひげも生やしているし、タンクトップからむき出しになった両肩には派手なタトゥーも入っている。

「ワイルドなロックオヤジ、と言ったところか。見た目はいかついけど、話してみたらいい人そうだ」

 今まで将棋と勉強がメインだった部長にとっては苦手なタイプだろうが、それでもポジティブな印象も受けているようだ。

「やんちゃなギターの彼も、おやっさんにだけは頭が上がらない、みたいな、凄みというか、迫力があるよね!」

 主将の中では、バンド内の人間関係への妄想が繰り広げられているようだ。


「なんにせよ、まだどんな音楽をやるのか分からないが、見た目だけでも世界的なミュージシャンっぽくて、これはもう、もし可能なら、ぜひ観ていきたいな!」

 将棋部部長が興奮気味に、主将からマスターへ口添えしてほしそうな顔をした。

「当日券あるかな」

 主将と副将はキョロキョロしていると、タイミングよく、マスターが小さく首を振りながら戻ってきた。

「ちょいと! この方たち、なんてバンドですか? ちょうかっこいい!」

 主将が目を輝かせてマスターを迎えて言った。

「……いやはや、これはとんでもない逸材かもしれないねえ」

 マスターは応えず、腕を組み、信じられないといった風に首を振ながら、主将たちの横に並んだ。

「マスター?」

 主将の再びの問いかけにも、マスターはずっと首を振っている。

「……これが本物だったらなあ……」

 そしてマスターは遠い目をしていた。

「えー、デスゾーン・ファランクス、リハ入りまーす」

 ドラマーがマイクでエンジニアに告げた。

「日本語?!」

 まず主将はそこに驚いた。

「聞いたことないバンド名ですな」

 すかさず副将はスマートフォンを操作しはじめる。

「ボーカル寝坊してるんで、すみませんけど、先にバンドだけで」

 ドラマーがリーダーの立場で、ぶっきらぼうに謝罪した。それを聞いたギター担当が両手を顔に当て、おどけて「オーマイゴット」的な顔をし、対面する位置にいるキーボード担当が苦笑した。

「そうそう! ボーカルよ! 肝心なのは!」

 主将も反応した。ステージのセンターには、マイクスタンドだけが立っている。

「ただの遅刻だったらいいけど、気が乗らないからドタキャン、とかじゃないよね」

 将棋部部長が、よくわからない心配をしている。

「まだチケット買ってないから文句も言えないけどね」

 主将はソワソワしながら当り前なことを言った。

「……スタイリッシュにして……音楽に対して真摯……。それでいて職人気質……」

 主将たちの後ろから、ブツブツとうわごとをつぶやぎながら近づいてきたのは、岩男であった。

「おお、久しぶり……って、どうした?!」

 振り返った面々は一様に驚愕の表情を浮かべた。

「トランス状態ではないか!」

 副将が目を見張る。岩男の瞳はうつろで、口は半開き、髪は逆立ち、シャツのボタンはほとんど外れている。

「まだリハーサルも始まってないのに!」

 副将からすれば、岩男がトランス状態になること自体は珍しいことではないらしい。

「……これでボーカルが、クールな女声だったらなあ! 俺の好みドンピシャなんだけどなあ!」

 岩男はうっとりとしながらステージの方へとフラフラ近づいていく。

「っつ! 読めたぞ!」

 駒鳥杉がハッとして、鋭く警告を発した。

「え?」

 警告を発せられたのは彼女の情熱可視化ザ・ジャンルであるところの歩くんである。

「こいつらが情熱可視化ザ・ジャンルなんだ!」

 駒鳥杉はビシッとステージ上を指さす。バンドメンバーは一斉にニヤリとした。

「……なーんだ」

 主将をはじめとした人間サイドは一斉にがっかりした。

「さすが我が部のエース! どこで分かったんだい?」

 将棋部部長が誇らしげに目を細めている。

「本当に音楽に対して真摯な人が、寝坊で遅刻してくるはずはない。これは演出です!」

 きりっとした顔で駒鳥杉が応える。

「実在のバンドじゃないならがっかりだけど、こんなにくっきりと情熱可視化ザ・ジャンルが出るとは、もしかしたらバトルで勝てる?」

 本物のバンドマンと見間違うほどのリアリティに、主将は改めて驚いた。

「確かに、先方の鎧武者は、どこか、質感がアニメっぽいといいますか、さすがに現実でこの格好はないよな、とは思わされます」

 副将の正直な所感に、駒鳥杉が小さく舌打ちをした。

「それは質的な違いに過ぎない。どちらが情熱の総量で優っているのかは、まだ分からない」

 マスターの冷静な解説に、主将も頷いた。

「なんかロック君の方が受け身というか、自分が出した情熱可視化ザ・ジャンルなんだってことに気づいていないんじゃないか」

 主将は不安げに岩男の方を見た。その岩男はまだウットリとステージを見つめている。


「ようやく茶番が終わる! 長かった!」

 駒鳥杉がバッと両腕を広げ、大きく深呼吸をした。

「おう! このライブハウスを奴らの血で染めてやるぜ!」

 物騒なことを言いながら、歩が日本刀を抜き放つ。朱色の鞘を投げ捨てた。

「行け! 歩ちゃん! 自己犠牲駒損ツキステ・タタキだ!」

 ビシッとステージを指さし、駒鳥杉は何かのトレーナーのごとく情熱可視化ザ・ジャンルに指示を出した。

「うらーー!!」

 フロアからステージへと、赤い鎧を着て日本刀を持った不審者が突き進んでいく。笑えない構図である。

「このご時世、覚悟はできているけど、ビジュアルで見せられるとインパクトあるわ」

 マスターやスタッフたちは不測の事態に備えているだろう。

「まずは、鎧を着て日本刀を持ったやつを店内に入れない、ってところからでしょうね」

 主将も腕を組んで、民間のソフトターゲットのセキュリティについて言及した。

「あぶなーい!」

 無謀な勇敢さでもって行動を起こしたのは、誰であろう岩男であった。

「ええ?」

 驚く主将たちをしり目に、日本刀を大きく振りかぶってステージへと跳躍する歩へ、横からタックルに行ったのだ。

「あらーー?!」

 岩男のタックルは、歩の体を通り抜けた。

「幻影だから、生身の身体はすり抜けるねえ」

 将棋部部長が憐れみを込めて言った。

「うぎゃーー!」

 そのまま岩男の体は、ステージとフロアを隔てる鉄柵へと激突した。

「痛そう。でも、彼は本気で、あのバンドメンバーたちが実在すると思い込んでるんだな」

 物干し竿にからまったシーツのようになっている岩男を、主将は呆れている目で見ている。

「はーー!」

 一方で、歩の斬撃はギターへと向けられていた。跳躍しながら、日本刀を大上段から振り下ろそうとしている。

「どうなる? ロック君は指示を出せない状態!」

 主将からは、岩男に意識があるかどうかも分からない。

「む! ドラマーが!」

 副将が発見したのは、ドラムの親父がスティックを打ち鳴らし、カウントを始める姿だった。

「ワーン! ツー! アーー!!」

 マイクをオフにしてバンドメンバーだけに聞こえるように、だがその声はフロアの最前列付近にいる主将たちにも届く。

「自発的に?!」

 主将が驚いたのは、岩男の情熱可視化ザ・ジャンルが、岩男の指示なしで行動していることだ。

 ドラマーがタカタタン!とタムを数発打ち鳴らし、一瞬の静寂の後、それが合図だったのか、バンドメンバーは一斉に、爆発的な大音量で音を出す。

「うはーー!!」

 音圧で空気が震える。文字にすれば「ジャーーン」というような、太くて、単純なロングトーンだ。

「最初の一発で大体のレベルが分かる! こりゃ世界レベルだ!」

 数多のバンドを見てきているであろうマスターの目から涙が噴き出ている。

「もちろんロック君の妄想だからフィクションなんだけれど! 否応なく体の芯を貫く爆音!」

 主将が体をくねらせた。

「ただ音量が大きいだけではなく! チューニング、トーン、アタック、すべてが超ハイレベルでまとまっておる!」

 副将の顔は汗だくである。

「駒鳥杉の情熱可視化ザ・ジャンルの攻撃が届く前に、色んな思惑が交錯している」

 将棋部部長は、まだ空中で攻撃動作中の歩を見ながら言った。

「ぬおおーー!!」

 歩は端正な顔を歪ませ、ギターへ狙いを絞って攻撃しようとしているが、バンドの音圧に押し戻されそうになっている。

「空中で踏ん張れているのがすごいというか、観念上の戦いなんだなあってところ」

 主将が3D映画を見ているような感想を言った。

「ハッハー!」

 ギタリストは大きな口で迫力のある笑顔を作り、ロングトーン中にギターをギュインギュインさせている。

「テクニック! 早弾きの!」

 副将が感嘆する。岩男の理想バンドのギタリストだけあって、基礎的な技術はしっかりしているようだ。

「キーボードも激しい!」

 ジャーーンの中でそれぞれの楽器がアドリブで音を足していく。主将は鍵盤担当が全身を使って激しく両手を鍵盤に叩きつけているのに視線を向けている。

「ベースの女子はクールだけれど」

 将棋部部長は女性メンバーであるベース担当に目をつけている。目深に被ったキャップからは相変わらず顔が見えない。だが骨太なベース音はビリビリと腹の奥を震わせてくる。

「ドラムも、いい感じに力が抜けてて、でも激しくて、ベテランのよいお味!」

 マスターがずっとニヤニヤしている。ズダダダダとタムを連打して、ロングトーンを終わらせる準備を合図した。

「最初の音出しで将棋部の情熱可視化ザ・ジャンルを吹き飛ばしたぞ」

 副将が、歩がついに空中で力尽き、フロアの後方に飛んでいくのを見た。

「まさに、吹けば飛ぶよな!」

 その顔にはわずかに嬉しさが滲んでいるようだ。

「ええい! だが歩は最弱の駒。ツメローちゃんの実力はこんなものではないぞ!」

 将棋部部長が悔しそうに歯を食いしばっている。

「確かに。まだ他の種類の駒もあるんだろう。よく知らないけど」

 主将の将棋に対する知識と情熱は浅かった。

「……まだボーカルが出てきてない。もう少し様子を見ます」

 駒鳥杉は鋭い目でステージ上をにらんでいた。

 そのステージでは、リーダーであるところのドラマーがドン、ドン、ドンと足で踏むペダルで打つ一番大きなドラム:バスドラムをリズミカルに鳴らしている。

「何が始まる?」

 副将は注意深くバンドメンバーの一人ひとりに目を移していく。

「……手拍子?」

 全員がほぼ同時に気づいた。メンバーがそれぞれの動作でフロアの客に向け、手拍子をするように要求しているのだ。ドラムは足でバスドラムを鳴らしながら頭上でスティックを打ち鳴らし、ギターの若者は大きく、キーボード担当のサングラスはおどけて、ベースの女子はクールに、頭上で両手を大きく振って手を鳴らしている。

「これだけ見れば、普通のライブでもよくあること。異常なのは、まだライブが始まっていないタイミングということ!」

 ライブ鑑賞慣れしている主将が、手拍子をしながら驚いている。

「やはりこういうジェスチャーって、万国共通なんだね」

 将棋部部長も控えめに手拍子をしながら言う。

「このアクションの目的は何だ……?」

 さすがに駒鳥杉は手拍子はせず、将棋の要領で相手の作戦を読もうとしている。他の部員は半分くらい手拍子をして、もう半分は腕組みをしていた。

 そのリズムにシンクロして動き出したものがいる。まだだれも気が付いていない。フロアの片隅で、一拍子ごとにムクッ、ムクッと、うごめくように盛り上がってくる。

「あ! あれは!?」

 動きが大きくなってきて、主将の視界にも入ったようだ。

「なんだ、ロックくんか」

 ボーカルがひそかに登場すると思ったのか、主将は失望してすぐに目をステージに戻した。

「別に彼のために手を叩いているんじゃないんだが……。むむ?」

 副将が、岩男の様子の変化に気が付いた。

 岩男は目を閉じたまま、客席の最前列、ステージの真ん前で、ひとり雄々しく立ち上がった。それから、ゆっくりと両腕を左右に広げる。拳は軽く握っている。

「なんかオタ芸でも始める気か?」

 主将が迷惑そうな声を出しても岩男は動じない。その場でゆっくりと、時計回りに回転し始めた。

「ええい、どうしても視界に入っちゃうな。邪魔だな」

 温厚な将棋部部長ですら苛立っている。もちろん岩男だって、普段はライブ会場でこんな迷惑行為はしない。

「……だが今は仕方ない。それに、フロアガラガラだから、ちょっとくらいいいだろう」

 不意に、カッ!と、岩男の頭上に光が現れた。

「目つぶしフラッシュ的な!」

 ライブを鑑賞していると、たまにステージから客席に向かって強めのライトが向けられる演出がある。そのことを主将はそう呼んでいるのだろう。

「いや、光がウニョウニョと!」

 副将が見ている前で、現れた光がリズムに合わせながら、伸びたり縮んだりしていた。

「ハードロックパワー! ブラッシュアップ!」

 岩男はやけくそで大きな声を出した。

「光が実体化して、コスチュームに!」

 主将が言うように、光はまずバンダナとなり、ガシィーン!という効果音とともに、岩男の頭へと巻き付いた。黒くて、オフィシャルなものだ。

「こ、これは! このノリは!」

 副将には思い当たる節があるようだった。

「そう! ロックくん自身は現実の存在なので、情熱可視化ザ・ジャンルみたいには飛べないから、その場でヨチヨチと自分の足で回転するしかないのだが!」

 主将の声は岩男に届いているが、岩男は今はリアクションするのを我慢している。

「おそらく彼の頭の中では、自分が空中でかっこよく回転して、光が次々に聖衣クロス……というか、変身ヒーロー的なやつの、変身シーンが行われているのだろう!」

 そう、主将の推察は的中している。だからこそ岩男はリアクションできない。恥ずかしくて。

「次は、リストバンドか?」

 将棋部部長の予想とほぼ同時に、光が岩男の手首に集まり、ビギョーンという効果音と共に実体化する。オフィシャルのラバーバンド。会場ごとの限定販売だ。左右で二つずつ、すべて違う色の。

「例えば東京・大阪・名古屋・博多というように、ツアーの全会場のラバーバンドを持っているということ、すなわちツアーの全公演に参加したという証! それを周りのファンにさりげなくアピールしている!」

 ライブ慣れしている主将に鋭く見抜かれたのだった。

「え? てことは、彼は客、なの?」

 発言が少なめだった駒鳥杉が驚きの声を上げる。

「そうらしいな! 僕もてっきり、彼本人がボーカルに変身するための待ち時間なんだと思っていた!」

 将棋部部長も、嫌味を少し混ぜて同じように驚いている。

「ないない。それはない。深読みしすぎ」

 主将は人差し指を振りながら首も振った。

「ステージに立って人前で歌いたいと思う人と、我々とでは、根本的な何かが違うのです」

 副将も追従した。

「……その割には目立ちたがるというか、アピールに時間を使っているような」

 将棋部部長がいぶかし気な視線を岩男へと向けた。岩男は回転速度をほんの少し速めた。

「次はー、っと。Tシャツだな」

 岩男が着てきたTシャツの上から、例の光が覆いかぶさり、大き目のTシャツを重ね着する形で実体化した。もはや主将に驚きはない。

「普段使いもできそうな、黒地にシンプルなロゴだけの。ファンならマストバイでしょう」

 副将が冷静な評価を下す。ファンじゃなければ買わないのはどこのバンドも同じだろう。

「いや、それだけではない」

 主将が右の口角を吊り上げて言った。Tシャツへの更なる演出もお見通しのようだ。

「あ、追加で、何か飛んでくる」

 二つの小さな光が尾を引いて、フロアの上空から飛んできたかと思うと、そのまま岩男のTシャツにびしっ、びしっ、と張り付いた。

「なーるほど。缶ジャンルと合わせるのか」

 ロゴが入っていない方の胸に、赤と黄色のカラフルな缶バッチがバッチリと収まった。

「好みの配色で個性も出せる。考えてるな」

 主将が指を鳴らした。

「そういう楽しみ方もあるんだね。我々は基本的にファッションに無頓着だから、違う世界の話だ」

 そう言いながら将棋部部長が駒鳥杉を振り返る。女性としての意見を聞こうというのだろう。

「プロ棋士の中にはオシャレは先生もいますし! オシャレなプロが名人にもなりました!」

 駒鳥杉がえらい剣幕で怒鳴った。

「あ、いや、『我々』っていうのは、男子部員のことだけを指したのさ、ハハ……」

 将棋部部長が慌てて訂正した。

「将棋の名人って聞いたことあるけど、どうやったらなれるんだろうね」

 主将はなぜか副将に聞いた。

「後で時間があればいろいろ聞いてみたいですな。お互いに知らないことがあるでしょう」

 副将も将棋の質問を将棋部にしなかった。語り出したら長くなりそうだと感じたのだろう。

挑戦手合制ちょうせんてあいせいです」

 駒鳥杉が主将たちの方に言葉を投げかけたが、その言葉は二人の耳を通り過ぎていった。

「あ、次はいよいよド定番の、タオルじゃないかな」

 上空を指さし、主将は強引に話題を戻そうとした。

「タイトルマッチというのかな。名人戦なら一年かけてリーグ戦で挑戦者を決めて、あ、そのリーグ戦は『順位戦』っていうんだけど、そこで挑戦者になれた人が晴れて名人に戦いを挑んで、先に四勝した方が次の名人として一年間、『名人位』っていうタイトルを保持するんだ」

 案の定、将棋の話になると将棋部部長はものすごい早口になった。

「どうしよう。まだ岩男の変身中なのに話題が変わっちゃう」

 主将は口に手を当ててオロオロとした。

「で、順位戦というのが、A級・B級1組・B級2組・C級1組・C級2組、という階層に分かれていて、それぞれでリーグ戦が行われるんだけど……」

 将棋部部長の講釈は容赦なく、悪気がないため余計にたちが悪かった。

「なにこの熱さ! 今までこんなレベルの連中と戦っていたの?」

 主将は将棋部員の将棋愛に改めておののいた。

「まだ戦っておりません」

 副将に真顔で言われ、主将は吹き出しそうになり顔を背けた。

「さて、タオルが最後か? ロックくん、もういいんじゃないか」

 副将が間髪入れず、将棋の情報を入れる隙を与えず、岩男へと呼びかけた。

「あ、もうタオルが」

 主将が顔を上げた時には、すでにタオルが岩男の首にかかっていた。

「誰にも見られることなく装着されていた。どんなデザインだったのか、今となっては確認できないな」

 そして主将もさほど興味がなさそうだった。色合いからしてTシャツと同じロゴだろう、くらいの。

「おろしたてだと、あんまり汗を吸わないけど、一回家で洗うまでは仕方ありません」

 副将によるライブグッズあるあるもどこか寂し気だった。

「は、ハードロック! ライトオン・モード!」

 くじけそうになりながらも、岩男は追加オプションの装備を宣言する。

「まだ終わんないの?」

 だんだん洒落にならないテンションになってきた駒鳥杉が言った。

「ライトアップってことは、サイリウムとかだろうね」

 先に主将に言われてしまった。至極当り前の推理だったが。

「パイルダーオン!」

 だいぶ雑な決め台詞が叫ばれると、二筋の光が岩男のこめかみへと流れ込んできた。

「まさか! バンダナに! 挟む!?」

 そう、二本のサイリウムが、アンテナのごとく、岩男のコメカミの両サイドにスッポリと収まった。

「だいぶアイドルオタ寄りになった!」

 良かれと思って追加したが、主将に引かれてしまっている。

「はい! これで最後ですよ! シャイニング・ブレード・ダブル!」

 また現れた2つの光が、光ったまま岩男の左右の手に掴まれる。右手は赤く、左手は青く光ったペンライトになった。

「ペンライトというか、大きめなやつだな! ブレードといっても15センチくらいか」

 副将が眩しそうに見ている。眉間のシワから迷惑さが伝わる。

「もの自体は百均でも買えそうなクオリティだけど、デザイン料やらロゴ使用料なんかが乗っかって、千五百円くらいになるよね」

 主将が擦れた解説を加える。

「でもファンなら喜んで買うよねえ。将棋でも、扇子とか、種類は少ないながらもグッズはあるよ」

 将棋部部長はそう言うと、扇子を広げ、岩男からの光を眩しそうに遮った。

「いろいろな使い方がでぎすな。ああ、将棋のプロが扇子に一筆書かれておりゃる。お高いのでは?」

 副将が将棋部部長に、もはやはばからずに質問した。

「あ、これ、印刷。印刷印刷。直筆のはそんなに売ってないし、売ってても高いよ、確かに」

 将棋部部長はその扇子でパタパタとあおいだ。『捲土重来』と書いてある。

「印刷ものは二千円くらいで買えます。プロ直筆のもは、将棋会館の売店で見たことがあります」

 硬い声で言いながら、駒鳥杉も自分の扇子を広げて見せてくれた。

「読めんぬ」

 あまりの達筆ぶりに主将が根を上げた。

「指導対局の空き時間で、直接書いてもらいました。『アボガドロ定数』と書いてあります」

 そのシュールなワードチョイスに一同はしばし固まった。

「……プライスレスですなー」

 副将がどうでもいいことを言った。

「おまたせっ」

 繰り返し繰り広げられた冷たい仕打ちにもめげず、岩男は自らを奮い立たせ、明るい表情で駆け寄った。

「やっとかい。って眩し」

 皆、一度は振り向いたが、だれも目を合わせない。

「いったん、ハードロック・ライト・オフ。オーフ」

 岩男を彩った光たちは元気をなくしていった。

「それより! 僕も出せましたね情熱可視化ザ・ジャンルを! こんな感じなんですね!」

 空気を換えようと、晴れ晴れとした顔で岩男は言う。

「決まった出し方はない。自分で「これだ!」って信じられるなら、それが君の情熱可視化ザ・ジャンルなのさ!」

 マスターが目を細めて、岩男の肩を叩いた。

「それより、ボーカルは? ほんとに寝坊してるの?」

 主将が冗談めかして催促してくる。

「まだみたいですね」

 言われた岩男も不案内な様子でステージを見た。

「え、お前の情熱可視化ザ・ジャンルだろうが。なんで知らないんだよう」

 主将が唇を尖らす。

「始めたばかりで、まだコントロールできてないのかも」

 将棋部部長が油断している。

「まあまあ、それも個性だから。どうなるか結果を見てみよう」

 マスターが大人の態度でとりなした。

「コントロール…。やり方が見当もつかないな。これから勝ち進むにつれて、情熱可視化ザ・ジャンルをコントロールするというのが必要な要素になってくるかもしれないぞ」

 岩男は気を引き締めたのだった。

「そんな伏線いらないよ。どうせ初戦敗退なんだから」

 主将の冷たい突っ込みに、岩男は舌を出しながらのけぞった

「では、ボーカルが到着したら、バトル開始ということでよろしいでしょうか?」

 副将が将棋部の面々へ向かって問いかけた。

「どうだい? ツメローちゃん。まだ時間は大丈夫かい?」

 将棋部部長も副将の意図に乗ってくれた。

「交換条件の、レポートの代理については話がついていますから、やむを得ないですね」

 駒鳥杉が肩をすくめた。ちょっと前歯をむき出したのは、ビーバーのことを思い出しているのだろう。

「そうと決まれば、じゃあ、みなさん! ボーカルさん登場まで! ほらほら! 手拍子手拍子!」

 お尻を振り振り、両腕をまっすぐに伸ばし、頭の上で手を打ち鳴らしながら、岩男は周りに呼びかけた。

「それ疲れるよね」

 主将は自分の顔の前で手を鳴らしている。他の者はだいたい胸の高さくらいである。

「その疲れる動きをステージではずっと続けている。プロはすごいなー」

 岩男の生んだ幻影であることも忘れ、将棋部部長は感心している。

「お! なんか動き出しましたよ! みなさん! キーボードさんにご注目!」

 まるで岩男の変身シーンは一瞬の出来事であったかのように、キーボード担当が手拍子のリズムに合わせイスから立ち上がる。手にはマイクが握られている。

「イエーイエーイエー!」

 マイク越しのキーボード担当の声はボリュームが極端に大きく、バリバリに割れていた。

「いえーい!」

 岩男はノリノリでレスポンスをする。他の者は拍手を強めるにとどまった。

「イエ―、元気いいねー、サイコ―だぜ!」

 キーボード担当は岩男を指さしてサムアップした。

「…なにを見せられているのか…」

 これは岩男が生み出した幻想と、岩男本人とのコールアンドレスポンスであると主将には分かっている。

「ボーカルがまだ出てこないのに喋りだした。本当に遅刻なのかな?」

 将棋部部長にはイマイチ伝わっていないらしい。

「盛り上がってるかー! ライブハウス、ブレッドファクトリー!!」

 キーボード担当の煽りと共に、ギターとベースもギュインギュイイーンと音を鳴らす。

「いえーーい!!」

 フロアの最前列に岩男一人だけの状況である。他は真ん中くらいに固まっている。

「いえー、いえー、盛り上がりライブブイブイ最高潮なここで! わたくし! キーボード、サイドギター、そしてDJ担当! ケインバーンからイカれたメンバーズを紹介させてもらうぜ!」

 音が割れて聞き取りづらいが、言っていることは皆分かるようだ。

「メンバー紹介を最初にやるんだ」

 主将は驚きつつ行く末を見守っている。

「主に鍵盤を弾いているからケインバーン、覚えやすいだろ? フー!」

 そう言ってその鍵盤をバンバンと叩くように鳴らした。あらっぽいが慣れている手つきである。

「器用貧乏ー!」

 岩男がニックネームでコールを返す。

「それは悪口じゃないか」

 副将のつぶやきは岩男まで届くはずもなかった。

「イエー、サンキューソーマッチ! 続いては! 続いては続いては! オンドラムス!」

 ケインバーンが指差すと、ドラマーにスポットライトが当たる。

「ロック界の重鎮、あのモンスターバンド「リザードマンズ」解散後に俺らを集めてデスゾーン・ファランクスを立ち上げた真のリーダー! 二枚目ちょいワルオヤジ! パーキッシオ!」

 紹介が終わるや否や、パーキッシオは物凄い勢いでドラムソロを開始した。テンションはマックスである。

「リーダー!」

 岩男が手を叩きながら喝采を送る。

「そのままやないかい」

 リーダーのニックネームに寄せて主将が感想を述べた。

「イエー、相変わらずキレッキレのスティックさばきだったぜ! はいお次! オンベース! 且つコーラス! アーンド、作詞も担当! 流行り系ガールズバンドの緩い人間関係に嫌気がさしてさすらっていた本格派ベーシスト! コントーラ!」

 テンポよく、スポットライトがベース担当へと移り、またしても猛烈なベースソロが始まる。

「作詞が別担当とか、妄想がマニアックだな」

 野太いベース音に身体を揺らしながらも、副将が皮肉を言う。

「あねさまー!」

 先ほどより大きな声で岩男が叫ぶ。やはり男の子である。

「誰との比較で年上なんだろうね」

 主将は冷静にメンバーの人間関係を分析しているらしい。

「たまんねーベースをありがとうミス・コントーラ! さーて、へいへい調子はどう? そしていよいよ、すご腕ギタリストの登場だ!」

 ステージ上のバンドメンバーでは最後となる。ギタリストがアンプの上に飛び乗った。

「ギターを持った流れ星! 常に3つ以上のバンドを掛け持つ男! おーーーんギター! ディストーンズ!」

 耳をつんざくエレキギターの高音。そして流れるようなタッピング奏法。やはり花形なのだと思わせる存在感である。

「チャラそうな見た目にして、それだけのことはありますな!」

 見事なギターソロに引き込まれつつ、副将はため息をつく。

「トラブルメーカー!」

 岩男のテンションもだだ上がりであった。

「ちょいちょいニックネームに悪意が滲むな」

 主将は他人事として楽しんでいるようだ。

「最後はもちろんこのお方! 年齢出身地血液型誕生日SNSほかすべて非公開! ライブ中のトークコーナーでも一言も発しない! 謎だらけのミステリアス歌姫! ミス・シャウート! いよいよ呼んじゃうよ! 皆さん準備はオーケー?」

 まだ登場していないボーカルについて、ケインバーンが早口に語る。

「この流れでボーカルを呼び込むのか。なるほど」

 将棋部部長はライブ鑑賞経験が浅く、すんなりと受け入れている。

「コント赤信号みたいな。出だしでコケたらライブ全体が滑る危険性もあるけど」

 ライブ鑑賞経験が豊富な主将は冷静な分析ができている。

「そこはあなた、ロック君の中のイメージですから、ロック君次第でなんとでもなるでしょう」

 副将も実もふたもないことを言う。

 続いていた手拍子のリズムから一転、パーキッシオがスティック同士を打ち鳴らした。リズミカルに四回。カウントだ。

「つ! 曲が?」

 ディスートンズのギターからキャッチ―で軽快なリフが流れ出す。飄々とした外見に似合わず、しっかりした音程が取れていた。

「聞いたことがある曲! カバー曲だ!」

 あまり洋楽を聞かない副将でも知っている、世界的にメジャーな曲である。

「CMなんかでも使われている曲だね!」

 高揚感あふれるイントロに、将棋部部長のテンションも上がっている。

「大音量なのに力が入っていない。良い意味で。聞いていて肩に力が入らない。相当上手いねこれは」

 マスターからの評価も高い。

「うおおぉぉーー!!」

 最前列の岩男が吠えた。ステージ袖からボーカルが歩いてきたのが見えたのだ。

「やっと来たボーカル……おおお」

 主将からも見えたらしく、その瞬間、彼女は息をのんだ。

「うわ……。やっぱり、一目、華があるわー……」

 赤い革ジャンに、ショートボブ。いかにもロックな出で立ちに副将も敬語を忘れたらしい。

「ボーイッシュ好きか。女性の好みは合うかもな」

 そんなことを言った将棋部部長を駒鳥杉が睨んでいる。嫉妬というより、自慢の長い黒髪が今まで評価されていなかったということへの怒りであろう。

「アイメイクも濃い目で、全盛期のアヴリルみたいな。男子は好きそうよね」

 どこか主将もつまらなそうに言う。

「そうそう。女子力とか、ゆるふわとか、ネイルとか、そういうものを評価対象に入れない、いや、入れられないタイプの男性も少なからず存在するんだよね」

 男の身勝手さについて将棋部部長がデリカシー低めに論ずる。

「大量発生ゆるふわ女子大生集団については、男にモテるための努力というより、女性コミュニティでの戦いとか関係性とかの問題なんでしょうな」

 さらに副将が論証を進めようとする。

「けっ。お前らなんかどうせ、すっぴんにポニーテール? Tシャツにジーンズ? とか言うんだろう。それが成立する女なんかまず居ないし、居たとしても間違いなく女友達は少ないだろうよ」

 吐き捨てるように主将が言った。彼女自身もビジュアル系バンド好きを優先したファッションで、男性一般からモテようという方向性ではない。

「確かに、そんな理想の女性はまず存在しない。存在するとすれば、例えば誰かの妄想の中とか」

 将棋部部長はかっこつけてステージへ目を戻した。

「うぎゃゃーーーー!」

 岩男は叫び続ける。自分でも何と叫んでいるのか分からない。ボーカルであるシャウートはステージセンターのマイクスタンド前へと到着した。

「ま、スターになれる素質の持ち主なんて、それこそ『存在しない』レベルなんだよね」

 主将は諦めたように微笑んで肩をすくめた。

「スターとはよく言ったもので、立っているだけで輝きを放ちまくっています! パワーが放射されているかのように!」

 まだ一言も発していないシャウートに、副将をはじめ、皆が圧倒されていた。

「バンドの演奏はすごいけど、その真ん中に君臨するに相応しい存在感のボーカル! しっくりピッタリ収まって!」

 マスターはずっと嬉しそうである。

「目力がすごい! 口を真一文字に結び、客席を睨みつけるようにしている! 少しも媚びる様子がない!」

 将棋部部長が引き込まれていく程に、イントロも盛り上がっていく。ギターもベースも体を大きく揺らし、見るからに激しく演奏している。

「器用貧乏の人もギターを弾いているんだな。メインのギタリストほどではないけどしっかり弾けている。その辺のリアリティも彼なりに考えられているようだ」

 主将の指摘の通り、ツインギターによるコテコテかつオールドトラディショナルなロックサウンドになっている。

「ロックとは革新とか反骨とかなイメージだけど、こうして聞いてみるとけっこう保守的だな。女声ボーカルというのが珍しいか」

 しみじみとマスターが語る。ロック論をもっと熱く語りたそうにしているが付き合うものはいない。

「いいねえ! ノリノリで! たまにはこういうのも!」

 サウンド面に将棋部部長が言及した。普段はあまり激しいロック曲を聞かない環境なのだろう。

「ちょっと待って! はう! 息を吸ってる!」

 主将が見たのは、シャウートが客席をすごい眼力で睨みながら、首を少しずつのけ反らせ、ゆっくり大きく空気を吸っていく姿だった。

「……来るぞ!」

 何かが来る予感をビンビンに受け、将棋部部長が身構える。なぜか股間を隠した。

「さあ来ーーい!!」

 岩男はもっと積極的に受ける体勢に入っている。全身の感覚器を前方へ集中させるようだ。

「来るのか?」

 副将は半身になってファイティングポーズを取る。

「第一声を聴けば大体のレベルが分かる。どんなもんかね」

 マスターはその審美眼をシャウートへと向けた。

「女声ボーカルは滅多に聴かないけど、なんか凄そうな雰囲気」

 主将が自分の肩を抱いた。

 シャウートの口は真一文字のままなので、鼻から息を吸っているようだ。


「……しゅううぅうぅぅ……」

 シャウートの口から音が漏れだした。低くて、恐ろしく静かに。

「ぃぃーーゃーーぅぅーー……」

 眼力はそのままに、低いところから音圧が急上昇してゆく。尖らせた唇からレーザー状のものが見える気がする。マイクスタンドに収まったマイクに右手をかけた。イントロの演奏がいよいよ佳境となる。

「ぅぎぃぃゃーーーーーーーーゃうぅぅーーっ!」

 ゆっくりと口が大きく開いて、のどの奥から赤黒い波動が放射され始めた。各人の耳をつんざき、胸の奥を鷲掴みにして激しく揺さぶるような、空気が爆発するような衝撃。全員が呆気にとられた。

「ぎゃぎゃぎゃぅ! ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃーう!」

 まさに咆哮というような絶叫。フロアを睨みつけながら、マイクに向けて声を次々と発射している。有名な曲のカバー演奏だが、原曲にはないシャウトをしている。全員の首筋に、一斉に鳥肌が立つ。


「……すげ……」

 主将の目から涙がこぼれる。

「浴びせられている!」

 将棋部部長は、泣かないながらも口が震えている。

「見事な……!」

 副将は目を見開いたまま固まっている。

「絶好調のスティーブンタイラーのような!」

 マスターは主将より多めに涙を流している。

「なに、この尋常でないテンション……、恥じらいも、照れもない……」

 駒鳥杉は顔をしかめ、なんとか自分のペースを保とうとしている。

「ポウポウ! パウポウポウ!」

 岩男は狂乱状態で拳を何度も突き上げている。


 イントロが終わり、Aメロが始まる。シャウートはマイクスタンドを引ったくるように掴み、激しくステップを踏み、ステージ上を動きながら、惜しみないテンションで熱唱を開始した。

「歌うまいな! 英語だから何言ってるか分かんないけど!」

 同じようにステップを踏みながら主将が言う。

「バンドの演奏もかっこよくて、しかも皆がテンションマックスなのが、ボーカルを更に後押ししているのでしょう!」

 副将は体を揺らしながら手拍子もしている。

「ステージ度胸というか、やはり特筆すべきはテンションの高さ! ドラッグでもやっているかのような! まあロック君のことだからドラックもアルコールもなしでこのテンションを出せることにしているだろうけど!」

 昔のロックスターはともかく、こんな時代なのでマスターは言葉を選んでいる。

「生の演奏っていいね!」

 将棋部奉行はあまりにも当り前のことを、実感を込めて言った。

「知ってる曲なのでまだ聞けますけれども、これが知らないオリジナル曲ばかりだったら苦痛でしょう」

 駒鳥杉は批判的なスタンスを崩そうとしない。

「ワッポウ! ホウホウ!」

 岩男は英語詞を知らないので、何となくの感じで合いの手を入れている。


 魂のシャウト、華麗な演奏技術、素晴らしいコーラス、長い各楽器のソロパート、などが次から次へと押し寄せ、やがてやっと一曲の演奏が終わった。フロアにいたものは放心状態で脱力している。

「この一曲だけで一万五千円くらいの価値はあるわー」

 岩男が泣きながら言う。実際にはタダである。

「疲れた。長かった」

 副将が膝に手を突いた。

「惜しむらくは、実在しないってことだなー」

 マスターは遠くを見ていた。

「いやしかし、彼の情熱可視化ザ・ジャンルがこんなに濃いとは、いろんな意味で。勝てそうかい?」

 将棋部部長がステージ上を横目で見ながら駒鳥杉に質問した。ステージではバンドメンバーが特に何もせずに待機している。

「本気を出します」

 駒鳥杉は短く答えると、右手を軽く上げ、控えていた将棋部の部員たちに合図を送った。

「お? 何が始まるんだ?」

 主将が興味深げに振り返る。

 まず、大柄な部員がリュックから引きずり出したのは、二つ折りにした座布団だった。厚手で立派なものである。フロアに丁寧に敷かれたその座布団に、駒鳥杉は靴を脱いで正座した。

「お座布団。ライブハウスに持ち込む、か」

 マスターが言うように、なかなかシュールな絵面である。

 次に、細身の部員が茶碗を取り出し、床に正座し、ステンレスボトルの中の液体を注いだ。その茶碗にそっとふたを置き、正座している駒鳥杉の横に差し出す。音を立てないように神経を使っているようだ。

「お茶、でしょうか」

 副将が腕を組んで顎を撫でる。

「さすがに脇息は持ってこなかったんだね。あ、いらないって?」

 将棋部部長が部員とコミュニケーションを取っている。

「きょうそく……。これか。ひじ掛けみたいなやつ」

 主将はスマートホンで『将棋 きょうそく』で検索した。

「お殿様が体をもたれかけてるようなやつですな」

 副将はイメージできているようだ。

「あれは使わないかな。そんなに長くバトルしないだろうし」

 将棋部部長が頷いている。駒鳥杉本人が不要と判断したらしい。

 最後に、駒鳥杉が扇子を取り出し、片手で器用に数センチだけ開き、すぐにパチンと音を立てて閉じた。

「いい音する。やっぱり高い扇子なのかな」

 主将が音楽的に感心している。

「硬めにこしらえてるから、片手で開くのはコツがいるのさ」

 将棋部部長も自分の扇子でやってみせてくれる。薬指と小指で扇子の本体を支え、親指、人差し指、中指がそれぞれ別の動きをして、ようやく開くことができるようだ。

「伝統芸能でも使いまするが、タイプが違うようです」

 いくら能狂言が好きな副将でも、実物を購入したり、あまつさえ携帯するほどではないらしい。

「屏風絵みたいなの描いてあったりとか、高すぎるだろうね。日常で使えないし」

 そもそも何に使うかも主将には分かっていないだろう。

 パチン、パチンと、リズミカルに扇子を鳴らす音が駒鳥杉から聞こえてくる。右手に扇子を持ったまま腕を組んで、顔をやや俯かせ、上体を前後に揺らしている。

「早くもトランス状態に! 小道具を活用して効率よく!」

 驚愕して主将が言う。岩男よりも断然早い。

「何か聞こえてきた! 太鼓? 足音? どこからだ?」

 副将が辺りを見回す。扇子の音とリンクして、和太鼓の音と、大勢の集団の足音が近づいてくる。

「わわっ! バーカウンターが無い!」

 ステージとは反対側の、フロアの後方にあったドリンク受渡所・兼バーカウンターが白い靄に包まれ、全く見えなくなっているので、マスターが動揺している。

「この霧みたいなのも情熱可視化ザ・ジャンルなのか……?」

※以下、情熱可視化ザ・ジャンル

 主将が目を凝らす。靄の向こうから何かが来る。

「うっすら人影……、整列しているような」

 徐々に人影が見えてくる。副将が目を細めて姿を捉えようとしている。

「まるで、大河ドラマの戦場のロケみたいな空間の広がり……」

 よく見れば、足元には草も生えている。野原の古戦場に濃い霧がかかっているような肌寒さも主将は感じていた。

「ふははは!」

 急に野太い声で将棋部部長が声を出した。

「なんだどうした突然」

 不意を打つキャラ変更に、主将が戸惑いの声をあげる。

「我ら将棋部のエース! 駒鳥杉くんの世界観をとくと味わうがいいよ!」

 今度は将棋のプレゼンの番、とばかりに将棋部部長が張り切っている。

「あ、あれに見えるは、先ほどの歩くんではないかいな」

 少し前に、日本刀を振りかぶってステージに突撃しかけた歩が、すたすたと歩いてくる。

「いつの間にか背中に旗を装着して、足軽の感じが増しているね」

 赤い鎧はそのままに、兜の紐も締め直し、背中に旗をはためかせている。

「書いてある言葉は『歩のない将棋は負け将棋』! 歩の立場で言っちゃうのが面白いだろう!」

 カッと将棋部部長が見得を切った。

「将棋ジョークなのかな」

 少なくとも主将は面白くなかったようだ。

「本来は『風林火山』とか書いてあるところに、自己アピールを書いている、というオモシロではないでしょうか」

 クスリともせずに副将が分析している。

「将棋って奥深いんだね」

 主将はそう言って頷いた。

 一体先行して実体化した歩くんが、彼にだけ分かるのであろう定位置まですたすたと歩き終わり、その場で膝をついた。

「あの位置が! 分かるかい? 初手! 7六歩!」

 将棋ファンには常識、くらいの勢いで将棋部部長が言う。

「なるほど、サッパリ分からん」

 主将には分かろうとする努力もない。

「マス目がありましてね、将棋盤には。で、タテヨコの番号で、どの駒をどのマスに動かしたのが分かるわけなのですが……」

 副将がなけなしの将棋知識で説明を試みるが、主将の心はすでに閉ざされており、まったく伝わらない。

「ルールなど! 興味があれば自然と身に付く! そんなことより! 今は駒鳥杉の世界に浸ってほしい!」

 将棋のネガティブなイメージを払拭しようというのか、将棋部部長は声を張り上げた。

「それじゃあ、解説よろしく」

 主将が委ねてくる。

「お、おおう。もちろんしますよ、解説」

 将棋部部長は慌ててメガネを直す。

「将棋へのネガティブなイメージ。難しそう、今からでは追い付けなさそう、閉鎖的、保守的。そういったものを乗り越えるため、我々も最大限の協力を惜しまないものです」

 副将が堂々と言う。言うほど開放的な顔をしていないが。

「の、望むところだよそこは! 今まで全く将棋に興味がなかった君たちに将棋の魅力を伝えられたら、それに勝る悦びはない!」

 将棋部部長は一歩前に出た。

「相手はド素人だと思って解説してよ」

 主将は横目で見ながら言う。

「今はグーグルとかあるからね」

 調べられることは自分で調べろ、と言いたげだ。

「将棋の駒って、何種類あるの?」

 もちろん主将は自分のスマホでは調べず、深く考えず、口から先に質問を浴びせてくる。

「8種類!」

 その答えはすごい早い。

「あ、一から全部言わなくていいよ」

 主将は機先を制して、網羅的に説明されるのをけん制した。

「一番数が多いのは『歩兵』だよね!」

 将棋部部長はめげずに解説を試みる。

「うん。全種類を言わなくていいからね」

 主将はブレずに、バシーンとシャッターを下ろす。

「お、OK。じゃあ、成り行きを見ながら、適宜、説明を入れていこうか」

 ちょっと素に戻った将棋部部長であった。

「じゃあ適宜で」

 しゃあしゃあと主将が頷く。

「しかし、頭数ではロック君の情熱可視化ザ・ジャンルを上回っているようです。ズラリと並んで、壮観ですね!」

 副将の言う通り、ぼんやりと見える黒影は、ざっと見て10体以上いる。

「見えてきた! 一列目! 横一列に並んでいるネ! って、服装がバラバラじゃない?」

 主将が驚いているのは、『歩』は「赤い足軽」の格好で統一されているものと思い込んでいたためだろう。

「服はそれぞれの個性があるけど、中身はみんな同じ『歩兵』だから」

 将棋部部長のフォローを待つまでもなく、顔はだいたい同じ系統の、細面の美形の長髪である。

「服装は違うけど、性格は同じなのかね」

 イケメンたちをジロジロと見回しながら、主将は問いかける。

「筋によって、重要度や役割は違ってくるから、キャラクターにも違いが出てくるのに不思議はないでしょ」

 将棋部部長にとっては常識なのだろう。堂々と言い切った。

「すじ、がもう分かんないし」

 主将も自分を偽ることはしない。

「例えば、7筋の歩は、角道を開けるために、すぐに突かれる定め。それゆえに足軽チックな恰好だったんですねー」

 将棋部部長が楽しそうに言う。深く突っ込まれることを恐れていないのは、将棋知識の自信によるものだろう。

「よくわからんが、最初に出てきた彼のことか」

 決められたポジションに膝をついて佇んでいるあゆむくんの元へ、さらに近づいてくる影がある。

「誰か来ました。……おや、歩兵バリエーションではない駒のようです」

 副将が近づいてきたのは、ピカピカの甲冑を纏った戦国武将のような男であった。

あゆむ! 斥候、ご苦労であった!」

 男の甲冑は銀色である。素肌に鎧だけ着ている。

「上司がねぎらいに来た!」

 明らかな上下関係があるのを、主将も認識できる。

「…銀一殿…」

 歩は目を潤ませながら、立ち膝で上司を見つめている。

「御屋形様もお喜びであるぞ!」

 その銀一が、靄の奥の方を振り返る。奥の方では、金色の甲冑を着た男が頷いていた。

「さらに上司! 組織が何層にも!」

 主将が感心したのは、組織が高いレベルで完成しているところであった。

「それにしては、ずいぶん若くありませんか?」

 副将の言う通り、金色の鎧の上司は、とても若くて美形である。そして、刀の鍔で眼帯をしている。

「おじさんじゃ、ときめかないでしょうが」

 主将も頬を赤らめながら、興味がありそうであった。

「確かに、やたらとイケメンで、やたらと露出度が高く、そして……」

 副将は言いよどむ。

「やたらと距離が近い、だろう? 見ていてハラハラするほどにね!」

 将棋部部長は臆面もなく言い放った。もはや歩と銀一の顔は触れ合うほどである。

「流行りを意識しているのか、駒鳥杉さん本人の好みなのか、あるいはその両方か」

 どちらにせよ、主将にとってはウェルカムのようであった。

「では、あの金色の戦国武将がボスであるかな? でも2体いるような」

 目の上に手をかざしながら副将はつぶやく。

「そう! 金将が2体、対になっている。真ん中の『玉』はまだ来ていないようだ」

 それでいい、とばかりに将棋部部長は頷く。

「はあ、ロック君でいうところの、ボーカルが最後に登場してきたように、主役は後から出てくるのだな。戦国武将より上の立場なんて、楽しみじゃん」

 主将は腕を組んで言う。

「金と銀の関係……。片方は正宗と小十郎として、もう一方は?」

 歴史ものにも興味がありそうな副将は

「たぶん向こうの金は信長でしょう。で、銀が蘭丸でしょうね。パターンからすると」

 すっと主将が答えたので副将も将棋部部長も大いに驚いたが、それ以上言及するのは躊躇われた。

「さ、さて、銀の隣には、桂馬、香車と並びます。バスケットのユニフォームを着ているのが桂馬です。背が高くて、ジャンプ力がありそうだね! 香車は自転車に乗ってます。競技用の本格的な自転車ですね! 香車はまっすぐにしか進めませんけど、自転車は曲がれないと困っちゃいます!」

 それぞれ出展がありそうだが、将棋部部長はその方向の解説をする気はないようだ。

「歩兵も服装はバラバラだけど、よく見れば、パーカーとか、つなぎとか着ている」

 副将の指摘に主将は何度も力強く頷いた。

「あれは笑えるよね! 僕もDVDを借りて見たよ! 見せられたというべきか」

 主将は頷き続けているが、今度は副将がピンと来ていないようであった。

「もっとメジャーな、飛車と角行も、これから登場なのですかな」

 そこで副将は話題を変えようとした。

「まだいないみたいね」

 いればもっと目立っていただろう。不自然に空間が開いている。

 案の定、遠くから何かが近づいてくる音がしてきた。自動車のエンジン音のようだ。

「爆音で! 空ぶかしの!」

 先ほどまでのバンドの爆音とは毛色が違う。これはこれで好きな人もいるだろうが。

「マスターが情熱可視化ザ・ジャンルを呼び出した時の、旅客機に比べればマシな方か」

 主将はお尻をさすった。衝撃波で実際に吹き飛ばされたことを思い出したらしい。

「見えたきた! おお? 2台!」

 ライブハウスの左右の壁からすり抜けて、自動車がタイヤを鳴らしながら入ってくる。

「飛車と角、片方は自動車として、もう一方は違う乗り物かと期待したのに、どっちも車かいな」

 主将がなぜか残念がっている。

「だがタイプが違う。片や、白いオープンカー。まあ高そう。もう一台は、黒い高級外車。とても高そう。どちらも庶民には手が出そうにない」

 これには将棋部部長も顔をしかめる。

 無意味に空ぶかしとドリフトを繰り返し、白煙をもうもうと上げ、ようやく2台の車が止まった。

「うっせーな」

 止まったあとの車に主将が毒を吐いた。

 それぞれの車から男が一人ずつ降りてくる。降りてきた姿もやはり好対照であった。

「……う……」

 その恰好は、将棋部部長をはじめとした、平均的な経済状況の男子大学生を鼻白ませるのに十分なものだった。

「り、りりり、リア充!」

 主将にとっても別段好物ではなさそうだ。だが興味はあるらしい。

「どっちが飛車か角か、よく見れば額に書いてありますが、それにしても……」

 副将は視力が良かった。そしてやはり引いている。

 飛車と額に書いている男は、日焼けをしていた。オープンカーに乗っていた方だ。ITベンチャーの社長にいそうなタイプであった。ラフな格好だが高級感が漂う。

「きっと友達がたくさんいるんだろうで、スマホでどこでも友達と連携して、縦横無尽、世界を飛び回るんじゃないかな。きっと」

 将棋部部長の言うように、飛車は両手にスマートフォンを1台ずつ持っている。

「なるほど、最強だわ」

 主将にとっても、男子は友達が多い方が好ましいのだろう。

 角と額に書いてある方は、メガネにスーツで色白であった。とんでもなく高額なスーツのようである。腕時計もピカピカである。若いながら一流企業の役員、といったオーラを放っている。

「きっと、こちらは、扱える金の額が異次元級にハンパないだろうね。世界中のどこにでも、ものすごい額を振り込んでくるぞ。きっと」

 将棋部部長が解説していて辛そうである。

「もはや射程は無限大ですな」

 副将もインターネット・バンキングの存在は知っているようだ。海外送金についてどこまで知識があるかは分からないが。

「ちょっと、将棋部のメンズもドン引きじゃないのさ」

 主将が横目で将棋部の部員たちを見る。皆、一様に俯いている。

「ほんとだ。おい! 君たちもっと自分に自信を持て! あれは幻影! 駒鳥杉くんが生み出した理想、……というか、願望、……というか、とにかく! 現実には存在しないものだ! 存在しても、どうせ、モデルの女の子とかと付き合ってるはずだ!」

 将棋部部長の言葉がむなしく響くのは、きっと本人がそんな言葉を聞いても何の気休めにもならないと思っているからだろう。

「うん。駒鳥杉さんは悪くない。社会が悪い」

 副将は力なくつぶやいた。

「て言うか、そういう強さをバトルで競う?」

 不意に主将が我に返った。

「そう、主将さんの言う通り、競うべきはライブや将棋への情熱の強さであって、架空の友達たくさんアピールとか、架空の経済力とかは、勝敗には関係しない、はず」

 将棋部部長も違和感に気が付いた。

「そうです。僕たちは『駒鳥杉さんが男性に望むもの』の現実感に打ちのめされているのです。これは今回のバトルには直接影響しませんが、知ってしまった以上、もうあの頃には戻れないのです」

 部員の一人が代表して意見を言った。泣いていた。

「大丈夫、お金はそんなに重要な要素じゃないよ。そんなには」

 なぜか主将が女性を代表してフォローに回る。

「みんなで頑張って、竜王・名人を目指そうぜ!」

 将棋部部長は親指を立てた。

「その前に、プロになれそうもないのですが」

 部員たちには冷静に現実が見えている。夢も異性も。

「はははっ! 確かに! 実現不可能な目標を『夢』と呼んではいけないよな!」

 もはや将棋部部長自身が自暴自棄になっているようだ。

「理想と現実の折り合いをつけるのは、どこのサークルも大変そうだね」

 主将が他人事のように言った。

「我々は『鑑賞』と割り切ることによって、その辺の葛藤からあらかじめ逃避しておりますからな」

 彼らがステージの上に立つことは不可能なことであった。将棋部員が将棋のプロになれないのと同じで。

「なんて与太話をしている間に、玉将以外は配置に着いたよ! いよいよ大将のお出ましと!」

 両手をポンと打ち、将棋部部長が明るい声を上げた。

「編集点だ! 後で動画を編集しやすいように」

 主将が謎の注釈を加える。

「はい! さらに上を行くリアル充実なのか。それとも、やはり最後は『純愛』みたいな、我々を安心させる予定調和なのか」

 副将は期待しながらキョロキョロした。

「しっ! 静かに! 何か聞こえないか?」

 主将は左手を軽く上げ、右の人差し指を唇に当て、視線を右横へ向けた。他の者もつられて耳を澄ます。

「……人の声? 大勢の」

 主将の耳に入ってきたのは、先ほどの車のエンジン音とは全く違う、集団が上げる掛け声のようなものだった。

「なんでまた集団? もう隊列は出来上がっているのに」

 残るは玉将一人のはず。それが、これからまた大人数が近づいてくるというのだ。

「声だけではなく! お囃子というか、笛や太鼓も聞こえてくる!」

 副将にも徐々にはっきり聞こえてきたようだ。どうやら和風テイストらしい。

 もうだいぶ近くまで迫ってきている、という瞬間、ボコーンと派手な音を立て、ライブハウスの壁がぶち抜かれた。やけにリアルだった。

情熱可視化ザ・ジャンルに、現実のコンクリートを打ち破る力はないはずだけど、これだけリアルに表現されると不安になってしまうよ」

 マスターがハラハラしている。

「それだけ駒鳥杉さんの妄想がたくましいということだろうけど……、うわ」

 フロアの側面の大穴からなだれ込んできた集団を見るや、主将は声を失った。

「ええ……」

 将棋部武将ですら顔が引きつっている。

「……うそだろ……」

 将棋部の部員たちもそれぞれにうめいている。

「お神輿で……」

 副将は茫然として、口をポカンと開けた。


 半裸の男衆が数人で担ぐ神輿の上に、女王が乗っかっていた。

 その周りにも黒人ダンサーたちが華やかに歌い踊り、ホスト風の男たちが水ではなくシャンパンを惜しげもなく、ボトルから発射する形で振りかけている。

「派手派手な、お神輿で……」

 主将は、宝飾の散りばめられた神輿のクオリティに目を奪われている。

「プロのダンサーに、ホストクラブのホストを一斉貸し切り、一本数万円のシャンパンで勢い水……」

 もちろん幻影なのは副将も分かってはいるが、その発想力・妄想力に衝撃を受けている。

「マジかよツメローたん……」

 将棋部奉行も我を失い、事態を把握しようとすることで精いっぱいの様子であった。

「部長殿も初めて目にするのですか?」

 今までエースとして戦っていたようなので、副将は不思議そうだった。

「うん……。だいたい、歩とか香車とかだけの戦闘だったから……」

 本気を出した駒鳥杉を見るのは将棋部部長も初めてということらしい。

 乗っているのは女王然とした女性である。プリクラみたいな顔、純白のドレス、でかい扇子、金髪の巻き髪、王冠……。

「本人を投影したとしたら、ずいぶん美化してるな」

 主将は戦慄のためか微笑みすら浮かべる。

「なんというか、これが、逆ハーレムなんでしょうか」

 副将は断片的な知識を絞り出した。

 お神輿はライブハウス内を練り歩き、フロアを一周し、ようやく、整列している軍勢の方へと向かっていく。ダンサー隊は花道を作り、ホスト隊は最後のシャンパンを盛大に振りかける。

「一番奥の、ど真ん中。あのスペースにお神輿ごと収まるのだな」

 神輿の後ろ姿を見送りながら主将が言う。

「他の駒もかしずいている。圧倒的な権威だ!」

 将棋部部長の指摘通り、さながら古代国家の皇帝のごときである。

「信長も正宗もひれ伏して、こっちも『頭が高い! 控えおろう!』とか怒られそう」

 主将は様子をうかがいながら逡巡しているが、さすがに土下座をする気にはなれないようだ。

「それくらいの身分の違いを体感させられますな!」

 女王が放つ神々しいオーラに副将は気おされている。

「……それでも、駒鳥杉くんの内面の深いところを知れたのは良かった。人間同士、理解し合うことが重要だからね」

 将棋部部長は腕を組んで、自分に言い聞かせるように頷く。

「ちなみに、部長さんの情熱可視化ザ・ジャンルも、駒が擬人化されてるの?」

 この状況から主将は斜め後ろにパスを出した。

「えっ?」

 他のことを考える余裕がない中、虚を突かれた将棋部部長は変な声で聞き返した。

「そこはそこは、男でありますから? 美少女キャラに擬人化して、ハーレム状態にしたいと思うのが、正常なのではないですかな?」

 副将は肩眉をピクピクさせて、将棋部部長へ助け舟のようなものを送った。

「う、うん、まあ、そりゃあね」

 乗ってしまった。その舟に。 

「そんなんで分かり合えるのかね。性差がよりはっきり出ただけじゃね」

 主将は冷ややかに言い放ち、副将は薄い笑みを浮かべてまた元に向き直った。

「……カマをかけてきたのか。なぜ今?」

 信じられない、とう表情を将棋部部長が浮かべた。このやり取りは他の将棋部部員たちも見ていた。



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