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秋月秋水執行魔法使い  作者: 安藤ナツ


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2/2

魔法使いを裁く魔法使い――後編――

『魔法使いを裁く魔法使い』

 実際の所、その制度が出来てからあまり長い時間は経過していない。

 全人類が悪魔を認識し始めたのが約三〇年前。

 魔法と言う新たな法則を国際連合が公的に認めたのが二十五年前。

 度重なる悪魔魔法犯罪に対抗するべく、『ヤタガラス』が設立されたのが二十二年前。

 そして最初の『魔法使いを裁く魔法使い』が任命されたのが十五年前。

 人間で言えば、まだまだ少年少女と呼ぶべき年齢であろう。

 が、権威と実力は本物であり、その逸話や伝説の枚挙に暇はない。

 中でも最も『魔法使いを裁く魔法使い』を象徴する伝説と言えば、やはり『敗北を知らない』に尽きるだろう。人知を超えた『悪魔』とその力の片鱗『魔法』は常識を嘲笑うように様々な変化をこの現世に引き起こす。科学的な、或いは系統的な研究は歴史の浅さも手伝って進んでおらず、極端に言ってしまえば何が起こっても不思議ではない出鱈目な存在だ。

 そんな『良く分からない物』への対処方に絶対などあるわけがなく、あろうことかその力を戦闘行為に使うと言うのだから、自殺行為と言うよりも自殺その物と呼んだ方が正確だろう。

 が、『魔法使いを裁く魔法使い』にはそんな一般論は通用しない。

 年齢も、性別も、性格も、契約する悪魔もバラバラな七人ではあるが、彼等の強さは圧倒的で絶対だ。ただ、強い。強すぎる程に、強い。

 そんな『魔法使いを裁く魔法使い』の中でも、近年最も噂に上がるのが、

「公平に宣言しておこう」

 二十四歳――最年少にして『最強』集団の一角を担う秋月秋水だ。

 一九〇センチ近い長身に、インバネスコートの上からでもわかる筋肉の鎧。如何にも厳格そうな落ち着いた面構えに、思わず頼りたくなる低く厚みのある声。例え魔法使いでなかったとしても、悪魔ですら逃げ出しそうな巌のような男だ。

 その歩みにも浮ついた所は一つもない。ただ真っ直ぐに、秋水は目標である共和国出身だと言う二人に向かって歩いて行く。

「貴様等には黙秘権があった。貴様等の供述は、法廷で不利な証拠として用いられる事があった。貴様等には弁護士の立会いを求める権利があった。もし自分で弁護士に依頼する経済力がなければ、公選弁護人を付けてもらう権利があった」

 そして静かな声で、流暢な共和国共通語で、秋水ははっきりと自分が何者で、何を為すのか、極めて公平に宣言した。

「だが、もう関係ない。葦原君の名と命の元において、この秋月秋水が貴様等を処罰する」

 死刑宣告にも等しいその宣言と同時、秋水の足元の烏が一斉に四方に散る。見る物が見れば、東西南北にそって移動したことがわかっただろう。ヤタガラスが御得意とする、こちらとあちらとを魔法力によって分断する結界魔法だ。本来は防御に使われることが多い魔法ではあるが、秋水達『魔法使いを裁く魔法使い』が発動する場合、結界は檻の役割を持つ。対象と自分を結界内に閉じ込め、絶対に逃がさないと言う意志と、不退転の覚悟を示すのだ。

「喰らえ!」

 結界が完成すると同時、用心棒の男が動いた。『魔法使いを裁く魔法使い』が最初に結界を発動させると言うのは有名な話しである。用心棒はその一手を見逃すことなく、魔法を行使した。

 用心棒が高々と掲げた右手の上に出現するは、全長一メートルはあろうかと言う巨大な氷塊。荒削りながらも鋭く磨かれたそれは、用心棒が腕を前に突き出すと同時に高速で回転を始め、唸り声を上げながら秋水へと迫った。

「畜生が!」

 用心棒が攻撃を選んだのを見るや否や男が魔法力を使い、自らの足元のアスファルトをひっぺがして持ち上げると、氷塊に続けてそれを秋水に向けて放物線を描くように投げた。

 格上と相対した際、いきなり逃げ出したり、相手の出方を窺ったりするのは悪手だと理解しているのだろう。攻撃は最大の防御。攻撃することで相手の攻撃を制限することによって、自らの生存率を高めるのは基本中の基本だ。

 また、魔法的な氷と、物理的なアスファルトによる連続攻撃と言うのも悪くない。魔法で防御をするのであれば、それぞれに適当な障壁を選ぶ必要があるからだ。当たれば大怪我では済まない程度の魔法力を籠められた攻撃を、まさか体術のみで避けようとは思わないだろう。

 一定以上の魔法使いであれば、魔法の並列発動程度は容易くやって見せるだろうが、それでも攻撃の一手を遅らせることができる。極限状態の二人の行動は、十分に及第点と呼べるものであった。

相手が『魔法使いを裁く魔法使い』でなければ。そんな注釈は必要だが。

「児戯だな」

 二人が渾身の魔法力を込めて放った一撃を、秋水は短く評価する。高速で飛来する二つの重量物を前に、巌の様な男は少しも動じず、ただ歩を進めた。

 当然、氷塊とアスファルトは秋水の肉体を捉える。

 捉えるのだが――

「馬鹿な」「マジかよ」

 ――魔法力によって創られた氷も、魔法力を推進力としていたアスファルトも、秋水の纏う黒いインバネスコートに触れた瞬間、水に沈む様にして闇色のコートの中へと呑み込まれてしまう。闇そのものの如く貪欲に、物理的な衝撃すらもインバネスコートは嚥下して無効化し、歩みを続ける秋水は眉一つ動かしていない。

 大袈裟ではなく、二人の人間がその全力を賭けて放った一撃は、足を止めることも、魔法を使わせることも、表情すら変えることすらできない結果だけを残し、完全にこの世界から消滅した。

 精々の効果と言えば、

「力の差は理解できたか?」

 秋水の口からそんな台詞を言わせたことくらいだろうか。

「うおおおおお!」

 あまりにも絶望的な呟きに、男は魔法力を更に限界まで解放し、アスファルトの礫を返事とした。一発で駄目なのであれば、点での攻撃が無意味であれば、複数発での面攻撃。十年以上に渡り魔法使いとして生きて来た男の咄嗟の判断と機転には舌を巻くばかりだが、

「だから、児戯だと言った」

 秋水の口から毀れたのは溜息にも似た愚痴だった。無論、だからと言って何をするでもない。歩みを止めるわけでも、蠅を払うように手を動かすことすら不要だった。インバネスの漆黒に触れるや否や、アスファルトの欠片はそのまま何処かへと消え去り、秋水に何一つとして損害は与えない。

 強いて言えば、ちょっとしたストレス程度の物だろうか。

 しかし、それすらも男にとっては想像の範囲内。自分程度の攻撃が最初から効くとは期待していない。本命は散弾をめくらましにして秋水の死角へと飛び込んだ用心棒による必殺。先程の氷塊と比べ、より洗練された鋭さを持つ氷の槍による一撃であった。

 その狙い澄まされた氷の突撃槍が狙うのは、インバネスコートに覆われていない頭部。理屈はわからない(そもそも、魔法にそんな物があるかは謎だ)が、攻撃が闇に呑まれると言うのであれば、それを避ければ良いだけのこと。実に合理的な一閃が、冷気を纏い秋水の背後から奔る。

「私の共通語に不備があるのか?」

 しかし――

「子供の遊びに付き合う暇はないと言っているんだが」

 しかし秋水はその攻撃を意にもかけない。

 槍が秋水の顔に突き立てられるや否や、やはりその穂先は闇に呑まれて何処へと知らぬ場所へと消えた。全てを呑みこむ久遠の闇が、粘度の高い液体の様に不定形に広がり、秋水の頭部をぐるりと囲ったのだ。

「そりゃあ、弱点丸出しなわけないか……」

 用心棒は自らが突き出した槍が呑み込まれて行くのを見ながら漏らす。やはり、焦っていたのだろう。コートに攻撃を無効化されたのであれば、コートのない箇所を攻撃する。そんなことは初等学校の学生だて思い付くだろう。そして、その程度のことに対策をしないわけがない。

 あまりにも当然の事実に気が付く。が、しかしもう遅い。全力を持って地面を踏みつけ、全身で放った一撃は簡単に止めることはできない。身体ごとぶつかるようなその攻撃は既に用心棒の意志とは関係なく実行される。

 突撃槍は根元まで呑まれたが、用心棒の身体は止まらない。そのまま真っ直ぐに秋水のインバネスコートにその身体が触れ――――

「う、う、うわあああああああああああああああああああああ!」

 ――――腕が、肘が、肩が、闇に呑まれて行く。痛みか、恐怖か、その両方か。用心棒は喉が裂けんばかりに絶叫を上げる。が、それも束の間の事。胸が、首が、そして顔がコートに触り、この世からすっかりと消失するとそれも止まってしまう。残ったのは、用心棒の腰から下。二本の足だけがこの世に残された。

「あ、え? 先生?」

 バランスを失い、倒れた用心棒の足を見て、男が呟いた。秋水の巨体によって一部始終を見ることができなかった男には、何が起きたかが理解できない。断末魔の悲鳴と、どくどくと太腿から溢れて来る血液が地面に流れている結果だけでは、何が起きたかなどわかるわけもない。

 呆然と男は立ち尽くし、近づいて来る秋水をただただ見つめる。秋水の様子は何も変わらない。激しい憎悪の目線で男を射ぬきながら、真っ直ぐに進んで来る。魔法らしい魔法なんて使っていないし、その逞しい肉体を使った体術も見せていない。ただ歩いているだけだ。

 だと言うのに、男は確かに追い詰められている。

 一体、なにが起きているのだろうか? 男にはわからない。

「『故に、『追放』とはこの世から消え去ること。この世からの追放とは死に他ならぬ。』」

 余りにもその様子が哀れだったのか、高名な文学作品の一文を秋水は諳んじる。今、何が起きたのか。そしてこれからその身に何が起こるのか。その身近な台詞は明確に表現であった。

 そうして。

 そうしてようやく、男は自らの運命が既に決定付けられていることを知った。

「ひぇい!」

 無様にその場で腰を抜かすと、少しでも運命から逃れようと地を這う虫のように四肢を動かして後退する。恐怖に身体は自由を奪われ、そのみっともない逃走劇は思った以上の効果を上げない。それでも、股間を汚物で濡らし、顔を涙と汗と鼻水で汚し、気が狂ったように逃避を続ける。

 が、それは十秒も続かずに終焉を迎える。

「KWAAA!」

「うわぁぁあ!」

『魔法使いを裁く魔法使い』の使い魔を起点とする強固な結界。対象を決して逃がすことのない不可視の檻が、男の逃走劇を妨げたのだ。四方を護るように散った四羽の烏が、追い詰められた男のことをじっと見つめる。その姿は得物が死ぬのを待つ狡猾な烏その物であり、邪念も道徳もないであろう残酷な生命の根本原理を表しているようだった。

「嫌だ! 追放なんて嫌だ!」

 結界に退路を断たれ、後退を諦めた男は最後にみっともなく叫び声を上げた。秋水は既に目の前と言って良い位置に立っており、闇色をした瞳に憎悪を滾らせながら、男の様子を見下している。

 その視線には少しも容赦の言葉は感じられず、少しの情けをかけてくれるとも思えなかった。が、それでも男は縋るように叫んだ。三〇を超えた大男が、涙ながらに懇願した。

「お前の闇の先には何があるんだよ! 俺にはわかる! 死よりも恐ろしい物だ! 慈悲だ! 殺してくれ! 闇への追放だなんて! それだけは許してくれ!」

「死ね」

 短く簡素な秋水の返事を補足するように、巌の様な男が纏う久遠の闇が蠢いた。インバネスコートから、或いは足元から伸び影から、漆黒のたおやかな腕が亡者のように這い出す。一切の光を逃がさない無数の暗黒の指先は美しく、闇の奥底に潜む――秋水がその魂に契約を結ぶ悪魔の高位さと優雅さを物語っているようだ。

 数十、否、百に及ぶ無数の美しい腕が、信じられない程に優しく男の身体に触れる。

そして、頭を、耳を、瞼を、眼球を、鼻を、唇を、歯を、舌を、頬を、首を、うなじを、喉を、肩を、肘を、二の腕を、手首を、掌を、指を、胸を、胴を、股間を、太股を、膝を、腹を、脛を、踵を、足首を、足の甲を、呑み込んだ。

 男の身体は余す処なく闇に犯され、それが全身に回るまでに十秒も必要はなかった。

 完全に男の身体が漆黒一触に塗り潰されると、陽炎の様にそれは空に溶け、消えた。

 髪の毛一本。細胞の一つ。魂魄の一欠片。何一つ残すことなく、男の存在は完全に消失した。

 その様子を眉一つ動かさずに見つめていた秋水は、「対象の抹消を確認――任務完了」と無感情にそう呟き、その場でインバネスコートを翻した。同時。四羽の烏は自分達が導いた大男の元へと一斉に飛び立った。

 その内の一羽を自分の左手の甲に乗せると、「終わったと報告をしてくれるか?」男に対する物とはまるで違う穏やかな声で使い魔に命令を下した。烏は一声を上げると、艶のある翼を羽ばたかせて高く舞い上がると、空に溶けていった。

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