出会い篇 1
敢えて言うなら……の、柴又君と多賀野君の出会い篇です。
柴又は歩いていた。
この建物は今時珍しい木造建築で、柴又が此所まで歩いて来るあいだギシギシと悲鳴を上げ続けている年季物である。
春とはいってもまだ肌寒いこの時期、寒がりで冷え症の柴又は不安だった。
なぜなら、こうして立って居るだけで何処からか冷気が流れ込んでいて、彼の吐息を白く染め上げていたからである。
――ギシッ。……ギシッ。
ようやく目指していた部屋の前だ。
寒さでだいぶ、手がかじかんでいる。
ふと、窓の外を見た。 四月は、何処となく浮かれた雰囲気が漂っている気がする。
学校と呼ばれる場所は特にその傾向が強いなと思った。
柴又は、今年無事に大学二回生になった――進級出来たのである。
しかし、事ここに至ってとある問題が彼に降り懸かった。
それは、人間の基本とも言うべき衣食住の内の『住』に関する問題だった。
全ては今年の三月に始まった。
柴又の父親が海外赴任に決まったのだ、めでたい事に。
最初は、柴又も喜んでいた――淋しくはなるが、昇進へのステップだと。
しかし、そこで問題が発生したのだ……柴又にとっては。
それは、父親の海外赴任に母親も同行するに当たって、柴又が何処に住むかという事だった。
柴又は、それまで実家から大学まで通っていた。
それが、その実家であった社屋を出る為に柴又が住める家が無くなるという事なのだ。
そこで、両親は柴又に選択肢を二つ与えてきた。
一つ目は、兄夫婦の住むアパートに住む。
二つ目は、寮に住む。
何故、一人暮らしの選択がないのかと尋ねたところ、そんな金は無いと言う簡潔な答えだった。
そこで、柴又はよく考えた。
しかし、すぐに結論が出る――寮という。
何故なら、兄夫婦には既に三人姪や甥が生まれていたからだ。
だから今、柴又はこれから住むことになる部屋へ入ろうとしていたのだが、ふと桜が目に入り「俺様、大丈夫かな……」なんて、ちょっと彼には似合わない独白をしていたのである。
その時だった――隣りの部屋のドアがまるで蹴破る様にして開いたのは。そして、それに続く様にして二人の男が飛び出て来た。
一人は眼鏡を掛けた長身の男で、もう一人は髪を金色に染めた小太りの男だった。
そんな二人が共通していたのは、半泣きの状態だったことぐらいだろう。
その二人は、くるりと部屋に対するように身体を向けるとブンッと音がしそうなくらいの勢いで、身体を90度に曲げた。
そして、眼鏡が先に発言。かなり大きな声だから、寮中に聞こえるんじゃないかってぐらい……
「ホントにすみませんっ。俺達が悪いんですっ。俺達ならなんて、思い上がって食券一年分に釣られて引き受けちゃったのがいけなかったんですっ」
と、今度は金髪が激しく首を縦に振りながら、負けず劣らずの音量で、
「そうなんですっ。思い上がってたんですっ。寮長には、きちんとこっちに非があるって説明して新しい住人入れるようにしますからっ。失礼しますっ」
と、これまた叫ぶように言ってから二人は頭を下げたままで、柴又に気付きもせずに全力で走り去って行った。
「あの勢いでも、廊下の床板は抜けないんだな」
柴又は、思わず口にしていた。
そして、二人組の後ろ姿からまた隣りの部屋に視線を戻すと、まだ扉が開け放たれたままだ。
これだけの騒ぎなのに、誰も出て来ないのも不思議だった。
どういうことだ?
昔から好奇心が強かった柴又は未だに部屋にいる人物に興味が出てきた。
あんな事言われてたけど、言われてたヤツってどんなヤツなんかな?…………扉が開きっぱなしだしな。……親切な俺様は、閉めてやるんだ。うん。んで、たまたま中が見えちゃって、たまたまどんなヤツか見えてもそれは不可抗力だろう。…………よしっ。
――柴又は〈好奇心猫を殺す〉という言葉を知らなかった。
そろりそろりと近付いて行く。足元でギシッと音がするが大丈夫だろう。
あと一歩で、扉の把手に触れる。
……いっ……ぽ。よし着いた。
と、柴又が息を吐いた時にヌッと中から人が出てきた。足音もしなかったから、柴又は一瞬頭が真っ白になり次の反応が遅れた。
なんとヌッと現われた人物は、扉の前に固まっている柴又を寸の間じっと見た瞬間、いきなり柴又のほっぺたを摘んで両側に引っ張ってきたのだ。
一瞬遅れたあと、
「んなっ……!」
と柴又は反応した。
が、頬が横に引っ張られている為にはっきりとした発音にならない。
バシッと右手で払い除けて今度はきちんと、
「何するんだよっ!」
とはっきり言ってやった。
柴又の眉は中央に寄ったままのしかめ面なままだった。
本当に何をするんだ、こいつは。初対面の人間に対して失礼じゃないか。
ますます眉は寄っていっていっている、と自覚していた。
そんな柴又に失礼なその男は、
「……だってマネキンじゃないかと思ったんだよ。人間だったんだね」
なんて、もっと失礼な事を言い出した。
柴又は扉の前に立ち尽くしていた事を思い出して、少しバツの悪い思いをした。
しかし、これは言っておかなければ。
「だからって、頬を引っ張るなよな。第一、こんなとこにマネキンがある訳無いだろう」
痛かったんだぞ。それに常識で考えろよな。
柴又は言いたい事は、はっきり言っておく、という性格だった。
すると、男は何が嬉しいのかニコニコと目を細めながら、
「うん、ごめんね。ところで君、初めて見る顔だけど今日から寮に入るコ?名前は?」
と謝ってきた。
謝ってきた直後は、柴又の眉が寄っていたのも離れたのだが。
謝った後に自己紹介もなにもなく勢い込んで柴又に質問してきた時には、少し気圧されてしまった。
しかし、それと同時にムッともした。
質問はいいんだよ。けどな、その前に自分の名前を名乗るのが礼儀ってもんだろうよ、と。
こう思いながら、柴又は目の前の人物を頭の先から足元までざっと見てみた。
身長は、だいたい180cmぐらいだろう。顔は、この頃流行りのふにゃけた感じだ。全体的にバランスがとれた身体で、モデルだと言われても納得出来るものだった。
ただ、さっきの二人組にあんな事を言われながら逃げられるような人物には見えない。
いや、さっきの行動は変だけどな。言ってる事も。でも、まだ許容範囲だろう。
柴又は、質問には答えずに逆に質問してやることにした。
偉そうに腕組みをしながら。
「人に聞く前に先ずは自分が名乗れよ。あんたこそ誰なんだ?」
彼はそんな柴又をやはり目を細めて見ながら(だから、何がそんなに嬉しいんだ?)口を開いて、
「……確かにそうだね。僕は、多賀野。今年二回生になった、この寮に住んで二年目の住人だよ。趣味は、寝ること。特技は、何処ででも寝る事が出来ること。さっき見てたみたいだけど、あの人達は元同室者。さっきまでは、同室者だったんだけど出て行っちゃったから。どっちとも、今年四回生の人達だよ。……、あとは何が自己紹介になるかな?何が知りたい?」
と言ってきた。
まさか、そんな事を聞いてくるとは思っていなかった柴又は少し悩んだが、取り敢えずさっきまで聞きたいと思っていた事を聞いてみる事にした。
「んじゃ聞くけど、さっきあの人達が出て行ったのってなんでだったんだ?」
多賀野と名乗ったその人物は、なんだそのことかといった顔をして、
「やっぱり見てたんだね。あれは、僕の癖が悪いから出て行ったらしいんだよね。詳しくは教えてくれなかったけど、自分が分からなくなるとか言いながら泣き出すんだ。僕の方が訳分かんないんだけど……。という訳だから、僕自身も実はよく分かってないんだよね。で、ついでに言うと僕の同室者が変わったのはこれで11組目なんだよ。だから、寮長が部屋が余ってる訳でもないからって言って褒賞に食券を提供したんだけど、これでも長続きしなくてね。……んで、質問はこれくらい?」
多賀野は、小首を傾げながらそう聞いてきた。
軽く聞いてても、多賀野には何かあるだろうと考えさせられるような話だ。
しかし、その時柴又は違うことを考えていた。
小首を傾げるって行為は男がやっても可愛くないな……と。
そう思いながら、無意識に柴又は頷いていたらしい。
「じゃあ、今度はそっちの自己紹介」
コイツ目が細いなって思わせるくらいの笑顔でそう言ってきたので、柴又はハッと我にかえって、さっき聞いた多賀野の自己紹介を思い出しながら口を開いた。
「俺様は、柴又。今年二回生になった、隣室に住む新しい住人だ。えっと……、趣味は風呂。特技は、銭湯探し。あと、好きなものはご飯で、嫌いなものは特にない。それぐらいか?なんか聞きたいか?」
多賀野にも確認されたのだから、こっちも聞いとかないとフェアじゃないよな?
すると多賀野はチラリと隣室を見つめた後、もう一度視線を柴又に向けてこくんと頷きながら、
「寮長のとこにはもう行った?」
と、聞いてきた。
予想していた質問とは違ったので、ちょっと拍子抜けした。取り敢えず、質問には答えなきゃな。
「いや。寮長のところには、荷物を置いてから行くつもりだったんだ」
柴又は首を横に振りながらその旨を伝えた。
すると、多賀野は未だに開けっ放しだった扉を閉めて、
「先ずは寮長のところに行かない事には正式に寮で生活は出来ないんだよ。僕も用事があるし、連れて行ってあげるよ」
そんなことはいい、と言ってしまいたかったが寮長の場所は元から寮の住人に聞くつもりだったので、じゃあってことで柴又は連れて行って貰うことにした。
かなり書きづくて、なんか前作とちょっと違う子達になったかもです。出来れば、次くらいで終わりたいなぁと思います。