第三章:地球の根本原理
クワヴァノの宇宙船内は、慣れないと眼が眩むほどに白い空間だった。
ポルバキキが一際高い、宙に浮くイスに座っている。その周りには、薄いディスプレイが浮かんでいた。手慣れた手つきで、宙のキーを叩いている。
見慣れてくると、ほのかには宇宙人というのも、愛嬌のあるものに見えてきた。少なくとも、自分の大嫌いな蜘蛛よりは断然マシである。日本語でコミュニケーションがとれたのが、大分安心につながったのだろう。恐る恐る、ジオに声をかけた。
「で、でさ、ここって、どこなの? ジオ、さん?」
「ん? ここか? えーと……えーと……V89、X662、Y99.325……」
なかなか進まない会話に、上から見ていたポルバキキが答えを出した。いくつか操作をして、船外が見えるよう壁の反射率を変える。ほのかの右側に、暗黒の宇宙空間が広がった。
「わぁー、……って、真っ暗。なにコレ?」
ポルバキキが頭を抱える。キッと顔をあげて、イスから飛び降り、ジオの隣へと素早く滑り込む。懐からケーブルのような黒い線を取り出し、自分の額とジオの額に押し当てた。両者の額がわずかに発光すると、ポルバキキはジオと繋がったままがなり出した
「見てわかれ! ラトスゲニア第八干渉空間だ! ペリオンとハルイダムの分布をよく見ろ! 学校で習っただろうが!」
意外と高い、ポルバキキの声が響く。
「あ、ポルバキキもしゃべれるんだ」
ジオが大きな眼に笑みを浮かべた。
「まあな。私の地球語辞典を転写したからだ」
「いいかミキホノカ、ここはだなぁ、地球から大体……なんだお前たちの単位は? 光ィ?」
ポルバキキは眼を見開くと、次いで呆れたように眼を細めた。
「そんなものではかったら、お前……八百二十光年、だぞ?」
ヤキトリとほのかが、同時にピタっと固まった。
ほのかはぐっと、一語一語、声を絞り出す。
「……それって、光の速さで、八百二十年かかる距離、って意味、だよね?」
「そうだよ、ミキホノカ。あ、ポルバキキ、地球ではまだ、光より早い粒子が発見されていないんだ」
「なんだよ、そんな連中なのか。確かにギギルドォじゃないようだが、パジヤィとしてもちょっと水準が低いんじゃないのか? 私はそもそも、定義が曖昧で好きじゃないんだ、この言葉は」
「そう言うなよ。私の仕事がなくなるだろう……ってどうしたの?」
ジオが振り向くと、まるでそこだけ、ぽっかりと暗い闇がかかったような雰囲気が漂っていた。
ヤキトリとほのかは、この世の終わりの様な、深く、暗い表情をしていた。互いを見もせず、何事か囁き合っている。
「……どうすんのよ。八百二十年って」
「……死んでるな」
「……光の、速さって?」
「……確か、二秒で地球を七周半する、はずだ」
「……どーいう事?」
「……めちゃくちゃ速いって事」
「正確には、秒速三十万キロメートルだな。だから、地球からおよそ七千七百五十八兆五千七百四十三億二千万キロメートルぐらいだ」
ポルバキキの声がのんきに響く。
「いあああああ!! ダメよ、ダメすぎよ! 何よアンタたち、結局あたしらを生きて帰す気ないのね!」
ほのかが突然叫び出す。頭を振りまくって、玉のような涙が四方へ飛んだ。その足下で、ヤキトリが体育座りで「の」の字を書いている。
「え、えっと、落ち着きなさい」
「ヤキトリは、何をしているんだ、それは?」
ポルバキキが素っ頓狂な声をあげる。地球人の深い絶望は、クワァヴァノ人には理解しがたいらしい。
「あたしはオバーチャンよ! つーか、影も形も残らないわよ!」
「……地球人に生まれ変わった方が早いかもなぁ……」
ジオとポルバキキは、互いに顔を見合わせる。
「……あー、もしかして、光を基準にしてるから、やたら遠くに感じてるんじゃないか? クライストンとかエトリウムを知らないんだろ?」
「あ、そういえばそうか。あのな、君たち。そんな時間はかからないぞ?」
二人の顔が上がる。眼に怨念すら宿っていた。
「宇宙には、光より早い粒子がいくつも存在しているんだ」
ポルバキキが追って告げる。
「実際我々の船は超光速航行しているしな」
ヤキトリとほのかは、二人の異星人を交互に見た。
「……そうなの?」
「生まれ変わる前に、帰れる?」
「いくらなんでも、そんなに時間はかからんさ。君らの体感時間で、……四時間くらいだろうな」
ジオは耳らしきものをピンとたててゆらゆらと振った。
「まあ、そんくらいならすぐっちゃすぐだな」
「ドラマ、見れないけど。まぁしょうがないか」
と、地球人コンビは胸をなで下ろした。
ポルバキキが、さっきのジオと同じ仕草で耳を揺らした。どうもそれは、やれやれといったニュアンスのようだった。
制服姿の男女と、奇妙な外見の生き物が、白い床に尻をつけて座っている。それより少し高い空中に、イスに座った、奇妙な生き物の片割れがいる。
四人は、地球までの宇宙小旅行の真っ最中だった。
「なんというか、まだまだだな、地球は」
「そう言うな。この二人は別に、地球最高の頭脳という訳じゃないんだから」
「しかし、一般サンプルには違いないだろう。それがこのレベルとは……」
「……結構失礼な事言ってねえか? と、アガリっ!」
快活な声と共に、ヤキトリが二枚のカードを場に捨てた。
「がぁぁ、また私の負けか。ババヌキというのは、なかなか奥が深い」
「そうか?」
散らばったカードを集めて呻くジオを、ヤキトリは呆れたような眼で眺めた。
「大体、母星の衛星までしか到達してないんだろう? 覚醒にはまだほど遠いじゃないか」
ほのかは、上目遣いにポルバキキを見上げながら、思い出すように言った。
「えいせい……月に行ったのって、うちらの生まれるかなーり前、だよねぇ」
「ああ、まだテレビがモノクロの時、じゃねぇの?」
ジオが集めたカードを受け取りながら、ヤキトリが応えた。ささっとカードを配り終える。カードを取り扇状に拡げると、ほのかはいたずらっぽい目つきをカード越しにジオへ向けた。
「てゆーかさ! あんたたちクワバノ……変な名前、は、一体何しに地球へ来たの? まさか……地球侵略!?」
すかさず、ヤキトリが口をはさんだ。何だか、百戦錬磨のギャンブラーのような面持ちだ。
「いや、宇宙人はそんな野蛮なことはしないのさ」
「なに言ってるの、地球は綺麗な星だから、宇宙人はみんな狙ってるのよ、虎視タンタンとっ!」
「いやいや、愚かな人類が破滅しないように導いてくれてるのさ。お前知らないの? キリストは宇宙人だったんだぜ?」
「なにトンデモ説を得意げに話してんのよ?」
ポルバキキは不思議そうに眼を丸くした。
「なあ、ジオオオネグブラジラボ。彼らは何を言ってるんだ?」
「んー、地球にはな、我々の様な他惑星の生命の事を、色々と想像する風習があるんだ」
スペードの2とハートの2を捨てながら、何の気なしに答える。
「ふーん、他惑星生命の生態を、色々と推測して論議するのか? なかなか文化的だな。見直した」
「いや、それがそうでもないんだ。科学的根拠は、はっきり言って全く、無い」
ポルバキキは耳を立てて揺らした。
「……やはりギギルドォなんじゃないか」
「おいおい、お前ら、さっきっからギギなんとかって、どーゆーイミだよ?」
ヤキトリとほのかが、ジト目でジオとポルバキキを見つめた。
「ふん、どーせ野蛮人とかってイミでしょ」
「それ言ったら、うちのクラスの連中もそーだよな。お前も含め」
「あんたは文明人でも落伍者よ」
涙目のヤキトリと、平然としたほのかの間で、クワヴァノ人たちが首を傾げる。
「いや、君たち。ギギルドォは別に、馬鹿にして言ってるんじゃないよ。」
ジオが諭すように話しかけた。二人は疑わしさ全開で見つめ返す。
「単に発展レベルを示す用語だ。君たちはパジヤィ……」
「私はギギルドォだと思うがな」
ポルバキキがぼそっと口を挟む。
「あーほらまた言った! 気分わっるー!」
「ぐぅうぅぅ、うるさいなぁ。ミキホノカは。そういうのがギギルドォだと言うんだよ」
どうもクワヴァノ人は、眼が大きいため感情が分かりやすい。普段まん丸の、満月の様な眼が、今は左右に細くなっている。まさにジト目だ。
「ポルバキキ、余計な事を言うな」
見かねたジオが口をはさむ。しかし、
「あのなポルバキキ、地球の女はみんなギギルドォなんだよ」
「なに? そうなのか?」
「ヤキトリまで……。そんないらん誤解を吹き込まないでくれ」
辟易したジオの脇で、ほのかが立ち上がった。
「なんだとヤキトリ! ホッピー片手に食われちゃえ!」
ああもう、とジオはひとり、頭を抱えた。
ほのかはゆらり、と頭を上げ、椅子に座るポルバキキに挑発的な視線を投げた。
「だいたいアンタも、そんな高いトコに座って随分とエラそーよねぇ?」
「な、なんだ? 私は技術屋だからいいんだよ」
ポルバキキは椅子から若干ずり落ちながら言った。
そう? と言わんばかりに、ほのかは不敵に笑う。そして、人差し指と立て、二度、三度と動かした。
「じゃあ勝負しましょう」
すっ、とカードを掲げる。
「お、おいミキホノカ?」
「ほっとけジオ。遊びたいだけなんだよアイツ」
「うっさいわね。さぁポルバキキ、どうするの?」
ポルバキキは耳をすっと立てて首を回すと、音もなく床へ降り立った。
「……いいだろう」
ふふん、と不敵に笑う両者。
「教えてあげるわ。私とアンタの力の差、そして、地球の基本原理を、ね」
「ほう……それはそれは。実に興味深いものだな……」
互いに低い笑いを漏らす。ポルバキキの方は電子音のような不思議な響きで、なんだかよく分からない真剣勝負が幕を開けようとしていた。
地球人とクワヴァノ人の、種族を超えたカードバトル、には違いないのだが、宇宙船の中は、どちらかというと修学旅行のバスのような盛り上がりだった。
「よっしゃぁ、あっがり!」
「うん、8切り。で2。それでアガリ、だ」
「……1。そんで、これでアガリ」
ほのか、ジオ、ヤキトリが順次アガリを宣言した。ポルバキキは一人、扇状のカードを握りしめプルプルと震えている。
「くそっ、なんなんだこのゲームは?!」
カードを床に投げつける。それをさっさと集めて手早く切り、ほのかは一同に配った。
「はいはい、じゃあポルバキキ、強いの二枚ちょうだい」
「なにィ?! なんだそれは!」
「ルールよ」
「そ、それじゃあ一度おとしめられたらもうはい上がれないじゃないか! 何故君に強いカードを渡さねばならんのだミキホノカ?!」
ポルバキキが立ち上がってまくし立てた。聞きようによっては涙声の様でもある。
「だぁからそーゆールールなの。あたしは大富豪、そしてアンタは大貧民。最下層の人種なのよ。いい? 金持ちの所に金は集まるの。そして、貧乏人はどこまでいっても貧乏人! それが地球の根本原理よ! 悔しかったら共産革命起こすがいいわ!」
ほのかは身じろぎもせず宣言する。そのあまりの堂々とした態度のために、ポルバキキも口をつぐんでしまった。
「まあまあ、ポルバキキ」
ジオが同僚をなだめるように話しかけるが、それはかえって逆効果のようだ。辛いときの優しさは、時としてその人の誇りを傷つける。
「うるさいうるさい! お前だって富豪だ。結局は私を哀れんでいるに違いない!」
「……うっさいなぁ、ポルバキキ」
ひとり騒動に参加しなかったヤキトリが、ぽつりと愚痴った。横目で手持ちのカードを見るが、貧民から抜け出すことは無理そうだ。
「……ん? ……おいポルバキキ」
「うるさいうるさい!」
「違うよ聞けって。警報だ」
「うるさいうるさ……警報?」
「そうだよ、接敵警報だ」
ジオが告げた言葉に、ポルバキキがようやく平静を取り戻した。
外が見渡せるようになっている船内から、暗黒空間に浮かぶ点が見えた。
「なんだ、あれ?」
そうヤキトリが疑問を口にした瞬間、ポルバキキの落ち着いた声が響いた。
「確認終了。あれはクワァヴァノ船ではない」
「了解」
ジオの言葉の直後、宇宙空間に、すっと一筋の光が走った。