01 ゼル、相棒とコンビ解消をする
残念なことに、ゼルの朝はこんな台詞で始まった。
「――もういいですリオン、貴方なんかとはコンビ解消です!」
ばん、と勢いよくテーブルに手をついてゼルは立ち上がった。
既に馴染みになりかけている宿屋で、毎度のことながら夜を明かした翌朝のことだった。目の前にはまだ湯気を立てている朝食と、たった今相棒を解消したばかりの相手が鎮座する。
十八を数えるゼルよりもいくらか年上らしい、リオンという名の青年だった。
彼は少しも慌てた様子も見せずふてぶてしく椅子に座っていた。彼は淡い金髪の向こうで橙色の瞳を不機嫌そうに細めながら、手持無沙汰になった片手で自分の剣の柄を撫でている。その一見なんてことはない動作は、実は彼が内心苛々しているときの癖なのだと、この短い付き合いのなかでゼルは知っていた。
だからこそ分かってしまう。
リオンがゼルの言葉に何も返さず、なおかつ苛々と沈黙を守るということは『うっせーな、わかったよ』という了承の意味になることを。
(少しは嫌がるかと思ったのに、呆れた……)
そして内心、相棒に引き留められることを期待していた自分に気づき、ゼルもまた苛々とした。そして顔をしかめながら、椅子にかけていた自分の外套をつかみとる。
「さよなら」
捨て台詞とともに置いた宿代の硬貨が、硬く冷たい音を立てた。
◇・◇・◇
相棒のもとを去り、ゼルは短く切りそろえた自前の真っ白な髪を揺らしながら颯爽と歩いていた。
そうしているだけで通りすがる人が振り返るのを感じてしまう。瞳の色は普通に青色なのだが、なんせ髪が目立っていた。だが、これが生まれつきなのだから仕方がない。
しかもゼルが着ている服も目立つ要因のひとつだった。首から足元まですっぽりと覆い尽くすような長い外套は、白を基調としており、青色の布がアクセントに使われていた。
見るものが見れば、聖職者の服だということがすぐに分かる。だがこの派手な色使いに、ゼルを見て一瞬で聖職者だと思いつく市井の者はどれほど居るのだろう。
だが、ゼルは本当の意味で聖職者というわけでもなかった。
「あらいらっしゃい、ゼル君」
のんびりとした口調で迎えたのは、冒険者組合の窓口で受け付けとして勤務するベルタという人物だった。長い深緑の髪をゆるくひとまとめにした髪型で、素朴なワンピースを見にまとった女性である。
ゼルはカウンター越しの彼女のもとにまっすぐ歩み寄ると、どん両手をつき、これまた迷いなく言い放った。
「ベルタさん、人物照合かけてください」
その言い方があまりに気迫を帯びていたため、ベルタは思わず身じろいだ。
「しょ、照合って……あなたにはもうリオンが居たじゃない? どうしてわざわざ」
「良いんです。あいつとはコンビ解消したんで」
だから次の相手を探すために、登録者とのパーティマッチングをして欲しいのだ。ゼルの言葉を聞いて、ベルタはつい昨日のことを思い出した。
ゼルは昨日もここにやって来ていた。
だが、相棒のリオンと一緒に、魔物討伐の報告に来ていたという点が今日とは違う。昨日は希少な魔物の討伐に成功したとかであんなに喜んでいた二人だったのに、いったいいつの間に相棒解消なんて事態に転がったのだろう。
そんな疑問を訊いてみると、ゼルは一言、「さっき」と言った。普段温和なゼルにしては珍しく、実に不機嫌そうな顔だった。
「さっきって」
それってただの喧嘩じゃないの。
つい、そう思ったベルタだったが、彼らが喧嘩をするなんてことはあまり想像がつかなかっただけに、興味深いものを覚えていた。
ゼルはギルド員としては新参だったが、リオンのほうは古株で、なおかつある意味有名な剣士だった。
有名というのは当然ながら悪い意味で。結論を言うとゼルと出会う前のリオンは、気難しすぎて誰とも合わなかったのである。
だから口喧嘩をするぐらいならさっさと見切りをつけるだろうリオンが、人と“わざわざ口喧嘩をする”なんてことは、以前の彼を知っているベルタにとってかなりの予想外だった。ぜひとも詳しく聞きたいと思ったところで、ゼルが会話を続けた。
「で、私に合いそうな戦闘職は誰かいます?」
「居るといえば居るけど……それもたくさん」
ややがっかりしつつも、ベルタは棚に並んだギルド登録者の名簿をひとつ手にとる。使い古された帳簿はすみっこが擦れてボロボロになっているが、中の情報は最新だ。名前の羅列から何人かピックアップしながら、ベルタはゼルに視線を向けた。
「いま募集を出したらひっぱりだこよ、ゼル君。治癒術師はみんな喉から手が出るほど欲しがってるもの。それにゼル君みたいなビショップなら尚更ね」
ベルタの言葉に、なぜか微妙な顔になるゼルだった。
無理もなかった。
今でこそ“大人気になりそう”と言い切れるが、かつてギルドに登録したばかりの頃、ゼルは能力が低すぎて他のギルド員から総スカンを食らった経験があった。その時に対応した受付係もそういえばベルタだった。
いまのゼルは中位聖職者という称号を持っているが、その名の通り聖職に就く者のことである。位としては教会の司教と同程度の立場だ。
もっとも、ゼルの場合は教会なんかには従事せず、資格だけの存在だった。もともとゼルの居る国では、認定の数は少ないが、治癒術に長けた者にはそのような称号が与えられる仕組みなのだ。
治癒術、そして戦いを有利にするための補助術という支援魔術に長けた者。それがビショップ。そうでなくとも、治癒術の扱える者は、前衛職――たとえば騎士、剣士、傭兵などにとって討伐依頼をこなすには必須といえる職業だった。
「そうですか。ベルタさんのお勧めの人は?」
ゼルは選別された登録者名簿をざっと眺めながら、彼女に訊ねた。
名簿には名前と職業、性別、特技ぐらいしか載っていないので誰がどんな人物かは判断の仕様がない。すべては募集者の直感と、ベルタの独断と偏見に委ねられる。
(しっかし、どうやってもリオンとは組まないわけね……)
相手のあまりの頑なさに、ベルタは思わず息をついた。
「最初に言っておくわ。ゼル君が求めるようなアタリの人材って、リオンぐらいだからね」
「……そりゃ分かってます」
冒険者ギルドに居る人間なんて、たいていほとんどが訳アリだ。
今朝がた、関係を解消したばかりというゼルの相棒も、ド貧乏すぎて金稼ぎ目的で登録したといつか話していたことがある。
正直、小金を稼ぎに来るといった目的で冒険者組合に登録するのは、可愛いほうだった。なかには他国で罪を犯して逃げてきた者や、言葉ばかりでコンビを組んでも自分では何もしない賞金泥棒みたいな者や、社会的弱者に対し乱暴をはたらく狼藉者も居る。
そう考えると、リオンは優秀な人物だった。彼は一度引き受けた依頼は最後までやるし、ほどほどに人の道も外れておらず、腕も良い。
(まあ、あの性格がなかったらだけど)
その言葉はベルタの心のうちに留められる。
リオンの“あの”偏屈な性格を乗り越えて、一年近くも相棒をやってきたゼルには分かりきったことだろう。それに決して、リオンがゼルを蔑ろにしていたわけでは無いことを彼女は知っていた。
目の前で帳簿とにらめっこするゼルを見て、彼女が思い出すのは一年前、気後れした様子で冒険者ギルドの扉をくぐってきた見習い聖職者の姿だった。
「うーん、誰でも良いんです。このアリスナ洞攻略に参加できる相手なら」
そう言って、ゼルはすぐ傍の掲示板に貼られた紙を指し示した。
アリスナ洞攻略――なんてことはない洞窟迷宮の攻略だが、ゼルはこの街にやって来てから、ほとんど毎日のようにこの洞窟へと通っていた。
かつてはこの街の栄華を誇る中心地でもあった場所だが、なにが良くてこんな場所にゼルは足しげく通うのだろう。それを不思議に思いながら、ベルタは真剣な顔のゼルを前にしばし考え込んでしまった。
◇・◇・◇
結局ゼルに紹介されたのは、ひとりの若い剣士だった。
もっとも剣士というのは名ばかりで、
『ほんとは盗賊業とか諜報活動とかやってるんだけど、馬鹿正直にそんなん書面に書けないし』
と詐称剣士の彼は言った。馬鹿正直に初対面の相手に教えるのもどうかとゼルは思ったのだが、敢えて言うまい。
そんなイディアと名乗った青年は、栗色の硬そうな髪を風にゆらしながら前方を歩いている。ゼルは彼から少し離れて後ろに続く。
すでに冒険者ギルドを出た後だった。
さすがに早朝とは呼べないが、まだ朝だと言える時間帯である。大通りに見られる人は少なかったが、そこかしこで市場が開かれ、なんとなくにぎやかな印象を覚える。まばらな人の間を抜けながら、少し歩いたところでイディアはぴたりと立ち止まった。かと思うと、ゼルへと振り返った。
「なあ、ちょっと疑問なんだけど」
「なんですか?」
どこか困惑した表情で見られると、なにかと思う。つい首をかしげたゼルに向かってイディアは言った。
「なんでアンタ、俺の後ろを歩くわけ?」
「もしかして“俺の背後を取るんじゃねえ”とか、そういうタイプです?」
「いや、そんなんじゃねえけど」
イディアは戸惑いがちに頬を掻いた。
「普通、隣を歩かねえか? 俺だってそりゃ、ギルド員は色んなやつが居るって思うけどよ。それにしたってぴったり俺の真後ろ歩かれると、ストーカーみたいで嫌なんだけど」
「うっ」
言われた途端、ゼルは目が泳いでしまった。
指摘をされて『しまった』と思っていた。相棒の後ろを歩くのは、普段ゼルが元相棒のリオンに対してやっていたことだからだ。
というよりも、リオンが『絶対俺の背後を歩け』とゼルにこれでもかというほど言い含めた結果だった。ゼルのほうも、周囲の状況を把握しやすいという理由で率先して彼に従っていたのだが、なるほど、言われてみれば傍目からはストーカーのようにも見えないこともない。
一気に嫌な汗をかいてしまったゼルだったが、ひとつ咳払いをしてから神妙な面持ちでイディアの隣に立った。同じぐらいの目線がすぐそこにあり、なんとなく新鮮な気分になる。元相棒のリオンはゼルよりも頭ひとつ分高かった。
そこまで思い、そういえば他の前衛職と組むのは久々だとゼルは気づいた。
ここ一年、リオン以外と組むことはあったが、彼も含めて複数人の戦員とということが多かった。こんなふうに完全に二人組になるのはどれほどぶりだろう。勝手の分からないイディアという青年を前に、ゼルは無性に心細い心地がした。
まあ、それは相手も同じことだろう。
イディアにとっても、ゼルは勝手の分からない――しかもさっそくなぜか不審行動を取っている――治癒術師だ。不満を持っても仕方がないことだと自分に言い聞かせ、ゼルは小さくかぶりを振った。
「ンだよ」
「いえ……。ところで確認しておきたいのですが、貴方はこれまでアリスナ洞に潜ったことはありますか?」
「ねえよ、一度も」
「そうですか」
なんとなく落胆するゼルだった。
そんな新相棒の様子を見たイディアはやや不服そうに目を細めた。
「あのな、アリスナ洞なんて大して旨みもない迷宮に、今どきそう何回も行くかよ。よっぽど商隊か何かの護衛してたほうが稼げるぜ」
イディアの言い分はもっともだった。
かつて街の中心であったアリスナ洞は、ゼル達が居る街『ブラーニ』から少し南に下った山間地帯にぽかりと口を開けている。かつては水晶が採掘される場所として有名な洞窟であり、そして鉱石の街として発展したのがブラーニだった。
だが街の栄光は昔の話というやつで、アリスナ洞窟自体も、過去に人々の手によって根こそぎ石を掘り取られ、今やほとんど価値のあるものは残っていない。鉱脈が尽きた奥深い洞窟は、今や魔物がはこびる危険地帯と化していた。腕試しにはもってこいの場所ではあるが……。
「でもきちんと収集品を集めて売れば、それなりの額になりますよ」
イディアの言いように、ゼルもまた不服を覚えて言い返した。
ここ一年の話だが、通いなれた洞窟を馬鹿にされては面白くなかった。あの場所は水晶石が尽きたといっても、まだそこそこ価値のある貴石が見つかる。それにあの場所にしか自生しない薬草もあった。
「ほー、面倒くさいことだねえ」
だが、ゼルの言葉に全く興味が持てないらしいイディアは、うんざり顔で再び歩き出した。
「だとしても願い下げだ。俺ァそんなちまちました作業は向かないの。一攫千金ってやつ?」
「そうですか」
盗賊らしい言葉だと思いながら、ゼルは彼の隣を歩き始めた。
ここから少し離れた、街の入り口に見えるのは、すでに意気込んで集った冒険者の集団だった。“アリスナ洞攻略隊”、ゼル達もそこに加わらねばならない。
普段、リオンとしか行動したことのなかったゼルが攻略隊に加わろうと思ったのは、アリスナ洞の最深部に行こうと考えたからだ。
この一年ですでに浅い場所は行きつくしたため、未踏の地はそこだけになる。今回でアリスナ洞に潜るのは最後にしようとゼルは思っていた。
(なのにあいつ、行かないなんて言いやがって)
女々しいとは思ったが、元相棒のことをゼルは未だに恨めしく思っていた。これが最後だと言わなかったゼルも悪いが、あんなに面倒くさそうに言わなくても良いじゃないか。
――意味ねえんだよお前、諦めろ。
それが今朝、アリスナ洞に行こうと誘ったゼルに返された言葉だった。意味ねえってなんだ、意味ねえって。治癒術師としての自分を否定する言葉のように感じて、ひどく茫然とした。
(いっそ殴りかかればよかった)
これが最後なのに。
そうしたら次の街へと向かうから、あの相棒と組むのもこれが最後になるはずだった。
「おーい、ゼル戻ってこーい」
突然顔をのぞきこまれて、はっとする。思わず後ずさりそうになったゼルだったが、イディアの姿を見て我に返った。いつの間にたどり着いていたのが、既にアリスナ洞の前である。山が口を開けたように、ほの暗い洞穴がゼルを見返す。
「なんだよ、ぼーっとしやがって」
「すいません」
ゼルはばつの悪い顔になった。
心ここにあらずというのは普段の己らしくもない。慣れ親しんだ相棒と決別したことがこんなにも自分を動揺させている事実を、ゼルは気に入らなかった。
「あれ、そこに居るのゼルちゃんじゃない?」
それからイディアと洞窟内での打ち合わせをしていると、すぐ傍で呼ばれる声がしてゼルは振り返った。
そこに居たのは何度か一緒に討伐でパーティを組んだことのある治癒術師である。エレオノーラという名前の小柄で可愛らしい少女だった。彼女は黒曜石のようにつややかな髪を背中に流し、白く清らかな長衣に身を包んでいる。そして控えめな杖を手にした姿は、これこそまさに聖女といった出で立ちだ。
当然ながら屈強な戦士たちに混じれば人目を引く彼女だったが、ゼルに近づいたことで二人はますます浮いた存在になっていた。攻略隊のなかには新米っぽい剣士も居たことだから、きっと治癒術師は派手な格好をするものだと勘違いした前衛職も居ることだろう。
(違います、私たちだけです……)
じろじろと見られる視線を感じて、少し頭の痛いゼルだった。
べつにわざと派手派手しくするつもりもなかったが、ゼルが聖職者の“黒”ではなく“白”を着ているのも理由がある。ついでに言うとエレオノーラは本当に“聖女”だったのだが、それはまた別の話。
「エルさん、お久しぶりです」ゼルは彼女に向き直った。「エーヴィの森以来ですね。あの時はありがとうございました」
「ううん、無事に帰って来れたのはゼルちゃんが居たお蔭です」
エレオノーラはてらいなく微笑んだ。
ふた月ほど前、一緒にパーティを組んだときのことをゼルは思い出した。エーヴィの森という場所で魔物討伐をしたのだった。あの時は苦労もしたが高い賞金を獲得でき、しばらく懐が潤ったものだ。
(そういえば、あの時の剣士じゃないな)
ゼルはエレオノーラの傍に居る前衛職らしい男をちらりと見て、そう思った。
エレオノーラは清純で従順そうな見た目だが、正直なところ小悪魔だった。飽きっぽいのかしょっちゅう組む相手が変わるのだ。今度は赤茶色の逆立つ短髪が特徴的な、筋肉質な男だった。歳の頃はゼルやイディアとそう変わらないように見えるが、いささか気が短そうな印象だ。一方でエレオノーラを見つめる目はひどく熱っぽさを帯びているものだから『あ、こりゃ完全惚れてるわ』とゼルは内心呟いた。
そんなふうに思わず相手を観察していると、エレオノーラの相棒の剣士に、ゼルはぎろりと睨まれた。
「なんだ」
「い、いえ」
凄まれた拍子に数歩後ずさるゼルだったが、こつりと背後から肘鉄をくらう。イディアだった。
「おいおいゼル、ヤバそーなやつにガン飛ばししてんなよ……」
「す、すいません」
小声でたしなめられてゼルは苦い顔で笑った。なんだか彼には謝ってばかりである。
剣士から完全にエレオノーラにたかる羽虫扱いされたゼルだったが、当の彼女はというと、不思議そうにゼルの顔を見やっていた。
「ねえゼルちゃん、今日はリオンちゃんと一緒じゃないの?」
その問いかけに、心のなかで盛大にため息をついたゼルだった。ああもう冒険者ギルドのベルタにしろ、エレオノーラにしろ、あとついでに街の知り合いの露店商のおっさん達にしろ。
「どうして皆、私が彼と一緒だと思うんですか」
「だっていつも一緒だもの」
「べつにいつもってわけじゃありませんよ。だいたい、最初っからリオンとは討伐行きたさに組んだだけですし」
彼女にそう返しながら、そういやリオンとは、最初はイディアと組んでいる今のような関係だったなとゼルは思った。常に仏頂面で偉そうにゼルに指示を出すあの青年と、よくぞ今まで続いたものだ。
(いや、そうでもなかったかな)
リオンは始終、仏頂面というわけでもなかった。ときには討伐した中型の魔物片手に子どもみたいに得意気に笑う――ただし全身血まみれだった――こともあったし、多額の賞金を前にほくそ笑む――かなり黒い笑顔だった――こともあった。
ここ最近の元相棒を思い浮かべたゼルは、ろくな思い出がないなと自分に呆れ返るのだった。
そして、
「ここだけの話だけどね、ゼルちゃんの隣がリオンちゃんじゃないのって変な感じ。大丈夫なの?」
内緒話をするようにエレオノーラがゼルの耳元でささやいた。その背後で某剣士からの眼光が鋭くなったような気がしたが、もう無視、無視。ゼルは戸惑いがちに彼女の顔を見た。
「……そんなことないですってば。だいたい私、あの人と出会うまえは一人で旅をしてたんですよ」
「へえ、そーなんか」
突然低い男の声が割って入り、慌てて顔を戻したゼルが見たのは、したり顔で顎さきを撫でるイディアだった。
「ちょっと何笑ってるんですか」
「いんや」
だがイディアは楽しそうだった。
「あんたと前に組んでたやつが、どんなやつなのかなーっと思ってなあ。……なあゼル、あんた相棒に捨てられたのか?」
「違います、私が捨てたんです」
思わずむきになって言い返すと、イディアは小さく声をあげて笑った。ゼルが相棒を捨てられるほど潔い性格ではないことを、まるで分かっているような様子だった。
「あんた、いじり甲斐があるな」
「うるさいですね」
ゼルは苦虫をかみつぶしたような顔になる。
「とにかくエル、私はあんなアホ剣士ひとり居なくたって大丈夫です。平気、へっちゃら、へのかっぱ!」
「表現が死語だぜ」
イディアは大げさに肩をすくめながら洞穴へと歩き出した。他の人々も揃って中へと進んでいく。ゼルはむっと口を引き結びつつも、彼らの後ろへと続いた。
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