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紫苑

紫苑が風に靡き、散っていく。其の様は、平安の世の雑踏を思わせた。


 坊主は箒を手に、あちらこちらと歩いていた。掃除を口実にさぼる気である。

大門の下で箒を振りまわしては、頬を膨らませている。

昨日は三枚皿を割り、今日は障子を破いた。

しかし、坊主は大目玉を喰らおうが全く懲りずにいた。だからこうして今日もさぼっているのである。


寺の大門より下って十段。裸足の青年が、石段に座り物思いに耽っていた。

褪せた着物は昔の美を密かに誇っている。そこへ箒を逆さまに抱えた坊主が下りてきた。

「ここで何をしておる。」

青年は何を見るとでもなく、

「京の町を見ておりました。」

坊主はまだまだ修行不足のせいか、苛立っていた。それを青年は酌んでか、

「紅葉が綺麗ではありませぬか。」

石段から望む町並みは赤く染められていた。

「もうじき寒なる。はよ家へ帰られよ。」

青年は初めて坊主の顔を見た。

「帰る家などありません。」

坊主は誰か呼んだ方が良いか悩んでいた。

このまま追い出すには哀れであるし、仏の道に進む者として気が引ける。

しかし、この者を中へ引き入れれば、自分が叱られるに違いない。

はて、どうしたものか。坊主は剃りたての頭を撫でながら青年を見下ろしていた。

「それでは、これからどうなさるおつもりだ。」

青年は坊主から目線を外した。そして、何も答えない。

其の間に耐え切れない坊主は青年の腰に目をやった。

そこには一本刀があった。

其の装飾は我が目を疑う物であった。

明日の暮らしを思いやる青年とは似つかない物である。さてはどこぞから、せしめて来たな。

「其の天晴な刀を売ればどうであろう。さすれば食うに事足りよう。

己が良い店をお教えしようではないか。」

青年は大きく目を見張った。今にも、感謝の声を上げるに違いない。

そう思った坊主は、顔に慈悲を表したつもりだった。

「めっそうもございません。是は、父から譲り受けた大事な刀でございます。

例え餓えに苦しんでも、是は手放す訳にはまいりません。」

坊主はすっかり当てを外していた。坊主は、まだ青年が何者か掴めずにいた。

身なりからして乞食かと思えば、そうではなさそうだ。

今や、青年は気高さを纏って、この階段に佇んでいる。

「貴公は、高貴な方ではござらんか?」

青年は、照れくさそうに、

「恥ずかしながら、父は武官でした。私も八年前はそうでした。」

坊主は、やっと合点がいったのか、坊主は、何だか自分と似た者を見下ろしていた。

それと同時に、先程までの高圧的な態度を改めた。

箒で軽く階段の落ち葉を掃き飛ばすと、青年の横に腰をおろした。

「私の父も、武官でした。」

青年は驚く様子も無く、静かに坊主を見ていた。

「私は、あまりに出来が悪く十の時分に、この寺に出されてしまいました。

貴公の事が、身近に感じて仕方ありません。何があったのか、お話しくださりませんか?」

青年の黒い瞳は、久しぶりに受ける扱いに、そっと笑ったのだ。

其れなので、坊主は初めて人の心を和ませた事に満足していた。

「ありがたい。少し、長くなるやもしれないが…。」

「構いませんよ。どうせ、もう、日が落ちるので。」

青年は高い秋空の遠さに、己の過去を重ねているようだった。

「あれは、十二の春でした。父が戦で討ち死にしたと知らされました。

それから、母と妹と三人で細々と生きてまいりました。しかし、二年後に母を病で失いました。」

坊主は、蜻蛉(とんぼ)の様に夕日に焼けていた。

「それでは、その妹君と二人きりになってしまったのですか?」

「そうです。妹はまだ十でした。」

坊主は、済まなそうに、

「それで、どうされたのですか?」

「父を亡くしてから、父が世話になった武将の所へは行っては、仕事は無いものかと訪ね歩きました。

 しかし、この平安なご時世、幼かった私に仕事などございませんでした。

 病の母に金もなく、段々と暮らしが苦しゅうなりました。

 そこへ、公家様が人を集めていると聞き、慌てて参ったのです。」

坊主は身を乗り出し、

「それは、幸運でござったな。それで‥。」

「何でも、唐のとても偉い僧侶が京からお帰りになるとのことで、

 長安までお送りするよう申し付けられました。

 私は喜び勇んで、受けたのですが、報酬は長安から戻ってから頂ける事になり、

 身の苦しい私としては困った事になったのです。

 しかし、妹は喜んで、何年かかろうともこの家で待ってくれると言ってくれました。

 妹を一人で置いていく事にはとても不安がありました。

 何かあっても、助ける事も、ましてや知る事も出来ない‥。

 しかし、このままでは二人とも飢え死にするのは目に見えておりました。

 それなら、この仕事に掛けて、銭が入れば妹も嫁にいけるのではないかと考えました。

 使用人には暇を出し、家財道具を引き払いました。

 妹は最後まで、私を引き止めませんでした。

 私は隊に加わり、堺から唐へと無事に渡ったのですが、港で一人逸れてしました。

 何ヶ月も探し回りました。しかし、噂で僧侶もろとも盗賊に襲われ討ち死にしたと聞きました。

 そこで、私は帰る決意をいたしました。

 商船に何とか乗せてもらい、京まで辿り着いたのでございます。」

青年は眼の奥に涙を光らせていた。坊主はそれを何も言わずに見ていた。青年は震える声で、

「そして、家へ帰ったのです。」

青年は右手で強く左手を握り締めていた。

「しかし、家は‥なかったのです。」

坊主は目を見開き、

「妹君はどうされたのじゃ。」

青年は眼を伏せ、

「隣人の者が言うには、私の身を案じて龍神の住む池に身を投げたそうです。」

坊主は何も言えなかった。ただ、優しく青年の肩に手を置くほか無かった。

秋風が時より冷たく吹いていた。夕陽と紅葉の町は静かに二人を包んでいた。


寺の鐘が時を告げると,夜が目覚めようとしていた。

そこへ、寺から一人の年老いた僧侶が出てきた。そして、大門をくぐると、

「こら、またさぼっておるな。」

と声をかけた。坊主は飛び起きると、

「すみません。お師匠様。」

坊主は青年の腕を掴み無理矢理立たせると、

「この者は、私の従兄弟にございます。出家したいと申しておるのですが‥。」

と坊主は深々と僧侶に頭を下げた。僧侶はみすぼらしい青年を見渡すと、

「そうか。よかろう。わしについてまいれ。」

青年は乱れた髪を直しながら、恭しく礼をした。そして、僧侶は厳しい眼を坊主に向け、

「まだ、掃除が終わっておらぬようじゃな。日が暮れるまでに終わらせなさい。」

坊主は慌てて、逆さまの箒を元に戻すと、落ち葉を掃き始めた。

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