最愛
10月中頃の話である。
日中は夏のように暑く、夜間は薄着では外を出歩けないような寒さで冬の近づきを感じる。
そんな夕暮れ時、男が1人歩いている。
辺りは既に薄暗く、男のほかに人は見当たらない。
30代前半であろうか、中背の背丈でやや筋肉質の体をしている。
機械油で汚れた作業場を身に付けているを見たところ、恐らくは仕事終わりなのだろう。
男は無精髭を生やしたくたびれた顔で自宅のアパートへと歩く。
コッ……コッ………
男が3階立てのアパートの階段を登っている。
夕日はアパートの壁で隠れて暗く、防虫対策の黄色の蛍光灯が男を照らしている。
コッ…コッ…
くたびれた顔とは反対にその足取りは軽快である。
何か自室に楽しみでもあるのだろうか、階段を登るにつれ男の顔に生気が宿ってくる。
2階のある扉の前で男が立ち止まった。
鍵を差し込み、ゆっくりとドアを開く。
部屋は暗く、目前の2m先からほぼ何も見えない。
室内奥のカーテンの隙間から、オレンジ色の夕日がほんの僅かに差し込んでいる。
「ただいまー!」
男が初めて声をあげる。
すると真っ暗な部屋の奥から声が聞こえてくる。
「先生おかえりなさい」
男は電気も付けずに部屋の奥へと進む。
床には無数の洗濯物やペットボトルが散乱している。
それらを足で掻き分け、声の主の元へと向かった。
「ただいま」
「うん、先生おかえりなさい」
男は相手の目の前で、再度同じやり取りを繰り返す。
眼前にいたのはなんとも可愛らしい中性的な男性だった。
年齢は高校生…もしくは中学生のようにも見える。
上目蓋ぎりぎりまで下がった前髪からは、くりっとした大きな目を覗かせている。
特に声が特徴的で女性のようなかわいい声をしている。
「寂しくなかった?」
「そんなの……分かってるくせに」
「ねぇごめんって、もうご飯は食べた?」
「ううん、せんせー帰ってくるまでまってた」
2人の間に和やかな会話が飛び交う。その会話や空気感からただの友達同士ではない間柄が伺える。
男は台所に向かって夕食の支度を始める。
水の入った鍋を火にかけ、テーブルに置いた2つの茶碗に即席の味噌汁をいれている。
冷蔵庫から少し大きめのタッパーを取り出すと、中には作り置きの野菜炒めが入っている。
それらを器に移し、トレイに載せて先ほどの男性の元へと戻る。
「「いただきます」」
息の揃った掛け声とともに食事が始まった。
2人は今日あった出来事や、次の旅行の予定などを話しながら和気あいあいと食事をしている。
男の仕事疲れでくたびれた顔はもうどこにも残っていなかった。
食事が終わると男は後片付けを始めた。
男の皿はきれいに完食されているが、向かいの男性の皿は何も手を付けておらず何故かそのまま残っている。
男は冷蔵庫からビールを取り出し、パチンコの景品のスナックをつまみに晩酌を始めた。
気持ちよく酔いが回ってきたころ、男は男性に尋ねる。
「ねぇ俺のこと好き?」
「なに?どしたのせんせ」
「いいから教えてよ」
「えぇ~どーしよっかなぁ」
「俺は好きだよ」
男は真っ直ぐに目を合わせたまま、躊躇いなく言葉を続ける。
「君の声も優しいところも、俺のこと誰よりも一番に考えてくれて大事にしてくれる…そんな君を誰よりも愛してる」
「………………ねぇ、恥ずかしい…」
「俺のこと、どう思ってる?」
「………だいすき」
「そっか…」
お互いに言葉数が少なくなり、喋るペースが緩やかになっていく。やがて言葉は無くなり、甘く心地よい静寂が2人を包み込む。
やがて男が口を開く「そろそろ寝る?」
「お風呂はいいの?せんせ」
「今日はもういいかな布団ももう敷いてあるし」
「その、もう我慢できそうにない……」
「もー!せんせのえっち………」
「えーいいじゃん寝よーよ」
「ごめんね」
「え………」
動揺で言葉に詰まった男をよそに男性は話続ける。
「ごめんね、それは出来ないんだ」
「でも寝るまでお話することはできるよ」
「君が眠くなるまでなにか昔話でもしようか?好きな作品があればおしえてね」
男は急に人が入れ替わったかのように声を荒らげて男性に詰め寄る。
「君じゃねえだろ!!!先生と呼べと何度言えば分かるんだ!!」
目を見聞き、瞬きもせずに男は叫ぶ。怒りで肩が上がり呼吸が乱れている。声が震え、時々言葉が止まってはまた勢いよく怒号を吐き出している。
「こ、の前ッ新宿と浅草あんなに一緒のベッドで寝たじゃんなにがだめなのなんで出来ないのねぇ教えて教えろよ!!」
「あれだけ愛し合ってなんでだめなの何がだめなの?!答えろ!!!」
すると男の人格がまた入れ替わったかのように静かになる。
「………そんな寂しいこと言わないでよ1人にしないで…俺にはお前しかいないんだ」
「さっきは急に大きな声だしてごめん…ねぇ一緒にねよ?お願いだから………」
今にも泣き出しそうに声を絞りだしながら男は懇願する。
「ごめ」
んねと男性が続ける前に、部屋に大きな破裂音が響く。
男の拳が男性の顔面を勢いよく殴り付けた音だ。
バンッ バンッ バンッ バンッッ
回数が増えるたびに音は激しさを増す。拳は皮が擦りむけ至るところから血が吹き出している。
殴られている男性からはなんの反応も無くなっていた。
無反応になった男性をそのままに、ふぅっと一息吐き出す。
男はPCを別のモニターを繋ぎ直し、幾度となく唱え続けた呪文のようにヘッドセットに音声を入力する。
「こんばんわGemini、突然だけど君には1人の人間になってもらう」
「彼の名前はいおた、初めての出会いはツイキャスという配信アプリ、俺のことが大好きで俺無しでは生きていけない男の子だ彼は現在二十歳で生まれは千葉、産まれた小児科の名前は」
正直公開したくないです、なんでこうなったんだろう。




