師弟稽古開幕
砂を巻き上げる生温い風。
澄んだ空を流れる薄雲。
ほのぼのとした空模様には余程相応しくない、大気にこだます響きの良い音。
たくし上げた袖口を滴る汗が、乾いた砂に零れて小さな水溜りになっていく。
「あまいあまい。全然ダメね。よそ見してても余裕なんですけど~」
「ぁ、あぁ……。当たらない、なんで……」
目に沁みる汗を必死になって拭い払い、少し前から杖へと変わりつつある、訓練用の模擬剣に頼りながら膝を持ち上げる。
ゆっくりと見上げた視線の先。そこに悠然と立っているのは、だいぶ前から肩たたきの棒きれにされている模擬剣を担いだ幼げな少女。
アストピアで名を馳せる騎士である神童、ティナ・ルミエールさんに師事し、騎士学校での新学期が始まるまでの、本格的な実践訓練が幕を開けたまでは良かったのだが……。
いつの間にか木刀を振り回す物騒な鬼ごっこになってしまっていた。
「いつまでサボってんのよ。汗拭ってる暇があるならさっさと打ち込んできなさい」
「は、はいぃ」
全く歯が立たない。というか、当てられない。
この前の手合わせ同様に、間合いを詰めて模擬剣を振ってはいるのだが、まるで霧と戯れているのかと錯覚してしまうほどに手応えがない。
無理やり呼吸を宥め、気だるそうに狭い丸肩を叩くティナ先生との間合いを測る。
型を整えて右足を引き、次の瞬間に地面を蹴り飛ばした。
しかし、振り下ろした模擬剣が切り裂いたのは、宙を舞った砂ぼこりだけ。
「だぁから視線で剣筋を見る癖を直しなさいって言ってるでしょ。避けて下さいって言ってるようなもんじゃない」
「っく……、もいっちょ!!」
「左下から右への切り上げ、からの~、振り上げた勢いで身体を捻って横に追撃ぃ~」
「んなっ!?」
踊るように僕の剣筋をかわした後、砂を巻きながら僕の腹部へ小さな足を蹴り込まれた。
小さいからといって侮るなかれ。この小さな“あんよ”が凄まじく重いのである。
「どぅぼぁッ!?」
崩れまいと片足だけで後退るも、勢いを殺しきれずに尻もちをついてしまった。
次の瞬間、頬をそっと撫でる風が抜けたと思いきや、肩甲骨の間に硬いモノがそっと触れるのがわかった。
「またまたあたしの勝ち」
「――参りました。はぁ……、身体も前みたいに動くようになってると思ったんだけどなぁ」
ある程度は融通が利くようになった自分の拳を軽く握りそっと開く。
革命の時みたいな万全の状態とは言えないが、全く動けないということも無い自信はあったのだけど、まだまだだ。
「あんたお行儀良すぎなのよ。教わった基本が通用するのは雑魚だけよ。歴戦を生き残っている害獣相手には致命傷なんてつけられないわ。あいつらはバカだけど殺気がわかるんだから」
そう言いながら頭上高く模擬剣を投げ、服に就いた僅かな砂ぼこりを払った。
その後、彼女の手に木刀がすんなりと収まるのが不思議でしょうがない。
僕はその様子を見終えた後で、よろよろと立ち上がりながら、尻にしっかりと付いた汗混じりの砂を落とした。
「そう思って剣筋変えたりとか初動位置変えたりしてるんですけど」
「それで型がぐちゃぐちゃになって、力入らない体勢で剣振ってたら同じことでしょ。あんたはまずどんな体勢からでも重い剣が振れる身体作らないとダメね。今のあんたみたいな雑魚騎士はごまんといるわ」
「雑魚騎士……」
「中近距離の間合いで立ち回る実戦になれば、今の動きに精霊術も交えて暴れることになるんだから、冷静な思考と集中力も不可欠。敵に剣を通す方法考えてる時点でおこちゃま並みよ」
「ぐぬ、ド正論しか出てこない」
己の不甲斐無さを改めて実感しつつも、つくづくこの少女の才能には度肝を抜かれる。
体格が倍ほどあるような僕の剣を簡単に弾き、やけになって振り回した不規則な軌道すらもひらりとかわされた。
間合いを取って隙を探そうにも、死角なんて全くないし、なんなら僕の剣筋を、二手ぐらい先まで見えているような身のこなし。
そして、裏打ちされた的確な戦術知識も僕の知らないことばかり。
それに加えて、超一級やら国の至高とまで称される精霊術まで備えているのだ。
一体どんな人生を歩めば、こんな怪物みたいな少女になるのだろう。
「ま、あんたの実力はわかったわ。あんたは最前衛じゃなく、中衛を考えるべきよ。最前線にあんたみたいなのが居たら、後ろは気が気じゃないもの」
ティナ先生が言う中衛とは、最前線の騎士を精霊術で援護し、必要なら前線へ加勢する役割だ。
花形の最前衛に比べれば地味かもしれないが、部隊を支える重要な立ち位置でもある。
ここに起用されるのは、主に精霊術の実力を認められた騎士ばかり。
たしかティナ先生も部隊に参加すればこのポジションにいる事が多かったはず。
ちなみにその中衛の後ろにも、後衛隊と言われる支援ポジションがあるが、ここは医療術などの専門知識が必須な為、僕には元々縁のないポジションだ。
「そういやああんた、変わった精霊術も使えるようになったんでしょ? 団長様も、あの力が味方に付いたら世界が変わるって驚いていたわよ」
そんな期待を持った視線を向けられ思わず頬が引き攣ってしまった。
「……あの、それがですね」
「なによ? 精霊術も下手くそなの?」
「いや、そうなんですけど、そうではなくてですね。その……、とっても頼りになる僕の精霊のオリジンなんですけど、……かぐやの一件があってから、まだ目を覚ましておりません」
「……へ?」
そう、こんなに戦闘経験が散々な僕が、恐れることなくゴドナーと打ち合う事が出来ていた一番の要因である、無の大精霊オリジンが持つ消滅の力。
最後の決戦や、かぐやを助けるために協力してくれたオリジンだったが、僕が先に目を覚ましてからというもの、全く応答がなくなっていた。
最悪の事態が頭を過ぎり、忙しい中、精霊王様にも見てもらったことがあった。
幸い、オリジンそのものはまだ僕の中に存在しているらしい。
ただ、今は完全な休眠状態。
革命前にも似た症状だったので、そのうち目を覚ますだろうとは言われている。
少しそれてしまったが、要するに今の僕は……。
「すみません。精霊術もつかえない、ただの半人前に戻っちゃいました」
例えようのないこの気まずい空気だけは、雲を押し流す風でさえも、流すことはできないらしい。
「あっ……。へぇー、そなの」
「……ごめんなさい」




