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entrée~踊る者と踊らない者:8つの成長物語~  作者: nokal


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2/2

第2話 宝 咲耶

 02

 

 どうしようどうしようどうしよう―――。

 緊張と汗が止まらない。どうしよう、このままじゃ舞台に出れない―――。

 

咲耶(さくや)っ!」

「は、はいっ!」

 

 咲耶は震える足を押さえていた手を思わず離した。手のひらにじんわりと汗が滲む。先ほどまで手の温もりを感じて暖かかった膝も、段々と冷えていく。

「……緊張してんの?」

 友人の野々(のの) 友香(ともか)に顔を覗き込まれ、咲耶は咄嗟に下唇を隠した。

「や、やばいよ。ともちゃん。私、今までにないくらい緊張してる。むり、立てない舞台……足が震えて……」

 

 ビーと二幕が開演するブザーが始まる。ドキリと心臓が大きく高鳴った。

 自分が出る出番は、二幕が開演してから数分間は時間がある。大丈夫、落ち着け自分。

 

 落ちるつけ―――。

 

「無理だヨォおおお!」

 と咲耶は友香に泣きついた。

 

 周りで準備していた子達がギョッとして咲耶のことを見る。

 静かな幕袖の中での喚きは一際目立つのだ。スポットライトの当たらない幕袖――一歩向こう側に出れば輝かしい舞台が待っている。

 だが同時に、咲耶にとっては地獄のような場所でもあった。

 

 友香は腰に抱きついてくる咲耶を抱えたまま、一旦廊下へ出る。それから困ったように言った。

「泣くな泣くな。せっかくのお化粧が取れるよ。ほら、こっち向いて。メイク直しするから」

「うう………ひっく……わ、わたしだって泣きたいわけじゃ……」

「はいはい。上向いて。あーあ、もうアイラインも取れてる」

 友香は泣きじゃくる咲耶の顔を軽くティッシュで拭いて、崩れたメイクを直す。テキパキとした動きに周りにいた人達はほっと胸を撫で下ろした。

 なぜなら、咲耶は二幕の見せ場でもあるキューピット役だからだ――。



 春公演は本来、最上級生たちの見せ場となる大きな舞台だ。

 大体の配役は最上級生たちで固められ、その他、コールド(群舞)やアンダー(補欠)として下の学年がつく。

 今年の舞台は『ドン・キホーテ』全幕。

 一幕は最上級生たちと少しの下級生たちが必要となるが、二幕では大勢の下級生たちが必要となるコールドの見せ場がある。

 

 それが“夢の場”だ。

 “夢の場“では風車から落ちて夢の中へと迷い込んだドン・キホーテを、キューピットやキトリそっくりのドルネシア姫、森の女王が歓迎する。この三役の他に花のワルツと言ってコールドが存在する。

 

 咲耶は元々、キューピットのアンダーキャストだった。

 つまりよっぽどのことがない限り、舞台の上に上がる予定はなかったのだ。

 しかし一ヶ月以上前、キトリ役だったはずの最上級生が怪我により降板。キューピット役だった新井さくらがキトリに抜擢されたのだ。

 必然的に、キューピット役として春公演で踊ることになった咲耶は、現実を受け止めきれないまま、本番を迎えた。


「そもそもだよぉ、私がアンダーで入れてもらってること自体変だったんだヨォ。私、別に成績上位じゃないし、進級テストとかWPPウィンターパフォーマンスパーティーとかの時も必ずヘマするし、何一つ取り柄なんてないじゃんかよぉ!」

 咲耶は自分の踊りに自信がなかった。故に舞台が苦手だった。

 進路を考える小学生高学年の頃、漠然と続けてきたバレエというものが、将来の進路として見え始めていた。そんな中、通っていたバレエ教室の先輩が設立まもない、日本初の国立バレエ学校へ入学した。

 夏の間に一度だけ、座談会が開かれ、咲耶もそれに参加したのだ。

 

 聞けば聞くほど、その世界に飲まれていった。

 両親の「チャレンジしてみたら」という言葉に背中を押され、咲耶は入校テストを受けることになった。

 まさか受かるとは思っていなかった咲耶は、入学合格の通知が来た時、喜んで泣いたというよりも、唖然としてその文字を見続けたという。

 咲耶は今でも、友香と話し込んでいる時に「私って、バレエ学校にいるんだよね」と当たり前のことを口にする。

 

 そうでもないと、忘れてしまいそうだった。

 もう、この世界を選んだことを――。

 

 涙は止まったが、猫背になり愚痴をこぼす咲耶を前に、友香はじっと黙った。それから声色を変えて、咲耶の肩に手を置いた。

「今の言葉、すっごく失礼だよ」

「……へ?」

「咲耶、気が付いてないかもしれないけど、その言葉は、自分も、周りの子達のことも貶してる。さいっていだよ」

「……ともちゃん?」

 突然、友達から『さいってい』と真正面から否定され、咲耶は戸惑う。

 

 舞台袖から音楽が聞こえ始めた。二幕が始まる。

 友香は咲耶の肩から手を離さないまま、まっすぐと瞳を見つめた。

 

「いい、咲耶。あなたは選ばれたの。こんなにも同期がいる中で、先生達は紛れもなくあなたを選んだの。それがどういう意味か、本当にわかってる? 咲耶には、それだけ人を魅了する何かがあるんだよ。……自分では自覚してないと思うけど、みんなわかってる。認めてる。咲耶の踊りは、すごいんだって。咲耶は舞台で咲く人間なんだって」

「……舞台で……咲く……」

「観客は敵じゃない。怖くない。そう思えばいいの。――確かに、客席は暗いし、舞台の上は華やかに見えて案外孤独な空間だったりする。でも、観に来てくださってるお客さん達は、そんな私たちの気持ちなんて、多分わからないし、わかる必要もない。舞台の上で咲く物語を楽しみに来てるの。踊る人たちを評価するために来てるわけじゃないの」

 

 ――評価。

 

 その言葉が胸の中でドクンと響く。

 咲耶が舞台を苦手な理由には、もう一つあった。

 初めて出た中学初年のコンクール。そこは今まで経験したような温かい眼差しが向けられる舞台ではなく、鋭い、――獲物達を見定めるような視線。咲耶は曲がかかって踊っていても、審査員達の走るペン先が気になってしかたなかった。

 上手く踊れてるかな、今失敗したのバレてないかな。ああ、結局だめだ。

 

 いつしかそんな気持ちがループするようになり、スポットライトの当たる舞台が苦手になっていた。

「あれ、(たから)ちゃん?」

 不意に声をかけられ、咲耶は顔を上げた。

「どうしたのこんなところで。もう舞台始まるけど」

 そこに現れたのは、一幕とは衣装が変わっているキトリ役の新井さくらだった。

 二幕の途中から出るさくらは今楽屋から上がってきたところなのだ。

「……もしかして、緊張してるの?」とさくらが声をかけると、友香は「そうなんです」と深く息を吐いた。

 

「大丈夫」

 

 次にさくらから発せられたのは「大丈夫」という短い言葉。

 なにが、大丈夫なんじゃーい! と心の中で思いが横切った咲耶だが、

 

「何があっても、“大丈夫“」

 

 力強いさくらの瞳と声色は、自然と咲耶の心を穏やかにした。

 余計なことは何も言わない。

 さくらはにこりと微笑むと、そのまま舞台袖へ入って行った。その背中をみて、咲耶はゴクンと唾を飲み込む。

 ――先輩、少し痩せた? それに………。

 

 曲調が変わる。

 このあとキトリとバジルが登場して、ジプシー達と戯れ、ドン・キホーテが風車から落ちて、そして次は自分の番。

 咲耶は、足を叩く。

「――ともちゃん。行ってくる」

 親友の力強い声を聞き、友香は静かに頷いた。

「うん。行ってらっしゃい」



 ***

 


 春公演が成功に幕を閉じてから早数週間。

 学生達は舞台の余韻に浸ることもなく、次の進級テストに向けて準備を進めていた。

 否、正確にいうならば追われていた。

 

 進級テストでは、全カリキュラムの試験が行われる。

 クラシックバレエ・キャラクターダンス・コンテンポラリーダンス・民族舞踊・パントマイム等。

 それらは事前にバーレッスン(※水平な棒を掴んで行う基礎の動作。プリエ(膝を曲げ伸ばしする動作)からバットマン(足を高く上げる動作)まで一連の流れがある。)からセンターレッスン(スタジオの真ん中で動く動作)まで順番を覚えておく必要がある。

 

 当日は審査員達がレッスン上に現れてその様子を審査する。舞台のようにスポットライトがないため、咲耶にとってそれほど緊張する場面ではないが、やはり全生徒、進級がかかった場では息を飲むように緊張の糸が張り巡らされる。

 落ちたら退学――。それがバレエの厳しい世界でもあった。

 

 実技の他に、勉強も試験がある。

 踊りの進級テストの二週間前に各教科のペーパーテストが実施され、それも進級に欠かせない点数だった。

 唯一、救いなのは先にペーパーテストが行われる、その事実だけだった。


 

「水二本ねー。おっけー」

 冬の寒さが通り過ぎ春の訪れが温かい風に変わった時、学生達には三日後に、実技の進級テストが待ち構えていた。

 今年は誰一人ペーパーテストに落ちることなく、前向きな気持ちで実技へ臨む。

 咲耶は同期に頼まれた水を買いに、ロビーを出て自販機へ向かっていた。


 朝日が傾き、暖かな正午を告げる校内の廊下。

 美しいシャンデリアは反射板の役割をし、チラチラと光る結晶を多方面へと導き出していた。

 すると咲耶が向かった自販機には先客がいた。

 スラっとした容姿に似合うジーンズと、シンプルな白シャツを着こなしている女性は、咲耶の憧れでもある、(はじめ) 七日(なのか)だった。

 一つ上の学年だが、その実力は類を見ないほどに秀でている。本当は、春公演でキトリを踊るはずだった。

 

「な、七日先輩!」

 思い切って声をかけると、買ったペットボトルを手に七日は振り返った。咲耶と目が合うと、わずかに微笑んだ。

「あ、咲耶ちゃん。お疲れ様」

 七日は近くのソファに腰掛け、ペットボトルの蓋を開けた。

「お疲れ様です!」

「……――お使い?」

 咲耶の手に握りしめているお札を見て、七日は目を伏せた。

「そうなんです。勉強がひと段落してみんなで自主練してたら、喉乾いちゃって……。あ、じゃんけんで誰が買いに行くか決めたんですけど、私じゃんけん弱いので、お使い担当になって」

「そうなんだ。そっか、懐かしいなぁ、ペーパーテスト」

 咲耶は自販機で軽く水を三本買って、七日の隣に腰を下ろした。恐れ多くも近くで会話ができる機会なんてそうそうないので、咲耶はそこに座った。

 

 咲耶はペットボトルを膝の上に置き、ちらりと七日を横目で見た。

 舞台に立つと誰よりも堂々と輝いて見える先輩が、こうしてシンプルな白シャツに身を包み、穏やかな笑みを浮かべているのが不思議に思えた。

「七日先輩って……やっぱり、舞台に立つ時は緊張しないんですか?」

 思わず口から飛び出した問いに、七日は目を丸くしてから小さく笑った。

「そんなことないよ。緊張しなかった舞台なんて、一度もない」

 咲耶は驚いたように瞬きをする。

「え、でも……いつも堂々としてて」

「それはね、緊張を味方にしてるから。心臓が早く打つと、足も手も自然と速く動く。集中しないと崩れるってわかってるから、むしろ頭は冷静になるの。……覚悟っていうのかな」

 七日の横顔は、窓から差し込む光を受けて淡く照らされていた。

「覚悟……」

「うん。私の場合はね、『七日間あれば立ち直れる』って、いつも決めてるの」

 咲耶は思わず聞き返した。

「七日間……?」

「怪我をしても、失敗しても、落ち込むのは七日間だけ。七日経ったら必ず立ち上がるって、自分に約束してる。そうしないと、踊り続けられないから」

 その言葉に、咲耶は小さく息を呑んだ。

 七日の瞳には静かな強さがあった。

 

 華やかな舞台の裏で、誰よりも深い決意を積み重ねてきた人の光だった。

 廊下を吹き抜ける張る風が、シャンデリアの飾りをかすかに揺らした。咲耶はギュッとペットボトルを抱きしめる。

 

 ――いつか、自分もこの人のように強くなれるだろうか。

「せ、先輩っ!」

 いつの間にか、ソファから立ち上がり、去って行こうとした七日。咲耶は慌ててその背中に声をかけた。

「私と、初めて喋った日のこと……覚えていますか?」

 そう。

 それは、去年のWPP――winter party performanceの日のことだった。

 

 毎年十二月に校内で行われる生徒や教師のためだけのパーティー。年間数回あるうちの特大イベントの一つだ。校内にある小さな劇場で、生徒同士が創作した踊りや演劇が披露される。食事会も開かれ、ドレスコードも存在する。WPPに向けて寮の部屋をきれいにして、各生徒で、部屋で行われる出し物もある。最後にはビンゴ大会・プレゼント交換も行われたりと、学年分け隔てなく交流する機会なのだ。

 

 中でもWPPで付き合ったカップルは永遠に続くというジンクスもある。その中で、特に生徒達が楽しみにしているのが、もちろん創作ダンスだ。

 例年、小さな劇場で発表したがる生徒がたくさんいるため、最近だと抽選なのだ。抽選に外れた生徒は自分の部屋で、当たった生徒は照明がある舞台で発表する。

 

 そこで咲耶は七日の踊りを初めて見た。

 

 いや、踊りは何度か見たことがあった。上級生のレッスンを覗き見することはしょっちゅうあったし、去年の春公演でも見ていた。

 でも、その時、舞台の上で踊っていたあの七日を見るのは、初めてだった。

 言葉では表せない静けさと情熱がぶつかり合う舞台――。

 ジャンルとしてはコンテンポラリ―だった。

 

 真っ暗な舞台。一点にスポットライトが落ちる。そこには誰もいない。やがて音楽がかかり奥からこちらに背中を向けたままの女性が歩いてくる。後ろ向き歩きのままスポットライトの下で止まり、静かに腕を背中に回した。

 音は次第に感情を変えていく。

 しかし踊りは流れる水のように、一定の感情を保っている。

 その踊りを見た時の感想を、何と表せば良いのか、いまだに咲耶はわからなかった。

 ただ作品が終わった時、――音楽が止まった時、一瞬の静寂を挟んで静かに拍手が響き渡った。やがて拍手の声量が増し、誰かが「ブラボー」と叫んだ。舞台全体に明かりが戻り、お辞儀する七日と傍にいる男性の照れ臭そうな笑顔を今でも覚えている。

 

 その時、咄嗟に咲耶は最前、下手の方で踊りを見守っていた先生を見た。

 怯えたような……恐ろしいものを見たような笑顔を見て、「ああ」と悟った。

 

「あー、あのWPPの公演後だよね? すっごい熱量で私のところに来たから覚えてるよ」

 咲耶は押し掛けるように、急いで裏へ走り、七日を呼び止めた。七日は思い出すように言う。

律鬼(りつき)が振り付けた作品だから、正直踊り切れる自信なかったんだけど……まあ、無事って終わったって感じだったなぁ」

「私も、いつか先輩のように……つ、強くなります! だから、その時は……そのときは」

 勢い任せに出た言葉に咲耶は後から顔を真っ赤にした。

 なんだか小っ恥ずかしくなり、続きの言葉が出てこない。

 すると七日は、優しく笑みを浮かべ口を開いた。

「待ってるよ」

 一緒に舞台に立てる日を――。


 結露したペットボトルを握りしめたまま、咲耶は暫く一人で突っ立っていた。やがて、大きく深呼吸をし、水を待つ友の共へ走って戻っていった。





 ***【Sakuya Takara ~fin~】


ご感想等お待ちしております☺︎

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