プロローグ ― 忘れられた陽
この物語は、ひとつの名から始まる。
忘れられ、記されず、語られることもなくなった“神の名”から――
かつて、この世界には、名を持つことを許された神がいた。
その神は「アウロ」と呼ばれた。
祈りの名のもとに昼を司り、祝福と光をもたらすものとして、人々に崇められていた。
されど、光は、人々にとって眩しすぎた。
影に背を向けられぬ者たちは、己の罪の輪郭が照らされるのを恐れ、祈ることをやめた。
名を呼ばぬことで、神を忘れ、そして自らの罪さえも忘却しようとしたのだ。
そのとき、夜が語りはじめた。
月の面を仮面で覆う者――ムーミスト。
沈黙の中に安寧を宿す影の神は、祈りを記さぬ者たちの声なき声を集め、忘れられた神の座に、静かに置き換わっていった。
アウロの真名は禁じられた。
記してはならぬ。
語ってはならぬ。
思い出してはならぬ。
その名は罪とされ、
神は――“断絶”された。
だが神は、死ななかった。
ただ、名の力――すなわち、人々の祈りと記録を通じて世界に存在を刻むための“構文的資格”――だけが剥がれ落ちたのだ。
祈りを失ったその存在は、なお世界のどこかに沈み、やがてその名の残響は、結晶となって記録されぬ地へと堕ちていった。
そして今――
名なき神を識る者も、記す者もいなくなったこの時代に。
ひとりの少女が、その結晶に触れる。
名を失い、呪われし王家の末裔、セーレ。
月の森に堕ち、昼には黒き獣と化す、光の呪いを背負う者。
いま、彼女は霧深き森の小径を歩き出す。
その肩にとまるは、フロウ。
かつては騎士、いまは夜に姿を変えし梟の眷属。
沈黙の記録者として、彼はただ少女を見つめ続ける。
ふたりの旅は、失われた“名”を辿る巡礼。
忘れられた神々の断絶と、偽りの信仰の狭間に揺れる、祈りと記録の再生の物語である。
けれどこれは、単なる冒険譚ではない。
これは、
語るに足る祈りを――
信じるに足る名を――
もう一度この世界に、記すために選ばれた物語である。
それは、名が語られる以前から、すでに記されていた。
その瞬間を、記し綴る使命とともに、私は待っていた。




