第一王子の恋
「ありがとうございました。これ受け取ってください」
エイミーを迎えに行った帰りの馬車で、私は一枚のハンカチを渡された。
白い絹で、私の紋章が美しく刺繍されているもので、紋章の下にはカリグラフィーのフルネーム入り。
とても綺麗なのだが、私が息を呑んだ理由はそれではない。
「…………この刺繍は、ひょっとしてナンニに勧められたのかな?」
「そうですけど、よくわかりましたね?」
――――だと思った。
私は、小さく息を吐き、無駄に上がってしまった心拍数を下げようとする。
この様子ではエイミーは確実に知らないのだろうが……実は、紋章に名前を入れて刺繍をしたものを異性に渡す行為には意味がある。
紋章だけなら特に何もないのだが、そこに相手の名前を入れた途端「あなたの花嫁にしてください」というプロポーズになってしまうのだ。
紋章入りのハンカチに名前を入れるのは、その家の女主人の役目だからという理由らしい。
(……ナンニは、私の気持ちを察しすぎる)
自分でさえ、つい先日気がついたばかりなのに、なんでわかってしまうんだ?
やっぱり年の功か?
……いや、こんなことを言った日には、どんな目に遭わされるかわからないから、絶対に言えないな。
私が、自分の気持ち――――エイミーを愛しているのだと気づいたのは、本当につい最近のことだった。
(十三歳の少女に、こんな気持ちを抱いていたなんて)
我ながら驚いたのだが、彼女を年下の少女だと侮っていけないことなど、出会ったときからわかっている。
ただ、だからと言って愛に至るとは思っていなかった。
興味は、ものすごく引かれていたし、好意は抱いていた。
目が離せないとも思ったし、一緒にいて彼女ほど楽しい人はいないと思ったのもたしかなこと。
(……ああ、そうか。それらすべてが積み重なって、知らず知らずに想いを育てていたのだな)
彼女への恋心を自覚したのは、ビクトリア嬢の誕生パーティーでのこと。
ドレスに身を包んだエイミーは……とても美しかった。
(元々可憐な少女なのは知っていた。ただ、いつもは彼女の容姿より予想外の行動の方に驚いてしまうから)
だから、女性として意識していなかったのだと思う。
なのに、あんなに綺麗だったなんて……反則だろう。
はじめて見た、女性らしく着飾った姿。
柔らかなピンク色の髪も、吸いこまれるような空色の瞳も、少女なのに艶やかな赤い唇も……どれも信じられないほどに輝いて見えた。
白いドレスがこの上なく似合っていて、女性らしいリボンとレースに彩られたエイミーは、紛う方なき貴族令嬢。
これまで見た誰よりも美しい!
ドキドキと高鳴る心臓を落ち着かせるのが、あれほど難しいとは思わなかった。
いまだ経験したことのない感情に焦って――――だから、オリヴェルなんかに入りこまれる隙を作ってしまったのだ。
(エイミーに言い寄るオリヴェルを見た瞬間湧き上がった怒りは、これまで感じたこともないほど激しかったな)
私と違い、皆に愛され甘やかされて育った四つ下の弟。その立場を羨むことはあっても、憎んだことなど今まで一度もなかったのに。
(あの瞬間だけは、オリヴェルを消し去りたいと心底思ったんだ。存在自体をエイミーの視界からなくしたかった)
平静を装い近づいて、オリヴェルからエイミーを引き離し、別室でお茶を飲む。
そうして、気づいたばかりの自分の気持ちを、たしかめようとしていたのだが。
(……あそこで、収納魔法をぶっこんでくるところが、エイミーだよな)
あの瞬間、舞い上がっていた心は、あっという間に叩き落とされた。
期せずして自分の恋情に冷水を浴びせるところは、さすがエイミーとしか言いようがない。
(でも、おかげで助かったのかもしれない)
きっと、あのまま自分の想いをエイミーに告げていたら、その瞬間に私は振られてしまったに違いない。
(おそらくエイミーには、恋愛への拒否反応がある)
十三歳という若さゆえかと思ったが……たぶん違う。
普通に考えれば、あのくらいの年齢の少女は、恋に恋して憧れる年頃なのだから。
エイミーには、そういった浮つきが一切感じられなかった。
(最初の話し合いで確認されたことが婚約者の有無だったからな。しかもその後で『この世で浮気者が一番嫌いだ』と宣言された)
その言いようは、まるでエイミーは過去に婚約者に浮気された経験があるようで。
(いや、エイミーに婚約者がいた事実はない。親しかった令息すらいなかったのだから)
申し訳ないけれど、そこは調べさせてもらった。自分ではなくマルクの伝手だが、腕のいい冒険者を使って調べたと言っていたから間違いないだろう。
エイミー本人の経験ではないとしたら、おしどり夫婦と噂のリシャーク男爵夫妻の間に問題があるのかと思ったが、こちらも違った。
(いったいどうしてエイミーは、あれほど浮気を嫌悪するのだろう?)
幼い頃に読んだ本の影響か? それとも、観劇なのか?
(……この際、原因はどうでもいい。肝心なのは、エイミーが浮気を忌避していて、ひいては浮気の原因ともなる男女間の恋愛すらも疎っているという事実だ)
そんなエイミーに「ドレス姿で恋心を自覚しました」などと、浮かれ気分に告白しても、絶対受け入れてはもらえないだろう。
(それでは、オリヴェルと変わらない)
私の気持ちは、弟などとは比べものにならないくらい真剣で深いのだと思っているが、それを証明する術はない。
であれば、今まで以上にエイミーの信頼を得て、じっくり慎重に、そして真摯に彼女に想いを伝えていくしかないだろう。
(……絶対逃げられたくない)
幼いときから、いろんなものを諦めて生きてきた。
父の愛、母との暮らし、第一王子としての誇りまで。
それでも平和に生きられるなら、それでよかった。執着するものなど、何もなかったはずなのに。
(エイミーだけは、諦められそうにない)
彼女と一緒にいられない未来なんていらない。
エイミーを失わないためならば、私はどんなことでも出来るだろう。
我ながら重いと感じる自分の恋情に呆れていれば――――。
「――――あ、そういえばそのハンカチの刺繍に、結界魔法が付与してあるんですよ」
エイミーが、またとんでもないことを言いだした。
「……結界魔法?」
「はい。頑張って付与したので、普通の魔獣の噛みつきくらいは楽に防げるはずです!」
魔獣の噛みつきは、プレートアーマーもひしゃげるくらいの強い攻撃だ。
それが簡単に防げるなんて。
「本当は、魔法攻撃も防げるようにしたかったんですけど、両方を防ぐ結界を付与するのはなかなか難しくって」
悔しそうにエイミーは嘆くけど……物理攻撃を防ぐだけでも、ものすごいことだから!
国宝級のハンカチを手に、私は言葉に詰まる。
「……………………これで十分だよ。ありがとう」
なんとか礼は言った。
「いえいえ、喜んでもらえたら嬉しいです。……遠征とかに持って行ったら、きっと役に立つと思いますよ。そうだ、今度マルクさんにも作りますね!」
その言葉を聞いて「え?」となった。
「マルクにも?」
「はい! 遠征があれば、おふたりは一緒に行くのでしょう?」
それはそうだが、今は遠征の予定はない。
それに――――。
「……マルクのハンカチには、名前を入れないでくれないか」
私は、そう言った。
「名前、ですか?」
「ああ」
君が名前入りのハンカチを贈るのは、私だけであってほしい!
少し考えたエイミーは……なんだか可哀相な子を見るような目で、私を見た。
「わかりました。名前を入れる必要があるのは、エドヴィンさまだけなんですね?」
どうしてそんな目で見られるのかわからないが、私は大きく頷く。
「そうだ」
「ではそうします」
約束してもらい、私はホッとした。
「ハンカチ、大切にするよ」
私の言葉に嬉しそうに笑うエイミーが可愛い。
このまま馬車がどこにも着かなければいいのに。
そんなことを願ってしまう私だった。




