バターサンド、大好き!
「エドヴィンさま」
「ただいま、エイミー。何か不都合はなかったかな?」
声の主はエドヴィンで、騎士団士官学校の制服のまま急ぎ足で入ってきた青年は、まず私を気遣ってくれる。
「不都合なんてありませんよ。皆さんとてもよくしてくれます」
「ならよかった。ナンニは、口うるさいけれど仕事は完璧だからね」
ナンニというのは、私のお世話をしてくれている年配の侍女さんのお名前だ。
エドヴィンも子どもの時から面倒を見てもらっている人で、どうにも頭が上がらないらしい。
「エドさま、口うるさいとはなんですか」
「うわっ、ナンニいたのかい? ……あ、その、ごめん」
噂をすれば影が差す。茶道具を持って現れたナンニに、エドヴィンは慌てた。
「謝るくらいならおっしゃらなければいいのに。さあ、早く手を洗ってきてください」
「……はい」
「うがいもお忘れにならないでくださいね」
「はい、はい。わかったよ、ナンニ」
エドヴィンは、素直に従った。
「すぐに行ってくるから、待っててね」
私にそう言いながら足早に去る後ろ姿を見送っていれば、クスクスと笑い声が聞こえてくる。
「エドさま、浮かれていらっしゃいますね」
当然笑っていたのは、ナンニだった。
「浮かれて?」
「はい。ここ数年見ないような浮かれっぷりです」
私にはさっぱりわからないのだが、ずっと彼を見ていた侍女ならばわかることもあるのだろう。
「何かいいことでもあったんでしょうか?」
「ええ。きっととびきりいいことが続いているのだと思いますよ」
続いているということは、現在進行形だ。
首を捻る私に、ナンニは優しい視線を向けてくる。
「さあ、お茶にいたしましょう。今日のお菓子はバターサンドですよ」
「うわっ! ホントですか」
ナンニの作るお菓子は美味しい。特にバターサンドは絶品だ。
私は、見事な所作でお茶を淹れてくれる彼女にみとれた。
以前エドヴィンが言っていた、彼にお茶の淹れ方を教えてくれた侍女というのは、ナンニのことに違いない。
「さあ、召し上がれ」
「はい。いただきます!」
香り高いお茶と文句なしに美味しいお菓子を口にし、得も言われぬ幸福感を味わった。
「あ~! 待っててって言ったのに」
何やら文句が聞こえてきたが、この幸福感の前には蚊の鳴く声よりも響かない。
「美味しいです!」
「ようございました」
私とナンニは、微笑みながら優雅なティータイムを満喫したのだった。
エドヴィンから聞いたのだけど、私がいなくなったと知ったオリヴェルは、ずいぶん荒れたらしい。
『兄上は、どこまでエイミー嬢を拘束するつもりですか!?』
『オリヴェル、本気で言っているのかい? 彼女が、私などに囚われて大人しくしている人だとも?』
『それは……しかし、兄上だって王族ですし、権力にものを言わせれば』
『王太子であるお前を、遠慮無くぶちのめす人なのに?』
「さすがにそう言われたら、言い返せなくて、悔しそうにしていたけどね」
説得の言葉にちょっともの申したいけれど……まあ、それでオリヴェルがいなくなってくれるのなら、一番だ。
「オリヴェルがいつまでも騎士団幼年学校にいることには、王妃も反対している。遠からず王宮に呼び戻されるだろうから、もう少し我慢してほしい」
その後、みっちり勉強を教えてくれ、一緒に訓練で汗を流してから、エドヴィンは士官学校の寮に帰って行った。
それをナンニと見送ってから、ふたりで部屋に戻る。
おもむろに取りだしたのは、刺繍枠にセットされたハンカチと、カラフルな糸、それに刺繍針だ。
「かなり出来上がってきましたね」
「エドヴィンさまの紋章は複雑で、大変でした」
思わず愚痴ってしまう。
今回、エドヴィンの宮に匿ってもらうことになった私だが、ただで寝泊まりさせてもらうのは、なんとなく気が重い。一宿一飯の恩義というわけではないのだが、何かお礼をしたいと思ったので、そんな気持ちをナンニに相談したのだ。
「でしたら、ハンカチに刺繍をされてお渡しするのはいかがですか?」
たしかに、それは貴族令嬢としてごく普通のプレゼントだ。
でも――――。
「……エドヴィンさまは、私からハンカチをもらって嬉しいでしょうか?」
日本では、ハンカチは涙を拭くものだから『悲しみ』や『別れ』を連想させるって言われていて、送り方には気をつけなければいけなかったのよね。
こちらでも、未婚の貴族女性が自分で刺繍したハンカチを男性に渡すことには、何かしら意味があったんじゃないかしら?
(少なくとも、赤いバラの花がいけないのは知っているわ)
赤いバラの花言葉は「あなたを愛しています」だ。
それくらいは知っていたけれど、まさか刺繍のバラにまでその言葉がついて回るなんて思わなかった。
(刺繍を習いはじめた頃に間違ってお父さまに渡してしまったから、有頂天になったお父さまが、ものすごくはしゃいだのよね)
落ち着かせるのにとても苦労した記憶がある。
「もちろんですとも! 図柄は、エドさまの紋章などいかがですか?」
第一王子であるエドヴィンは、自分の紋章を持っているそうだ。
ナンニは、グイグイ勧めてきた。
紋章を刺繍したハンカチは、ありふれている。
特別な意味もなかったはずだし、いいかもしれないわ。
「そうそう。エドさまは、ああ見えて慌てん坊でよく忘れ物をするんですよ。ハンカチをなくさないように、名前も入れていただけますか?」
あのエドヴィンが忘れ物が多いなんて、初耳だ。今度からかってやろう。
その時を楽しみにしながら、私はふたつ返事で引き受けた。
それからひたすら刺して、ようやく先が見えてきたのだ。
我ながら満足のいく出来映えである。
(この際だから、刺繍に結界魔法を付与しても面白いかも?)
もうすぐ起こるはずの魔獣討伐で、役立つかもしれない。
そんなことを思っていると、知らず体が震えた。
季節はもう秋で、昼間はそれほどでもないけれど、夜は冷えこむ日が多い。
きっと北部の魔獣は、活発化していることだろう。
(大丈夫、大丈夫よ。エドヴィンもマルクも原作よりずっと強いはずだし、収納魔法も取得したんだもの。……ふたりは死んだりしないわ)
刺繍を刺す手に力が入る。
私は、一心不乱に針を動かした。
そして、刺繍が完成した翌日。
オリヴェルが騎士団幼年学校を去ったという連絡がきた。




