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6.慕情

 早朝の川には霧が淡く掛かっている。空は薄い藍色、東の空がかすかに朱色を帯びている。まだ領民は起きてこない。リサはこの時間が好きだ。


 川が静かに流れる。木が影を落とし、陽の反射が柔らかく水面に揺らめく。足元の草が露に濡れ、絡みつくのを感じながら歩いた。大木の前に立って、川を向いた。深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。

 最近覚えた民謡を歌い始める。静かな曲調、優しい物語。朝霧の中にリサの澄んだ声が響く。


 後ろから「おはよう」と声がした。振り返らなくても分かった。クリスだ。

 歌うのを止めたら「続けて」とゴツゴツした手が絡みついた。


 息を吸い、また歌い出す。これからもクリスといられるのだろうか……未来への不安が強くなる。

 歌い終わると、深く息を吸った。冷たい空気が肺を満たした。朝霧は薄くなり、東の空の朱色が濃くなった。


「これ、リサに似合うかな?」


 クリスが首飾りを出した。深緑の半透明の石が付いていた。


 クリスと一緒に居られることは嬉しい。でも、クリスは子爵家の長男、ゆくゆくは家督を継ぐ。身寄りのないリサを妻にすることはないだろう。頭では分かっているのに、どこか期待してしまう。


「私に?」

 不安を表に出さないよう、驚いた顔をつくった。


「もちろん。リサが気に入ってくれれば、いいのだけれど」


 クリスはいつも優しい。その優しさがリサを苦しめる。


「ありがとう」

 リサは愛想笑いを浮かべた。


**


 どうすればクリスと夫婦になれるのか?


 クリスの父に次ぐ有力者はグラス騎士爵、ローラの父だ。騎士爵は世襲権がないから、グラス騎士爵はローラをクリスに嫁がせようと目論んでいる。子爵と親戚になれば、家の没落を防げる。


 クリスと夫婦になるための障害はグラス騎士爵家。弱みを握れば、グラス騎士爵を協力させて、リサがクリスと夫婦になれるかもしれない。


 リサは頬杖をついて窓の外を見た。

 ずっと解せないことがある。なぜ、ローラは穀物倉庫で働いているのか?


 グラス騎士爵家は裕福だから、ローラが働く必要はない。ローラをクリスに嫁がせたいのであれば、花嫁修業でもさせておいたほうがいい。クリスと接点の少ない穀物倉庫で、ローラが働く必要はない。


 ローラをわざわざ働かせるのだから、穀物倉庫には何か秘密がある。直感的にそう感じる。

 ローラはサイモンの不正をクリスにほのめかした。そして、小麦を横領した罰として、サイモンとマーガレットの一家は領地から追放された。

 秘密を隠蔽するために、ローラはサイモンを罠にはめたのではないか?


**


 穀物倉庫にはローラがいた。高価なドレス、髪飾りも高そうだ。

 リサは倉庫内を見回す。穀物の保管のために外の光がほとんど入らない。薄暗いし、冷たい空気が満ちている。貴族令嬢のローラが、こんな場所で働きたいはずがない。


「クリス様に頼まれて、管理簿を確認しに来ました」


 リサの嘘に、ローラは「ああ、そうですか」と興味を示さず、奥の作業台を指した。

 倉庫の奥に進む。掃除をしているのだろうけど、穀物に付着した砂や泥が床一面に落ちている。歩くたびに細かい粒子が舞い上がる。椅子にも埃が溜まっている。

 リサは埃を払ってから、管理簿を手に取った。


「ちょっと待って」


 ローラが慌ててやってきて、管理簿に挟んである紙の束を引き抜いた。


「それは?」

「請求書です。整理するのを忘れていました」


 ローラは愛想笑いを浮かべた。怪しいけれど、警戒されると面倒だ。リサは「そうですか」と管理簿に目を移した。


 領主は農家から、小麦の収穫高の5割を徴収し、うち3割を王国政府に収める。差額の2割が領主の収入となり、卸業者に販売して金銭に代える。しばらく管理簿を確認したが、おかしな箇所はない。

 ぼんやりと倉庫の入口を見ていたら、石畳をきしませながら、荷馬車が止まった。袋が荷台にぎっしりと積まれていた。徴税人が小麦を運んできたようだ。


「おーい、どこに置けばいいかな?」


 馬車を降りた徴税人が額の汗をぬぐう。

 受付にはローラが一人。持ち場から離れられない。


「少しの間なら、私が見ておきますよ」

「ありがとう」


 ローラは徴税人と倉庫の奥へ歩いていった。


 慌てて何を隠したのだろう? ローラが座っていた受付台に歩いていくと、受付簿の下に紙の束があった。リサは受付台に隠れて、紙を広げた。


 紙の束は小麦の管理簿だった。リサが見ていた管理簿と同じ形式で、徴収した数量が記載されていた。二重帳簿だ。農家の名前は空欄になっていた。つまり、穀物倉庫には出所不明の小麦が存在する。リサは受け入れと払い出しの数量を書き写した。

 紙の束を受付簿の下に戻し、作業台に戻ったら扉が開いた。ローラが戻ってきた。


「誰も来ませんでしたよ」


 リサが愛想笑いを浮かべると、ローラは「助かりました」と首をすくめた。

 念のために、リサは出所不明の小麦の入出庫の記録を、管理簿と照合した。管理簿に取引は記載されていなかった。また、領内の全ての農家の名前が管理簿にあった。つまり、出所不明の小麦は、領内の農家以外から徴収したもの。どこから?


「農家以外に畑を持っているのは……」


 頬杖をついて、壁に掛かった地図を見つめる。畑の場所が描いてある。リサは一つずつ確認する。これは農家、これは空き家……これは教会の敷地内? 意外な場所に畑があった。


 貴族や地主は豊作を祈願するため、フェルディア神を祀る教会に土地を寄進する。教会はその土地を利用して、畑を耕し、農作物を育てていた。

 教会で収穫された農作物は税金を免除される。だから、穀物倉庫には教会で作られた小麦は保管されない。

 もし、教会の小麦が穀物倉庫にあったら?

 仮説を検証するため、リサは教会へ向かった。


**


 澄んだ鐘の音が聞こえる。建物が夕陽を受けて茜色に染まっている。収穫を終えた小麦畑には、藁の束が風に揺れていた。


 教会の倉庫の前に荷馬車がある。男が数人、小麦の保管袋に似た袋を積み込んでいる。荷を穀物倉庫に運べば、出所不明の小麦が教会から持ち込まれた証拠になる。


 リサは教会から死角になる建物に隠れて、荷馬車が動くのを待った。

 食堂の窓から灯りがもれてきた。夕食の時間だ。空は群青に変わり、最後の光が十字架の先端を金色に照らし出した。

 そのとき、荷馬車が動き出した。距離をとって後を追うと、荷馬車は穀物倉庫に到着した。


 **


 リサはクリスの寝顔に微笑みかける。今だけはクリスを独占できる。子爵家の長男ではない、リサだけのクリス。


 出所不明の小麦の秘密がわかった。税金が免除される教会で栽培した農作物を利用して、グラス騎士爵は裏金作りをしていた。ローラが倉庫で働くのは、この秘密を守るためだ。


 ただ一点、リサには気になることがあった。穀物倉庫の管理者はグラス騎士爵。しかし、領主であるクリスの父が秘密を知っていてもおかしくない。


 グラス騎士爵の独断か? それとも、首謀者はクリスの父なのか?


 リサは天井をぼんやりと見つめた。

 グラス騎士爵が首謀者なら、クリスの父に伝えるべき。グラス騎士爵の不正をあばき、領主に税金が掛からない小麦を差し出した立役者となる。邪魔なグラス騎士爵家を排除できるし、クリスとの婚姻を許してくれるかもしれない。

 もし、クリスの父が首謀者なら、秘密を知ったリサは邪魔者。殺される。

 クリスの父に穀物倉庫の秘密を伝えたら、リサの運命は二つ。クリスと夫婦になるか、死ぬか。


 隣で眠るクリスをぼんやりと眺めた。


 クリスに会えなかったら、リサは山で死んでいた。

 クリスがいなかったら、身寄りのないリサは生きてこられなかった。

 ……クリスのいない人生に意味はあるのだろうか?


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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