セレナの決意
朝の光が、リヴィエールの街に静かに差し込んでいた。水の都はすっかり平穏を取り戻し、人々の足取りも軽くなっていたが、セレナの胸には静かに火が灯っていた。昨晩、アナスタシアの口から語られた「リズリィ」の名。それは彼女にとって、決して癒えない過去の扉を開く音でもあった。
その日、セレナは訓練場の片隅で、静かに魔力を練っていた。その背を見つめながら、ソレイユとリーネが顔を見合わせる。
「セレナ、最近様子が変だよね……」
ソレイユが小さな声で言った。
「ええ、心がどこか遠くを見ている感じがするの」
リーネも頷いた。
ふたりはゆっくりと彼女に歩み寄る。セレナはふたりの気配に気づいたが、微笑もうとはしなかった。
「どうしたの? 何かあったの?」
ソレイユの問いに、セレナはそっと顔を上げる。
「……リズリィ、という名に心当たりがあるの」
ソレイユとリーネは息をのんだ。
「リズリィって、まさか……カリストの審問官?」
「ええ。彼女が、私の姉を殺したの」
その言葉に、リーネが手を口元にあてた。
「……セレナ……」
「人間と仲良くしていたというだけで、私たちは追われた。姉さんは……その時、私をかばって……」
セレナの手が震えていた。怒りと悔しさと悲しみが、混ざり合い、彼女の心を突き動かしていた。
「だから私は、今度こそ逃げない。あの女を、リズリィを、私の手で倒す」
決意の言葉だった。ソレイユとリーネは、彼女の決意の強さに言葉を失った。
そこに、カタリーナが現れる。
「審問官を倒す? なるほどね」
セレナが振り向いた。
「カタリーナ様……」
「リズリィは確かに危険な魔女よ。あなたと同じく月の魔力を操る稀有な存在。闇夜を支配し、意志を封じる月鎖の術を使う。感情に訴える魔法を一切使わず、相手を合理的に潰すことに長けている」
「……やっぱり強いのですね」
「うん。でも、勝てない相手じゃない。少なくとも、今の私たちなら」
セレナが目を見開いた。
「今なら勝てると……?」
カタリーナはにやりと笑った。
「昔の私たちならともかく、今のあなたには仲間がいる。そして健司もいる。彼がもたらす『迷いなき心』は、リズリィのような理性と支配の魔女には、何よりの毒となる」
「……健司……」
「リズリィが最も嫌うのは、『理不尽な優しさ』よ。彼の存在そのものが、彼女にとっての狂気となる」
ソレイユが口を開いた。
「つまり、健司が鍵なんだね……?」
カタリーナは頷いた。
「でもそれ以上に、あなたが心から望んで戦えるかどうか。それが一番の鍵よ。これはあなたの戦い。だから、私たちは支える」
「……カタリーナ様」
「ふふ、ちょっとらしくなかったかしら。でもね、セレナ。私はかつてリズリィと何度か顔を合わせたことがある。彼女は完璧主義者でありながら、弱者への無関心が強すぎる。人を見ない。数字と血筋しか見ないのよ」
リーネが眉をひそめる。
「それって、心がないってこと?」
「違うわ。彼女は『自分の心』にしか興味がない。共感という感情がないの」
セレナは静かに目を閉じる。
「私が、彼女に共感を教えてみせます」
そう呟いた時、彼女の中の何かが、ゆっくりと燃え始めた。
その日の夕方、健司が彼女たちの元に顔を出した。
「セレナさん、元気ないって聞いたから、心配で……」
セレナは健司に微笑んだ。
「ありがとう。もう、大丈夫」
「……何かあったんだよね。話してくれるなら、聞くよ」
セレナは一瞬ためらったが、静かに頷いた。
「健司さん、私には……倒さなきゃいけない魔女がいます。リズリィという女。私の過去を壊した、敵です」
健司の表情が真剣になる。
「その人が、あなたの大切な人を……?」
「ええ。だから、私は戦います。でも……ひとつだけ、お願いしてもいいですか?」
「もちろん」
「そばにいてください。私が……戦いに迷いそうになった時、どうか呼んでください。私の名前を」
健司はうなずいた。
「セレナ。あなたが迷ったとしても、僕はあなたのことを信じてる。いつだって味方だよ」
セレナはその言葉に、思わず涙をこぼしそうになったが、ぐっと堪えて笑った。
「ありがとう、健司さん……私は、戦えます」
夜の帳が街に降り始めた頃、アスフォルデの環の仲間たちも集まっていた。
カタリーナが皆に告げる。
「明日、偵察を兼ねて、カリストの周辺を探るわよ。リズリィの動向を掴む必要がある。セレナの覚悟に応えるためにもね」
健司も頷いた。
「僕たちで、セレナの過去を乗り越えよう。そして、未来を掴もう」
仲間たちは皆、力強くうなずいた。
戦いの火蓋は、静かに落とされようとしていた。




