日常
リヴィエールの朝は、静かな水のせせらぎとともに始まった。新たに生まれ変わろうとしているこの街は、どこか清らかで、そしてどこか少しだけ緊張感が残っていた。
健司は、昨日の夜にミリィ、クロエ、リセル、カテリーナと同じ部屋で眠った疲れも感じさせず、穏やかな表情で朝食のテーブルに座っていた。
集まっていたのは、アスフォルデの環の主要な魔女たち──エルネア、リーネ、ローザ、セレナ、ヴェリシア、ソレイユ──そして健司の仲間であるクロエだった。
それぞれがパンやフルーツ、水の都特有の冷たいスープなどを取り分けながら、ゆったりとした朝を楽しんでいた。
だが、そんな穏やかな空気を、健司のひと言が破壊する。
「ねえ、この中で……誰がいちばん優しいと思う?」
パンをちぎる手が止まり、水の音すら静かになった気がした。
空気が、一瞬にして凍りついた。
ヴェリシアが首をゆっくりと健司に向け、微笑む。だがその笑みは、明らかに――怖い。
「健司、どうしてそんなこと聞くの?」
その声は甘く、柔らかかったが、明らかに周囲にプレッシャーを与えていた。
エルネアがすかさず続けた。
「知性がある私が一番でしょ。優しさって、相手を理解することよ。知性がなければ、それはただの同情に過ぎないわ。」
リーネはパンをゆっくり噛みながら、
「いやいや、癒しの力を持つ私こそが、一番優しいに決まってるでしょ? 誰よりも他人の痛みを和らげられる私がね」
と笑った。
クロエはというと、目を丸くして健司を見つめていた。
「け、健司……なんでそんな爆弾発言を朝から……?」
健司は何事もなかったようにスープを啜りながら、
「いや、なんとなく思っただけだよ。誰がいちばん優しいのかなって」とぼんやりした調子で返す。
しかし、それが余計に場を混乱させた。
ミリィが言った。
「私は、自分が優しいとは思ってない。でも……一番、健司を助けたいって思ってるよ?」
リセルが椅子をくるりと回しながら腕を組んだ。
「優しさって言葉、都合よく使う人多いわよね。私は正直、優しいとは思ってない。でも、それを自覚してる分、偽善者よりマシでしょ?」
カテリーナは静かにパンを口にし、何も言わなかった。ただ、ちらりと健司を見て、視線をすぐにスープへと戻す。
健司は手を止めて、周囲を見渡す。
「ごめん、なんか変なこと言ったね。みんなそれぞれ優しいところがあるって、わかってるよ」
ヴェリシアがさらに微笑んだ。
「健司が選ばなかったから許してあげる。でも、ちょっとだけ知りたいわね。誰がいちばん『自分にとって』優しいのか」
その言葉はまるでテストのようで、他の魔女たちも健司に静かなプレッシャーをかけていた。
健司は困ったように笑いながら、椅子に寄りかかる。
「僕にとって一番優しいのは……」
数秒の沈黙のあと、彼は言った。
「この中で、今この瞬間、僕を責めないでくれてる人かな」
すると一斉に皆の視線がクロエへ向いた。
「え!? ええ!? 私!? そんな、そんな、ただびっくりしてただけで、べ、別に責めるとかじゃ……」
健司は微笑みながらクロエに小さく頷いた。
「ありがとう、クロエ」
クロエの顔が真っ赤になる。
「わ、私はただ……その、健司のことを……」
「うん。知ってる。優しいよ、クロエは」
エルネアはため息をつきながら、
「クロエ、やるじゃない」
と笑い、リーネも苦笑を浮かべた。
「まあ、クロエらしいって言えばそうかもね」
ヴェリシアは、
「ふふ、今回は譲ってあげる。けど、次は私が一番って言わせるから」
と、またあの怖い微笑を見せた。
ミリィはそれを見て、
「ああ、また健司さんが大変な目にあうんだろうなぁ……」
と、ぼそりと呟いた。
リセルはフォークを回しながら、
「面白いわね。誰が一番優しいかって、健司が死にかけたときにわかるんじゃない?」
カテリーナはやっと口を開いた。
「私は……優しいって言われたら、ちょっと嬉しい。でも、それ以上に、信じられるかどうかが大事だと思ってる」
健司は皆を見ながら、小さく頷いた。
「そうだね。信じられる人がそばにいるってだけで、十分に救われる」
食卓には再び和やかな空気が戻ってきた。
それでも、ひとつだけ変わったことがある。
クロエは、その日一日中、ずっと健司のそばに座っていた。
彼女のその背中を見ながら、健司はふと考える。
誰が一番優しいかなんて、きっと状況や気持ちによって変わる。
でも、自分が苦しいとき、黙ってそばにいてくれる人がいる──それが何よりの優しさなんだろう。
リヴィエールの静かな朝に、小さな優しさが広がっていく。
そしてその日、街の広場では、精霊たちが子供たちと水遊びをしていた。
水の都に、またひとつ新しい朝が訪れた。




