―リヴィエールの記憶―
リヴィエール。かつて水の都として栄え、多くの魔女と人間が共に生きていた地。
その中心にいたのが、アナスタシアという名の魔女だった。
――水の女王。
そう呼ばれた彼女は、他の魔女たちからも畏敬され、リヴィエールの長として都を治めていた。
澄みきった川、流れるような都市の景観、そして穏やかに共存していた人々。
そこには、力だけではない、魔女の品格と民への愛情が息づいていた。
アナスタシアの胸に、今も鮮やかに蘇るその日々。
しかし、ある時から歯車は狂い始めた。
――アナスタシア様。
側近の魔女たちは、昔から仕えていた優秀な者たちばかりだった。
その中でも、フィーネ、ラグリナ、ノエル。
三人は特に信頼していた。魔法だけでなく、心も通じ合っていた仲間だった。
だが、ある日。
「……最近、皆の様子が変です」
リヴィエールの西側地区を任されていたノエルが、苦しげにそう告げた。
明らかに、市民との関わりを避ける魔女たちの姿が目立つようになっていた。
最初は体調不良や、日々の疲れかと思われた。
しかし、それはまったく別の「病」だった。
「カリストの者が来ている」
そう口にしたのは、ラグリナだった。
その言葉を聞いた瞬間、アナスタシアの胸に警鐘が鳴る。
カリスト。
血統こそが魔女のすべてと信じる魔女国家。
外の魔女を見下し、混血や人間との関係を「汚れ」として排除する思想を持つ、強硬な勢力。
リヴィエールとは、まったく異なる理念を掲げていた。
「……まさか、この街にまで」
アナスタシアは、急ぎ街の巡回に出る。
そこには、市民を見下し、冷笑するような態度を見せる魔女の姿があった。
いつもなら笑顔で挨拶していた者が、今や無言で通り過ぎる。
「人間と暮らしても、力は弱まるだけだ」
そんな言葉を、はっきりと耳にした時。
アナスタシアは確信した。
――これは、侵食だ。
外からの思想が、確実に街を蝕んでいる。
フィーネは泣きながら報告した。
「カリストに忠誠を誓えば、新たな魔法を教えてくれるって……。そんなこと、あり得ないのに」
だが、信じる者は増えた。
魔女たちは次第に、アナスタシアの言葉に耳を貸さなくなっていく。
「あなたの理想は古い」
「人間と共存して、何の得があるのか?」
「力ある者が支配するのが、自然の摂理」
魔女達の瞳は、もうアナスタシアを見ていなかった。
そして、ある夜。
街の南門が開いた。
そこには、黒いローブを羽織った魔女が立っていた。
白銀の髪。冷たい瞳。まるで感情を持たない人形のような表情。
「……ようこそ、リヴィエールへ。カリストの……」
アナスタシアが言い切る前に、その者は微笑んだ。
「私達はカリストという国から来ました。血統正しき魔女の集いの代表です」
魔女たちはひれ伏した。
フィーネさえも。
「……何をしているの!」
アナスタシアが叫んだ時。
カリストの指が動いた。
魔法陣が広がり、青い水の輝きが黒く染まる。
まるで、都の水脈すら操るような感覚だった。
「力は正しき者に与えられる」
「血統、それがすべて」
アナスタシアの心が、凍った。
この街を守るために、どれほどの時を費やしてきたか。
人と共に歩むことの大切さを伝え、理解しあい、少しずつ育んできたのに。
そのすべてが、黒い染みのように崩れていった。
数日後。
魔女たちは一斉に街を出た。カリストに従い、アナスタシアに別れも告げず。
市民は、恐れた。
「魔女が去った」
「また、戦が起きるのでは」
「カリステが、街を滅ぼすのでは」
そして、逃げた。
――一人になった。
アナスタシアは、その日から静寂の中に身を置いた。
それでも、街を離れなかった。
このリヴィエールは、今は誰もいないかもしれない。
だが、過去に確かにあった愛と調和を、無にするわけにはいかなかった。
一人で街を守った。
水を清め、建物を直し、噴水を動かし続けた。
それは誰のためでもなかった。
ただ、ここが「帰る場所」になれるように。
「……誰か、来る気がするね」
空を見上げ、アナスタシアは微笑む。
昔の仲間の名を思い出しながら。
そして、噂を耳にした。
――ザサンの街が、開放されたという。
――アスフォルデの環の魔女達が、姿を消したと。
「……もしかして」
その予感は、確信へと変わっていた。
「アスフォルデの環が来るのかもしれないね」
水面が揺れた。
そこに映るのは、まだ見ぬ者たちの姿。
誰もいないはずの街。
だが、そこに流れる水は、今日も澄んでいた。
アナスタシアはゆっくりと、階段を降りた。
都の中心、かつて皆が集まっていた広場へと向かう。
迎えるために。
再び、この都に笑顔が戻る日を信じて。




