闇が愛を照らすとき
影の谷に夜が訪れた。
けれどそれは、単なる時間の流れではない。
空を覆うのは、クロエの内にある“記憶の闇”だった。
館の奥。
ロウソクの淡い光のもと、クロエは一人、かつての面影を語り始めた。
「昔……私は、人間の村で暮らしていたの。
“魔女”なんて言葉も知らなかった、ただの娘だった頃」
彼女の瞳に浮かぶのは、遠い日の夕暮れ。
草原の向こうから、笑いながら駆けてくる青年がいた。
優しい目。誠実な声。名は――レオン。
「彼は、私の初恋だった。いつも本を読んでくれて、
花を摘んで、くだらない冗談で私を笑わせてくれた」
二人は恋をした。誰よりも深く、静かに。
クロエが“闇”を使えるようになったのは、初めて恐怖を感じた日。
村で火事が起き、家族を失いかけたとき、絶望の中で力が芽生えた。
レオンは、そんな彼女を恐れなかった。
「誰が何と言っても、君は君だ」
「僕は、君を愛してる。それだけだ」
それはクロエの世界そのものだった。
だが――村の噂は、静かに、しかし確実に広がっていた。
「クロエは魔女だ」
「不幸は彼女が呼んだんだ」
「レオンを騙してる」
中でも、レオンと婚約した女性――マリエは、特にクロエを嫌っていた。
「あなたみたいな女が、幸せになれるわけない」
彼女は、村人に嘘を流した。
クロエが子どもを呪った、
火事を起こしたのは彼女だと。
レオンは、それを知っても揺るがなかった。
マリエとの婚約は破棄し、クロエのもとへ行こうとした。
だが――
「……レオンは、旅に出るって言ったの。
“君と暮らす土地を探してくる”って。
“もうすぐ、自由になれる”って……」
クロエの声が震える。
「でも……彼は、戻ってこなかった」
旅の道中、強盗に襲われ、命を落としたと伝えられた。
彼が亡くなる直前まで持っていたという、日記には――
『クロエの笑顔が見たい』
『誰よりも、彼女を信じている』
そう綴られていたという。
「最後まで、彼は私を信じてくれた。
私を……愛してくれたのに……!」
クロエは叫ぶように言った。
「それでも、私は世界を恨んだ。
あの人を殺したのは、私を否定し続けた人々。
愛を否定した、すべての“光”だった」
健司は黙っていた。
その話が、どれだけの痛みを抱えてきたものか、言葉では届かないと知っていた。
だから、彼はただ、一歩踏み出して言った。
「レオンさんは……あなたに愛を残した。
世界が闇に沈んでも、あなたにだけは光を渡していたんだ」
クロエの目に、また涙が浮かぶ。
「私は、それを……握りつぶしたのよ。
この手で……愛を、闇に変えてしまった」
「でも、まだ遅くないよ」
健司は、優しく続けた。
「愛を闇に変えたなら……今度は、闇から愛を取り戻せばいい」
ミイナが震える声で言った。
「クロエさん……私も、夜が怖かった。
でも、健司さんと出会って、誰かと心を通わせることができた。
だから……クロエさんにも、できるって思うの」
ルナも頷く。
「あなたが信じた人が、最後まで信じてくれたなら……
あなたも、誰かを信じることを、諦めないで」
静かな沈黙の中、クロエの肩が、小さく揺れた。
「……私は、もう一度、誰かを信じても……いいのかしら」
健司は、そっと手を差し出した。
「もちろん。僕たちは、あなたを迎えに来た。
レオンさんの代わりじゃない。
でも……あなたの“これから”を、共に歩くために」
クロエの目が、初めて、優しい色に染まった。
長い長い夜が、ようやく明ける。
彼女の中に残った“愛”が、再び光を取り戻した瞬間だった。
その朝、影の谷には、初めて太陽の光が差し込んだ。
そしてクロエは、かつての恋人がそうしたように――
自らの闇を抱えながらも、歩き出すことを選んだ。
未来へ。
愛を信じる人たちのもとへ。




