「アナスタシアは、なぜあそこに?」
旅の道中、朝靄がうっすらと残る川沿いの小道を歩く一行の中で、健司はミリィに近づいた。彼女は珍しく無口で、周囲の木々や風景にも興味を示していなかった。時折、水面に目をやっては、何かを思い出すように眉をひそめる。
「ねえ、ミリィ」
健司が小声で問いかけると、ミリィははっとしたように顔を上げ、少し笑った。
「なあに、健司くん?」
「アナスタシアって、そんなに強いの?」
ミリィは少し考えてから、慎重に答えた。
「……強いよ。水属性の魔法では、魔女の中でもトップクラス。勝ったという話は、聞いたことがない」
健司は歩を止め、振り返った。後ろでは、ルナがセレナと笑いながら話していて、少し後ろにはカテリーナやエルネア、クロエたちが静かに進んでいる。
「じゃあ、誰も勝てなかったってこと?」
「うん。魔女同士の公式な戦いだけじゃなく、襲撃や防衛でも。彼女は負けたことがない。ただ……」
「ただ?」
「そもそも、トップ20の魔女ってそういう存在なの。実力もあるし、けど、誰も本当の実力を知らない。だから、『負けたことがない』って、もしかしたら誰も戦ってないから、かも」
健司はその言葉に引っかかった。
「誰も戦ってない……ってことは、噂の域を出ないってこと?」
「そう。たとえば私が『健司くんは最強の剣士』って言いふらしたら、誰かが信じてくれるかもしれない。けど、それは誰かと戦って勝った証明がないと、本当の意味では“強さ”って言えないでしょ?」
「……うん、たしかに」
「アナスタシアに関しては、昔から『強い』って言われてて、誰もそれに逆らわなかった。だから噂はそのまま大きくなって、誰も疑問を持たなくなったのかもしれない」
「でも、ミリィは知ってるんだよね? あそこから逃げて、クロエに助けられたって」
ミリィは黙った。そして川のほうをじっと見つめた。朝日が水面に反射して、ゆらゆらと揺れていた。
「私は……小さい頃、リヴィエールの外れの村で暮らしてた。水源が近くて、村も穏やかだった。でも、アナスタシアがあの都に来てから、変わったの」
「どう変わったの?」
「水の流れが止まり、空気がよどみ、人々が少しずついなくなった。魔法で支配したとか、力で村を壊したってわけじゃない。けど、みんなが『あそこには近づくな』って、そう言うようになって……気がついたら、リヴィエールには誰も住んでなかった」
健司はミリィの表情から何かを読み取ろうとした。けれど、彼女は笑って誤魔化すように顔を背けた。
「私も、怖くなって逃げたの。何があったのかは、正直よくわからない。でも、あの場所には、何かがある。私は……戻りたくなかったけど、今は違う」
「今は?」
「仲間がいるから。クロエ様やカテリーナ様、そして……健司くんも」
彼女の目が一瞬、まっすぐに健司を見つめた。頬が少しだけ赤らんだ気がして、健司は慌てて視線を逸らした。
「そ、そっか……」
沈黙が流れる。
やがて、健司はぽつりと疑問を口にした。
「でもさ、強いなら、どうしてアナスタシアはあんな場所にいるんだろう?」
「え?」
ミリィが聞き返す。
「いや、トップクラスの魔女なら、どこかの国を支配したり、他の魔女の指導をしてたりするもんなんじゃない? それなのに、リヴィエールっていう人のいない場所で、たったひとりでいるのは、なんか不自然な気がして」
ミリィはしばらく考え込んでいた。
「……そうだね。言われてみれば、確かに。あの強さで、なぜ誰とも交わらず、孤独に?」
「もしかして、自分からあそこを選んだのかな?」
「あるいは……何かから、逃げてる?」
「逃げてる?」
「うん。誰にも負けてない魔女が、何かに敗れたとしたら――その事実を隠すために、表舞台から姿を消した、とか」
「……なるほど。それなら、誰にも負けてないという噂が残るわけか」
二人の会話に気づいたのか、クロエが歩み寄ってきた。
「なに話してるの、二人とも?」
「アナスタシアのことさ」
と健司が答えると、クロエは少し目を細めた。
「アナスタシア……昔、噂だけは聞いたわ。冷たくて、感情を見せない。だけど、誰も手を出せないほどの威圧感があるって」
「でも、それって本当に強さなのかな」
と健司が言った。
「どういう意味?」
「誰かと触れ合うことを拒んで、ずっと一人でいる。それって、強さというより、寂しさからじゃないかなって」
クロエは黙って頷いた。
「もしかしたら、アナスタシアも――愛を知らないまま、大人になった魔女なのかもしれないね」
ミリィはふと微笑んだ。
「なら、私たちが届ければいいんだ。私たちが知った、“愛”を」
健司も頷いた。
「うん。戦うためじゃない。“変えるため”に行こう、リヴィエールへ」
川沿いの道はまだ続いていた。朝霧が少しずつ晴れて、先に広がる青い水面が、やがて“水の都”リヴィエールへと続いていることを示していた。
彼らの旅は、新たな真実と、ひとりの魔女の心へと近づこうとしていた。




