ミリィの過去
旅の道中、陽光が木々の隙間から差し込む林道を進みながら、健司は隣を歩くミリィの様子に目をやった。
どこか落ち着かない。口元は笑っているようでも、視線は何度も揺れ、指先が小さく震えていた。
(おかしい……ミリィらしくない)
健司は歩みを緩め、静かに声をかけた。
「ミリィ……もしかして、リヴィエールのこと、何か知ってる?」
その言葉にミリィはぴたりと足を止めた。緑に染まる林の中、彼女の肩がかすかに揺れる。
「……やっぱり気づいた?」
振り返ったミリィの顔には、いつもの無邪気さとは違う、怯えにも似た真剣さがあった。
「リヴィエールには、恐ろしい魔女がいるの。水魔法の使い手で、カテリーナ様と同じか、それ以上……そんな力を持っているわ」
その場にいた魔女達が、一斉に振り返った。
「それって……誰よ?」
とクロエが眉をひそめる。
ミリィは目を伏せて、小さく息を吸い込んだ。
「名前は……『アナスタシア』」
その名に、アウレリアの表情が固まった。
「アナスタシア……あの一族の?」
「うん。血の流れに魔法を刻む“氷水の家系”。代々、水と氷を操る魔女が生まれてきた家。アナスタシアはその末裔で……おそらく、最後の一人」
ミリィは言葉を選ぶように、慎重に話し続けた。
「……わたし、昔リヴィエールの近くにいたの。あそこにいた魔女たちと一緒に暮らしてた。でも、ある日、アナスタシアが突然……全部、変わったの」
健司は静かに問う。
「……どうなったの?」
「支配されたの。感情を凍らせる魔法……人の心すら、水のように凍らせて従わせる。その力で、あの都を魔女だけの楽園に作り替えた。でも……それは偽りだった。人間も魔女も、感情を失って、まるで人形みたいに生きてた、と噂として聞いた」
ローザが低くつぶやいた。
「……そんなこと、許されるはずがない」
「うん……でも、あの時は誰も逆らえなかったみたい」
とミリィは震える声で続けた。
「わたし……逃げたの。リヴィエールから。あそこにいたら、わたしも“凍ってしまう”と思ったから……」
エルネアが静かに問いかけた。
「それで……クロエ様が助けたの?」
ミリィはうなずいた。
「あの時、倒れていたわたしを拾ってくれたのが、クロエ様だったの。クロエ様は言ってくれた。“心が凍るなんて、生きてる意味がないよ”って……それで、わたし……」
彼女の目から、ぽろりと涙が落ちた。
「もう一度、心で笑える場所がほしいって、思ったの」
健司は小さく頷く。
「ミリィ……ありがとう。教えてくれて」
「でも、やっぱり、行くんですね?」
とミリィが問う。
「うん。今度こそ……誰かの心が凍る世界を止めたいんだ」
その言葉に、アウレリアが小さくうなずいた。
「アナスタシア……私も名前だけは知っている。あの家系は、魔女の中でも特殊だった。魔力の代わりに、感情を魔法の燃料にする。だから、感情を封じれば封じるほど、強くなる」
「なんか、ややこしい魔法だなぁ……」
とルナがつぶやいた。
「でも、ややこしいからこそ、健司が必要になる」
とカテリーナは言った。
ソレイユも静かにうなずく。
「心を読んで、妄想を現実にする……その力なら、凍った心も、溶かせるかもしれない」
「それに……」
とエルネアが笑った。
「健司は魔女にモテモテだからね」
「え、関係あるかなそれ……」
と健司が苦笑する中、空は夕焼け色に染まり始めていた。
リヴィエールはもうすぐそこ。
水の都は、今も静かに、しかしどこか寒々しい気配を漂わせながら、彼らの訪れを待っていた――。




