月に願いを
太陽の魔女ソレイユの攻撃が通じなかったことに、幹部たちはざわつき始めていた。
「……魔法無効化……?」
エルネアが目を細め、つぶやいた。
「いえ、それだけではない。彼の力は“拒絶”ではない。“受け入れた”上で、超えている……まるで――」
その言葉を、隣に立つ魔女が遮った。
「……私が行きましょう」
静かで落ち着いた声だったが、どこか寒気を感じさせるような響きを持っていた。
月の魔女、セレナ。
淡い銀の髪が夜風に揺れ、瞳は月光のように静かに光っていた。
彼女が一歩前に進むだけで、空気が変わった。
月の力は、太陽と対をなす“静寂の力”。
感情を抑え、沈め、眠らせる――静かな恐怖の象徴だった。
健司の前に立ったセレナは、まっすぐ彼を見つめる。
「あなたは、光にも闇にも染まらないようね。ならば、月の導きで眠りなさい」
彼女が指を鳴らすと、空に仮初めの月が浮かび上がった。
「――ムーンライトパワー」
柔らかな光が健司を包む。
その光は、まるで揺籃のように、意識を眠りへと誘う。
健司の目が一瞬、伏せられた。
だが――
「……眠れないなぁ」
目を開いた健司が、苦笑を浮かべた。
セレナの目が見開かれる。
「……効かない……?」
「セレナさん」
健司は、一歩前に出た。
「あなたは……月が怖いんですね」
「……なに?」
「月に願った。でも、叶わなかった。……人間に追われ、仲間を失い、逃げ惑うなかで、あなたは祈った。『誰でもいい、助けて』って」
セレナの指がわずかに震えた。
「……そんな記憶……もう、忘れた」
「忘れてない。セレナさんの魔法には、“忘れたい”という願いが染みついている」
健司は静かに言った。
「ムーンライトパワーは、意識を奪う魔法。でも、本当は……悲しみを封じる魔法なんじゃないですか?」
「……っ!」
セレナは、顔を伏せた。
その唇が、かすかに震えていた。
「……人間は、裏切る。祈っても、願っても、何も変わらない。だったら、感情なんて……必要ない……」
彼女が呪文を紡いだ。
「――ムーンスター」
空に星が現れた。
一つ、また一つと降り注ぐ流星のような光。
それは強い感情に呼応し、激しい魔力となって健司を襲った。
リセルとクロエがすぐに防壁を張ろうとしたが――
「下がってて、大丈夫」
健司は笑った。
星が降るなか、彼は一つひとつを避けていった。
すべての星が、彼に届くことはなかった。
セレナは、見ていた。
その姿を。
そのまっすぐな瞳を。
まるで夜の海のように、深く、迷いがなかった。
健司は最後の一歩を踏み出して、セレナの前に立った。
「……どうして……?」
「セレナさん」
健司は、そっと手を差し出した。
「あなたの願いを、僕が叶えます」
「……!」
「月に祈っても届かなかった。なら、今は“誰か”に願ってください。僕はあなたの悲しみを、受け止めます」
セレナの目に、涙が浮かんだ。
「……誰にも……言えなかった……!」
「――お願い、助けてって言いたかったのに……!」
その声は、魔女であることも、幹部であることも忘れた、ひとりの“女性”の叫びだった。
健司は、その手をしっかりと握った。
セレナの魔力が、すっと消えた。
月の幻影も、空から降る星も、消え去った。
ただそこにいたのは、傷を抱えながらも、誰かに信じてほしいと願った、ひとりの魔女。
遠くから見ていたエルネアの目が細められる。
「……二人目……。まさか、ここまでとは」
だが、彼女の隣にいたカテリーナの表情は、もはや怒りを超え、冷徹な決意に満ちていた。
「……セレナまで“堕ちた”のね」
「健司……」
カテリーナはその名を、毒のように吐き捨てた。
「このままでは済まさないわ」




