選ばれし魔女、ミリィ
時は少し遡る。
深い闇に包まれた山の奥、古代の儀式場のような円形の建物。その中心に、アスフォデルの環の本拠地があった。
そこは、かつて神々が降り立ったとされる「封印の石環」。
光を拒む石の壁と、空を遮る黒い枝の天井。その空間には、六つの玉座が設けられ、かつて数多の強者たちが座していた。
そのひとつ――漆黒の玉座に、カテリーナが脚を組んで腰かけていた。
長く艶やかな白銀の髪、暗紫のドレスをまとう彼女は、退屈そうに足を揺らしながら、水晶の映像を見つめていた。
「……へえ、負けたんだ、ローザ。やばいね」
とても深刻には聞こえない口調だった。
水晶には、健司とローザが対峙し、そして彼女が“心”を動かされた瞬間が映し出されている。
隣に立っていたヴェリシアは、眉をひそめた。
「ローザは……力ではなく、言葉で倒された。信じていた“否定”を、揺るがされたの」
「ふーん。なるほど?」
カテリーナはくるくると指で髪を遊ばせながら、視線をヴェリシアに向けた。
「……ねぇ、ヴェリシア。あんた、何を隠してる?」
その瞬間、空気が張り詰めた。
「何のことかしら」
「ローザと一緒にいたでしょ。帰還が遅れた理由、どうして言わないの?」
「……報告書に記した通りです。私は傍観者に徹しました」
「うそ。あんたの目、知ってるもん」
カテリーナの声が、柔らかくも冷たく響く。
「優しい目をしてた。あれは……裏切り者の目よ」
その瞬間、足元から黒い鎖が伸び、ヴェリシアの体を絡め取った。
「……!」
「カテリーナ、やめて!」
その場にいた他の魔女たちが叫ぶが、すでに遅い。
ヴェリシアは動けず、鎖の力に抑え込まれて膝をついた。
「誤解よ……私は、健司に肩入れなど――」
「いい子ね、ヴェリシア。でも、もう少し静かにしてて」
カテリーナは指を鳴らした。
闇の渦がヴェリシアの口を封じ、彼女は抵抗を諦めるように目を伏せた。
そんな様子を、もう一人の魔女が無言で見つめていた。
その髪は灰銀、目は深い紅。
ミリィ――アスフォデルの環の中でも、影のように目立たず、しかし決して忘れられない存在。
彼女はずっと、黙ってカテリーナの横に控えていた。
「さてと……」
カテリーナが振り返り、ミリィに目を向ける。
「ミリィ。あんた、クロエのこと……まだ気にしてるよね?」
ミリィは少しだけ視線を上げた。
「……はい。彼女は私にとって……姉のような存在でした」
「うんうん、そうよねー。だったらさ、健司のとこ、行ってきてくれない?」
「……え?」
「ローザも落ちた、ヴェリシアも裏切った。私たち、ちょっと面白くなってきたじゃない?」
エルネアがその言葉に応えるように現れた。
妖艶な微笑をたたえ、細い指で水晶を指し示す。
「ヴェリシアがやられた今、次に動くのは私たち。けれど、力じゃなく、“感情”を揺らす者が必要ね」
「ミリィなら、クロエの洗脳が解けるかもしれない」と。
カテリーナは笑った。
「そうそう。ミリィって、そういう“中途半端な感情”が残ってるところが、丁度いいのよねー」
ミリィは、ゆっくりと視線を落とした。
「……私が、行けば……クロエ様が、戻ると思ってるのですか?」
「戻すか壊すか。どっちでもいいの」
カテリーナが軽く肩をすくめた。
「ただ、あんたなら、“心の揺らぎ”を引き起こせる。健司にも、クロエにも」
ミリィの中に、静かな動揺が広がっていく。
クロエが笑っていた――人間と一緒に。
優しい表情をしていた。
あれは……本物だったのか。それとも、人間に騙されていたのか。
「……行ける?」
エルネアの声が、静かに響く。
ミリィは目を閉じた。
長く、深く――そして、ゆっくりと開く。
「……はい。行きます」
カテリーナは笑った。
「いい子。期待してるわよ、“ミリィ”」
エルネアも静かに頷いた。
「ただし、忘れないで。これは、“観察”じゃない。“干渉”よ。感情に飲まれたら、帰ってこれないわ」
「わかっています」
ミリィはそう言い、静かに踵を返す。
その足取りに、迷いはなかった。
だが――胸の奥では、炎のようなものが、静かに揺れていた。
(クロエ様。あなたの選んだ道を……この目で確かめにいきます)
それが、ミリィの旅立ちだった。
再会が、懐かしさだけで終わらないことを、彼女はまだ知らない。




