新しい暮らしと遠くのまなざし
南の村の中心から少し離れた場所に、一軒の古びた空き家があった。
健司たちが村の長老に案内されたその家は、木材の外壁に苔がつき、ところどころ軋む床もあったが、柱はしっかりしていた。何より、窓から見える広い庭と、そばを流れる小川の景色が美しかった。
「どうぞ、ここを使ってください。人の手は入っていませんが、時間をかければきっと住みやすくなります」
長老の言葉に、健司は深く頭を下げた。
「本当にありがとうございます」
クロエ、リセル、ローザ、ルナ、ミイナもそれぞれ礼を言い、家の中を見て回った。
「いい場所じゃない?」
クロエが言いながら、床を軽く踏みしめる。
「ちょっと古いけど、修繕すれば住めそうね」
ミイナはキッチンに走り込み、
「ここでごはん作るの! 健司といっしょに!」
と嬉しそうに叫んだ。
「まだ火が通るか見てないぞー」
と健司が笑いながら答えると、ルナが窓辺に立ち、外の景色を見ながらぽつりと呟いた。
「村の人たち、優しいね」
「うん」
健司はその言葉に微笑んだ。
「魔女ってわかった時、拒絶されるかもって思ってた。でも、意外と偏見がなかったね」
クロエも頷いた。
「南の村には、もともと神聖獣や精霊を大切にしていた風土があるから、人の“違い”に寛容なのかもしれないわ」
リセルがぽつりと続ける。
「……それでも、私たちを受け入れるには勇気がいったはず。感謝しないと」
その夜、彼らは久々に安らぎの中で眠りについた。
◆ ◆ ◆
翌朝、健司たちは早々に村の暮らしに必要な物資――薪、食料、道具などを調達するために、村の周囲の森へと向かった。
リセルは薬草を、クロエは火を起こすための鉱石を探し、ルナとミイナは果実の実を見つけては健司のところへ運んでいた。
「見て、見て! この赤い実、甘そう!」
「こっちはすっぱいかもー!」
無邪気な笑い声が森の中に響き渡る。
その頃、村の広場では、数人の村人たちが健司たちの話をしていた。
「昨日来た魔女たち、見たか?」
「見た見た。あの青髪の……クロエって人。昔、旅の途中で見たことがあるんだ」
「本当か?」
「魔法の腕も確かだったし、噂じゃけっこう気性が荒いって聞いてたけどな……」
「でも昨日のあの人、子どもたちと一緒に笑ってたぞ。まるで、人間みたいに」
「いや、人間なんだよ。魔女だって、ちゃんと心がある」
村人たちの間に、小さな認識の変化が芽生え始めていた。
ただの噂だった「恐ろしい魔女」が、実は日常を生きる誰かと変わらぬ存在なのかもしれない――そんな希望が、少しずつ村の空気を変えていく。
◆ ◆ ◆
そしてその村の外れ。森の奥の木々の影で、ひとりの魔女がその様子を静かに見つめていた。
彼女の名は、ミリィ。
アスフォデルの環の末端に所属し、かつてクロエのことを「姉のように」慕っていた魔女だった。
紫がかった銀髪を肩まで垂らし、細身の体を長い黒のローブで包んでいる。瞳は暗い赤。森の奥でじっと佇む姿は、まるで夜明けを拒む影のようだった。
「……嘘でしょ、クロエ様」
ミリィの声は、誰にも届かぬほど小さな囁きだった。
「どうして……人間なんかと……」
木々の隙間から見える光景――クロエが健司と並んで話している様子。ミイナとルナに囲まれて笑う姿。
そのすべてが、ミリィの記憶にあるクロエ像とは違っていた。
「優しい笑顔なんて……私、見たことない」
かつて、アスフォデルの環でのクロエは強く、毅然としていて、そしてどこか寂しげだった。誰よりも実力がありながら、他人に頼ることを嫌い、孤独を隠していた。
それが今――彼女は人間と笑い合っていた。
「何が……変えたの……」
ミリィの胸の中には、怒りと悲しみと混乱が渦巻いていた。
(奪われた……私たちから……)
かつての“姉”を奪われたような喪失感。それが、彼女の中に暗い感情を生んでいた。
「クロエ様を……こんなふうに変えた人間が、許せない……」
その時――木の上から、青い羽根がひらひらと舞い落ちた。
それは村から飛んできた神聖鳥の羽根だった。
ミリィはその羽根を手に取り、そっと握りしめた。
「でも……もし、あの人が幸せなら……」
言葉はそこで止まった。
彼女の中で、葛藤が始まっていた。
クロエを取り戻したい気持ちと、幸せを願う気持ち。
それが交差しながら、ミリィはその場を離れた。
彼女のまなざしは、深く、静かに揺れていた。
◆ ◆ ◆
その夜、健司たちは拾ってきた果実でジャムを作り、焚き火を囲んでささやかな夕食をとった。
「明日から、本格的に畑を耕すのもいいかも」
「木を切って、ちゃんと薪を確保しないとね」
「お風呂も作ろうよー!」
ルナとミイナは今日見た神聖獣の話に花を咲かせ、クロエとリセルは明日の生活プランについて語っていた。
ローザは少し離れた場所で、夜空を見上げながら焚き火の光に背を向けていた。
そんな中、健司は心の中で呟いていた。
(本当に……ここに来てよかった)
けれど、どこかで感じていた。
静かな夜風に紛れる、かすかな「視線」。
それが何を意味するか、まだ彼は知らない。
ただ――誰かが、自分たちを見ていた。
遠くから、優しさと哀しみをまぜた、まなざしで。




