ただいま、と言える場所
朝靄がゆっくりと晴れていく中、健司たちは丘の上に立っていた。
目の前に広がるのは、穏やかな田畑と木造の家々。そして、風にそよぐ草花と澄んだ水の流れる川。
鳥のさえずりが響き、木の陰には小さな精霊が飛び交っている。遠くには、白銀のたてがみをもつ神聖獣の姿も見えた。
それは――世界が忘れかけていた、静かで優しい光景だった。
「ここが……南の村……」
健司は思わず息を呑んだ。
クロエも、隣で小さく頷く。
「昔は、“楽園”と呼ばれていた場所よ。神々に祝福された地。魔力も満ちているし、何より……人の心が穏やかだったの」
リセルは目を細め、遠くを見つめた。
「……精霊がこんなに多い。人々が自然と共に生きている証ね」
ミイナが目を輝かせて走り出す。
「見て、ルナ! あの木の上に白い鳥がいる!」
「ほんとだ! 羽がキラキラしてる!」
ルナも嬉しそうに追いかける。
その姿に、クロエが微笑を浮かべた。
「子供らしくていいわね。あんな顔、久しぶりに見た気がする」
健司はゆっくりと村を見渡し、そして言った。
「……まずは、この村の人たちに話してみよう。僕たちが何者で、何をしようとしてるのか。ちゃんと、言葉で伝えたい」
ミイナが振り返って手を挙げた。
「賛成ー! わたし、村の人と仲良くなりたい!」
ルナも大きく頷いた。
「うんっ。魔女でもこわくないって、わかってもらいたい!」
リセルが小さく笑った。
「あなたたちは、もう“魔女”以上に、“家族”って感じね」
健司はその言葉に、少し照れたように笑った。
「ありがとう。リセルも……一緒に行こう?」
「ええ」
その時、ひときわ強い風が吹き、ローザの髪がなびいた。
彼女は誰にも声をかけず、ただ丘の端に立ち、眼下の村をじっと見つめていた。
「ローザ?」
健司が声をかけると、ローザはほんの少しだけ笑った。
「……美しい場所ね。まるで、昔の記憶の中にあった風景みたい」
「……来たことあるの?」
リセルがそっと隣に立って問いかける。
ローザは首を横に振った。
「ないわ。でも……なぜか、懐かしい気がするの。心のどこかにずっとあった……帰りたかった場所のような」
その言葉に、リセルは静かに微笑んだ。
「……変わったね、ローザ」
その一言に、ローザは少し驚いたように目を見開いた。
しかし、すぐに視線を空に向けて、ぽつりと答える。
「……変わってなんかいないわ。私は――昔の自分に、戻っただけよ」
「昔の?」
「ええ。戦うことだけが“魔女”じゃないって、知ってた頃の私。誰かを守りたいって思ったことも、信じたかったことも……全部、忘れたふりをしてたの。でも、それが……本当の私だったのかも」
リセルは、何も言わず、ただその隣に立ち続けた。
ローザの横顔には、静かな決意が浮かんでいた。
一方その頃――
村の入り口では、数人の村人たちが健司たちを見ていた。
彼らの顔には、不安や警戒の色が混じっている。
村人の一人――白髪まじりの初老の男が、一歩前に出た。
「……旅の方か?」
健司は深く頭を下げた。
「はい。僕は健司といいます。この子たちは……ミイナとルナ。こちらはクロエ、リセル、そしてローザです」
クロエたちも、静かに会釈をする。
村人たちは目を見開いた。
それぞれの姿が人間離れしていることに気づいたのだ。
「魔女……か?」
「はい」
健司は真正面から答えた。
「僕たちは、魔女が人間と共に暮らせる場所を探して、旅をしてきました。この村が穏やかで、美しくて……できれば、ここで少しだけ過ごさせてほしい。もちろん、すぐには信じてもらえないと思います。でも、僕たちは戦うために来たわけじゃない。共に歩むために来たんです」
村人たちはざわめいた。
その中に、ひとりの女性が口を開いた。
「……その言葉が、本当なら。私たちは、あなたたちの心を見ます。神聖獣たちが怯えていない。それが、何よりの証です」
健司ははっとした。
確かに、近くにいた神聖獣――大きな羽をもつシルフホーンが、ミイナの手から葉を受け取っていた。
「……ありがとう」
そう言った健司の目に、少しだけ涙がにじんでいた。
クロエがその肩に手を置いた。
「さあ、家を探しましょう。私たちの居場所を」
ミイナとルナが両手を挙げて跳ねた。
「やったー!」
「わたしたちの家だー!」
リセルは小さく微笑み、ローザの方を振り返る。
「あなたも、来る?」
ローザは一瞬ためらったが、やがて小さく頷いた。
「……ええ。でも、私はまだここに馴染むつもりはないわ。ただ、あなたたちがどんなふうに生きていくのか……それを見届ける」
リセルは優しく言った。
「それで十分よ」
こうして――健司たちは、ようやくたどり着いた。
心から「ただいま」と言える、初めての場所へ。
未来はまだ見えない。
けれど、彼らは歩み始めた。
希望と、優しさと、ほんの少しの勇気とともに。




