もう一度、戦えば
深い森の夜。
その木陰に、ひとりの少女が潜んでいた。
ローザ。
整った顔立ちと揺れる銀髪、そして冷静沈着なまなざしは、魔女としての覚悟と誇りを帯びている。
彼女の視線は、少し離れた場所――焚き火の前で話し合う二人の魔女、クロエとヴェリシアに向けられていた。
闇に紛れていたが、耳ははっきりと彼女たちの言葉を拾っていた。
(……ヴェリシア様、なぜ……?)
ローザは唇を噛んだ。
――「カテリーナ様は健司に注意を払っている」
――「もし本当に、彼が魔女と人間の間に“橋”をかけようとしてるなら、私はそれを見てみたい」
その言葉は、ヴェリシアの“変化”を如実に表していた。
(ヴェリシア様は、あの男を肯定しようとしている……)
ローザの胸の奥に、苦い痛みが走る。
ヴェリシアは、かつて彼女にとって“理想”だった。
冷静で、美しく、誇り高く、カテリーナやエルネアにも忠実で。魔女という存在を守るため、どんな汚れ仕事も引き受けてきた。
そのヴェリシアが――
今、人間を前に、心を揺らしている。
(どうして……あんな男の言葉に……)
焚き火の灯りが消えるのを見届けたローザは、そっと立ち上がった。
風が木々を揺らし、夜がさらに深まっていく。
彼女は、ヴェリシアの後を追って足音を殺し、森のさらに奥へと進んだ。
やがて、月明かりが差し込む広場に出る。
ヴェリシアが、ひとり佇んでいた。
「……どうして、黙ってたの?」
ローザの声に、ヴェリシアは振り返らずに応えた。
「気づいてたのね」
「ずっとあなたを尊敬していた。だから、分かるわ。あの夜から、何かが変わった。……あなたは、カテリーナ様やエルネア様を裏切るつもりなの?」
「……違うわ」
「じゃあ、なぜ……?」
ローザの声には、怒りというより困惑が混じっていた。
ヴェリシアは、ゆっくりとローザを振り返った。
「ねぇ、ローザ。あなたは、カテリーナ様やエルネア様が“絶対”だと思う?」
「……もちろんです。私たち魔女にとって、彼女たちは信念であり、灯火です」
「そう。……でもね、私は思ったの。もしかしたら、彼女たちも“変わる”かもしれないって」
ローザの目が見開かれた。
「変わる? そんな……!」
「感覚的なものよ。確証なんてない。ただ――リセルを見て、クロエを見て、そして健司を見て……ほんの少しずつだけど、歯車が狂い始めている気がしたの」
「……でも、それが良いことだとは限らない」
「ええ。でも私は、もう一度“信じてみたい”の。カテリーナ様も、エルネア様も、強さだけじゃない“何か”に気づくかもしれないって」
ローザは俯いた。
「私は……怖いんです。あなたまで変わってしまうことが」
「私は変わっていない。……ただ、見たいだけ。“その先”を。変わる世界を」
しばし沈黙が流れる。
そしてローザは、ゆっくりと口を開いた。
「……なら、私は戦います」
「戦う?」
「もう一度、あの健司という人間と。リセルやクロエとも。……そして、あなたとも」
ヴェリシアは目を細めた。
「それで、何が分かるの?」
「“何が正しいのか”じゃありません。“自分の中にある答え”を見つけたいんです。……戦えば、きっとわかります」
ローザの瞳は、強く輝いていた。
その奥にあるのは、純粋な意志。
「私にとって、戦うことは、確かめること。信じるための、通過点です」
「……そう」
ヴェリシアは小さく頷いた。
「それでいいわ。あなたらしい。ローザ……あなたは、きっと私を超えていく」
「そのつもりです」
「ただし――戦うからには、“本気”で来なさい」
「当然です。……本気じゃなければ、あなたの心にも届かない」
月がふたりを照らしていた。
静かな森の中に、決意の炎が灯る。
ヴェリシアはローザに背を向け、ゆっくりと歩き出した。
「カテリーナ様は、きっと次の一手を打ってくる。あなたは、どう動く?」
「……見極めます。自分の目で、心で。そして、答えを出します」
「……いい答えね」
ヴェリシアの言葉に、ローザは微笑んだ。
夜が、また少しだけ優しくなった気がした。
けれど、まだ世界は眠っていない。
魔女の運命も、健司の未来も、そしてヴェリシアとローザの信念も――
まだ揺れている。
そして、揺れるからこそ――光が生まれる。




