西の影
朝の騒がしいバタバタが一段落した頃。
ルメは、まるで空気が変わったように静かになっていた。
ふざけた笑みもない。
その瞳に宿っていたのは、昨夜までの悪戯心とは正反対の“鋭い光”だった。
「アナスタシア、ラグナ。ちょっといい?」
声は小さいが、妙に強い圧がある。
ラグナもアナスタシアもルネの表情を見て、ただならぬ気配を感じ取った。
「わかった。……アナスタシアの部屋で話そう」
ラグナが短く頷き、3人は静かに廊下を歩いていった。
健司や他の仲間たちには気づかれないよう、細心の注意を払って。
⸻
空気は一気に冷えた
アナスタシアの部屋は、リヴィエールの中でも静けさの深い一角にあった。
扉を閉めると、外の喧騒は完全に遮断される。
ルメが椅子に腰掛けるより先に、アナスタシアが問いかけた。
「……それで? 何があった?」
ルメは深呼吸し、普段の軽口を一切捨てて口を開いた。
「――西の状況はいまだに混沌している。
でも、その中でひとつだけ確かなものを見つけたよ。
炎の魔女カルナを、ね」
アナスタシアとラグナの顔色が変わる。
「カルナ……。久しい名前だな」
ラグナは腕を組んだまま、低い声で答える。
「炎の魔女カルナ……。炎の一族の元当主。 力は強いけれど、あまり表には出てこない」
「そう。だけど、そのカルナが動いていた。
健司たちと野蛮な魔女達のいざこざ――その情報が、西にも完全に伝わってる」
ルネは視線を落とした。
「西の魔女達も動き始める。……時間の問題だよ」
アナスタシアの肩が僅かに震えた。
「……西の魔女達。あいつらの魔法は規格外。本当に、何が起きるかわからない」
「異常、って言った方が早いよね」
ルメが苦笑にもならない顔で呟いた。
「でも……その“異常”の裏に、もっと厄介なものがある」
ラグナが目を細める。
「……言え。何が動いている?」
ルメは立ち上がり、窓の外に青白く輝くリヴィエールを見つめた。
「わかったことがある。――西の混沌は、自然に起きたものじゃない。
裏で操っている奴らがいる」
アナスタシアが息を飲んだ。
「操っている……? そんな存在が?」
「いる。しかも、そいつらは――」
ルメは一度、口を閉じた。
言葉を選び、慎重に口を開く。
「――あの村の事件に関わっている」
部屋の空気が凍りつく。
アナスタシアは表情を平静に保てず、声が震えた。
「あの村……って、まさか……」
「そう。西の魔女達が争い始めるきっかけになった、あの村」
ルメは視線を落とした。
彼女の表情からは、普段の軽さは欠片もない。
「そして……セイラが狂い始めた原因でもある」
アナスタシアが座ったまま後ろへ倒れ込みそうになる。
ラグナが眉間に深い皺を寄せたまま固まった。
「……まだ、混沌は収まる気配がない。
何者が裏で糸を引いているのか……それすら、今は掴めてない」
「西には何がある……? 誰がそんな真似をする?」
アナスタシアは祈るように両手を握った。
「ただの悪い魔女、じゃないよね」
ルメはかぶりを振った。
「うん。あれは……組織、もしくは集団だと思う。
西の魔女達の争いなんて、あいつらからすれば“序章”にすぎない」
その瞬間、部屋の外で風がざわつくような気配がした。
⸻
リヴィエールの外、森の影の中。
「……ようやく来たわね」
冷たい声が闇に響く。
ルネイア、マリエ、シミラ。
野蛮な魔女達の3人がそこに佇んでいた。
彼女たちの表情は普段よりはるかに鋭く、殺気に近い気配すら漂わせている。
「ルナとミイナ……ふふ、どっちを選ぶかな、健司くん」
ルネイアが微笑む。
その笑みは柔らかいのに、どこか壊れていた。
「マリエ、シミラ。準備は?」
「問題ありません。シミラの結界は十分に働きます」
「マリエが捕まえる。私が抑える。そういう段取りだったよね?」
「うん。アナスタシアもラグナもいるけど……大丈夫。
私がいるからね。抜け道はいくらでもある」
闇に溶ける3人の影は、すでにリヴィエールへ向かって動き出していた。
⸻
「……つまり、あの村の裏にいる奴らが西全体を操っている。
そしてセイラを狂わせた原因でもある。……そういうわけだな?」
ラグナの声は低く、今にも剣を抜くかのように冷たかった。
「うん。
そして――その“裏の奴ら”が、今どこまで手を伸ばしているのか、わからない」
ルメは、初めて“恐怖を隠しもしない顔”を見せた。
「西だけじゃなく、ここにも来るかもしれない」
アナスタシアの顔が青ざめた。
「……まさか、リヴィエールにまで……?」
「可能性はある」
ラグナが席を立ち、剣もないのに腰に手を沿えた。
「急いだ方がいいな。健司に話すのか?」
「ううん。まだ話さない」
ルメが即答した。
「健司は、たぶん全部背負おうとする。
あの性格なら、絶対に無茶をする」
アナスタシアも同意する。
「……それは、そうね。あの人は絶対に自分を犠牲にする方向に動く」
「だから、もう少しだけ情報を集めたい。
西の影の正体を、せめて掴むまでは」
「……ふむ。よかろう」
ラグナは静かに目を閉じた。
「ルメ。お前がそこまで乗り出すとは思わなかったな」
「うん。……だって、もうこの街も、健司たちも、みんな……
私にとっては“どうでもよくない存在”になったからね」
ルメのその言葉は、冗談でも皮肉でもなかった。
アナスタシアが微笑む。
「……ありがとう、ルメ」
ルメは照れたように肩をすくめた。
「ふふ、アナスタシアにそんな顔されると、逆に照れるよ」




