リヴィエールの朝 ― アウレリアと透明の魔
昼のリヴィエールは、深い霧に包まれていた。
戦いの爪痕がまだ街のあちこちに残っている。割れた石畳、崩れた噴水。けれど、その中にも確かに“静けさ”が戻りつつあった。
人々はようやく日常を取り戻し、魔女たちも束の間の休息を得ていた。
健司は広場の中央で、ぼんやりと朝日を眺めていた。
戦いの疲れが、ようやく身体にのしかかってきたところだ。
メルガとの激闘、そしてスルネの逃亡――それらが終わったことをまだ完全に実感できていなかった。
霧の向こうから、誰かの足音が近づいてくる。
「……アウレリア! 一体どこに行ってたんだ!」
真っ先に声を上げたのはカテリーナだった。
怒りというより、心配が滲む声。
アウレリアは静かに微笑み、霧の中から姿を現した。
その腕には、ぐったりとした1人の女性――スルネを抱えていた。
「スルネを……連れてきたよ。」
その声は穏やかだった。だが、同時にどこか悲しみも混じっている。
アウレリアの肩には血の跡があった。戦いの痕。それでも彼女は堂々と立っていた。
健司は駆け寄り、目を見開いた。
「本当に、スルネを……!」
スルネはまだ意識が薄いようだったが、しっかりと呼吸していた。
透明の魔女――その名の通り、存在の輪郭が曖昧な彼女の身体が、今は人間のように確かにそこにあった。
まるで「世界に戻ってきた」かのように。
アウレリアはゆっくりとスルネを地面に降ろした。
その動作が優しくて、誰も声を出せなかった。
「無事だったのね……」
リセルが呟き、胸を撫で下ろす。
健司がアウレリアの隣に立った瞬間、カテリーナが眉をひそめた。
「ちょっと、アウレリア……近すぎじゃない?」
アウレリアは、にこりと笑った。
「カテリーナ、嫉妬? そんなに怒ってたら、健司も怖いと思うわ。」
その一言で、場の空気が一瞬で変わった。
リセルとクロエが顔を見合わせて吹き出しそうになる。
ファルネーゼは咳払いして笑いをこらえ、カテリーナは顔を真っ赤にして叫んだ。
「嫉妬なんかしてないわよっ! 私はただ……距離感の話をしただけ!」
「へぇ、距離感ね?」
アウレリアの目が楽しそうに細まる。
そのまま空気が火花を散らしそうになったところで、健司が慌てて間に入った。
「カテリーナ、落ち着いて! アウレリアも、からかうのはそのくらいに……!」
アウレリアは肩をすくめて微笑む。
「はいはい。……けど、こうして笑い合えるの、久しぶりね。」
誰もが少し黙った。
戦いの連続だった。
笑う余裕も、心を許す瞬間もなかった。
だからこそ、アウレリアの言葉が胸に沁みた。
その時、スルネが小さく呻いた。
目を開け、ゆっくりと身体を起こす。
目の前には健司、カテリーナ、リセル、クロエ、アウレリア――見慣れぬ光景だった。
「……ここは……?」
アウレリアが優しく答える。
「リヴィエールよ。あなた、倒れてたの。」
スルネは数秒黙ってから、視線を健司に向けた。
その目に宿るのは、敵意とも迷いとも言えぬ複雑な光。
「……捕まったけど……健司のことは、認めない。」
その一言に、場がピンと張り詰める。
けれど、健司は穏やかに笑った。
「いいよ、それで。でも、透明になるって本当にすごいね。」
「……褒めても無駄だ。」
スルネの表情は硬いままだ。
しかし、その頬がわずかに赤くなっていた。
健司は少し首を傾げて、続けた。
「そう? でもね、透明になっても、どこにいるか分かるから。」
「……嘘だ。」
スルネの声が震えた。
健司はゆっくりと目を細める。
「本当だよ。ずっと観察してたでしょ? 視線を感じたんだ。誰もいないはずの夜に。」
スルネの瞳が揺れた。
その言葉に、彼女の中で何かが静かに崩れた。
――誰も、自分に気づいたことなどなかった。
彼が初めて、それを“感じた”と言った。
「……まだ認めない。でも……信じるのも、悪くないかもな。」
そう呟いたスルネの頬に、ほんのわずかな笑みが浮かんだ。
それは儚いけれど、確かに“心”を持つ笑顔だった。
カテリーナが呆れたようにため息をついた。
「もう、なんなのよ。みんな健司に甘すぎ。」
「ふふ、愛の魔法よ。」
アウレリアが言うと、リセルとクロエが笑い出した。
「確かにね。健司の周りだけ、いつも空気が柔らかいんだもん。」
「違うよ……!」
健司は顔を赤らめ、手を振った。
それを見て、今度こそ全員が笑った。
戦いの余韻がまだ残る空の下。
誰もが、束の間の安らぎを味わっていた。
メルガが見つけた“心”。スルネが触れた“認知”。
そのすべてが、ゆっくりとリヴィエールに流れ込んでいく。
ブラットレインが空を見上げながら呟いた。
「……なんだか、不思議ね。あれだけ敵だったのに、今はこうして一緒にいる。」
ファルネーゼが頷く。
「心って、不思議なものね。光でも闇でもなく、人が人である証。」
リセルがにっこり笑い、カテリーナが頬を膨らませ、アウレリアが静かに微笑む。
その中央で、健司はスルネを見た。
スルネもまた、透明ではなく、確かにそこにいた。
光の粒が差し込み、彼女の姿を淡く照らした。
「……ねぇ、健司。」
スルネが小さく言った。
「私がもし……また透明になっても、見つけてくれる?」
健司は少しだけ考えてから、穏やかに答えた。
「見えるよ。どんなに姿が消えても、ちゃんと“いる”って感じるから。」
スルネは、目を伏せて笑った。
その笑顔が、光に溶けていくようだった。
その日、リヴィエールの街に久しぶりの陽光が差し込んだ。
霧が晴れ、瓦礫の間を風が通り抜ける。
遠くで子どもたちの笑い声が聞こえた。
その音に、誰もが少しだけ涙ぐんだ。
――戦いは終わらないかもしれない。
けれど、この瞬間だけは確かに、愛と平和がそこにあった。
スルネの声が最後に響く。
「……悪くないな、こういうのも。」
その言葉に、魔女たちはみんな笑った。
穏やかな風が吹き抜け、朝の光が彼らを包み込んだ。




