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魔女達に愛を  作者: リーゼスリエ
クロエ編⑥アウレリアの魔法

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202/215

スルネ vs アウレリア ― 透明の魔女、幻に

――北に行くほど空を、冷たい風が切り裂いていた。

 スルネはひとり、霧の漂う森を走っていた。

 足跡も、息づかいも、地面に残らない。

 透明の魔女にとって、逃亡は得意分野のはずだった。

 けれど今、その呼吸には焦りが滲んでいた。胸の奥を焼くような悔しさが、透明になった身体の奥から溢れてくる。


 「……あり得ない。あのメルガが、負けた……?」


 森の木々をすり抜けながら、スルネは呟いた。

 あの魂の魔女――冷酷で、情を断ち切ったメルガが、愛なんて言葉を口にした。

 信じられない。信じたくない。

 彼女は同じ“側”だった。人に拒絶され、理解されず、魔女として闇に堕ちた者。

 だからこそ、あの敗北はスルネにとって、自分の存在意義が否定されたように思えた。


 「……私は違う。私は、負けない。」


 スルネは立ち止まり、霧の中に身を溶かす。

 見えない魔力が空気を撫で、周囲の音を奪っていく。

 彼女の魔法〈スケープ〉。自身を透明化し、周囲の五感から消す。

 その上位魔法〈スケープゴート〉は、相手を「世界から切り離す」禁術。

 それを使えば、どんな敵も彼女を認識できない――はずだった。


 「……報告をしなきゃ。セイラ様か、ルネイア様に。」


 声は震えていた。

 野蛮な魔女の組織。その本拠地ホワイトヴェルに戻る途中だった。

 スルネの心は焦燥と不安に満ちていた。彼女の胸には、組織での“序列”を失う恐れがよぎっていた。


 ――だが、背後に冷たい気配が立つ。

 ゾクリとするほどの殺気。

 振り向いた瞬間、そこにひとりの女性が立っていた。


 「……彼女のことかしら?」


 その声は透き通っていた。凍るように美しく、それでいて慈悲深さを含んでいる。

 銀の髪を夜明けの光が撫で、白銀の瞳が霧を裂く。


 「……おまえは、アウレリア!」


 スルネの声に怒りと恐怖が混じった。

 噂で幾度となく耳にした名。

 11位の魔女――アウレリア。

 “幻惑の支配者”と呼ばれる存在。見た者の心に、現実と夢の境を消すと言われている。


 「どうしてあなたがここに……! 11位の魔女が、どうして健司なんかを信じられるの?」


 アウレリアはゆっくりと歩み寄る。

 霧の向こうで、その足音すら幻想のように淡く響く。


 「あなたも見たはずよ。あの人が、どれほどの魔女を救ってきたか。」


 「黙れッ!」


 スルネの叫びと共に、空間が歪んだ。

 透明の魔法〈スケープ〉が展開される。

 アウレリアの周囲から色が失われ、音が消えた。

 次の瞬間、スルネの剣が音もなく振り下ろされた。


 ――斬撃。

 しかし、その刃は虚空を切った。


 「……なっ!」


 アウレリアは微動だにしていなかった。

 まるで彼女自身が幻のように存在している。

 その姿は確かに目の前にあるのに、触れない。

 剣が通り抜ける。


 「どういうこと……!? あなたの幻術か……?」


 アウレリアは微笑んだ。


 「ええ、少し“思い出”を借りただけよ。」


 その瞬間、霧が濃くなった。

 白い靄の中に、誰かの声が響いた。


 ――『スルネ、ありがとう。嬉しいよ。』


 「……ッ!?」


 スルネの瞳が大きく開かれる。

 その声は、忘れもしない――かつて、彼女が想いを寄せた人の声。

 彼に告白したあの日の光景が、霧の中に現れた。


 若い自分が立っている。

 震える声で、好きな人に想いを伝える。

 だが、返ってきたのはあの言葉ではなく――優しい笑顔だった。


 ――『スルネ、嬉しいよ。本当に。俺も……好きだ。』


 涙が、頬を伝った。


 「……うそ。そんな、現実じゃない……!」


 「現実? それとも――未来かもしれないわね。」


 アウレリアの声が響く。

 現実と幻の境界が、完全に溶けていく。

 スルネの心が、ゆっくりとほどけていくようだった。


 「まやかしだ……こんなの、私の現実じゃない!」


 叫びと同時に、スルネは再び魔法を発動した。


 「〈スケープゴート〉!」


 強烈な光が走る。

 その瞬間、アウレリアの姿が消えた。

 ――世界から切り離された。


 「どう? これであなたは何も触れない。ただの幻になる。」


 スルネの声は勝ち誇っていた。

 けれど、すぐに異変が起きた。

 霧が再び動き出し、アウレリアの声が響く。


 「あなたは何もわかっていない。」


 「なにを、だ!」


 「“現実”と“幻想”の違いを。」


 ――ドンッ。


 胸が強く締め付けられた。

 身体が動かない。

 スルネは息を呑んだ。まるで重力が何倍にもなったような圧。

 手足が痺れ、思考が曖昧になっていく。


 「動けない……!?」


 「この霧は、身体だけでなく心も縛る。あなたが“幻”と決めつけた瞬間、あなた自身が幻になる。」


 スルネは必死に目を見開いた。

 彼女の目に、幻と現実が入り混じった世界が広がっていた。

 どれが本当の木々で、どれがアウレリアか、もう区別がつかない。

 見上げた空も、触れた地面も、どこか嘘くさい。


 「やめろ……私の世界を、壊すな……!」


 「違うわ、あなた自身が“壊した”の。」


 アウレリアの声が遠くなる。

 それは怒りではなく、哀しみを帯びていた。

 

「あなたは、誰かに見てもらえなかった。ただ、それだけ。なのに、自分を消すことで、世界からも消えてしまった。」


 スルネの頬に涙が伝う。

 

「……私は、ただ……気づいてほしかった。いることを、知ってほしかった……」


 その声は、夜の霧に消えた。

 スルネの魔力が崩れ落ち、透明だった身体がゆっくりと姿を現す。

 全身から力が抜け、膝がついた。


 「……これが……アウレリア……」


 スルネは虚ろな目で彼女を見上げた。

 アウレリアは淡い微笑みを浮かべる。


 「ルネイアね。懐かしい名を聞いたわ。あの人とは何度もやり合ったわ。」


 「……ルネイア様が言っていた……あなたに会ったら、逃げろって……」


 アウレリアは静かに目を閉じた。

 

「ふふ……逃げることも、時には優しさよ。」


 風が吹いた。霧が消える。

 スルネはその場に倒れ込み、負けを認めた。

 最後に残ったのは、透明な涙だけだった。


 アウレリアはその跡を見つめ、ひとり呟いた。

 

「透明の魔女、スルネ……あなたの“存在”は、確かにここにあった。」


 そう言って、彼女はリヴィエールへと歩き出した。

 霧が晴れるころには、もうそこに姿はなかった。

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