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魔女達に愛を  作者: リーゼスリエ
クロエ編③メルガとスルネ

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192/211

 ―リヴィエールの夜、血の女王と魂の影

夜のリヴィエール。

 街を覆う霧が、ゆっくりと水路を流れ、月光の粒を揺らしていた。

 昼は明るく清らかな水の都も、夜になればその姿を一変させる。

 静けさの奥に、目には見えない魔力が流れていた。

 それはこの街に住まう魔女たち――そして、「人間」と共に生きるという奇跡が作り出した、特別な気配だった。


 その静寂を破るように、波紋が広がる。


 水面から、影が二つ現れた。

 細身の女と、その隣にいる成人女性のような姿。

 どちらも地を踏むことなく、水面の上に立っていた。


「……着いたわね。ここがリヴィエール。」

 

透き通るような声が夜気を震わせた。

 魂の魔女――メルガ。

 彼女の背には、白い布がゆらゆらと揺れ、まるで幽霊のように見えた。

 その隣で、もう一人が微笑む。透明の魔女・スルネ。

 月明かりが通り抜けるその身体は、輪郭を保っているのが奇跡のように儚い。


「静かね。」


スルネが囁く。


「こんなにも穏やかで……でも、血の匂いが残ってる。」


「そう。ブラットレインの気配よ。」

 

メルガは水面を見つめる。その眼差しは冷たくも、どこか哀しげだった。

 

「彼女、変わったって噂。本当にそうかしらね。」


 2人は霧の中を進み、水路沿いの石橋を渡った。

 人の姿はない。だが、感じる。

 確かに、この街は“生きている”。

 健司という人間を中心に、魔女たちが共に暮らす、奇跡のような場所。


 ――だが、それは野蛮の魔女達にとって、許されざる光景でもあった。


「行こう。まずは、確かめなきゃ。」


「誰を?」


「もちろん、ブラットレイン。あの女が変わったというなら、確かめてやる。」

 

メルガの声には棘があった。

 彼女にとって「裏切り」は、最も許せない罪だったからだ。


 リヴィエールの中心部へと続く小径に、ふいに灯りが差した。

 それはまるで、2人を導くようだった。

 水晶灯が揺れる。その明かりの中、ひとりの女性が立っていた。


「……久しぶりね、メルガ、スルネ。」


 その声を聞いた瞬間、2人は立ち止まった。

 ――ブラットレイン。


 だが、その姿を見た瞬間、2人の目が見開かれた。


「……何だ、その格好は?」

 

スルネの声がかすかに震える。

 そこにいたのは、彼女たちが知る“血の女王”ではなかった。


 黒衣に染まった冷酷な姿ではなく、深紅のローブに身を包み、胸元には小さな宝石が光っている。

 血のような赤でありながら、その色は恐怖ではなく、どこか温もりを感じさせた。

 顔には柔らかな笑み――そして、かつて決して浮かべることのなかった穏やかな表情。


「……どういうつもり?」


メルガが問い詰める。


「お前が“愛”なんて口にするとはね。ふざけてるの?」


「ふざけてなんかいないわ。」


ブラットレインは静かに言った。


「愛よ。愛されるって、素晴らしいことよね。」


 その言葉は、夜の静寂に吸い込まれるように響いた。

 スルネがあざ笑う。


「あなたが? “血の女王”が? いったい何を見たらそんなことを言うの?」


「人の心を、見たの。」

 

ブラットレインは迷いのない声で言った。

 

「健司に救われたの。血で生きる私の手を、恐れずに握ってくれた。……その瞬間、私の中で何かが変わったの。」


「……バカバカしい。」


メルガが吐き捨てる。


「お前がそんな甘い幻想に浸るなんて。愛なんて、結局は裏切りに変わる。あんたが一番知ってるはずでしょ?」


 一瞬、ブラットレインの瞳が曇った。

 過去の記憶――血に染まった約束。裏切られ、すべてを失った夜。

 確かに彼女は、愛を最も遠ざけてきた存在だった。

 だが、その痛みを乗り越えたからこそ、今ここに立っている。


「知ってるわ。だからこそ、信じるの。」

 

その言葉に、メルガは眉をひそめた。


「……救いようがないわね。」


 スルネがふっと笑い、指先を空に掲げた。

 透明な波が広がる。空間が揺らぎ、月光が歪んだ。

 

「まあいいわ。健司っていう人間、ちょっと見てみたいし。」


 「なにをするつもり?」

 

ブラットレインの声が鋭くなった。

 

「……まさか、彼に手を出す気?」


 「当然よ。」


メルガの声が冷たい。

 

「私たちの目的は“絶望”を作ること。あの男がどんな顔をするのか、見てみたいのよ。」


「絶望……?」

 

ブラットレインは一歩、前へ出た。

 その紅いローブが風に揺れ、光を反射した。

 

「あなたたちはまだ知らないのね。絶望を知った者が、愛に救われることを。」


「……なにそれ?」


スルネが首を傾げる。


「説教のつもり?」


「違う。ただ、あなたたちも、いずれ分かるわ。」

 

ブラットレインの声は不思議と穏やかだった。

 怒りではなく、祈りのような響き。


 「人を信じること。愛すること。それが、どんなに怖くて、どんなに尊いものか。」


 メルガは短く息を吐いた。


 「……相変わらずだわ。お前はいつも理想ばかり語る。けど、現実は違う。愛なんて、結局は弱さの言い訳よ。」


 その瞳の奥に、一瞬だけ、痛みが走った。

 ブラットレインはそれを見逃さなかった。


「……あなたも、誰かを失ったのね。」


「黙れ。」

 

メルガの声が低く響く。

 空気が一変した。水面が震え、魂の気配が漂う。

 

「次に会うときは――その“愛”とやら、壊してあげる。」


 スルネが微笑んだ。


 「ふふ。楽しみにしててね。血の女王。」


 2人は霧に包まれるようにして姿を消した。

 ブラットレインはしばらくその場に立ち尽くし、赤い髪を風になびかせた。

 水面に映る自分の姿――そこには、かつての冷酷な魔女の影はもうなかった。


「……壊す? できるものなら、やってみなさい。」

 

小さく呟いた声は、夜の風に溶けた。

 その胸の奥では、確かに鼓動が鳴っていた。

 血ではなく、心の熱として。

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