闇の扉の前で
夕暮れの光が森を照らす頃、健司たちはついに南の村の手前の丘にたどり着いた。
赤く染まる空の下、遠くに見える小さな村の灯りが、まるで希望のように瞬いていた。
「もう少しだね……」
ルナが息を整えながら言った。
「村が見えてきた。あそこなら、きっと……」
しかし、次の瞬間、空気が張り詰めた。
突如、風が止み、森の影がうねるように動いた。
その中心から現れたのは、黒いローブに身を包んだ一人の魔女――リセルだった。
「……!」
ミイナが一歩下がり、ルナも身構える。
クロエは静かに前へ出たが、リセルの視線はただ、一人を射抜いていた。
「また来たのね、リセルさん……」
健司が口を開いた。
リセルの瞳は冷たく、感情を拒絶するようだった。
けれどその奥にある微かな揺らぎを、健司は見逃さなかった。
「ここまで来たんだ。僕たち、魔女が安心して住める場所を作ろうとしてる。誰にも追われず、怯えず、笑って過ごせる町を」
その言葉に、リセルの眉がわずかに動いた。
だが、次の瞬間、彼女は吐き捨てるように言った。
「そんなものは――存在しない。幻想だ。夢物語にすぎない」
「幻想でもいい。僕は、それを現実に変えたいんだ」
「お前に何ができる?」
リセルの声は鋭かった。
「人間に信じられるというのか? 彼らは恐れ、拒絶し、憎む。いつかまた裏切られる。それを、あなたたちが証明したじゃないか!」
彼女の手が闇の魔法を呼び起こした。
影が地面から立ち上がり、黒い槍となって健司に向かって伸びる。
「健司!」
ルナが叫んだ。ミイナが守ろうと前に出ようとしたが――
「いいんだ」
健司は静かに手を上げて止めた。
そして、まっすぐにリセルへ歩き出す。
槍が目前に迫る――だが、彼は恐れなかった。
リセルの手が震えていた。迷いが、明らかにその動きを鈍らせていた。
健司は一歩、また一歩と近づき――ついに、リセルの手を取った。
「君の痛みは、ちゃんとわかってる。裏切られて、傷ついて……それでも、君は人を信じていたんだよね。だから、最後まで“調停者”でいられたんだ」
リセルは息を呑んだ。
「僕が作りたいのは、魔女も人も、誰もが一緒に生きていける町だ。――でもそれは、僕一人じゃできない。だから……一緒に作ってほしい」
健司の声は静かだったが、真っ直ぐで揺るがなかった。
リセルは目を見開いた。
ずっと閉ざしてきた心の扉が、少しだけ揺らいだような気がした。
彼の手は、あたたかかった。
誰かの手に触れるのは、あの人以来――いや、それ以上に、彼女の心に入り込んできた感覚だった。
「……私には、そんな資格はない。誰かと何かを作るなんて……できない」
「あるよ。資格なんて、誰かに決められるもんじゃない。君が前に進みたいと思ったら、それだけで十分なんだ」
風が吹いた。
森の木々がざわめく中、リセルは視線をそらせなかった。
彼の瞳は、かつて自分を守ろうとして命を落としたあの人と――どこか似ていた。
「君の魔法は“闇”かもしれない。でも、闇は光を知ってる。だから、僕たちは共にいられる」
リセルの手が、静かに下がった。
黒い槍は闇に溶け、風と共に消えていく。
しばらくの沈黙ののち、彼女は小さくつぶやいた。
「……あなたは、愚かだわ」
「よく言われるよ」
健司は照れくさそうに笑った。
それが妙に優しく、リセルの胸に温かいものを灯した。
「……本当に、後悔しない?」
「しない。もしすることがあっても、それはきっと、一緒に笑いながら思い出せる後悔だよ」
沈んでいく太陽が、彼らの背後を赤く染めていた。
クロエがそっと歩み寄る。
ルナとミイナも、少し戸惑いながらも微笑んだ。
リセルはゆっくりと深呼吸をした。
「……わかった。もう少しだけ、信じてみる」
その言葉は、闇の調停者からの、最初の「和解」だった。
健司の手は、しっかりと彼女の手を包んでいた。
そして一行は、また歩き出す。
“誰もが住める場所”――
その光を信じて。




