休息の夜 ― フレイムの国にて
フレイムの国の夜は、静かだった。
昼間の激闘が嘘のように、街は落ち着きを取り戻していた。
燃えるような赤い灯火が通りを照らし、宿屋の窓から漏れる明かりが、戦いの余韻を柔らかく包んでいた。
健司たちは、国の中央にある大きな宿屋を借りていた。
それぞれがそれぞれの時間を過ごしている。
クロエは湯殿で髪を乾かしながら、リセルと話していた。ミリィはロビーで絵本を開き、カテリーナとエルネアは次の目的地について軽く言葉を交わしていた。
戦いは終わった。
けれど、心の奥に残る熱はまだ消えていなかった。
健司は部屋の窓を開け、外の夜風を受けながら、ぼんやりと街の灯を眺めていた。
冷たい風が、汗の残る首筋をなでる。
ようやく――ひと息つける。
その時、ノックの音がした。
「どうぞ」
健司が答えると、扉が静かに開いた。
赤い髪を軽くまとめたヴェリシアが立っていた。戦いの時の鋭い表情とは違い、穏やかな笑みを浮かべていた。
「健司、お疲れ様」
「ヴェリシアか。ありがとう。みんなは?」
「それぞれ休んでる。エルネアはミリィの寝かしつけ、クロエとリセルは温泉。ソレイユは……飲み過ぎたみたい」
そう言って笑う。
健司も笑った。
ようやく、戦いの終わりを実感する。
あの炎の魔女たち――フレイムの国を守っていた彼女たちは、敵でありながらも、信念に生きていた。
「ヴェリシア、炎の魔女たちはどうだった?」
健司は尋ねた。
「普通の魔女だったね」
ヴェリシアは少し考えてから、柔らかく言葉を続けた。
「ただ……自分の力を信じて、国を守っていた。あの目は、誰かのために燃えていた。そんな印象」
「信念、か」
「うん。健司も感じたでしょ?」
「ああ。強かったけど、まっすぐだった」
「ね。……そういう人たち、嫌いじゃない」
ヴェリシアは健司の隣に腰を下ろした。
風が髪を揺らし、香りがふっと流れた。
「ヴェリシアも、信念があるよね」
「え?」
「最初に出会った時からそう思ってた。君は誰よりも真っすぐで、迷っても、心の軸がある」
ヴェリシアは少し照れたように笑った。
「ありがとう。そんなふうに言われると、ちょっと嬉しい」
「本当のことだよ」
沈黙が訪れた。
宿の外では虫の音がかすかに聞こえ、遠くで誰かの笑い声がした。
平穏。戦いのない夜――それがこんなにも貴重に思えるとは、数日前までは考えもしなかった。
「健司は、これからどうするの?」
ヴェリシアが聞いた。
「決まってるよ。まだ見ぬ場所に行く。幼馴染のミナを探すまでは、旅を続ける」
「ミナ……」
その名前を口にすると、ヴェリシアは静かに目を伏せた。
彼女も知っている。健司の旅の始まりが、ひとりの少女を探すことだったことを。
「……私も決まってるよ」
ヴェリシアが言った。
「私は、健司たちと一緒にいる」
健司は少し驚いた顔をした。
「いいのか?」
「うん。今さら離れたくない。いろんな国を回って、いろんな魔女を見て……ようやくわかった。私は誰かの背中を見ていたいんだって」
「誰かって?」
「決まってるでしょ」
ヴェリシアは小さく笑い、健司の腕を軽く叩いた。
「健司。あんたを思う気持ちは、誰にも負けないからね」
その言葉は冗談のようでいて、どこか真剣だった。
健司は息をのんだ。
戦いの中で彼女の強さを何度も見てきた。けれど、今のヴェリシアは、ただの戦士ではなかった。ひとりの女性として、まっすぐに想いを伝えてきていた。
「……わかってるよ」
「本当に?」
「うん。けど――」
「けど?」
「旅を終えたら、答えを出そうと思う」
ヴェリシアの瞳が、少しだけ揺れた。
「決められるのかな?」
「どういう意味?」
「だって、どんどん増えてる気がするんだもん」
彼女は少しふてくされたように言った。
健司は苦笑した。
確かに、旅の仲間は増えた。
そして、それぞれが健司に想いを抱いている――彼自身がそう感じてしまうほどに。
クロエの優しさ。リセルの無邪気さ。カテリーナの誇り高い眼差し。ミリィの純粋な憧れ。
ソレイユの包み込むような愛。エルネアの静かな思慕。
そしてヴェリシアの、真っ赤に燃える想い。
「……みんな大事なんだ。嘘じゃない。けど、答えを出すには、まだ俺自身が足りない気がする」
「足りない?」
「ああ。僕はまだ、自分が何者なのか、何を望んでいるのか、ちゃんと知らない」
ヴェリシアは黙って健司の言葉を聞いていた。
彼の声には迷いと、決意が混ざっていた。
長い旅の中で、健司は多くのものを見て、抱えすぎるほどの想いを受け取ってきた。
「……だから、もう少し待っててくれないか」
「ふふっ、ずるいね」
「そうかな」
「でもいいよ。あんたらしい」
ヴェリシアは立ち上がり、窓の外を見た。
月が、炎の国の空に淡く浮かんでいた。赤い街並みに銀の光が差し、静かに輝いている。
「きれいだね」
「ああ。戦いの跡が、まるで嘘みたいだ」
「でも、あの炎の魔女たちが見たら、きっと誇りに思うと思うよ」
「そうだな。彼女たちの信念は、確かにここに残ってる」
ヴェリシアはしばらく空を見つめ、それから健司に振り返った。
「健司、もしミナを見つけたら……どうするの?」
「……それも、まだわからない」
「そう。じゃあ、答えを出すその日まで、ちゃんと見てるから」
そう言って、ヴェリシアは微笑んだ。
その笑顔は炎のように強く、けれど温かかった。
「ありがとう、ヴェリシア」
「いいの。今夜くらいはゆっくり休んで」
「君もな」
「うん。……おやすみ、健司」
扉が静かに閉まる。
健司は再び窓の外を見た。
戦いは終わった。
けれど、旅はまだ続く。
ミナを探す旅。仲間と共に歩む旅。そして、自分の心と向き合う旅。
どれもが、健司にとって大切な道だった。
――炎の国の夜。
その静けさの中で、健司はほんの少しだけ、夢を見た。
燃えるような空の下で、誰かが笑っている。
あの日の約束を、まだ果たせていないことを胸に抱きながら。
こうして、健司たちはフレイムの国の激闘を終えた。
そして次なる地へと向かう、その前の静かな夜――。
心を整えるための、わずかな休息の時間が流れていった。




