カルナの去りし日 ― フラムの記憶
――炎の都ラグリオン。
かつてこの街は、天を焦がすほどの炎に包まれた。
燃え尽きた街並みの中で、人々は空を見上げ、ただ一人の名を叫んだ。
カルナ。
炎の一族の象徴、そして“すべてを燃やす女神”とまで呼ばれた魔女。
その力は、もはや炎の域を越えていた。
彼女が怒れば火山が噴き、涙を流せば炎が雨のように降った。
あの日、炎と水の一族の戦いが再び勃発した。
戦の中心にいたのは、氷の調停者──まだ齢15才のアナスタシア。
彼女の冷たい魔法は、炎の一族の誇りを凍りつかせた。
炎の塔が氷に覆われ、民が凍死した。
その瞬間、カルナは――怒りのままに暴走した。
空が裂け、赤い光が大地を呑み込んだ。
氷は蒸発し、空気すら燃えた。
その灼熱の中で、誰もが見た。カルナが狂気のように祈る姿を。
「……炎よ、私を喰らえ。人の罪を燃やし尽くせ……」
街は燃えた。
敵も味方も、すべてが等しく炎に包まれた。
フラムはその光景を、まだ若い頃に見ていた。
恐怖と同時に、圧倒的な美しさを感じた。
炎が、まるで“涙のように”見えたのだ。
――そして、数日後。
街の半分は灰となり、残った者たちは瓦礫の中で再建を始めていた。
カルナは沈黙していた。
その姿を見たフラムは、どうしても話さずにはいられなかった。
夜明け。
まだ空が赤く染まる頃、カルナは静かに門を出ようとしていた。
長い黒髪が炎の光を受け、ゆらりと揺れる。
背に背負った杖は、かつて“炎の核”と呼ばれた神器。
「カルナ様……!」
声をかけると、カルナは振り返った。
その瞳は燃えていなかった。
むしろ、炎のような光をすべて吸い尽くしたような静寂があった。
「フラムか……起きていたのね」
「行かれるんですか? どこへ?」
カルナは少しだけ微笑んだ。
その笑みは、どこか儚く、そして決意に満ちていた。
「もともと、争っている場合ではなかったのよ」
「……どういう意味ですか?」
カルナは振り返り、東の空を見た。
夜明けの光がゆっくりと差し込み、炎の都を照らしている。
「私たちは、もっと大きな災厄から逃げてきた。
――“西の狂った魔女達”からね」
「西の……?」
フラムは知らなかった。
炎と水の争いの裏に、そんな存在があったとは。
カルナの声が少し低くなった。
「奴らは常に争いを好む。勝つためなら魂すら売る。
今は静かにしているけれど、いずれ――この大陸全てを巻き込む戦が起こる」
「そんな……じゃあ、なぜ……なぜ今、出て行くんですか!」
「だからよ」
カルナは振り返った。
炎の光の中で、その瞳は確かに輝いていた。
「この街を守るためには、誰かが外に出て“見なければならない”。
世界がどこへ向かっているのか、何がこの炎を狂わせているのか。
私は、その答えを探しに行く」
フラムは震える声で言った。
「……でも、この街はどうなるんですか? カルナ様がいなければ……」
カルナは一歩、彼女に近づいた。
そして、フラムの頬に手を当てた。
「大丈夫。あなたがいるじゃない」
「え……?」
「フラム。あなたには、“静かな炎”がある。
人を燃やさない炎。心を照らす炎。
私はそれを見抜いた。だから、この街を託す」
「わ、私が……?」
「ええ。あなたならできる。私のように怒りに飲まれず、人を導ける」
フラムの目に涙が浮かんだ。
「でも……でも私は、まだ弱いんです! カルナ様のように強くない!」
カルナはそっと笑った。
「強さとは、壊す力じゃない。
守るために立つ心。
あなたはもう、私より強い」
その言葉に、フラムの胸が熱くなった。
何かが、心の奥で燃え上がった。
それは炎ではなく、希望だった。
「カルナ様、行かないでください……!」
フラムは涙を流し、手を伸ばした。
だが、カルナは首を振った。
「私は、ここにはいられない。
この炎が私の罪を燃やし尽くすまではね」
「罪……?」
「私が燃やした街。私が奪った命。
あの炎は、私の心そのものだった。
もう、誰かを傷つける炎を持つ資格はないの」
そう言って、カルナは背を向けた。
彼女の背中に、朝陽が当たった。
その姿は、まるで一輪の炎の花が風に揺れるように美しかった。
「カルナ様……!」
「フラム。もし、私がいなくなっても、炎を嫌いにならないで。
炎は破壊の象徴ではない。命を灯す光。
その意味を、いつかあなたが伝えて」
そして、カルナは歩き出した。
その歩みは静かだったが、一歩ごとに空気が震えるほどの存在感があった。
彼女の周囲には、炎の粒が舞い、まるで花吹雪のように散っていった。
フラムは膝をついた。
「カルナ様ぁぁぁ……!」
カルナは振り返らなかった。
だが、最後に風が吹き、遠くから声が届いた気がした。
――“フラム、あなたの炎は美しい”
それが、フラムの記憶に焼き付いた最後の言葉だった。
***
現在。
フラムは、ラグリオンの玉座に立っていた。
かつての炎の街は復興し、再び光を取り戻している。
けれど、その中心に座る彼女の瞳には、いつも一片の影があった。
バーネの報告を聞いた時、胸の奥がざわついた。
“アナスタシア”という名を聞いた瞬間、長く封じていた記憶が甦ったのだ。
――そして、炎の壁が破られたという報告。
フラムはゆっくりと立ち上がり、赤い髪を揺らした。
窓の外に燃える空を見つめ、ぽつりと呟く。
「カルナ様……あなたが言っていた“協力”の意味、ようやく分かりました」
風が吹く。
その風は、かすかに炎の香りを運んできた。
それは、まるで彼女の言葉に応えるようだった。
「生きておられるのですね……カルナ様」
その瞳は、炎のように揺れていた。
かつての教え子が、今や都を背負う女王となり――
再び、炎と愛の真意を問い直す戦いが始まろうとしていた。




