選ばれた標的
南へと続く森は、優しい風が木々を撫で、葉がささやくように揺れていた。
健司たちはその森を抜け、次に目指す小さな村へと足を進めていた。
「ねえ健司、あの村に行ったら、私たちも……ちゃんと暮らせるのかな」
ルナが不安そうに問いかける。
「もちろんだよ。みんなで住める場所を見つけよう。安心して暮らせる、そんな場所を」
健司は微笑みながら、ルナ、ミイナ、クロエを振り返った。
クロエはそんな健司の背に、一瞬だけ視線を落とし、そっと頷いた。
そのときだった。
空気が、変わった。
風が止み、鳥のさえずりが消える。
まるで世界が、一瞬で閉ざされたような――不気味な沈黙。
「……来る」
クロエが低く呟いたその瞬間、空間が歪み、一人の女が現れた。
漆黒のフードをかぶり、目元までを薄紫のヴェールで覆っている。
「……あなたが、健司ね」
その声は、氷のように冷たかった。だが、その奥に確かな痛みがあった。
「……君は?」
健司が問い返すと、女は一歩前に出る。
「私はリセル。魔女の谷の一員。そして――過ちを繰り返させない者」
「過ち?」
「人間が魔女を踏みにじり、信じる者が裏切られ、無垢なる命が失われる――それが“過ち”。」
リセルは左手を上げた。その指先に、漆黒の光が集まっていく。
「それを繰り返さないために、あなたには……消えてもらう」
「まっ、待ってください!」
クロエが前に出るが、リセルは言った。
「あなたたちは対象ではない。私が見極めたいのは、“彼”の本質だけ」
「健司に何の罪があるの……!?」
「罪ではない。存在が問題なのよ」
次の瞬間、闇の矢が健司へと放たれた。
「危ない!」
ルナとミイナが咄嗟に健司の前に飛び出す。
が、その闇の矢は彼女たちをすり抜けるように、健司だけを狙って飛んでくる。
――彼女たちに“害”を与えないように、意図的に制御された魔法。
それほどまでに、リセルの魔術は精密だった。
「くっ……!」
健司は間一髪でかわした。だが、肩をかすめた闇が、皮膚を焼くような痛みをもたらす。
「なんて正確な……」
「……これが、私の“覚悟”。」
リセルの声は揺るがない。
「あなたのような者が、魔女の心に入り込む。それは、“次の悲劇”の始まりなの。私たちは、甘くないわ」
健司は立ち上がり、リセルを真っすぐに見据えた。
「君も、きっと……大切な人を失ったんだね」
その言葉に、リセルの手が止まった。
わずかに、目元が揺れる。
「……黙りなさい」
「でも、君がこうしているのは、誰かを守りたかったからじゃないの? 痛みを知っているからこそ、他の誰かを守りたいと思ってるんだ」
「だから――あなたを消す。それが守るということよ!」
再び闇が走る。今度は無数の刃となって、健司を取り囲むように飛んでくる。
「やめてえええっ!」
ルナが叫び、光の魔法が広がる。ミイナも空間を歪ませて一部の闇を消し去った。
クロエも前に出て、闇の盾を構える。
「この子たちの前で、これ以上暴力を見せないで! あなたもそれを嫌っていたはずでしょう、リセル!」
「……!」
リセルの動きが、止まった。
その目に映るのは、今まさに仲間を守ろうとする魔女たちの姿。
人間のために――そう、彼女たちは立っている。
「それでも、私は……!」
リセルの声が震えた。
「私は、失ったの。大切な人も、信じた未来も……! 人間は、結局、裏切るもの。優しさの顔をした毒……!」
その言葉に、健司は歩み寄った。
「じゃあ、確かめてよ。僕が、毒なのか、希望なのか。……君のその目で」
リセルの指先から、魔力が消える。
代わりに、苦しげに顔を伏せた。
「……なぜ……なぜそんな目で、私を見るの……」
「君が本当に誰かを守りたいと思うなら、まずは“信じること”を捨てないでほしい」
健司の声は静かだった。
森の空気が、再び流れ始めた。
リセルは背を向ける。
「……見誤ったかもしれないわ。でも、それでも、私は……魔女たちの未来のために、冷酷でいなければならない」
そう言い残し、闇とともに姿を消した。
沈黙が訪れる。
ミイナが小さく呟いた。
「……あの人も、泣きそうな目をしてた」
健司は傷を押さえながら、微笑んだ。
「うん。でも……まだ、間に合うと思うよ」
クロエはその横顔を見つめながら、小さく頷いた。
「その信じる力……私たちにも、ちゃんと届いてるわ」
そして、彼らは再び南へ向けて歩き出した。
その背に、優しい風が吹いていた。




