炎の国フレイム・燃ゆる静寂
轟音が、街全体に響いた。
赤く染まる空の下、炎の都ラグリオンの中心部で、女たちがざわめく。
地を包み込んでいた「炎の壁」が、音を立てて裂けたのだ。
「バーネ様! 炎の結界が……!」
「どういうことだ! あり得ない……!」
報告が次々と飛び交う。
熱を帯びた空気が揺れ、まるで大地そのものが怒っているかのようだった。
その中心、白い炎をまとった長髪の魔女――バーネは、額の汗をぬぐいながら立っていた。
燃えるような朱色の瞳。炎の壁の守護者であり、フレイムの国境防衛を任された魔女の一人である。
彼女は結界の残滓を見つめながら、低く呟いた。
「……突破された? まさか。私の“フレイムウォール”を?」
彼女の魔法は、並の侵入者ならば一瞬で焼き尽くす。
熱の防御結界は、この街の象徴でもあった。
しかし、事実は残酷だった。
炎の壁の一角が、完全に崩壊している。
そこから吹き込む冷気――氷の気配が、彼女の肌を刺した。
その感覚に、バーネは息を呑む。
「この冷たさ……まさか、氷の魔女?」
隣にいた部下の一人が、震える声で答えた。
「観測魔法で確認しました。氷属性の反応、そして……複数の魔力反応があります」
「誰だ?」
「――水と氷の魔女、アナスタシアと……その仲間たちです」
バーネの心臓が一瞬止まった。
「アナスタシア……!?」
かつてその名を聞いたことがあった。伝説の魔女。
北南の争いで、数多の戦を終わらせた“氷の調停者”。
だが、今彼女は敵としてこの都に足を踏み入れた。
バーネは踵を返し、走り出した。
赤い廊下を駆け抜けるたびに、壁の炎が揺らめき、影が歪む。
彼女の目的地は一つ――この国の長がいる玉座の間だ。
扉の前で膝をつき、息を整える。
「フラム様! 報告があります!」
中から、低く響く声が返った。
「入れ」
扉を押し開けた瞬間、熱気が押し寄せた。
玉座の間は、まるで火口の中にあるかのようだった。
中央には、黄金と紅蓮が交わるような衣をまとう女性が静かに座っている。
――フラム。
炎の魔女の国、フレイムを統べる者。
燃える髪、紅玉の瞳。その存在だけで、空気が焦げるような威圧感を放っていた。
「何の騒ぎだ?」
フラムの声は穏やかだったが、その奥には燃えるような冷たさが潜んでいた。
バーネは頭を下げた。
「炎の壁が突破されました。侵入者は――氷水の魔女アナスタシアと、その一行です」
静寂が落ちた。
フラムはゆっくりと立ち上がる。
長い赤髪が、火の粉のように揺れた。
「……アナスタシア、か。久しぶりに聞いた名だな」
彼女の声は懐かしげでありながら、どこか苦味を帯びていた。
「“あの時”以来だ」
バーネは思わず問い返した。
「あの時……とは?」
フラムの瞳がゆっくりとバーネを見据える。
それだけで、バーネの体温が一瞬にして上がった気がした。
「まだお前が小さい頃のことだ。前の一族の長――“炎帝カルナ”がまだこの都を治めていた時代。
我々は南の水の領域と争っていた。その時、氷水の魔女アナスタシアが現れたのだ」
その名を口にした瞬間、周囲の炎が小さく揺らいだ。
まるで記憶が熱を持って蘇るように。
「彼女は敵の軍勢を凍らせ、戦場を静寂で満たした。だが――カルナ様はその氷を恐れ、逆に炎を暴走させた。
街が、燃えた。兵も、民も……そしてカルナ様はいなくなった。」
バーネは息を呑んだ。
炎の都を象徴する過去の悲劇――それが、アナスタシアの名とともに語られるとは思わなかった。
「アナスタシアはそれ以来、姿を消した。しかし、今また現れた……」
フラムの瞳が細くなる。
「この都に何の用がある?」
バーネは首を振った。
「不明です。ただ、複数の魔力が確認されています。人間も混ざっているようで……」
「人間、だと?」
その言葉に、玉座の間の温度が一気に上がった。
フラムの背後で炎が噴き上がる。
「人間が、この都に?」
その声には、静かな怒りが込められていた。
「愚か者め……この都は“来たるべき時”のための場所。外の者に踏み荒らさせはしない」
“来たるべき時”――その言葉に、バーネの眉が動く。
だが、彼女は質問を飲み込んだ。
この言葉の意味を問う者はいない。問えば、燃やされる。
フラムはゆっくりと歩き出す。
その一歩ごとに、床の紋様が紅く光り、炎が舞った。
「排除しろ。あの氷の女を再び街に踏み入れさせるな。
そして、その“人間”――もしも手を下せるなら、捕らえよ」
バーネが目を見開く。
「捕らえる……のですか? 殺さずに?」
フラムは振り向かずに答えた。
「その男からは、ただならぬ気配を感じる。
我が目で確かめたい。炎が滅びるか、あるいは――」
彼女は微笑んだ。
それは、灼熱そのものの笑みだった。
「――新たな時代を灯す炎となるか」
バーネは頭を垂れた。
「……御意」
玉座の間を出た瞬間、背中にじりじりとした熱が残る。
それは恐怖ではなく、使命感に似た熱だった。
「アナスタシア……そして、健司という男。必ず見つけ出してみせる」
バーネは炎のように駆け出した。
ラグリオンの街の上空には、既に異変を察知した炎の魔力が舞っている。
空を焼くような赤い光が、夜を昼に変えていく。
その光の中を、冷たい風が切り裂いた。
氷水の魔女アナスタシアと、彼女と並んで歩く人間・健司達の姿が、炎の街の入り口に現れたのだ。
フレイムの長フラムは、その報告を受けながら微かに呟く。
「再び、氷が炎に触れる時が来たか……。あの男が何者であれ――炎の審判を受けるがいい」
燃え盛る都の上空に、巨大な炎の紋章が浮かんだ。
それは宣戦布告の印。
ラグリオンの炎が、ついに目を覚ましたのだった。




